〈左図〉プロトタイプ・サヤカ弐号。
零号、初号に続く陸戦用特殊戦闘型有機的人造人間の3番目のプロトタイプにして、
最初で最後の成功例。この成功により、サヤカシリーズは量産化が決定した。基本
スペックは、height-156 bust-91 waist-56 hip-90(2010年8月現在)
<右図>サヤカ量産型。
サヤカシリーズは量産準備段階でGOOD機関に研究所ごと接収され、以後はGO
ODで研究の後に量産されることとなった。イラストは、先行量産されたグッドスズカ
4号。グッドスズカは若干の改造が施されていて、指先から弾丸を発射することがで
き、短剣を隠し持つことができる。また、4号固有の能力として地割れを起こすことが
できる。
いま思えば普通の生活ではなかった。でも、あの頃は僕にとってあれが普通だった。幸せだったかと問われたら別にと答えるけど、不幸せだったかと問われて
もやはり別にと答える。でも、辛いとか悲しいとかいう思い出がなかったらそれは幸せだったということなのだろう。もし、あの頃の生活が続いていたらどうな
っていたのだろう。それはわからない。なぜなら、それは突然終わってしまったのだから。
突然の襲撃。それは何の前触れもなく行われた。何が何だかわからないまま所員に手を引かれ逃げまどった僕たちだったが、逃げていくうちに一人また一人と
はぐれていってしまった。所々で響く悲鳴はみんな聞き慣れた声によるものだ。あの時の僕はただ震えているしかできなかった。
「大丈夫だから、きっと大丈夫だからね」
そう励ましてくれたのは僕を一番可愛がってくれた若い女の所員だった。兄姉や他の所員たちと散り散りになってしまって、僕と一緒にいるのは女性所員とす
ぐ上の姉とその上の兄だった。普段は元気な二人も恐怖で顔面が蒼白になっていた。
「なんなんだよ、あいつらは」
「どうして私たちを殺そうとするの」
二人とももっともな疑問を口にするが、その疑問が解けたとしてもそれで納得して死ねるかと言われたら答えは否である。襲撃者たちは何者で何が目的なのだ
ろう。僕たちは通路奥の荷物置き場に身を潜めていたが、ここも直に見つかってしまうだろう。
「何か逃げる方法とか無いのか?」
兄が女性所員に尋ねるが、女性所員は首を横に振るばかりだった。所員の中でも若手の部類に入る彼女はまだすべてを把握しているわけではなかった。
「ガレージに行けば車があるんだけど……」
だが、そこに行くまでに確実に見つかってしまう。万事休すか。途方に暮れていると姉が天井を指差して言った。
「あれ、どうかな?」
通気孔か。あれなら襲撃者に見つかることなくガレージに行けるかもしれない。問題は……
「な、なに?」
子供3人にジーッと見つめられた女性所員は後ずさった。いや、僕らは子供だから大丈夫と思うけど、大人はあの通気孔に入れるかな。
「やってみるしかないわね」
でなければ死だ。幸い、荷物があるからそれを踏み台にすれば僕らでも天井に手が届く。蓋を外して僕たちは通気孔に入った。まず、兄が先に入ってその次が
僕でその次が姉で最後に女性所員の順番だ。心配された通気孔の幅と女性所員の体の幅の差だが、辛うじて通気孔の方が幅が広かった。これでガレージまで行く
のだが、
「ガレージに敵がいたらアウトね」
姉の言うとおり、そうなれば僕らに逃げる術はもうない。神様という存在を知っていたら神様に祈っていただろう。でも、当時の僕は神様を知らなかった。た
とえ知っていて祈ったとしても神の意志に反する者の祈りなど聞き入れてはくれなかっただろう。だから、僕は自分の運以外に賭けるものはなかった。各所にあ
る通気孔の蓋から見える下の様子で自分たちがどこにいるかを確認しながら僕らはガレージを目指した。蓋から見える下の光景は見たくないものも含まれていた。
誰だって見知っている人間の(仲が良かった悪かったに関わりなく)無残な死体など見たくないだろう。血のつながりは無いとはいえ同じ釜の飯を喰った兄姉たち
だ。僕らだって脱出できなかったらその仲間に入ってしまう。
「やった、ガレージに出たぞ」
先頭を進んでいた兄が興奮気味に僕らに振りかえった。僕もホッとした顔で後ろを振り返ると姉も女性所員も安堵の表情を浮かべていた。だが、安心するのは
まだ早い。兄が蓋を外して顔だけ出して敵がいないか確認した。
「OK、誰もいない。今のうちだ」
そう言って兄は下に飛び降りた。下との距離があるうえに今度は台とかが無いため降りるのに躊躇させられるがそうも言ってられない。思い切って飛び降りる。
後の二人も飛び降りて僕らは女性所員の車まで走った。どういうわけかガレージには敵の気配はなかった。多分、入口だけを見張っていたのだろう。何にせよチ
ャンスだ。今のうちに逃げよう。女性所員が鍵を取り出してドアを開けた瞬間、バンと音がして女性所員が仰向けに倒れた。
「?」
何が起こったかわからなかった。女性所員は目を見開いたままピクリとも動かない。額に穴が開いていてそこから血が流れていた。誰がどう見ても即死だった。
だが、この時は彼女の身に何が起こったかわからなかった。
「どうしたの? ねえ、どうしたんだよ」
女性所員の体をゆすってみても反応はなかった。遠い方から、
「一人とてここから逃がさんぞ! やれ、ヴァナルガンド」
そんな声が聞こえてきたが、僕は女性所員の体をゆすりつづけた。兄の「逃げろ」という声や知らない人の声が聞こえてきたが、そんなことを気にする余裕が
なくなっていた。逃げなきゃならないのはわかっている。だからこそ、女性所員を早く起こさなきゃいけないんだ。あの時は呆けていたからよくおぼえていない
が、すでに彼女が死んでいたのはわかってはいたと思う。だが、身近な人間がこうもあっさり死んでしまうのが信じられなかった。さっきまで話していたのに。
思考回路が完全に障害を起こしてしまっている僕の右手を姉が引っ張った。
「早く逃げるのよ」
姉は強引に僕を引っ張って行った。それから僕は姉に引っ張られる感じで逃げ回った。兄が喰い止めてくれたのか追手はすぐにはこなかった。時間を稼いでく
れた兄がどうなったか僕は知らない。多分、殺されただろう。僕らは奇跡的に外に脱出して物陰に隠れた。だが、ここもすぐに見つかるだろう。
「駄目だよ、もう駄目だ。僕らは皆死んじゃうんだ…」
所員や他の兄姉たちはほとんど死んでいるはずだ。僕らだって逃げ切るのはほとんど不可能だ。母親みたいな存在だった女性所員と一番仲が良かった兄を失っ
てしまった。ただ一人残った姉を守らなきゃという思いはあったが、それよりも諦めが先に来てしまっていた。もう何をやっても逃げられない。だが、姉は諦め
ていなかった。いや、自分が何をすべきかわかっていたと言った方が正しいか。姉は蹲っている僕の顔を上げさせて、
「いい? 伊丹、よく聞いて。私が囮になるからあなたはその隙に逃げなさい」
「えっ?」
「このまま二人で逃げても逃げられる保証は無いわ。私が敵の注意を惹きつけておくから」
姉は自分を犠牲にして僕を逃がそうと言うのだ。確かに二人で逃げるよりそっちの方が少なくとも僕が助かる確率が高い。だが、それは姉を見捨てるというこ
とになる。
「嫌だよ、そんなの」
僕はそれまで外に出たことがなかった。ずっと人工物に囲まれて生活していて自然という物を見たことがなかった。無論、外に知り合いなどいるはずもない。
そんな未知の世界に僕一人でどうやって生きていくんだ。いつもなら僕の我儘を聞いてくれた姉もこの時はいつになく厳しかった。
「何、弱気なこと言ってるの。あなた男の子でしょ?」
「でも……」
「でもじゃない。男なら何も言い訳せずにやると言ってみなさい」
それまで見たことない厳しい表情の姉に僕は頷くしかなかった。
「わかった……」
すると、姉はいつもの優しい顔にもどった。
「そう、それでいいのよ。ごめんね。最後まで一緒にいてあげられなくて。でも、あなただけは絶対に死なせるわけにはいかないの。敵の目的はあなたを殺すこ
とだから」
「えっ?」
どういうことだ? 姉は敵が何者かわかっていたのか? いや、襲撃が起こった時点では敵の正体はわからなかったはずだ。逃げる途中で何か思い当たるふし
でもあったのか。
「何がなんでも絶対に生き延びなさい。いいわね?」
「うん……」
「良い子ね。私とはここで別れるけど、あなたは一人じゃない」
姉はゆっくりと口を近づけて僕にキスをした。戸惑う僕に、
「あなたの気持ちはわかっていたわ。でも、それに応えてあげることはもうできない。その代わり、私の心をあなたにあげる。これで、私はいつでもあなたの側
にいてあげられることができる。金田も美咲もあなたの心の中に生きている。ずっとあなたを見守っているから」
「姉さん……」
「男の子が泣かないの。あなたは人類の希望なんだから。そして、私の大事な大事な可愛い弟」
泣いている僕の頬にそっと手をそえて姉は僕を抱きしめた。僕たちは全員血のつながりがない。ただ、生まれた順に兄弟姉妹の序列が決まるだけだ。いつの頃
からか僕はこの姉に姉弟以上の感情を抱くようになっていた。いわば初恋の人だ。いつか、告白しようと思っていた。しかし、最後までできなかった。だが、姉
は僕の気持ちを知っていた。それで十分だろう。いまはこの幸せな一時を少しでも長く満喫したかった。だが、それはドスッという音で終わってしまった。
「姉さん?」
それまで僕を抱きしめてくれていた姉の腕がダラーンとなって姉が僕にもたれかかってきたのだ。一体、何が起こったのか。原因はすぐわかった。姉の後頭部
にナイフが突き刺さっていたのだ。いつの間にかナイフ銃を構えた敵が僕らを囲んでいた。その中の指揮官らしき蛇の頭をした怪人が無線で誰かと話していた。
「こちらウロボロス、ダマスダーに伝えろ。ナンバー12とナンバー13を発見し、ナンバー12を射殺した。これよりナンバー13も射殺する」
『了解、大佐殿にお伝えします』
通話を終えた怪人は部下たちに銃を構えさせた。いくつものナイフがこっちに向けられている。もう駄目だ。兄姉たちと違って僕にはまだ何の力もない。逃げ
るのは不可能だ。姉は敵は僕を狙っていると言った。確かに僕は他のナンバーとは違ってゼロから生まれた。でも特に他と秀でているわけではない。何もかもわ
からないまま僕は殺されるとばかり思っていた。
「……」
目を覚ました僕は上半身だけ起こして頭を横に振った。
「また、同じ夢を見るようになったか」
あの時のことは時々夢に出てくることがあった。嫌な夢なのは言うまでもないが、さらに嫌なのはベッドの上で蹲っていたことだ。さっきまで僕は猫化してい
た。去年の文化祭で猫に取り憑かれて以来、時々心が猫になってしまうという病気に悩まされるようになった。近頃は、なんとか猫にならないように我慢できる
ようになったが、あまり猫にならないでいると僕の中の猫の方が我慢できなくなって強制的に僕の体を乗っ取ろうとするので、たまに体を猫の自由にさせている
のだ。その時に注意しておかなくてはならないことが3つある。
1、「事前に食事を済ませておく」 腹が減ると猫はネズミなどを捕食するから。
2、「事前にトイレも済ませておく」 猫は用を足すときにいちいち下を脱いだりしない
3、「戸締りはきちんとしておく」 外に出ないようにするため。
猫になっている時は意識はもちろんその時の記憶もないから、できるだけ不測の事態が起こらないように気をつけなければならない。くそっ、なんでこんな苦
労しなきゃならんのだ。出て行ってもらいたいが、どうやら僕の体は居心地が良いらしく猫は一向に出て行こうとしない。家にも自分の体にも居候がいるなんて
世界広しといえども僕ぐらいのものだ。決して嬉しくは無い。しかも、あの夢を見たばかりだから機嫌が悪い。だから、ドアをコンコンとノックされたときに、
「なんだ!」
と声を荒げてしまった。すぐにしまった、と思いドアを開けるとエリシアが少しビックリしたような顔で立っていた。
「どうしたの?」
滅多に怒ったりしない僕が声を荒げたもんだから不審に思ったのだろう。
「ごめん、何でもない」
関係の無いエリシアに八つ当たりした自分に腹を立てながら僕は彼女にすぐに行くからと言ってドアを閉めた。エリシアが呼びに来たのは今夜、寝台列車に乗
って旅行するからだ。あれは、町内の歌合戦の時だった。
特賞が温泉旅行の町内音楽コンクールに僕は参加することにした。前に温泉に行った時に散々な目に遭った僕は二度と行かないと決めていたが、先日ルイが温
泉を紹介する番組を見て、
「温泉っての行ってみたいわね」
それまで、どこに行きたいとか言ったことがなかっただけに優しい僕はその希望を叶えてやることにした。ちょうど音楽祭の賞品が温泉旅行だっただけにタイ
ミングも良かった。歌は少し自信があった。ところがである。僕が参加することを知った何かと僕と張り合おうとする先輩が自分も参加してきたのだ。才色兼備
という言葉が似合う先輩は音楽も得意で歌もうまい。
「勝負よ」
当日にビシッと僕に指をさして先輩は宣戦を布告した。いつもなら棄権しようかという考えが頭をよぎるが今回は違う。居候の分際で家主にメイド奉仕を強要
するルイに僕の偉大さをわからせる良い機会だ。
「望むところです。受けて立ちますよ」
僕だって歌には自信がある。しかし、歌に自信がある者同士といってもやはり優劣があるようで、出番が先の先輩のバンドの演奏を聴いた僕は戦う前に敗北を
悟った。レベルが違いすぎる。
「どうかしら?」
歌い終わって余裕の表情を見せる先輩に僕は戦意を喪失した。バンドのメンバーもすんごく上手でクラスの音楽系部員に頼んでにわか作りのバンドを結成した
僕には到底勝ち目がなかった。バンドのメンバーの顔を窺うと、一人は顔を横に振り、一人は僕から視線を背け、一人は小さく溜息を吐いたりとやる気を失って
いるようだ。そうだよな。勝ち目が無かったらやる意味ないよな。と、不戦敗の方に気持ちが行きかけると僕の携帯電話の着信音が鳴った。ルイからだ。
「もしもし」
『どう? 温泉に行けそうなの?』
「えと、それは…」
何て言おうか。あんまし期待持たすのも悪いと思った僕は正直に言うことにした。
「あ、あのな…」
温泉はまた今度にしようと言いかけると、
『延期もしくは中止は一切認めないわよ』
どうやら僕が弱気になっているのを察したらしい。だけんど、そんなこと言ってもありゃ勝てんぞ。
『いい? 敗北主義には死で償ってもらうから』
それだけ言ってルイは電話を切った。死でって。わかったよ。やりゃいいんだろ。勝ち目はある。あるが、僕は躊躇した。僕の歌は人間の体に何らかの影響を
与える可能性がある。だから、普段歌う時は抑え気味でやっている。でも、いつか思い切り歌いたいと心のどこかで思っていた。どうするか、決めあぐねている
うちに出番が来た。ステージにあがる前に先輩の方に目をやると勝ち誇った顔をしていた。かなりというか絶対の自信があるらしい。本当、あの先輩にはほとほ
と参っている。事あるごとに僕と張り合おうとするんだから。この先輩も顔やスタイルはいいんだけど僕には敵わない。ちなみにルイとエリシアは顔は僕よりい
いけど、スタイルが若干控え目だ。それはさておき、ここで負けたら先輩が僕に勝負を挑んでくることはなくなるだろうがルイの機嫌が悪くなる。勝ったとして
も僅差だったら以後も僕は先輩の意地に付き合わされることになる。二度と僕に逆らう気が起こらないようにするには完膚なきまでに叩きつぶすしかない。なぜ、
戦争終結宣言後もイラクで戦闘が発生しているのか、なぜ、あれだけ抵抗していた日本が戦後になるとポチと揶揄されるほどの従順な国になったのか。同じ占領
下においた国でもアメリカが両国にとった処置は違っていた。それは日本を徹底的に叩きつぶしたのに対し、イラクの方は中途半端に終わっていることだ。もし、
イラクを従わせるとしたら完膚なきまでに叩きつぶすべきだった。それはイスラエルの対パレスチナ政策でも言えることだ。強硬路線を取りつつもいつも後一歩
が踏み出せずにいるためにいつまでもパレスチナ側の報復を受けることになる。かつて、クメール・ルージュがカンボジアを支配できた要因を考えた場合、同じ
勝ちでもどういう勝ち方が重要か歴史は教えてくれている。その点においてパトリック・ザラは間違っていたとは言い切れないだろう。
ちょっと話が逸れすぎたが、ここで決着をつけるのも悪くない。人間がどんなに努力しても越えられない壁があることを思い知らせてやる。ステージに上がっ
た僕はマイクを握った。
「…番、桜谷涼香とゆかいな仲間たちで『砂漠のトラさん』聞いてください」
この曲は僕の同級生が『森のくまさん』をアレンジしたものだ。砂漠に虎がいるかという猪口才な突っ込みはしないでほしい。一呼吸置いたあと僕は歌い始め
た。歌が始まると観衆がザワザワしはじめた。観衆だけじゃない。あろうことかバンドのメンバーさえも手を止めてざわつきはじめた。僕がキッとメンバーを睨
みつけると、ハッという顔になって「ごめん」と謝った。練習の時とまるで違う歌声だったので無理はない。仕切り直し。今度はバンドメンバーの手も止まるこ
となく、観衆もだまって静聴していた。そして、歌い終わった瞬間、文字通りの満場総立ちとなり割れんばかりの拍手が鳴り響いた。先輩の方に目をやると、茫
然としてらっしゃった。多分、ファルサロスで敗北を悟ったときのポンペイウスと同じ心境になっていたと思う。結果は、言うまでもなく満場一致で僕らの優勝
だった。
特賞は温泉宿泊券のみだったが、今度はエリシアが寝台列車に乗ってみたいと言い出したので、ルイの願いばかり聞くわけにもいかないので3人分チケットを
購入することにした。
「あっちを立てればこっちが立たずってね」
あっちもこっちも立てたら今度は自分自身が立たずってか。僕は着替えるために服を脱いで下着姿になった。自分の胸の膨らみに目をやる。ううむ、また育っ
てしまったらしい。自分自身の胸だから、あんまり成長してもらってもね。男子生徒の視線が集中しすぎて胸に穴が開きそうだ。まあ、見られて減る物でもない
し、逆に多少でも減ってくれたらちょっとは嬉しい。かといって、あいつらにサービスしてやるつもりもない。僕は着替え終わると部屋を出てルイとエリシアが
待っている居間に向かった。二人とも準備ができてるみたい。それと、
「なんだ、その行く気満々の顔は」
「何言うてまんねん。わいかて温泉行きとうおまっせ。前の時も連れってってもらえなんださかい」
シマリスは拗ねた表情を見せた。前の時は動物OKの旅館じゃなかったし、それにいまのお前は亡霊だ。亡霊が出没するという旅館はあっても、亡霊の随伴O
Kの旅館なんてないぞ。それに、亡霊なんだから温泉に浸かっても何も感じないだろ。
「そな殺生なこと言わんといてんか。こないだの戦いで大活躍しましたやろ?」
こないだの戦いとは、GOODのハッポウサイライオンと戦ったときのことだ。無類の女好きであるハッポウサイライオンを苦戦の末に追い詰めたものの、敵
は巨大なオーラを発生させて最後の抵抗をしてきた。オーラは当人の姿を形成していたが、実体ではないため攻撃も通じない。本体を攻撃しようにもオーラがバ
リアとなっている。かめはめ波みたいな構えで撃ち出される気功波も厄介だが、それよりも厄介というか嫌なのは口から吐き出されるガスだ。このガスは人体に
は害は無いのだが、服を溶かす性質があるのだ。魔法服なのですぐに修復できたが、一瞬でも僕の裸を見たハッポウサイライオンは元気百倍となってますますオ
ーラを巨大化させた。打つ手なしに困っていると、シマリスがしゃしゃり出てきた。止める間もなくシマリスは自らを巨大化させた。亡霊も一種のオーラででき
ているのかな。それはわからないが、シマリスの意外な特技に正直驚いた。あいつを尊敬の眼差しで見たのはあれが初めてだ。どんなすごい技を見せてくれるの
かなとワクワクしていたら、しばらくお互い動かずに睨みあいの状況が続いた。互いに相手の隙を窺っているのだろう。次にどちらかあるいは両方同時に動いた
時が勝敗がつく時だ。なんて勝手に思い込んでいたら、急にシマリスが小さくなりはじめた。何事かと駆けつけてみたら、エネルギーを使い果たしたとのこと。
体を巨大化させるだけで精一杯だったらしい。なら、最初からでかくなるなよ。だが、同時にハッポウサイライオンもオーラが消えて倒れていた。向こうも力尽
きたらしい。近寄ってみると、すでに息絶えていた。
「確かにそうだけど」
あれがシマリスの功績かどうかは断定しにくいが、珍しくシマリスが役立った稀有な例であるのは確かだ。そういや、ゴーストシマリスになってからどこにも
連れて行ってなかったな。
「わかったよ」
こいつでもなんかの役には立つだろう。シマリスは大層喜んだ。
「じゃ、タクシーを呼ぶよ」
タクシー会社は近くだから10分もあれば来てくれる。タクシーが来て乗り込む。シマリスには鞄の中に入っているように言った。
「…駅までお願いします」
運転手に行き先を告げて出発。美少女3人組がそんなに珍しいのかチラチラと運転手がミラー越しにこっちを見るのがちょっと癪にさわる。
「いやあ、おじさんも長年運転手やっているけどお嬢さん方みたいな可愛い娘を3人も乗せたのは初めてだよ」
「はあ……」
適当に返す。運転手は喜々としているようだが、あんまし喋ってこないでほしい。しかし、運転手の方は僕のそんな気持ちを知ってか知らずか馴れ馴れしく喋
りかけてくる。一応、目上の人間に対する接し方を心得ているのは僕だけなので僕が対応するしかない。面倒なのは全部僕に押し付けられるんだな。運転手との
会話にうんざりしていると、僕の携帯が鳴った。伊東からだ。
「もしもし」
『桜谷か? いま、どのあたりだ』
駅に向かってタクシーで移動中だ。いま、ガンちゃん(体育の教師)の甥がアルバイトしているエルッテリアの前を通過した。
『そうか、俺たちも明日行くからな』
気をつけてな、と言って僕は携帯を切った。温泉に行けるのは5人まで。僕たち3人をのぞけば残り枠は2となる。本来なら、手伝ってくれたバンドのメンバ
ーを誘うのが仁義というものなのだが、メンバーは3人なので一人が行けなくなる。それならと3人とも辞退した。代わりに副賞としてもらった1万円分の町内
の商店街でしか使えない商品券は全部奴らにあげた。そんで、残り2枠を誰にするか迷っていたら超常現象研究部部長の先輩が伊東と伊東が好きという後輩女子
を誘えばと言ったので誘ったら二人とも行くと言った。二人は明日、普通の電車で現地に向かう。明日の夕方前には合流できるだろう。駅が見えてきた。
僕が購入したチケットは最高値の個室1枚と二人部屋のBクラス1枚。女子高生とそれに相当する年代の女子にしては贅沢すぎるとは思うが、お嬢様育ちだっ
たらしいルイがカーテンで仕切られただけの二段か三段ベッドで我慢できるとは考えられないので個室にしたのだ。どうせ個室にするなら後から文句が出ないよ
うにと一番高いのにした。僕とエリシアは庶民なので最安値が相応なのだが、ルイだけに贅沢させるのは不公平にして不平等なのでせめて二人部屋ぐらいの贅沢
はしても罪はない。いや、僕が現在おかれている状況を考えたらそれぐらいの贅沢は許されてしかるべきだ。
「何を愚図愚図しているの。早く来なさい」
僕より先を行くルイがせかすが、こっちは3人分の荷物を持っているんだぞ。自分の荷物すら持たない君と歩行速度に差が出るのはしょうがないだろ。
「あら、家来が主人の荷物を持つのは当然のことだわ」
毎度のことだが、ルイの辞書には一宿一飯の恩義という語句はないらしい。犬だって3日飼えば恩を忘れないというのに。それと、僕はルイの側にいるエリシ
アに目を向けた。ルイが僕に荷物を押しつけてサッサと行くと、エリシアも自分の荷物をおいてそれについて行ったのだ。残された僕は3人分の荷物を持って移
動する羽目となった。男の時だったらそれもいいかなと思うが、女になっちゃったもんな。本来持つべき量の3倍の荷物を持たされた僕は3倍疲れることになる。
だから、ホームに着いた時は荷物を下ろして一息つくぐらいの権利はある。電車が来るまで時間がまだあるから、分別のある奴なら荷物をもってくれた礼として
飲み物の一つぐらい買ってきてくれるものだろう。残念なことに、ルイもエリシアもそんな分別には縁がなく、逆に僕が二人に飲み物を買ってくる始末だ。飲み
物を二人に渡して自分の分を飲もうとしているところをけったいなおっさんに話しかけられた。何がけったいかって? 頭に月桂冠乗せてる。
「な、なんですか?」
そんなに顔を近づけるな。
「儂は予言者だ。お前の未来を予言してやる」
予言? 日本に予言者がいたのか? しかし、してやるとはずいぶんな言い草だな。で、僕の未来はどうなるんだ? 予言とやらを信じるわけではないが、こ
こは聞いてやるのが人情だろう。ところが、僕の好意は予言者には理解できなかったようだ。
「お前はもう直に死ぬ。それは避けられぬ運命」
そう言うと、予言者は去って行った。なんだったんだろう? ポカーンとしていると、一部始終を見ていたルイが、
「あなた、死ぬの? だったら、葬式の準備をしなくてはならないわね」
そうだね、葬式の費用は高いっていうし。お墓の注文もしなくては…って、勝手に殺すな。予言なんてのは出鱈目なんだから。
「でも、あの予言者只者ではないわよ」
そうか? 確かに格好からして只者ではないが。まあ、なんであの予言者が僕に話しかけてきたのかは気になるところだけど。わざわざあんな予言をして喧嘩
を売っているのか? いままでチヤホヤされてきただけにああいう態度をされると腹が立つ。まあ、地球のすべての男に好かれる美女ってのは存在しないからな。
ルイだって可愛いとかキレイとか言ってくれる男ばかりではないかもしれない。中にはルイを可愛いとは思わない男もいるかもしれない。僕だってそうだ。全男
子生徒の9割以上の支持を得ているが、残り1割未満の男子生徒からは嫌われているかもしれない。巨乳が好きな人もいれば貧乳の方がいいという人もいる。幼
女が好きな奴もいれば熟女が好きという奴もいる。異性に対する好みは人それぞれということだな。うんうん。
「なに一人で頷いているの? 変な娘ね」
「ちょっとね」
「まあいいわ。それより、あなたが買ってきたこれは何?」
何って紅茶のペットボトルじゃないか。君は紅茶が好きなんだろ? なんでそんなにムッとしているんだ?
「私にこんな安物を飲ませる気?」
そんなのしょうがないだろ。電車で食べるときはちゃんとカップに入っている紅茶が出てくるからさ。
「しょうがないわね」
そういやルイはペットボトルは初めてだったな。ちと、お嬢様暮らしさせすぎたか。一方、エリシアはベンチに座って黙って飲んでいた。こっちの方は飲める
ものなら何でもいい。好き嫌いも無いし、いい娘だ。ルイもエリシアを見習って黙って飲んでいてほしい。
「飲みたくなかったら貸して。僕が飲むから」
とルイに手を差し伸べたら、ペシッとはたかれた。
「主の物を取ろうなんてとんでもない家来ね」
だっていらないんだろ?
「誰もいらないって言ってないわ。仕方ないから飲んであげるだけよ」
なんだ結局飲むんじゃないか。ルイが「はい」とペットボトルを渡してきたので蓋を開けて返してやった。「はい」とされただけでルイが何を求めているかわ
かってしまうとは僕もメイドとしての自覚が目覚めたということか。だとしたら、ルイの日頃の躾の成果だ。そうこうしているうちに電車が来たので僕らはそれ
に乗った。
僕とエリシアは二人部屋、ルイは個室と違うのでまずルイの個室に向かう。一番高いランクの部屋だけに車内とは思えない装いのお部屋だ。
「じゃ、食事の時は車内放送があるからそれまで休んでいるといいよ」
あまり長居すると不平不満が溜まると判断した僕は、ルイの荷物を置くと自分たちの部屋に向かった。あれだったら僕らも個室にすれば良かった。でも、二人
部屋でもB寝台の最安値よりはマシだ。暑いと言って服を脱げるのも他人の目がないからだ。クーラーが効いているから脱がなくてもいいけどさ。そういや、女
になる前は暑い時期は上半身裸になっていたっけ。それで、家に来たあいつに見られては殴られていたな。チャイムも鳴らさずに他人の家に勝手に入ってくる方
が悪いと思うが。とベッドに大の字になって過去を懐かしんでいたら、エリシアが顔を覗き込んできた。なに?
「うん、ちょっとね。気になったから」
なにが?
「普段は優しいのに、たまに怖い声出したりするから」
出発前のことを言っているらしい。
「そうかな?」
僕は誤魔化すことにした。嫌な夢を見たからそれで気が立っていたなんて言う必要はない。言えば夢の内容まで言わなくてはならなくなるかもしれない。それ
は、僕の過去を明かすということだ。エリシアも空気を読んだか話題を変えてきた。
「ねえ、前から気になってたんだけど、あなた両親とかいないの?」
いきなり何を言うんだ。
「だって、私も日本についていろいろ覚えたけど、日本人の子供って親と一緒に暮らすものじゃないの?」
それは諸外国でも同じと思うが。
「死んじゃったにしても仏壇とかないから」
いつの間に仏壇とか覚えたんだろう。
「親は死んだ」
嘘を吐いた。僕の母とされる女性がどうなったか僕は知らない。僕の妹が量産されるってのも聞いたが、多分中止になっている。そんなことは誰にも言えない
から仏壇は宗教が違うから置いていないって言っておこう。
「ふうん、そうなんだ」
どうやら納得してくれたらしい。
「じゃ、私と一緒ね。私の親も死んじゃったから」
言っていたな。ルイの親もとうの昔に死んでいる。文字通り天涯孤独な3人娘が一つ屋根の下で生活しているのだ。僕にとって親は最初からいないようなもの
だったから親のありがたみとかよくわかんないけど、ルイやエリシアにとって親とはどんな存在だったんだろう。ルイは御両親のことすごく尊敬していたようだ
けど、エリシアは昔のことを話したりしない。辛い思い出しかないからだ。クリスマスにサンタじゃなく借金取りが来たというよりもはるかに悲惨な年少期を送
ってきたのだ。だから、あの時ルイと一緒にエリシアも引き取ることにしたのだ。僕も家族というものを持ちたいって思っていたし。シマリスだとペットになっ
てしまうからな……。
「そうだ、忘れてた」
僕はガバッて起きて鞄に張ってあるお札を剥がした。中に入っているシマリスが勝手に出ないように封印していたのだ。
「ぷはーっ、やっと出られた」
鞄の中はそんなに息苦しかったか?
「あんさん何言うてはりまんねん。息苦しいどころの話やおまへんで」
お前がどうしてもついて行くって言ったんだ。そのくらい我慢しろ。本当ならお前は家を出なきゃならんのを僕の慈悲で棲ませてやってんだ。
「いやあ、本当感謝してまっせ」
当然だ。まあでも餌代がかからなくなったのは助かったけどな。糞尿もしないし。逆に何の役にも立たない奴でもある。学校のオカルト研究部の連中に見せた
らぶったまげることだろう。何しろモノホンの亡霊だからな。そんなことは絶対しないけど。こんな調子で雑談していると、食事の用意ができたという車内放送
が流れた。
「じゃ、僕らは食事してくるから、くれぐれも部屋の外に出るなよ」
シマリスにそう言いつけて僕とエリシアは部屋を出た。食堂車に行く途中でルイの部屋があるので一緒に行こう。食堂車にはすでに人がいっぱいいた。混雑し
ているから相席をお願いすることもあると言われたので了承した。料理はフランス料理と懐石のどちらかが選べる。僕はフランス料理には縁がないので懐石の方
が良かったのだが、ルイとエリシアはフランス料理の方がいいだろうと思ったのでフランス料理にした。運ばれてくる料理を口に運んでいくが、こんな緊張した
食事は初めてだ。だって、フランス料理だから無作法な食べ方は駄目でしょ。幸い、ルイからマナーなどを教育されているから大丈夫だったけど。そうやって食
べていると、一人の美女が声をかけてきた。
「相席、よろしいかしら?」
年齢は30歳前後か。スーツを着こなしたキャリアウーマンってな感じの美女で大人の色香というものをプンプンとさせていた。まだ雄としての本能が残って
いた僕はちょっと間見惚れていたいたが、すぐにハッとなって空いている席を彼女に譲った。
「どうぞ」
「ごめんなさいね」
彼女が席に着くと、彼女の分の料理が運ばれてきた。彼女の名は北畑さんといって、とある会社に勤めているという。いくつかのプランも任されたことのある
なかなかの才女らしい。出張ですか?
「まあ、そんなところね」
才女だけあって食事のマナーも心得ているらしく、僕みたいに緊張して食べているのとは大違いだ。食べ慣れているといった感じだ。エリシアはそんな御作法
とか気にしない性質で僕よりもリラックスして食べていた。しまったな、僕だけ懐石にすれば良かった。後悔しながらも食べる。滅多に食べられないからな。だ
が、他人が割り込んできたせいで会話が途切れてしまったのはちょっと残念。会話の続きをしようにも他人が同じテーブルにいるとしづらい。こうなったら早く
食事を済ませるにかぎる。でも、ガツガツと急いで食べるのは御下品なのであくまでも優雅に急いで食べる(意味不明)。その時、ルイが思いがけない行動に出
た。
「あなた、あの予言者とどういう関係なの?」
ルイが自分から知らない人に話しかけるなんて珍しい。だが、質問の意味がわからない。あの予言者ってホームで会ったあの親父か?
「そうよ」
ルイは北畑さんから目をそらさずに答えた。しかし、突拍子の無い質問だな。ほら、北畑さんもきょとんとしているじゃないか。
「関係ってただのファンだけど、それがなにか?」
いきなりの質問に気分を害した様子もなく北畑さんは返したが、あの予言者にファンがいるのか?
「あなたたち知らないの? グッドラダメスって最近有名なのよ」
彼女がさりげなく口にした予言者の名に僕は食事の手を止めた。グッドラダメスって。僕は敵のネーミングセンスの無さにただただ呆れるばかりだ。この人は
予言者いやGOOD機関とどういう関係だろう。ルイは彼女が予言者と会話しているのを見たと言っているから、ただのファンではないのは間違いなさそうだ。
とすれば彼女もGOODの一味か? もしそうなら彼女は僕らのことを知っていて近づいてきたことになる。
「どうしたの? 顔色が悪いわよ」
僕の不安を見透かすかのようにこっちを見る北畑さんに、僕は彼女がGOODの関係者で僕のことを知っていると判断した。だとすれば詰問したいことが山ほ
どある。だが、そんな僕の意図を見抜いたのか北畑さんはナイフとフォークを置いて立ちあがった。
「これ以上他所者がお邪魔しては悪いわね。ありがとう、楽しかったわ」
そう言い残して北畑さんは食堂車を後にした。自分の部屋に戻るのか、それとも予言者と会うのか。僕も立ちあがって後を追うことにした。
「君たちは残っていてくれ」
僕の過去に関わることになるかもしれないので二人は置いていく。僕は北畑さんに気付かれないように距離を取って尾行した。その途中で、中年の男性が腹が
痛い感じに背中を丸めているのに出くわした。通路の真ん中なのでどいてくれないと通れない。
「すいません、ちょっと」
どいてくれませんかね? と声をかけようとした時だった。パシュッと音がしたと思ったら、男の背中から何かがものすごい勢いで飛び出したのである。それ
は僕の左手に弾かれたが、もし胸にあたっていたら下手すれば死んでいた。間違いない。いまの銃弾だ。その証拠に男の背中には穴が開いて血が出ているし、腹
を抱えたまま倒れて絶命している彼の右手にはサイレンサー付きの銃が握られていた。一瞬、男の自殺に巻き込まれたと思ったが、こんなところで自殺する理由
がわからないし、サイレンサーをつける意味もわからない。
「まさか、僕を狙って?」
だが、それも疑問が残る。僕を殺すのなら普通に銃を向けて撃てばいい。確かに、さっきの方法なら相手の油断を誘える。実際、左手に当たってなかったら銃
弾は僕の胸にあたって心臓か肺に命中していた。僕の左手が義手でなかったら、左手を貫いて胸にあたっていただろう。実に確実性の高いやり方だ。問題はこの
方法は確実に自分も死んでしまうということだ。つまり、こんな方法は平常な精神状態の人間ならまずならないということだ。なら、自爆テロと同じ類か? そ
れも違う。死を覚悟したと言っても死の恐怖を完全に克服するのは不可能で、自爆テロ犯は大抵挙動不審となる。しかし、この男は冷静に僕が背後に来るのを待
っていた。だから、僕も怪しいとは思わずにまったく警戒していなかった。男は死ぬことを恐れていなかった。いや、死という認識が欠けていたということか。
フィアレスだ。フィアレスを洗脳して僕を襲わせたのか。こんなことをやるのはGOOD機関しかいない。こうなってはあの女を捕まえて自白させるしかない。
だが、男のせいで僕は彼女を見失ってしまった。僕は自分の部屋にもどってシマリスに命令した。
「人捜しでっか?」
そうだ。僕は彼女の特徴を教えた。
「お前なら壁もすり抜けられるからな。あと、絶対に誰にも見られるな。いいな?」
「わかってまんがな。では行ってきまっさ」
シマリスを連れてきて正解だったなと、思いつつ僕は奴が帰ってくるまでベッドに横たわることにした。数分後、シマリスが帰ってきた。
「いましたで。あんさんが言うてた年齢30前後のショートヘアの別嬪はんが」
そうか。他に誰かいなかったか?
「んにゃ、誰も」
わかった御苦労。僕はシマリスが調べた部屋に行った。
「ここか」
ノックする。
「はい?」
返事が返ってきた。間違いない、彼女の声だ。
「すいません、桜谷ですけど」
反応が無い。なんで、この部屋がわかったのか訝んでいるのだろう。少ししてドアが開いて北畑さんが怪しむような顔を見せた。
僕は鏡で自分が北畑さんそっくりに変身できているのを確認すると、彼女の服を身につけていった。脱いだ自分の服は畳んでとりあえず見つからない場所に隠
しておく。厄介なのは僕の足下に転がっている物だ。窓を開けて他に窓から顔を出している乗員乗客がいないか確認して物を抱きかかえる。僕より大きいから大
変だ。それを窓から捨てる。電車は山中を走っていて外は夜の闇が支配しているから誰かに見られたという心配はいらない。僕は北畑さんから聞き出した予言者
の部屋に行くことにした。その前に彼女のバッグから財布を取り出す。持ち主がいなくなったんだから僕がもらっておく。
予言者の部屋には予言者の他に明らかにキザそうな男がいた。ポイボス・スピリットの人間態だ。こいつがいるということは、やはりGOOD機関か。二人は
僕の変身に気付いていないようだ。GOODの作戦を調べようと思ったんだが、ポイボス・スピリットがいたのは誤算だった。下手な行動をすれば怪しまれてし
まう。だが、チャンスでもある。ポイボス・スピリットはGOODでも高い地位にいるようなので、5年前のことを何か知っているのかもしれない。何度も夢に
出てきたあの事件。ショックで記憶障害が起きたのか、襲撃者の顔もなんで自分が助かったのかも思い出せなかった。しかし、GOODが現れて今日久方ぶりに
あの夢を見て思い出した。襲撃者が腰に巻いていたベルト、あれに刻まれていたのはGOODの紋章だ。驚いたことに魔法少女になるはるか以前に僕と奴らとは
因縁浅からぬ仲になっていたのだ。奴らには訊きたいことがある。なぜ僕らを襲ったのか、なぜ僕だけ助かったのか。気がついた時には周辺瓦礫の山で誰もいな
かった。あの時何があったのかその記憶がまったく欠け落ちてしまっているのだ。何度も思い出そうとするが駄目だ。思い出せない。まるでその間の記憶が削り
取られたかのようにまったく思い出せない。と、過去にばかり気を取られていたのだいけなかった。ポイボス・スピリットが僕を呼んでいるのに気がつかなかっ
た。他人に化けていることを失念していたことも大きかった。
「貴様、何をボーっとしていた!」
激昂して詰め寄るポイボス・スピリットに僕は平謝りした。何度か会っていてわかったのだが、奴は些細な失敗でも仲間を処刑するような短気君だ。しかし、
さすがに返事しなかっただけで即銃殺にはならず僕は厳重注意ですまされた。命拾いしてホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、僕は決定的なミスを犯していたこ
とを知った。ポイボス・スピリットが僕の耳を指差して指摘してきた。
「! 貴様、イヤリングはどうした?」
イヤリング? そういや北畑さんイヤリングをしていたな。僕は体に穴を開けない主義なのでイヤリングは取らなかった。それぐらいは身につけさせてあげよ
うという僕の親切心だ。だが、あのイヤリングはただの装飾ではなかった。
「あれはGOODへの服従を誓うイヤリングだ。それを外すということはGOODへの反逆と死を意味する。貴様、北畑ではないな?」
あのイヤリングにそんな意味があったとは。予言者もソファから起き上がって警戒している。僕は観念して変身を解いて魔法少女に変身した。ポイボス・スピ
リットと予言者を指差してビシッと言ってやった。
「お前らの企みはパーフェクトに見破っているぞ」
何か決め台詞みたいな欲しいなと思って考えた台詞だが、パーフェクトどころか何一つとして突き止めていない。それは、ポイボス・スピリットもゴリッとお
見通しのようだった。
「嘘はよすんだな。何も知らないからこそ変身までしてここに来たのだろう」
まったくその通り。そこまでバレてしまっては仕方ない。何を企んでいるか知らんが、お前らを倒せばいいんだからな。
「やれるものならやってみろ。ポイボス・チェーンジ!」
ポイボス・スピリットが怪人態へと変身し、次いで予言者も正体を現すだろうと思った。さっさと醜い本性を見せやがれ。すると、予言者は少しムッという表
情になった。
「久しぶりに会ったというのに随分な言葉だな」
「?」
予言者の声が変わった? おっさんの声だったのが、若い男の声になっている。僕が戸惑っていると、予言者はさらに驚く行動に出た。予言者は自分のあごに
手をかけると、ベリベリと顔を剥がしたのだ。なんと、おっさんの面は変装だったのだ。そして、その面の下は思いがけない人物の顔があった。予言者が言って
いた久しぶりに会ったという意味がわかった。確かに久しぶりだ。だが、僕は彼が本物か確信できない。なぜなら、彼はすでに死んでいるはずだからだ。
「久しぶりだな。伊丹」
伊丹とは研究所にいた時の兄弟の間の僕の名前だ。当時の僕の名前はナンバー13だから伊丹。故・伊丹十三から取られた。しかし、それぐらいのこと事前に
調べたらわかることだ。それに、もし兄さんならいまの僕はわからないはずだ。なぜなら、いま僕は女の子だからだ。待て、GOODもなんで僕が女の子になっ
たことを知っているんだ? 奴らも僕が性転換したことを知らないはずだ。それに、GOODが研究所を襲撃したのはこっちの世界を征服するのに障害になりそ
うな僕たちを抹殺するためだろうが、魔法少女に攻撃を仕掛けてこなかったのはどういうわけだ? 魔法少女の方が明らかに脅威なのに。姉さんは僕が標的だと
言っていた。どういうことだ? わけがわからなくて頭が混乱しそうになる。いやいや、よく考えろ。あれが兄さんのわけないじゃないか。兄さんはあの時僕ら
を逃がすために犠牲になったんだ。それに、たとえ生きてたとしても仲間を殺した連中と一緒にいるわけがないだろ。もし、本当に兄さんなら……。
「ひらけ!」
僕は兄さんが本物かどうか確かめるために仲間内で決めていた合言葉を叫んだ。本物なら答えられるはずだ。果たして、目の前の男は答えることができるだろ
うか。男は口元に笑みを浮かべて、
「チューリップ」
と答えた。間違いない兄さんだ。兄さん以外に答えられる人間はいない。生きてたの? それとも生き返ったの? 我ながら愚問だが、そう訊かずにはいられ
なかった。
「答えは前者だな」
そりゃ、そうだ。死者が生き返るなんてありえないからな。
「5年ぶりか。お前もずいぶん変わっちまったな」
感慨深げに言う兄さんに僕はもうひとつの疑問をぶつけた。なんで、いまの女の子になった僕を認識できたんだ?
「それは前に見たからさ」
前にって、僕が女の子になった瞬間を見ていたのか? 疑問符が頭の上を飛び交っている僕に兄さんは半ば呆れた口調で言った。
「お前、人間がそう簡単に男から女に変わるって思っているのか?」
どういうこと? 簡単もなにも現に僕は変わってしまっている。男と言い張ってもオカマの私設軍隊将軍に怒られるぐらいの立派な女だ。いまじゃ、平気に女
の子と一緒に風呂に入れるぐらいだ。いやいや、そんなことより僕が男から女に変わる過程が外部に洩れている? ごめん、誰か小学5年生にもわかるように説
明してくれないか。
「まあ、それはそれとしておいといて」
本当はおいておくことはできない。実は僕が女になった詳しい仕組みはよくわかっていない。シマリスに聞いたら人間を性転換させる技術は機関が開発したも
のではなく、どこからか流出したものだという。機関はそれを解明しようとしたができなかったらしい。しかも、その技術が機関の手に渡ったのは僕とシマリス
が出会う1ヶ月前なのだ。あまりにもタイミングが良すぎる。まるで、魔法少女になる予定の少女が死亡して代役として僕が選ばれるのを見越していたかのよう
に。前から気にはしていたが、いまはそれはおいておく。それより、なんで兄さんはポイボス・スピリットと一緒にいるんだ? こいつらは皆を殺したんだぞ。
あれ? なんで兄さんは殺されてないの? なんとか逃げ延びたのならわかるけど。抱いて当然の疑問にポイボス・スピリットが答えた。
「それはこの男がGOODに忠誠を誓ったからだ」
「はい?(杉下右京風に)」
全然意味がわからない。それじゃまるで命乞いしたみたいじゃないか。兄さんは僕らを逃がすためにお前らを喰い止めてくれたんだ。お前らの仲間になんてな
るもんか。
「なら、この状況をどう説明できる」
嘲笑うような口調で指摘するポイボス・スピリットに僕はグッと言葉を詰まらせた。
「本当にそうなのか?」
かすかな期待をこめて本人に訊く。否定はしなくても、躊躇いながらの肯定ならまだ救いはある。だが、
「ああ、本当だ。俺はGOODに忠誠を誓っている」
兄さんは躊躇いもせずに肯定した。さらに兄さんは決定的な証拠を見せ付けた。
「これが俺のいま一つの姿だ」
急に部屋が暗くなって、兄さんが猫の改造人間になった。
「そ、そんな……」
兄さんが改造人間だったなんて。そんなの嫌だ。
「どうして? なんでなんだよ。おかしいよ。こんなことって」
あまりの現実にいつになく狼狽する僕に兄さんは平然と言い放った。
「お前が信じられなくても目の前にあることが現実だ」
何の気配りもない言い方に僕はカッとなって言い返した。
「わかってるのか、このままじゃ僕たちは戦うことになるんだぞ?」
「そうだな。それが嫌なら同志になれ。その方が千原も喜ぶ」
正気か?
「貴様を野放しにはできんのだ」
目の前のかつての同胞の変わりように僕は愕然となった。外に出ることがゆるされなかった僕に兄さんたちはせめて研究所の中では自由奔放にさせてやろうと
配慮してくれた。決して僕を束縛しようとはしなかった。そりゃさ、僕たちが戦わずに前みたいに仲良しになったら姉さんも喜ぶだろう。だが、僕はこの世界が
好きだ。それを壊そうとする連中と仲良くなんてできない。たとえ兄さんを討つことになったとしても、僕はこの世界を守る。だいたい、姉さんたちを殺した連
中とよろしくやっていること自体許されざることだ。この裏切り者が。もう、お前なんか兄さんじゃない。GOODの…えと、名前は?
「ゼロキャットだ」
言い直し。もう、お前なんか兄さんじゃない。GOODのゼロキャットだ。
「てめえの罪を償わせてやる。覚悟しろ」
もう躊躇いは無い。あんなに変わり果ててしまっては脳改造も完全に施されているだろう。戦うには少し狭いが、ここで二人とも片づけてやる。
「馬鹿め。後ろを見てみろ」
ポイボス・スピリットに言われて後ろを振り返るとドアが開いて、何人かの人が立っているのが見えた。皆、手に爆弾らしき物を持っている。
「貴様が少しでも動けば奴らを自爆させるぞ」
「なんだって?」
「奴らはゼロキャットの命令には絶対に従う。自爆しろと言えば躊躇いもせずに自爆する」
そんなことになったらお前たちも無事ではすまないぞ。
「そうだな、ならば我々は退散するとしよう。我々が退散して3分後に奴らは自爆する。GOODに抵抗した自分の浅はかさを悔いながら死ね」
高笑いしながらポイボス・スピリットとゼロキャットは部屋を出て行こうとした。その途中で僕の側まで来ると思い出したかのような感じで立ち止まった。
「そうそう、瞬間移動で逃げられては意味が無いからな」
ゼロキャットはパチンと指を鳴らして二人の人間に僕の両腕を掴ませた。
「これで逃げられまい。馬鹿な奴だ。俺のように魂を売れば死なずにすんだものを」
「貴様……!」
僕はゼロキャットに喰ってかかろうとしたが、腕をがっちり掴まれていて動けない。せめてもの抵抗で精一杯相手を睨みつけてやるも、二人は鼻で笑って馬鹿
にしただけだった。二人がいなくなって残ったのは僕と自分たちが何をやらされているのかまったくわかっていない人間たちだ。
「お前ら、わかってんのか? このままじゃ全員死ぬんだぞ」
力いっぱい叫ぶも彼らはまったく反応を示さなかった。完全に心まで支配されてやがる。どうする? テレパシーが使えたらルイたちに助けに来てもらうんだ
が、テレパシーは相手の心を盗み聞きすることができるため僕たちはテレパシーを遮断してしまっている。シマリスを呼ぼうにも幽霊になってしまって呼び出し
ができなくなってしまっている。どうしよう。このままじゃ本当に爆死してしまうぞ。有効な手段が思い浮かばぬまま時間だけが過ぎていった。
つづく
次回予告 我らの仮面少女を狙うGOOD機関の送った次なる使者は忍者怪人カエルケムマキ。総司令の正体をつかんだというノーグッド同盟を壊滅させるた
めGOOD機関は刺客を送り込む。総司令の正体とは何か。無人の荒野で展開される魔法少女とGOODの総力戦。
次回、「兇悪! にせ魔法少女(仮題)」にご期待ください。