前回のあらすじ 温泉に行く途中の寝台列車で僕は死んだはずの義兄と再会した。だが、義兄はGOODの強化改造兵士ゼロキャットとして悪に魂を売ってし
まっていた。そして、僕はゼロキャットに操られた人たちに拘束されて一緒に爆死するのを待っている状態に陥った。
悪戯に時間ばかりが過ぎていった。何とか拘束を解こうと僕は抵抗を試みたが、両腕をがっしり掴まれていて思うようにならなかった。
「いい加減にしろよ。てめぇら!」
だんだん腹が立って怒鳴るも、僕を拘束している連中は何も反応しない。それが余計に腹が立つ。いや、こんな言い方だから駄目なんじゃないか。誰だって頭
ごなしに怒鳴られたら素直にはなれないだろう。僕は深呼吸した。
「皆にお願いがあるの。私を解放して。ね? お・ね・が・い」
最後はウィンクして精一杯の笑顔でのお願いだったが、完全にスルーされてしまった。その直後に僕を襲ったのは激しい後悔の念だった。畜生、いますぐ壁に
頭をかち割れるまで打ちつけてやりてぇ。アホなことをしてしまったせいで、残り時間が30秒を切ったじゃねーか。駄目だ。せめて、ルイたちだけでも脱出さ
せたいが、これじゃ連絡のしようがない。やはり、高校生の身分で高い部屋のチケットを購入したのがまずかったか。神様が怒って罰をくだしたのかもしれない。
だとしたら、それはルイのせいだからあの世で会ったら文句を言ってやろう。背負いきれぬ恥をかかされた落し前もつけてもらいたい。と、僕が完全に諦めてい
た時だった。いきなり、僕は首根っこを掴まれ、すごい力で後ろに引っ張られたのだ。
「な、なんだ?」
何が起きたのか理解できなかった。引っ張られた瞬間、視界が電車の車内から夜空と緑の木々に切り替えられた。状況を理解できずにいると、後ろから声がし
た。
「お怪我はありませんか?」
聞き覚えのある声に振り返ってみると、長靴をはいた猫紳士が立っていた。ピエール=シモン・マクスウェルだ。なんで、こいつが? 人を助けるような奴で
はないはずだ。
「何のつもりだ?」
「おやおや、命を助けられたことへの返しの言葉がそれですか?」
やれやれといった風に溜息を吐くネコ野郎にイラッとしたが、言っていることは正しい。
「礼でも言ってほしいのか?」
そりゃ、礼を言うべきなのはわかるけどさ。何を企んでいるかわからないから、迂闊に礼なんか言って後で悔いることになるかもしれないから言わない。って、
そんなことよりルイたちはどうなったんだ。まさか電車が爆破されるなんて思ってもいないだろうから……。僕が最悪の事態を想定して顔面蒼白になっていると、
長靴を履いた猫は何でもお見通しみたいな感じで指摘した。
「お友達のことが御心配のようですね」
「ルイたちを知っているのか?」
こいつに知らない事は無いんだったな。で、ルイたちはどうなった?
「ひと足早く脱出されてますよ」
ネコマジンが知らせてくれたらしい。
「そうか、ありがとう」
僕は無意識に礼を言ってしまった。しまった、こりゃうっかりだ。でも、安堵したのは事実だ。困った居候だが、それでも僕にとっての家族だ。僕には血を分
けた家族というものがない。だから、誰でも家族として受け入れることができるし、僕なりに大切にしてきた。でも、僕はかつて家族だった奴に殺されかけた。
「なあ、奴らがいまどこにいるかわかるか?」
奴らがルイたちのことでないことはネコチャンマンにもわかったようで、奴が差し出したトランプのカードに奴らが車で移動しているのが映った。
「あんたに頼みがあるんだけど」
「なんでしょう?」
「僕を奴らのとこにまで連れて行ってくれないか?」
僕の頼みごとに擬人化された猫は顎に手をやって考える素振りを見せた。
「よろしいのですか?」
あらゆるすべてを知り尽くしているというこの不思議な猫生体は、僕と奴の関係も当然知っているはずだ。そして、なぜ僕が奴らのところに連れて行ってほし
いと頼んだのかも。僕は小さく頷いた。
「そうですか。では、こちらへ」
猫もどきが何もないところを指でつまんで下におろすと、まるでファスナーが開いたように空間に亀裂が生じた。
「この中を通れば一瞬でお望みの場所に行けますよ」
「すまないな」
僕は謝意を口にすると、亀裂の中に足を踏み入れた。一歩先は別の場所か。僕を助けた時もこの亀裂を使ったんだな。それはさておき、向こうに行く前に訊き
たいことがある。
「彼女は元気にしているか?」
久しぶりに顔をみたいな。
「そう遠くないうちに会えますよ。向こうもあなたにお会いしたいと言ってましたから」
そうか。嬉しいことを言ってくれる。ほんの一晩の出来事。時が経つにつれ、あれは夢だったのではと思うようになった。そして、いつしか僕はあの日のこと
を忘れてしまっていた。去年、この喋る猫が僕の前に現れなかったら、恐らくこれからも思い出すことはなかったと思う。猫と彼女の事も、僕がこれから対決す
るゼロキャットも、僕にとっては過去に関係しているものだ。一歩も外に出ることを許されなかった僕をたった一度だけ外に連れて行ってくれたのは、マクスウ
ェルと彼女で、外に出られない僕に外の情報を教えてくれたのは血のつながりのない兄姉たちと研究所のスタッフたちだ。皆が僕に優しくしてくれた。その中で
も、僕のすぐ上の姉とそれより何個か上の兄は特に僕を可愛がってくれた。しかし、姉は僕の目の前でGOOD機関に殺害され、兄も僕を逃がすために犠牲にな
った。ついさっきまでそうだと思っていた。ところが、兄はGOODに魂を売ってしまっていたのだ。GOODの強化改造兵士ゼロキャットというのが兄のいま
の姿だ。そう、僕はかつて兄と呼んだ男と戦わなければならないのだ。僕だけでなく、ルイやエリシアも危険にさらした奴を生かしておくわけにはいかない。僕
は決意を固めて亀裂の中に入った。
亀裂を抜けて別の場所に移動した僕はすぐそこまで車が迫っているのを目の当たりにした。
「!」
僕はあわてて魔法壁を形成した。
「wall!」
間一髪、僕は見えない壁で車との衝突を免れた。魔法少女にまた変身できるようなって助かった。一方、車は壁との正面衝突で大破してしまっている。中に乗
っている人はと言うと、
「トォーッ!」
と空高くジャンプして空中で一回転して地面に着地した人と、ドアを開けて車からよろよろと出てきた人がいる。前者はポイボス・スピリットで後者がゼロキ
ャットだ。ポイボス・スピリットは僕がここにいることに驚いた様子だった。
「貴様、あの状況でどうやって脱出した!?」
知るか。お前らに教えてなんかやるもんか。死んだはずの人間が生きていて、しかも知るはずの無い自分たちの居場所を突き止めて現れたことにポイボス・ス
ピリットも驚きを隠せないようだ。
「どうやら貴様は悪運が強いらしいな。ならば、ここで完全に息の根を止めてくれるわ。やれ、ゼロキャット」
「ニャーゴ」
ポイボス・スピリットの命令でゼロキャットが飛びかかってきた。僕と奴は取っ組み合いの喧嘩を始めた。以前はスカートだったので、こう激しく格闘してし
まうとスカートの中が見えちゃったりするのだが、いまは短パンなので問題ない。だから、気兼ねなくハイキックもできる。ぐらつくゼロキャットにさらに竜巻
旋風脚をお見舞いする。ゼロキャットは反撃にパンチを繰り出すが、僕はそれをはねのけて逆に奴の顔を殴った。そして、連続してパンチしてゼロキャットがフ
ラフラになったところをドロップキックした。よろけて片膝をつく奴の顔を蹴り上げる。仰向けに倒れた奴の上に乗っかると、僕は奴の顔を右手で掴んだ。
「impact!」
右掌から衝撃波を放つ。ゼロキャットの体がはねあがる。2発目を放とうとするとゼロキャットが両手で僕の右腕を掴んだ。自分の顔から引き離そうとしてい
るのだろう。僕は構わず2発目を放った。
「impact!」
ゼロキャットの体がまたはねあがり、僕の右腕を掴んでいた両手もはなした。さすがに2回もゼロ距離で頭に衝撃を受けるとこたえるようだ。人間なら最初の
一回で8割方死んでいる。
「とどめだ」
僕は3発目を放つことにした。2発目でかなり頭にダメージを与えているはずだ。もう一回放ったら息の根を止めるのは無理だとしても再起不能にさせるぐら
いはできる。だが……。
「……!?」
僕が3発目を放とうとした時だった。ゼロキャットが義兄の姿にもどったのだ。
「どういうつもりだ!?」
ゼロキャットは何も答えずただニヤリとしただけだった。人間にもどった奴の頭部はもう一発衝撃波を与えると潰すことはできる。だが、僕は3発目を放つこ
とができなかった。
「どうした? なぜ撃たない?」
わかっているくせにゼロキャットはわざとらしく訊いてくる。その人を見下したような笑いにイラッとするが、僕はどうしても3発目を放つことができない。
敵になったといっても、一度は兄と呼んで慕った人間を殺すことはやはり気が引ける。。怪人の姿をしている時は何とも思わなかったが、やはり義兄の顔をみる
とどうしても躊躇ってしまう。こいつは殺しておくべきだとは頭ではわかっている。でも、心ではかつて同じ釜の飯を食った仲間を殺したくないという思いがあ
る。僕はどうすべきか思い悩んだ。そのことに気がいってしまっていた僕は義兄がこっそりとナイフを取り出していたことに気付かなかった。次の瞬間、僕は脇
腹に衝撃を受けたのを感じた。脇腹に目をやるとナイフが深々と刺さっていた。
「っ……貴様!」
刺された脇腹を抑えながら僕は義兄を睨んだ。血が流れ出ているのが触っていてわかる。こいつ、なんの躊躇いもなく僕を刺しやがった。さっさと殺しておく
べきだったと後悔しても後の祭りだ。
「馬鹿な奴だ。さっさと、とどめをさせばよかったものを」
そう嘲る義兄に僕は腹の底から怒りを覚えた。それは裏切った奴に対してだけではない。自分自身にも腹が立っていた。奴が言ったことは正しい。間違ってい
るのは僕の甘さだ。
「はははははっ、どうやら形勢逆転のようだな」
再びゼロキャットの姿になって義兄は僕の甘さを笑った。だが、僕はそれに対して何の感情も湧かなかった。脇腹に刺さったナイフの柄を握る。
「痛っ」
痛みに顔がゆがむ。そして、一呼吸おいた後に僕は意を決してナイフを一気に抜いた。その刀身には僕の血がべったりと付着していた。僕がナイフに魔力を込
めるとナイフは粉末になってサラサラと風に流された。これは、お前たちをこのナイフのように跡形もなくこの世から消してやるという意思表示だ。
「ふん、そんな体で何ができる」
意思は相手側にも通じたらしく、ゼロキャットは鼻で笑った。奴の言うとおり僕の脇腹からは依然として出血が続いている。しかしながら不思議と痛みはそん
なに感じられなくなった。気持ちが昂っているからだろうか。もう躊躇はしない。相手が誰であろうと僕は戦う。怒りや憎しみはない。そんな余計な感情はいら
ない。少しでも感情を抱くとさっきみたいに躊躇ったりするかもしれないからだ。必要なのは相手を倒すという意思ただそれだけだ。
「くっ……」
ゼロキャットがたじろぐ。僕の意思を感じ取って怖気づいたか。だが、顔はいかにも引きつっているが口元だけは笑っている。何か、切り札があるようだ。さ
っきの列車のことからして大体想像はつく。そして、奴は口を開いた。
「動くな」
同時に奴の左目に何かの紋章が浮かび上がるのが見えた。僕は咄嗟に腹の前で両の拳を合わせた。次の瞬間、拳を合わせたところから光が発せられた。
「なっ、なんだ?」
結構、強い光なので直視するにはきついだろう。だが、ゼロキャットは光から目をそらすことも腕などで光をさえぎることもできない。
「なぜだ、なぜ体が動かん?」
ゼロキャットはどういうわけか体が動かないようだ。さらに、奴は僕が動いていることにも驚いていた。
「なぜ、貴様が動いている? 動くなと命令したはずだ」
なんで僕がお前の命令を聞かんとならんのだ。わかっているさ。さっきゼロキャットの左目に浮かんだ謎の紋章。あれを見た者はゼロキャットの命令には絶対
に従うようになっているのだろう。たとえ、死ねと命令されたとしても。だが、僕がさっき放った光は相手の魔法や術をはね返すバリアみたいな効果があるのだ。
ゼロキャットが動けないのはそのためだ。
「いまだ」
僕は腰を低くして魔力フィールドを発生させた。そして、右足に魔力を集中させてゼロキャットに向かって走る。右足が地面に着く度にジューッと焼ける音が
する。最後に奴の手前まで来たところで奴の頭のとこまでジャンプして一回転してからキックを放った。
「うりゃっ」
キックがゼロキャットの胸に炸裂する。いつもなら、これを受けた改造人間は後ろによろめくのだが、ゼロキャットは体が動かないのでキックの衝撃を受ける
と後方に倒れるしかない。キックが命中した箇所には魔力による刻印が刻まれている。そこから全身に亀裂が生じて、その肉体を粉々に粉砕するのだ。ゼロキャ
ットも最期を悟ったようで、顔を引きつらせながら捨て台詞を吐いた。
「へへっ、あの世に行ったら千原によろしく言っといてやるよ」
それは無理だね。僕は人差し指で上を指した。
「姉さんは天国にいるんだ。てめえが行くのは…地獄だ」
僕が親指を下に向けた直後、ゼロキャットは粉々に砕け散った。あのナイフのように跡形もなく消え失せた。
「……」
しばらくの間、僕はその場で立ち尽くしていた。ポイボス・スピリットはいつの間にかいなくなっていた。何か急用でもできたのだろうか。こっちとしては、
その方が有り難い。傷口を塞がないとな。僕は脇腹の刺し傷に手を当てた。
「sutura」
魔法で傷を塞ぐ。塞いだだけで内部の損傷はそのままなのだが、それは時間が経てば自然と治癒される。僕は単独での行動を想定して造られたから体内組織の
再生力は人一倍あるのだ。
「兄さんはなんで裏切ったんだ?」
僕は風に流されてほとんど見えなくなった兄さんの残骸に問いかけた。さっきまで抑えていた感情があふれ出そうになる。
「どうして…あんなに楽しくやってきたじゃないか」
自分の命惜しさで悪に魂を売る人だったら、あの時自分を犠牲にしてまで僕と姉さんを逃がそうとはしなかった。いまとなっては真相は闇の中だが、ただ一つ
確かなのは僕が兄さんを殺したということだ。その事実に僕は体が震えだした。
「僕が兄さんを殺した……」
その後、僕は何度も自問自答を繰り返した。
『なぜ、殺した?』
殺したくて殺したわけじゃない。
『かつて兄と呼んだ人なのに?』
だって、向こうから仕掛けてきたんだからしょうがないじゃないか。
『だから、殺した?』
そうだよ。そうしなきゃ僕が殺されていた。
『他に方法は無かったのか?』
あるわけないだろ。
『本当に?』
ああ、無いよ。他にどんな手段があるっていうんだ。しょうがないことなんだ。
『本当にそう思っている?』
思っているさ。そう思わないと僕は……。
一晩中こんなことの繰り返しでろくに眠れなかった。もっとも、近くのバス停のベンチに寝転がったので寝心地が悪かったのもあるだろう。しばらくベンチで
ボーっとしていたが、あんまり長居するとバスが来る時間帯になるので気をつけないと。だが、いま僕はそれどころではなかった。
「はぁーっ」
実は僕は日の出からある問題に頭を悩ませていた。ルイとエリシアの行方がまったくわからないのだ。
「携帯電話を持たせておくんだったな……」
今更言っても詮無いけどさ。ルイたちはどこにいるんだろ? 探す当てがないとどう動いていいかわからん。こんなことだったら猫人外にちゃんとルイたちの
居場所を聞いておくべきだった。途方に暮れているといきなり携帯が鳴りだした。
「うおっ!?」
不意を突かれた僕は不覚にも声を出して驚いてしまった。誰だよ。なんだ、伊東か。
「もしもし」
ずいぶん朝早くから何の用だ。
「お前、無事か?」
何のことだ? 伊東はなんかまるで災害に遭った知人の安否を気遣っているような感じだった。災害…。そうか、あの列車が爆発したというニュースを見て電
話してきたのか。
「ああ、無事だ。えー、あっそう、運よく乗り遅れちゃったんだ。いやあ、あの時は最悪だと思ったけど、人生何が幸いするかわかんないね。ははは」
僕は笑って誤魔化した。まさか、本当のことは言えんからな。
「…そうか、無事ならいいんだけど……」
そう、何の問題もなっしぶる。だから、変だなおかしいななんて思わなくていいんだよ。
「で、お前いまどこにいるんだ?」
どこ? どこって言われてもこっちが訊きたい。僕は適当に誤魔化すことにした。
「ちょっと外に出てるんだ」
「こんなに朝早くにか?」
それはそっちも御同様だろ。いつも、こんなに早起きなのか?
「俺はたまたまトイレに起きた時にテレビでお前が乗っているはずだった列車が爆破されたって聞いてそれで驚いて電話したんだよ」
そうか、心配かけて悪かったな。
「いや、それはいいんだけどさ。それより、お前なんで列車に乗り遅れたこととか連絡してこなかったんだ?」
「いっ?」
しまった、その質問は想定してなかった。えーっと、なんて誤魔化そう。
「それはだな……、そ、そう、お前らをびっくりさせようと思ってさ。我ながらガキっぽいとは思ったんだが」
「……お前何か隠してない?」
ギクゥッ。
「な、何のことかな?」
僕は努めて冷静に対処した。ここはシラを切りとおすしかない。伊東もどうにか納得してくれたようだ。
「で、今日どうする?」
どうするって、温泉旅行は諦めるしかないな。
「そうだな。今日は電車走りそうにねえもんな。だったら、晩に俺ん家に来ないか? ちょうど今晩家族が旅行に行くから俺一人なんだ」
「いや、遠慮しとく」
いまそれどころではない。
「そうか……」
残念そうにしているのが電話ごしからでもわかる。そんなに一人でいるのが寂しいのだろうか。
「じゃ、切るぞ」
僕は伊東との通話を終えると、今日泊るはずだった旅館にキャンセルの電話をした。当日のキャンセルなので通常ならキャンセル料が発生するのだが、事故の
ニュースは向こうでも流れているので特別に免除してもらえた。これで懸案は自分がいまどこにいるのかと、ルイとエリシアがどこにいるのかだ。前者は、バイ
クを呼んで地図を表示させたらわかるし、知らない土地であっても家までの帰路はバイクが記憶している。問題は二人がどこにいるかだ。二人がいそうなところ
を思い浮かべる。いそうなところ……って家しかないじゃないか。少し考えたらわかることだ。
「……」
自分の頭の悪さ加減に唖然となる。まいったね、こりゃ。
「まあ、いいや。帰ろ」
ここにいてもしゃーなしだからな。バイクを呼んで現在地を確認してみると、家から200キロも離れた地点にいることがわかった。遠すぎるだろ。瞬間移動
ができたら一発なのに。仕方ない、地道に帰るか。
数時間後、ようやく家に着いた僕を待ち構えていたのはえらく不機嫌な美少女二人だった。やっぱり家に帰っていたのか。すぐにわかった。玄関のドアノブが
破壊されていたからだ。二人は鍵を持っていなかったからドアを破壊して中に入るという暴挙をやらかしたのだろう。ここはガラスを割って侵入するよりはマシ
と思うべきなのだろうか。どっちもどっちだが、二人が不機嫌なのは朝から何も食べてないのが原因だった。僕だって食べてないよ。疲れているから出前を取る
ことにした。
「ふーっ」
ようやくにして満腹になった僕は一息入れた。今日は何もする気がしない。しかし、ルイ的にはそうは問屋が卸さないようだ。
「それで温泉はどうなるの?」
何度も訊いてくる。言っただろ。キャンセルしたって。温泉旅行はそのうちちゃんと連れて行くからさ。今日は諦めろ。
「諦めろ? いいこと、私の辞書には諦めるという文字はないわ」
そんなこと言われてもさ。当日の申し込みで泊めてもらうにはどこも満室だよ。
「そんなのやってみないとわからないでしょ。一箇所ずつ調べていけば一つぐらい見つかるわ」
勘弁してくれよ。今日は何もしたくないんだ。温泉旅行は後日にしてくれ。
「下僕のくせに主の命令を聞かないなんて生意気ね」
その言葉に僕はイラッとした。いつもはそんなにイラッとはしないのに。
「本当、使えないくせに口だけは達者なんだから……」
「だったら、自分でやればいいだろ!」
そう怒鳴った瞬間、まるで時間が止まったかのように僕らは静止した。ルイもエリシアもきょとんと僕を見つめている。僕が二人に怒鳴ったのはこれが初めて
だったからだ。
「ご、ごめん……」
僕がちょっとしたことでイラッとしやすい精神状態になっているのと、ルイとは何の関係もないのに彼女を怒鳴ってしまったことに僕は自分が嫌になった。ソ
ファーに腰をおろして頭を抱える僕にルイは尋ねた。
「なにかあったの?」
僕は昨夜のことを話した。
「そう……」
いつになく真剣ににルイは聞いてくれた。いつもなら僕の話なんかまともに聞こうとしないのに。やはり、いつになく怒鳴ったことで何か違うと感じたのだろ
うか。だからといって僕を慰めようとはしないようだ。こっちとしても同情されたくて話したわけではない。
「要するに私たちは普通じゃない人生を送ってきたということね」
最後にエリシアがこう締めくくってこの話は終了した。僕としてはこんな話したくなかったし、二人も聞きたくはなかっただろう。だから、僕はもう一度謝罪
することにした。
「ごめん」
何か埋め合わせをしないとな。そうだ、今晩はどこかに食べに行こう。旅行代金があるから結構お高いレストランでも問題ない。どこにしようか。寿司もフグ
も焼肉も何でもOKだ。
― 晩、何が食べたい?
そう聞こうとした僕は、ふと伊東のことを思い出した。本当なら、あいつと後輩の女子も一緒に温泉旅行に行くはずだったからな。
「そうだ、今晩は伊東の家で食べないか?」
僕の提案に二人は異論ないようだ。だが、ルイはひとつ条件をつけてきた。それは、伊東の家に宿泊することだった。
「だって、今日はもう余所で寝るつもりだったのよ。今更、この家で寝る気にはなれないわ」
この家以外ならどこでもいいらしい。弱ったな。晩飯を食べるくらいならまだしも、泊めてくれなんて言ってもさすがに伊東も困ってしまうだろう。それに、
男の家に女の子の方から泊めてなんて言うもんじゃないだろ。それを口にしたらまるであいつを布団の中に誘っているみたいで嫌だ。
「それはさすがに……」
無理があるんじゃないか、と言いかけたがルイはぴしゃりとはねつけた。
「黙りなさい」
……。わかったよ。僕は伊東に電話をかけた。内心、奴が出ないことを祈りつつ。
「もしもし」
出やがった。なんで、出るんだよ。仕方ない。僕は用件を伝えた。とりあえず、晩飯を奴の家で食べることから。
「ああ、いいぞ」
これはあっさりと了承された。もともと、あいつから誘ったんだからな。さて、問題はここからだ。
「あのさ……」
さて、なんて切りだそう。
「? どうした?」
「今日、お前んとこ誰もいないんだったよな?」
「それがなんだ?」
「まあ、あれだ。もし、お前さえ良ければの話なんだがな」
「だからなんだ」
「うん、今晩お前んちに泊めてもらっていいかな?」
しばし静寂が流れた。
「はひ?」
「だから、今晩お前んちに泊っていいかって訊いてんだよ」
またしても静寂が流れた。多分、混乱しているのだろう。普段、こんなこと言わんからな。嫌だったらいいんだ。ってか、嫌って言え。
「いや、俺は構わないけど」
チッと僕は内心舌打ちした。まあ、美少女3人と同じ屋根の下で一晩過ごせるなら男としては断る理由はないかもな。
「じゃあ、晩にそっちに行くから」
その前にエロ本の類はどっかに隠しておけよ。僕はともかく、ルイに思春期の男子がそういうものだと理解してやれる寛容さがあるかわからんからな。伊東が
蔑まされるだけならいいが、僕にまでとばっちりが来るのは堪らん。
そして晩。僕たちは伊東の家にお邪魔した。
「いらっしゃーい」
出迎えたのは伊東の妹だった。ドアを開けるなり伊東の妹は僕に抱きついてきた。どういうわけか、僕はこの妹に懐かれてしまっている。にひっと笑う妹に心
が和む。本当は両親と旅行に行くはずだったが、僕が遊びに来ると聞いて残ったのだそうだ。家に上がらせてもらうと、伊東が忙しそうに動き回っていた。
「ずいぶん、忙しそうだな」
「うん、今日はパーティーするからって言ってたよ」
そうか。ちなみに料理を作っているのは後輩の女子だそうだ。彼女も来ていたのか。前に伊東に助けられたことで奴に好意をいだくようになったというこの後
輩の女子は僕から彼女の座を奪いつつあった。別に、僕は伊東の彼女になった覚えはないが、周囲はそういう風に見ている。それはさておき、多分料理を作って
いるのは彼女だけだろうから、僕も何か手伝った方がいいかもしんないと思ってたら台所から彼女が顔を出した。
「先輩、無事だったんですね。よかった、心配してたんですよ」
悪いね。僕も何か手伝おうか?
「いえ、先輩は向こうで休んでてください。お疲れなんでしょ?」
まあね。じゃあお言葉に甘えて休ませてもらおう。伊東と彼女だけに働いてもらうのは気が引けるが、とにかく今日は何もしたくない。でも、ずっと待ってい
るだけってのも退屈だな。と思っていたら伊東の妹がボードゲームを持ってきた。
「ねえ、一緒にやろ?」
いいよ。でも、このゲームはもう一人ぐらいいた方がいいな。エリシアが興味ありそうな顔でこっちを見ている。
「一緒にやるか?」
「どうやって遊ぶの?」
僕はエリシアに遊び方を教えてそれから3人で遊んだ。ルイはと言うと、一人で紅茶を飲んでいる。後輩の女子が忙しい合間に淹れてくれたのだが、ルイはあ
りがとうも言わず代わりに紅茶の淹れ方をレクチャーし始めたのだ。さすがに淹れなおしてこいとは言わなかったが。そうこうしているうちに、テーブルの上に
は次々と料理が運ばれてくる。全部、彼女が作ったのか? 大変な手間だな。もしかして、前からこうして料理を作りに来ているのかな。料理上手なのは女の子
にとって男に対するアピールポイントだからな。彼女の手料理か。僕だってそんなのに憧れてなかったわけではない。でも、残念なことに僕は彼女の手料理なる
ものに出あう機会はなかった。博士は発明とかにしか興味は無かったし、あいつはそんなに料理が得意ではなかった。むしろ、僕が二人に料理を作ってやった方
だ。どうやら僕は他人から料理を振舞われる機会には恵まれない星の下に造られたらしい。だから、今日は滅多にないチャンスを存分に味わおう。やがて、料理
が出揃うと僕らはテーブルに移動した。
「わーっ、おいしそう」
伊東の妹がそんな感想をもらすのもわかるぐらい立派な料理が並んでいた。僕は思わず口元に笑みを浮かべてしまっていた。もし、本当に伊東がこんな料理を
いつも作ってもらっていたとしたら奴は本当に果報者だな。僕が男のままだったら首を絞めていたかもしれない。いや、それは言い過ぎか。
「あの、お口に合うかわかりませんが……」
後輩の女子が遠慮っぽく言う。そんなに謙遜しなくていいよ。結構、手慣れているのが目で見てもわかる。そして、いざ口に入れてみると想像どおり旨かった。
「うん、おいしい」
と、エリシアはバクバクと頬張る。彼女は食えるものならなんでも美味いらしいから味の参考にはならない。問題はもう一人の方だ。
「まあまあね」
かなり上目線から感想をのべるルイだが、彼女が「まあまあ」というのは「美味しい」という意味だ。普通に美味しいって言えよ。と、心の中でツッコミなが
ら僕も箸を進めた。本当にうまい。どうして、高校1年生の女子がこんなにうまい料理を作れるのか疑問に思っていると、彼女の母親は自宅に近所の奥様方を集
めて料理教室を開くほどの料理上手らしい。いつもならこの絶品グルメを楽しく堪能するところなんだが、今日はとてもそんな気分にはなれない。
「!? 冷てっ」
突然、頬に冷たい物が触れたので振り向いたら、ルイがドリンクの缶を持っていた。僕に飲めってことか。って、それアルコール類じゃねーか。
「なにか嫌なことがあった時はこれを飲んだ方がいいわよ」
もしかして、僕を気遣ってくれているのか? でも、この国じゃ未成年は酒を飲んじゃ駄目なんだよ。
「知らないの? この国でも昔は子供も人前で堂々とお酒を飲んでいたの」
まあ、昔は僕らと同じくらいの歳の子供が戦場に出ていたんだからな。それくらいは許されていいと思う。ちなみに、産業革命期のえげれすは乳児に酒を飲ま
せていたらしい。工業化でめっちゃ忙しい時代だったのでとても育児に時間をかけられる状況ではなかった。そのために、労働者の権利などを定めた法律が制定
されたのである。
「あなたも命がけで戦っているんだからこれくらい当然の権利よ」
僕は別にそのつもりはなかったのだが、結果的に僕が奴らと戦っているのはこの世界を救っているということになる。そう考えたら、酒の一本や二本飲んでも
バチはあたるまい。そう思って蓋を開けると伊東がびっくりした調子で、
「お前、それ親父の」
なぬ? 確かによく考えたらなんでルイが酒を持っているのか疑問に思うべきだった。でも、開けちゃったよ。
「しゃーねーな。一本ぐらいならバレないだろ。もし、バレても俺が怒られとくよ」
すまないね。では、遠慮なく。言うまでもないが、僕は酒を飲むのはこれが初めてだ。酒への耐性がまったくない僕が酔っ払うのにさして時間はかからなかっ
た。よくは覚えていないが、一本だけでなく二本も三本も開けてしまったと思う。さすがに伊東も止めに入ったがもう手遅れだった。しまいには皆にまで酒を強
要していた。
「あの、私は……」
「先輩の酒が飲めないってかぁ」
いい度胸だ。いつから後輩が先輩の勧めを断っていいことになったのかね? 後輩の女子は困った顔で伊東に助けを求めた。伊東もさすがに見かねて止めに入
った。
「おい、いいかげんにしろ」
あんだよ。
「お前、ちょっと飲み過ぎだよ」
うっせぇ、大きなお世話だ。飲まずにいられない気分なんだよ。僕は伊東の制止を振り切ってさらにアルコールを摂取した。その結果は言うまでもない。僕は
さらなる深みにはまり込んだ。気分がマックスに悪くなってきた僕は外の空気を吸いに散歩に出ることにした。と言っても、まともには歩けないから伊東が付き
添うことになった。
「気をつけてくださいよ。最近、変質者が出るそうですから」
後輩の女子が心配そうに言ってくれたが、僕はボソッとつぶやいた。
「大丈夫、そんな奴が来たら殺すから」
伊東と彼女がギョッとなった。
「ふっ、冗談だよ」
そんなに本気に取ることないのに。
「じゃ、その辺まわってから帰るから」
伊東が彼女に告げて僕たちは外に出た。僕は歩けないから伊東に肩を貸してもらいながらの散歩となる。しかし、それすらも歩くのが困難なので僕は伊東にお
んぶしてもらうことにした。
「しょうがねえな。ほら」
と、伊東がしゃがんだので僕はその背中に身を預けた。
「しっかり捕まってろよ」
僕はコクッと頷いた。おんぶってのは楽でいいな。でも、ちょっと恥ずかしい。それでいて何だろう。何か安心できる。僕が安心感を満喫していると、
「な、なあ…」
伊東が何やら言いにくそうな感じで言った。何だよ。
「あんまり胸を背中に密着させないでくれないかな」
どうやら僕は知らず知らずのうちに伊東を強く抱き締めすぎていたらしい。普段はこんなサービスしないんだけどね。でも、今日はいいや。僕は伊東の要望を
無視することにした。伊東もそれ以上は言わなかった。この状況は奴にとっても決して悪くないからだ。顔は困ったなみたいになっているが、心の中ではにやけ
きっていることだろう。ったく、普段ならそんな奴には真空地獄車をお見舞いしてやるんだが、いまは背負ってもらっている身なので許してやる。それに、もう
少しこの感触を味わっていたい。誰かにおんぶしてもらうのって初めてだからな。だが、僕を背負ったまま歩き続けるのは伊東的にいろいろとキツイようで、公
園に通りかかると奴は、
「なあ、ちょっと公園で休まないか?」
僕はボソッと呟いた。
「いいよ」
もう少しこのままとは言いにくいし、そろそろ伊東を解放してやるか。僕は公園のベンチに腰を下ろした。あーっ、気分悪ぃ。
「飲み慣れないのに飲みすぎるからだろ」
ご意見ごもっとも。でも、飲まずにはいられなかったんだよな。
「何かあったのか?」
「まあな」
「そうか……」
詳しいことは訊いてこなかった。こいつなりの気遣いなのだろう。だが、言うべきことは言いたいらしく、僕に説教をし始めた。
「何があったか知らんが、あれはよくないな。体に悪い」
それもそうだが、それ以前に他人の家の物を勝手に持ち出してくる方が問題だ。悪いね。ちゃんとルイには後で言っておくから。
「いいよ。気にすんな」
ちなみに飲酒行為に及んだのは僕だけじゃなく、ルイとエリシアも結構飲んでいた。ルイは飲み慣れているようだったが、エリシアは僕以上にアルコールに耐
性が無いらしく、完全に酔いつぶれてしまっている。こんなことならお邪魔するんじゃなかった。
「だから、気にすんなって」
伊東はそう言ってくれるが、奴がこんなに優しいのは僕のことが好きだからだろう。でも、僕は誰かに好かれたり優しくされたりするような奴じゃない。それ
に奴には後輩の女子がいる。僕よりかは伊東の彼女として適役だと思う。なんて思ってたら伊東が何か言いたそうにそわそわしているのに気づいた。
「なんだ?」
言いたいことがあったら遠慮なく言ってくれ。いまなら大抵のことは黙って聞いてやる。
「いや、黙ってもらっては困る。ちゃんと答えをほしいから」
答え? なんだろう。答えられる範囲なら答えてやるよ。そう告げると、伊東はわざとらしく咳をして、
「お前、初めてデートした時のこと覚えてるか?」
初めての? 動物園に行った時のことか。懐かしいな。覚えているよ。出会いと別れがあった日だからな。あの日、初めて当時ジュエルモンスターだったルイ
と会って、久しぶりに見かけたあいつがヤギのジュエルモンスターに殺されたんだ。
「で、それがどうしたんだ?」
別にそんな特筆すべき事は発生しなかったと思うがな。少なくとも僕と伊東の間では。
「もうそろそろどうかなって」
何がだ。
「だから、お前が俺と付き合ってもいいかなって思える時期に来たのかって話だよ」
……。僕は当時の記憶を探ってみた。かすかにそんなことがあったような気がする。
「で、どうなんだ。まだ、俺とは付き合えないのか?」
伊東の迫るような視線に僕は顔を背けた。まだ僕たちが付き合っている状態ではないことをこいつも認識していたとは意外だ。んで、答えの方だが、答えはノ
ーだ。いままでどおり仲の良い友達でいた方が互いのためだ。
「そうか……」
残念そうに俯く伊東だが、まだ未練があるようだ。その未練を断ち切ってやることにする。
「もう、僕に固執する必要はないだろ? お前にはあの娘(こ)がいるじゃないか。あれはいい娘(むすめ)だ」
あの娘が後輩の女子を差していることは伊東にもわかったようだ。
「あの娘は別に……」
「彼女はお前のことが好きみたいだぞ」
それは、お前にもわかっているだろ。しかし、伊東は首を横に振る。
「俺はお前のことが……」
必死に訴えようとする伊東の言葉を僕は途中で制止した。
「それ以上は言うな。お前の人としての品性が問われる」
「どういう意味だ?」
「人が好きになるのは人であるべきということだよ。だって……」
その後の言葉を口にするのに躊躇する。これを口にしては最後、僕は慣れ親しんだ普通という日常から決別を告げることになる。あの日以来、誰にも言ったこ
とがなかったルイやエリシアにも言っていない僕の秘密。だが、僕には普通の生活を送る資格が無いことを昨日に思い知らされた。訝る表情で僕を見る伊東に僕
は意を決して真実を口にした。
「だって、僕は人間じゃないから」
伊東は何のリアクションもしなかった。話の内容についていけてないようだ。無理もない。いきなり、見知った同級生から「実は、わて人間やおまへんねん」
と言われたら普通は「は?」となるだろう。伊東の場合も多分同様で衝撃が大きいだけにノーリアクションとなっているのだろう。僕はベンチから立ち上がると、
構わず話を続けた。
「僕は、僕の秘密をいま明かそう……」
わざと芝居がかった口調で僕は話を続けた。
「僕は、人の自然(ナチュラル)そのままに、この世界に生まれた者ではない……」
ここで芝居がかった口調をやめて普通に話すことにする。
「僕の正体は陸戦用特殊戦闘型有機的人造人間いわゆるバイオロイドのプロトタイプだ。本当の名は特別研究試験体シリアルナンバーX7880。僕がなぜ生み
出されたのはそれは知らない。特殊戦闘が何を意味しているのかも誰も教えてくれなかったし、僕も別に知りたいって思わなかったから訊こうともしなかった」
「……」
伊東は黙って僕の話を聞いていた。奴がどんな顔をしているか僕は見ないようにしていた。まあ、こんな電波話をまともに受けるとは思っちゃいないがな。案
の定、伊東は大袈裟に溜息を吐いた。
「お前、酒の飲み過ぎだな」
確かに飲み過ぎた。でなければ、こんな話をしようとも思わなかったかもしれない。別に信じてもらう必要はない。こんな話をするような女とは付き合いたく
ないと思わせることができたらそれでいい。だが、奴は僕の肩に手を置いた。その手に優しさを感じた途端、僕はその手を振り払った。
「触るな!」
その瞬間、僕の中で心の堤防が決壊した。いままで溜め込んでいた思いが一挙に流れ出る。
「僕は、そんな他人から優しくされるような存在じゃないんだ。言っただろ? 僕は人間じゃないって。それどころか自然の摂理に反した許されない存在なんだ。
だから…だから、私に優しくしないで!」
もう、自分では止められなかった。多分、アルコールが僕の感情制御機能に障害を発生させたのだろう。泣きながら喚き散らす僕を伊東はそっと抱きしめた。
「どんな存在でもいい。お前がお前であることには変わりがない」
ずいぶんとクサいこと言ってくれる。元々、登場人物が女ばっかなのに気付いて急遽登場させることにした急造キャラの分際で。こいつがこんな重要なキャラ
に成長するなんて思いもしなかった。
「俺はお前が誰であろうとお前を好きだと言う気持ちを変えるつもりはない」
「私が人殺しでも?」
「どういうことだ?」
怪訝そうに伊東が尋ねる。
「私ね、昨日兄さんに会ったの。兄と言っても血のつながりはない。私が造られた時、すでに研究所には12人の試験体の子供たちがいた。でも、私と違うのは
皆ちゃんと母親の胎内から生まれてきたこと」
僕は研究所での事、兄さんと姉さんの事、そして研究所がGOOD機関に襲撃されて仲間たちを全員殺されてしまったことを話した。
「生き残ったのは私一人と思っていた。私だけがどうやって生き残れたのかわからない。そこの記憶だけが無くなっているの。それ以来、私は自分だけが生き延
びたことにずっと負い目を感じ続けてきた。でも、昨日あの列車で私は兄さんと再会した。正直、嬉しかった。でも、兄さんは昔の兄さんでは無くなっていた。
あの、列車の爆破は兄さんがしたことだったのよ」
「なんだって?」
「私たちは仲間以外の死にはそれほど関心は無い。でも、人を殺しちゃダメだってことぐらいわかってる。けど、兄さんは大勢の人の命を奪ってさらには私まで
殺そうとした。だから」
「だから、殺した」
「そう、私が殺したの。これでわかったでしょ? 私がどんな女かってことが」
「わかった。わかったからもういい」
伊東は僕をとりあえず落ち着かせようとしたが、すでに僕は自分でブレーキがかけられない状態になっていた。それどころか感情が昂る一方だ。
「わかってない! あなた、全然わかってないでしょ? わかっているならそんな顔で私を見ないで。見るなら蔑んだ目で私を見て。私にはそれがちょうどいい
のよ。だって、私は人間じゃないし、一番よくしてくれた兄さんをこの手にかけた悪魔みたいな女だから」
「もういい。もう何も言うな」
「どうして? どうしてあなたはそんなに優しいの? 私はあなたに優しくしたことなんかなかったのに。あなたの事を好きと思ったこと一度もなかった。その
くせ、あなたにおんぶしてもらっている時はずっとそのままでいたいと思ったし、いまももっと抱きしめて優しくしてほしいって本当は思っている。そんな自分
勝手な女なのよ私は!」
「もういい!」
とうとう伊東は声を大にした。だが、感情制御が機能不全に陥った僕は止まらない。
「本当、自分でも嫌になるわよ。いっそのこと壊れてしまい……」
僕は最後まで言い切ることができなかった。その前に伊東の口が僕の口を塞いでしまったからだ。その直後、僕の意識は途切れた。
気がつくと伊東の姿はどこにもなかった。代わりにルイがいた。
「気がついたようね」
「どうして君がここにいるんだ? 僕は、そうか脳に負荷をかけすぎたために安全装置が働いたんだな」
どのくらい意識を無くしていたのか、時計を見てみると30分以上か。その間、僕はどうなってたんだ? それと、伊東はどこ行ったんだ? そんで、なぜル
イがここにいるんだ?
「あら、私がここにいちゃ悪いのかしら?」
いや、悪くないけどさ。わざわざ僕を探しに外にって君らしくないから。
「呼ばれたのよ」
誰に?
「あなたに」
ルイは僕を指差すが僕はそんな覚えはない。意識を無くしている時か? いや、そんなはずはない。僕は生命維持以外の活動を停止していたはずだ。それに、
どうやって連絡をつけたんだろう。それと、伊東は?
「彼なら先に帰ってもらったわ」
あ、そう。かなり深いところまで話をしたからな。もう、いままでどおりの付き合いはできないかもしれない。そう思うと、寂しくなる。だが、意識を失う直
前のことを思い出して僕は顔が真っ赤になった。
「ま、まあ、過ぎたことを考えても仕方ないな」
そう、忘れるのが一番。取り乱した事もその後の事もさ。
「僕らも帰ろうか。悪いね。僕が意識を回復させるまで待っていてくれたんだろ?」
「いいわよ。下僕が主に迎えに来させるなんて、本当ならその首と両手をバイオリンで拘束されてもおかしくないけど、今回は大目に見てあげるわ。懐かしい娘
にも会えたことだしね」
なんか、えらいご機嫌さんだな。ところで、ルイにとって懐かしい存在って? この時代にルイが懐かしく思える人なんていないはずだけど。まあ、いいや。
眠たくなったよ。けど、あの家に戻るのは気が引けるな。伊東にどんな顔で会えって言うんだ。かといって、ルイやエリシアだけを奴の家に泊めるわけにもいか
ない。困っていると、ルイがアドバイスしてくれた。
「そんなの、ありのままのあなたを見せればいいことだわ」
ありのままって…。今でもありのままのつもりだけど。
「そうじゃなくて、本当のあなたよ」
いや、意味わからんて。本当の僕って何? 僕が理解していないことに気付いたルイは怪訝そうに言った。
「あなた、何も知らないの? おかしいって思わなかったわけ?」
だから、何がだよ。
「呆れた。いままで、何の疑問も抱かなかったなんて能天気にも程があるわ。いい? あなた以外の……」
ルイの言葉は最後まで聞くことができなかった。途中で、しかも一番肝心なところで別の声にかき消されたからだ。
「あーっ、あんさん、やっと見つけましたで!」
聞き覚えのある声に僕はこいつには空気を読むってことを躾ける必要があると感じた。振り返ってみると、シマリスの亡霊と見知らぬ女性が立っていた。
「誰だ?」
シマリスによると、この女性は奴が電車が爆破されたことで置き去りになっていたところを助けてくれたらしい。よく、この不浄霊を見て逃げ出さなかったな。
ってか、お前置き去りになっていたのか。気付かなかったよ。それはさておき、この女性は岩上多恵さんという名前で世界に支部があるノーグッド連合という組
織のメンバーらしい。彼女によれば、その組織の中で僕はすごい有名人らしい。知らないところで人気が出るもんだな。
「それで、僕に何か用でも?」
飼い主としてはペットを保護してくれてありがとうを言わんとな。
「これを見てください」
岩上さんはメモリーを見せてくれた。
「これにはGOODの総司令の正体について記されたデータが入ってます」
総司令の? そいつはすごい。んで、それを僕に見せてどうしたいのだろうか。すると、岩上さんは思いもしないことを口走った。
「これを私たちと一緒に見てもらいたいんです」
「ほえ?」
いや、そんなの急に言われても困るんですけど。
「いいんですか? 部外者がお邪魔しても」
「あなたのご活躍は聞いています。私たちは5年前から活動していますが、私たちの力ではGOODに太刀打ちすることができません。これを入手するにも多く
の犠牲を払いました。仲間の死を無駄にしないためには、あなたの力をお借りするしかないと判断したんです」
それはそれはずいぶんと買い被られたもんだなぁ、らっしゃい。ただでさえ厄介なのに、これ以上厄介事には関わりたくない。僕にとって敵のボスが何であろ
うと関係ない。改造人間だろうと機械だろうと怪獣だろうと宇宙人だろうと倒すだけだ。他に有意義な情報が無い限り早急にお引き取り願いたい。
「ま、待ってください。お願いです。力を貸してください」
そんな哀願されても困る。しかも、助けられた恩義からかシマリスまでもが僕に頼みこむ始末だ。
「わいからも頼んますわ。力になってやってくれまへんか」
なんだ、お前まで。まあ、お前を助けてもらった礼はしないといけないからな。ちょっとだけ付き合ってもいいか。
「ありがとうございます」
ホッとしたような顔を浮かべる岩上さん。が、次の瞬間、ドスッドスッドスッと何かが刺さる音がして岩上さんが僕の方に倒れてきた。
「だ、大丈夫ですか?」
彼女の体を支えた僕は岩上さんの背中に手裏剣が3つ刺さっているのを見つけた。
「誰だ!」
手裏剣が飛んできた方向に目をやると、街灯の上に改造人間が立っているのが見えた。
「俺はカエルケムマキだ。このメモリーは俺が頂いていくぜ」
その右手にはメモリーが握られていた。何時の間に。用は済んだとばかりにカエルケムマキはトンズラしようとした。無論、逃がすつもりはない。
「逃がすか」
右手に魔力を集中させる。一気にぶち抜いてやる。だが、僕は急に襟の後ろを引っ張られて後方に倒された。
「なっ?」
視界が急に空へと変わったことに僕は動転した。それよりも、驚いたのは僕をまたいで一人の少女が立っていたことだった。少女は冷たい笑みを浮かべて僕を
見下ろしていた。
「初めまして、“お姉さま”? ……いえ、“マザー”とお呼びすべきかしら?」
少女は髪の毛と瞳の色が違う以外は僕とまったくの瓜二つだった。
つづく
次回予告 我らのライダー少女を狙うGOOD機関の送った次なる使者は、独裁者怪人イクラフセイン。総司令の正体が隠されたメモリーを巡って激化する争
奪戦。そして、ついに総司令が姿を現す? 果たして、その正体とは?
次回、「GOOD総司令の正体!!(仮題)」にご期待ください。