現代妖怪騒動記・第一話

 
 
 先日、パソコンを整理していたら現代妖怪騒動記の第1話が残っていたのを発見いたしましたので掲載することにしました。
残念ながら後の物は残っていませんでした。他に残っていたのは男女のペアが崩壊した未来の世界を旅するという作品だけで
した。最後は男女が敵と刺し違えて死ぬというラストまで考えていたんですが、途中であきてしまいました。昔はそういうと
ころがあったんですよ。そう思うと、この現代妖怪騒動記は初めて完結にこじつけた作品ですので思い入れがあると言えば嘘
になります。機会あれば続編でもやりたいと思っています。
 
 
 
 
 
 
 
 刑事の嶋岡は連日の徹夜仕事に少しうんざりしていた。勿論、彼だけが仕事をしているわけではない。大勢の警官が一人の犯人を
捕まえるのに躍起になっていた。その犯人とは1ヶ月前から頻発する連続通り魔事件の容疑者で、今日までに21人が殺傷された。
その犯行の手口はとても残忍なもので被害者は皆体中を刃物で切り刻まれていた。
 
「くそっ、いつになったら奴を捕まえられるんだ」
 嶋岡は隣にいた同僚にぼやいた。
 
「もう少しの辛抱さ。重要な手がかりも得たことだし」
 それを聞いた嶋岡はますますうんざりした表情を浮かべた。
 
「手がかりたって、犯人は化け物でしたって話信用しろっていうのか?」
 それは昨日のことだった。それまで被害者は皆殺害され犯人の顔を見た者は一人もいなかっが、その日初めて被害者が生きたまま
保護されたのだ。たまたま近くに警戒中の警官がいたので致命傷を免れることができた。残念なことに警官が駆けつけた時には犯人
は逃亡していた。しかし、生きた証人を確保したことで捜査が進むことが期待できた。ところが、保護された被害者の女性は自分を
襲った犯人は見たことのない化け物の姿をしていたというのだ。捜査官が何度問い直しても彼女は化け物が犯人だと言い張った。
 
「もし、本当に化け物が犯人だとしたらそんな目立つもん見つからないわけないだろ」
 同僚も同感だという風に頷いた。犯人に襲われて無事だったのは彼女だけだ。つまり、犯人を直接目撃した只一人の人物と言うこ
とになる。しかし、だからといって犯人は化け物でしたなどという戯言を信じられるはずがなかった。嶋岡はふうっと溜息をついた。
事件が起きてからというもの彼はほとんど家に帰ることができなかった。家では妹が一人でいるはずだ。両親は既に亡くなっている。
 
(あいつ、ちゃんと家にいるかな)
 妹の咲樹は明るい性格で家事もこなす高校2年生だが、ひとつ問題があった。それは、事件に首を突っ込みたがるという性格だ。
高校で新聞部に入っているという咲樹は、新聞に掲載するネタを探すと言って勝手に事件の捜査をすることがあった。悪いことに事
件を解決したこともあった。現職警察官である兄より素人の妹が先に事件を解決したとあっては兄としての沽券に関わる。何度も事
件に関わろうとするなと注意したが、いまのところ効果はないようだった。だが、今度の事件は他のとは違う。下手をすれば命を落
とすことになりかねない。連絡を取ろうとしたが通じなかった。
 
(まさか、あいつまた……)
 嶋岡はまた溜息を吐いた。でも、あいつはいつも数人のクラスメートと行動しているから少しは大丈夫かな?
 
 
 ―その頃―
「ねぇ、やっぱりやめようよ」
 不安そうな声で春香が咲樹の服の袖を引っ張りながら言った。咲樹はその手を振りはらった。
 
「なにいってんのよ、こんないいネタ滅多にあるもんじゃないわよ」
 そう言うと咲樹はチョロチョロと辺りを見回した。
 
「ほら、あんた達も不審者がいないかちゃんと見てよ」
 咲樹にせかされ他の連中も不審者の捜索をしだした。彼等は高校の新聞部の部員で、新聞の記事にするネタを入手するため夜の町
を徘徊しているのだ。だが、不審者の捜索に熱心なのは咲樹だけで、他の連中はあまり乗り気ではなかった。なにしろ今回の相手は
連続殺人犯である。たとえ見つけたとしても殺されてしまうかもしれないじゃないか。
 
「なっなあ、嶋岡、聞きたいことがあんだけど、もし犯人に出くわしたらどうするんだ?」
 加藤がおそるおそる尋ねると咲樹はハッという顔になった。
 
「何も考えてない……」
 その言葉に一同は一瞬唖然となった。しばし、一同の動きが止まった。3秒ほど経過して岡島が小さく溜息を吐くと
 
「まっ、しょうがねーか。今日はここらで解散にして出直そーぜ」
と、そのまま帰ろうとした。咲樹は止めようとしたが、その前に他の連中が岡島の意見に賛成してしまった。こうなっては咲樹も皆
に従うしかない。
 
(まっ、明日がんばればいっか)
 咲樹はそう自分を納得させたが、彼女以外の4人は明日どう断ろうか真剣に考えていた。
 
「んじゃ、今日はここで解散ということでよござんすね」
 岡島がそう言うと皆賛成してそれぞれの家路につこうとした。すると
 
「あれ?」
 春香が表通りの歩道を歩いている高校生を指さした。
 
「あの人夢小路さんじゃない?」
 指さされた方を皆が振り向く。確かに自分たちと同じ制服の高校生が歩いていた。
 
「ああ、確かにありゃ夢小路だ」
「なにやってんだろ、こんな時間に一人で」
「あぶねえな、襲われたらどうするんだ?」
「よし、俺が家までガードしてやる」
 そう言うと岡島はダッシュで利緒のところに向かった。あわてて加藤と清原がその後を追いかける。
 
「てめえが一番危険だ!」
「一人だけいい格好しようたってそうはいかねーぞ!」
 男達が行ってしまったので咲樹と春香も仕方なしに後を追いかけた。
 
「まったく男って奴は」
 咲樹は呆れ気味に呟いた。利緒は3ヶ月前に高校に来た転校生で薄いブルーの髪と同じくブルーの瞳が印象的な少女だ。そのルッ
クスの良さから一躍クラスの一番人気となった。否、現在では学校一の人気である。
 
「夢小路さーん」
 いつの間にか男達を抜かしていた咲樹が利緒に声をかけた。名を呼ばれた利緒は立ち止まって声がした方を向いた。見たことのあ
る顔だ。確か、同級生の人だ。
 
「なにやってんの? 一人で歩いていたら危険だよ」
 確かこの人はクラスメートの嶋岡さんっていう人だ。とか思いながら利緒は手に持っていたスーパーの袋を咲樹に見せた。
 
「買い物?」
 利緒は答えない。咲樹もそれ以上は聞かなかった。利緒は無口な性格で他人と話しているのを咲樹はほとんど見かけなかった。何
度か会話しようとしたが、話が続かなかった。
 
「女の子が一人で夜道を歩くなんて危ないじゃねーか」
 岡島が割って入った。
 
「俺達が家まで送ってくよ」
 加藤と清原がそれに続いた。利緒は少しとまどった。しかし、性格上嫌とは言えなかった。別に嫌ではないが他人との接触が少な
い利緒にとって多数の人間と行動を共にするのは少し緊張することであった。
 
「荷物持ってやるよ」
 清原が手を差し出した。断る理由もないため利緒は持っていた袋を清原に渡した。そこで礼を言うべきなのだが、利緒はそれに気
づかなかった。そのため愛想がないと誤解されたこともある。
 一行は利緒の自宅まで一緒に行動することにした。途中で犯人に襲われてもいいように女の子を中心にして脇を男が固めた。ボデ
ィガードとしては頼りない3人だが、いないよりはマシだ。いざとなったらこいつらを捨て駒にして逃げるという手もある。
 
「ところでさぁ、夢小路さんはなんでこんな時間に買い物してたの?」
「帰りにやっとくの忘れて」
「でもさ、いまこの辺ってものすごく物騒なんだよ。知ってるでしょ? 連続通り魔」
 利緒は首を振った。咲樹は信じられないといった顔で問い直した。
 
「えっ、知らないの? テレビとかで毎日やってるじゃん」
「私、テレビも新聞もあまり見ないから」
「でも、家族の人とかは知ってるんじゃないの?」
 利緒はしばらく答えなかった。その様子を見て咲樹はまずい質問でもしたかなと思った。
 
「私一人暮らしだから……」
「家族はいないの?」
「……」
 利緒は沈黙した。何か複雑な事情でもあるのかなと咲樹は思ったがそっとしておくことにした。気まずい空気が流れるのを利緒以
外は感じていた。その空気を振りはらおうと岡島が話題を変えた。
 
「人にはそれぞれ事情ってもんがあるんだし、そのことについてはこれからタブーにしようぜ」
 岡島の提案に一同は賛成した。これは利緒への好意だったが、彼女はそれにまったく気づかなかった。
 
「けど、今度からは夜に出歩くのはやめた方がいいぜ。いつ通り魔に襲われるかわかんねーからな」
 利緒はコクッと頷いた。その横顔を見て可愛いなと岡島は思った。無口な娘だが性格は素直だ。彼女の隠された一面を察するには
彼はまだ未熟であった。人は見た目ではわからないことが多い。岡島達がそのことをわかるようになるにはまだ人生経験が足りない
が、利緒は人間の裏の顔を知ることができた。彼女は幼い頃から他人の顔色を窺いながら育ってきた。自然と相手が自分に好意を持
っているか敵意を抱いているかわかるようになってきた。利緒が記憶している限りでいうと、彼女に裏表なく親しく接したのは母親
と姉妹だけである。彼女は誰も信用していない。人の心はいつ変わるかわからないものだから。
 
「しっかし、その通り魔ってのなにが楽しくて人の体切り刻んだりするんだろうねぇ」
 加藤が言った。咲樹がそれに答える。
 
「知るわけないでしょ。まっ、頭がおかしいってことだけは確かだけど」
「確かに精神が病んでる奴じゃないとそういうことできねーわな」
「そんな人を私たちは捕まえようとしているのね」
 春香がぼそりと呟いた。考えたらとてつもなく危険な行為である。
 
「ひょっとしたらばったり遭遇ってこともあり得るかも」
 岡島が怖がらすように言うと、春香は震えながら咲樹にしがみついた。
 
「あんたねぇ、春香を怖がらせてどうするのよ」
「ワリィ、ワリィ」
 咲樹に怒られ岡島は詫びるが悪びれた様子はない。仲が良い5人の会話を聞いて利緒は彼等がなぜ夜中に出歩いていたかわかった。
探偵のつもりだろうか。本人達に聞くという手もあるが、別に利緒にとってその事はどうでもいいことだし、彼等がその通り魔に襲
われ命を奪われたとしても彼女には関係のないことだった。
 
 
 
「今日は奴さん現れねーな」
 嶋岡はパトカーにもたれながら呟いた。10時をだいぶすぎているが通り魔が現れたとの情報はまだなかった。いつもならとっく
に被害者が出ている時間なのに。
 
「それだけ俺達の警戒が厳しいてわけだ」
 確かに町中どこにでも警官を見かけるので通り魔も動きにくいのだろう。
 
「まっ、被害が出なかったらそれでいいけどさ」
「でも、犯人を捕まえなかったら俺達明日もこうだぜ」
 勘弁してほしいといった顔で同僚がぼやく。彼もろくに家に帰ってない。しかし、妹がいる嶋岡と違って、同僚は完全な一人暮ら
しだ。家に帰らなくても別に大したことはないだろう。
 
「ちょっと休憩にしようぜ。飲み物買ってくる。何がいい?」
 嶋岡は鞄から財布をとりだした。同僚が「コーヒー」と答えると嶋岡は「わかった」と言って角にある自販機まで歩いた。その様
子を同僚は眺めていたが、ふと人の気配に気づき振り向いた。サラリーマン風の男が近づいているのが見えた。同僚が男の方を振り
向くと男はビクッとなって立ち止まった。様子がおかしいので同僚は職務質問することにした。
 
「ちょっといいかな?」
 同僚は男に近づいた。すると男はニヤリと笑っていきなり化け物に変身した。同僚はあわてて拳銃を構えようとしたが、その前に
男の右手からはえるナイフが彼の胸を斬りつけた。男は同僚にトドメを刺そうとしたが、異変に気づいた嶋岡が間一髪拳銃を発砲し
た。男は銃弾をかわすとそのまま逃亡した。嶋岡は同僚のもとに駆け寄り彼の体を抱きかかえたが、すでに同僚は虫の息だった。
 
「おい、しかりしろ。おい!」
 嶋岡は同僚の体を揺さぶったが反応はなかった。銃声を聞いた他の同僚達も駆けつけ救急車を手配した。
 
「一体何があったんだ」
 遅れてやってきた警部が尋ねた。嶋岡は同僚から手を離して上司に見たことを話そうとしたが、どうやって説明していいかわから
なかった。彼は化け物にやられましたといって信じてもらえるだろうか。
 
「どうした? おまえは犯人を見たんだろう」
 話すのを躊躇している嶋岡を警部は不審そうに見つめた。
嶋岡は意を決して詳細を警部に告げた。案の定、警部も他の警官も嶋岡の話を信じようとはしなかった。しかし、嶋岡が虚偽の報告
をするような人間ではないことは誰でも知っていた。それに彼だけでなく昨日の被害者も化け物を見たと言っているのだ。
 
「嶋岡の話が本当かどうかわからんが犯人は絶対に捕まえなければならん。急いで追跡しろ」
 警部は部下達に指示を終えると嶋岡に声をかけた。
 
「大丈夫か?」
「はい」
「よし、それなら良い。おまえも犯人の追跡にあたってくれ。あいつの仇をとってやれ」
 警部はそう言うと嶋岡の肩を叩いた。
 
 
 
 利緒の家に向かっていた咲樹達にも銃声は聞こえた。
「な、なんだ今の銃声は?」
「近いぞ。どこからだ?」
「お、おいまさか通り魔が出たんじゃねーだろうな」
 突然の銃声に男達があわてふためいた。春香は震えながら咲樹にしがみついた。咲樹も自分が少し震えているのを自覚していた。
その中で利緒だけは何の反応も示さなかった。
 
「おい、嶋岡、おまえの兄貴に電話して何があったか聞いてみろよ」
 岡島の提案に咲樹は頷いて携帯電話を手にした。
 
「あっ、兄貴電話してたんだ」
 咲樹は呟くと嶋岡の携帯に電話した。
 
「もしもし」
「あっ、お兄ちゃん?」
「咲樹か?お前どこにいるんだ」
 電話の嶋岡の声は落ち着きがない感じがした。
 
「桜池公園の前だけど」
「気をつけろ。さっき、そっちの方に例の通り魔が逃げていった。近くに交番があるだろ? そっちへ避難するんだ。いいな!」
 そう言うと嶋岡は一方的に電話を切った。
 
「もしもし、お兄ちゃん?」
 咲樹は電話に話しかけるがすでに通話は途絶えていた。
 
「お兄さんなんて?」
 春香が聞いてきた。
 
「通り魔がこっちの方に逃げたって」
「お、おい、それってやばいじゃねーか」
「兄貴は近くの交番に避難しろって言ってるけど」
「だったら早く行こうぜ」
 加藤の意見に清原と岡島も賛成した。春香にも異論はない。だが、咲樹だけはそれには同意しなかった。
 
「何言ってんのよ。連続通り魔を捕まえる絶好の機会じゃない」
 だが、他の連中の意見はとりあえず退避であった。渋々、咲樹もそれに同意することにした。一同は公園の近くにある交番に向か
った。途中で通り魔に遭遇しないよう神様に祈りながら目的地まで急ぐ。お祈りの成果か一同は無事に交番に到着した。
 
「やれやれ、これで一安心だな」
 岡島が安堵の溜息を吐き交番の中にはいる。それに続いて咲樹と春香が中に入ろうとしたが、岡島がいきなり大声を出して二人を
制止した。
 
「入るな!」
 その声は恐怖で震えているようだった。事実、岡島は体が震えていた。彼の目の前にはバラバラにされた警察官の死体が転がって
いたのだ。
 
「どうしたってんだ? ウッ」
「なんなんだこれは?」
 加藤と清原が中に入って警察官の死体を目の当たりにする。前にも殺人事件に関わった事がある彼等だが、このような惨状は初め
てだった。咲樹と春香も中に入って死体を目撃した。切断された頭部を見て春香が気絶しそうになった。咲樹も恐怖のあまり体の震
えが止まらなかった。
 
「嶋岡、すぐお兄さんに電話するんだ」
「う、うん」
 咲樹は急いで嶋岡に電話をかけ状況を伝えた。
 
「なんだって! それは本当か?」
「うん……」
 妹の言葉に嶋岡は不安になった。いつも元気な咲樹が明らかに怯えていた。他殺体を見るなんて初めての事じゃないのに。
 
「すぐそっちに向かう。そこを離れるなよ」
 嶋岡は電話を切るとすぐに警部に報告した。
 
「全員、桜池公園に急行してくれ」
 警部の命令で警官達は現場に急行した。さて、嶋岡にそこを離れるなと言われた咲樹達だが、とても死体と同居する気にはなれな
かった。かといって迂闊に外に出て通り魔とバッタリも嫌だった。一同はなるべく死体を見ないようにしながら警察が来るのを待っ
た。その中で利緒だけが一人死体を眺めていた。
 
「これは人間の仕業じゃない」
 利緒が呟くのを聞いた咲樹は反射的にどういう意味かと尋ねた。
 
「この死体はそう時間が経っていない。もしかしたらついさっき殺されたかも。人間の体を短時間でバラバラにするなんて人間には
できない」
 しかし、一同は利緒の説明に納得がいかないようだ。
 
「人間じゃないって、じゃ誰がやったんだよ?」
「……」
 利緒は加藤の質問に答えようとせず、一人で外に出ようとした。あわてて岡島がそれを止める。
 
「何やってんだ? 外出たら危ないだろ」
 だが、利緒は岡島を無視して交番の外に出た。
 
「貴方達はここで待ってて」
 そう言い残して利緒は公園に向かった。利緒が公園の中に入るのを見て、岡島は意を決して彼女を追いかけることにした。仕方な
く咲樹達もそれについていった。
 公園の噴水に来た利緒は目を閉じ意識を集中させた。彼女が公園に来たのはそこに妖気を感じたからだ。だが、かすかな妖気は感
じるものの、それは妖気の持ち主が残していった残留妖気だった。もう奴はどこかへ逃げたのだろうか。そこへ咲樹達が駆けつけた。
 
「どうしたのよ、いきなり外に出たりして」
 咲樹は辺りを見回した。利緒がここで立ち止まっていたので何かあるのかと思ったからだ。一通り見回した咲樹はサラリーマン風
の男がベンチに座っているのに気づいた。その男は俯いたまま動かなかった。
 
「何かしら? あの人」
 恐らく酔っぱらいの類だろう。咲樹は男が寝ているものと思って起こそうとしたのだ。利緒は何となくそれを眺めていたが、男が
咲樹の方を振り向いた瞬間叫んだ。
 
「近づいたら駄目!」
「えっ?」
 咲樹は驚いて後を振り返った。すると突然男がナイフを手に取り咲樹に襲いかかろうとした。間一髪、利緒が投げた小石が男の額
に命中して咲樹は難を逃れた。咲樹はヘタッとなってその場に座り込んだ。男は額を押さえながら咲樹達を睨みつけた。そのあまり
の形相に利緒を除く一同が恐怖で体が震えた。男は落ちたナイフを拾い上げ腰が抜けている咲樹を睨んだ。舌なめずりすると男は咲
樹にナイフを突きつけた。咲樹は逃げようとするが体が思うように動かない。それを見ていた加藤達も咲樹を助けたい意志はあるが
やはり足が前に出なかった。男はナイフを思い切り突き刺そうとした。咲樹は男から顔を背け目を閉じた。もう駄目だと思った瞬間、
何かが衝突する音が聞こえ、男が吹っ飛ばされた。咲樹は驚いて男が吹っ飛んだのと逆の方向を見た。そこには両手の掌を前に突き
出している利緒の姿があった。
 
「夢小路さん……?」
 咲樹は何が起こったかわからなかった。それ以上に状況を理解できなかったのが利緒の側にいた岡島達である。彼等は利緒が両手
から衝撃波みたいなものを発して男を吹っ飛ばしたのを見たのだが、自分達の常識とはかけ離れた状況に混乱していたのだ。利緒は
さらにその混乱を助長するかのようなことを口にした。
 
「正体を現しなさい」
 正体って? 咲樹達は利緒の言葉の意味がわからなかった。さらに利緒は言葉を続けた。
 
「貴方の体からわずかだけど妖気が感じられる。さっき私が感じたのは残留の妖気じゃなくて貴方のものね」
 すると男はいきなり笑い出し、体を不気味な化け物に変化させた。
 
「な、なんなの? あれ」
 咲樹は目の前の出来事にすっかり混乱してしまっていた。まるで悪い夢を見ているようだった。男は両手の爪を刃物のように変化
させると、利緒に向かって斬りかかってきた。利緒はそれをかわしたが、男はさらに攻撃をしかけた。だが、その動きは素人そのま
まの単調なもので、利緒は難なく男の攻撃をかわし続けた。その様子を咲樹達は呆然と眺めていたが、加藤はハッと我に返ると持っ
ていたカメラで男を撮影し始めた。未だに信じられない心境だが、これは明らかに特ダネになるものである。他の4人も徐々に落ち
着きを取り戻し、利緒の応援を始めた。それに応えるかのように(実際はそうではないが)利緒は男が右手を突き刺してくるとそれ
を足で払いのけ、男の右顔面にパンチを続けて左顔面にハイキックをヒットさせた。
 
「やった!」
 咲樹達は歓声をあげた。だが、男はまったく堪える様子はなかった。利緒はさらに攻撃を加えるが、男の胸にパンチを打ち込んだ
瞬間、利緒の手から血が流れ出た。男は体中から刃を突き出せていた。
 
「まずいぞ。あれじゃ攻撃できない」
 岡島は利緒を助ける方法を考えるが、これといった案は浮かんでこなかった。男はじりじりと利緒に迫った。その時、どこからか
パトカーのサイレンが聞こえてきた。警察がようやく到着したのだ。男はすぐさま公園から姿を消した。男が見えなくなると咲樹達
は緊張が解けその場に座り込んだ。それから数分して嶋岡達がやってきた。咲樹は嶋岡を見るとその体に飛びつき泣き出した。春香
も泣き出していた。
 
「ほら、もう泣くな」
 嶋岡は咲樹にハンカチを渡した。咲樹はそれで涙を拭くが、涙はまだ止まりそうになかった。嶋岡は咲樹を優しく抱きしめると何
があったかを尋ねた。咲樹は事の一部始終を話したが、信じてもらえるとは思っていなかった。しかし、嶋岡の反応は意外にも肯定
的だった。彼もあの化け物を目撃しているのだ。半信半疑だった警部達も加藤が撮影したカメラのプレビューを見て、嶋岡の話が嘘
でないと納得した。
 
「まいったな」
 警部は頭を抱えた。通り魔が化け物であることは事実であろうが、それをどうやって上に報告するか。
 
「とにかくマスコミにはまだ伏せといた方が良いな。君たちも今日見たことは他言しないでほしい」
 咲樹達は頷いた。
 
「このデジカメはしばらく預からせてもらうよ。君たちにも事情を聞きたいんだが、もう遅いからそれは後日にしよう」
 警部はそう言うと、もう一度プレビューを見た。
 
「それにしても、この化け物は何なんだ?」
「それは多分彼女が知っていると思います」
 警部は加藤が指さした方を振り向いた。そこには傷の手当を受けている利緒がいた。
 
「カメラに映っていた少女か」
 警部は利緒に近づき事情を尋ねようとしたが、利緒は包帯が巻き終えると警部を無視して立ち去ろうとした。あわてて警部は利緒
を止めた。
 
「待ちなさい。いま一人で行動するのは危険すぎる。我々が自宅まで送るから」
 結局、警部は何も聞き出せなかった。6人はパトカーに乗せられそれぞれの家まで送られた。
 
 
 
 翌日。咲樹達は部室で校内新聞の記事をどうするかで頭を悩ませていた。警察からは昨夜の一件のことは口止めされているし、だ
いたいそんなことを記事にしても誰も信じないだろう。昨夜の出来事は5人の記憶に深く刻み込まれた。化け物というものがこの世
に存在したことも驚きだが、さらに驚かされたのは利緒が気みたいなのを発したことだった。気という表現が正しいかは別にして利
緒がそれによって化け物を吹っ飛ばしたのは事実である。しかも、利緒は化け物のことを知っていたらしいのだ。利緒と化け物の関
係がどういうものかについては興味があるが、あまり関わりたくないという気持ちもある。そんな気持ちが交錯して、新聞作りに集
中しきれないでいた。
 
「しょうがないわね」
 咲樹はスクッと立ち上がると一同を見回した。
 
「いつまでもこんなことしてたって時間が過ぎるだけだわ」
 一同は何か嫌な予感がした。恐る恐る春香が尋ねる。
 
「それでどうするの? 咲樹ちゃん」
「決まってるでしょ。あの化け物を私達の手で捕まえるのよ」
「おいおい、冗談じゃねーぞ。あんな化け物と関わるなんて俺はごめんだぞ」
 岡島が席を立って抗議した。しかし咲樹はそれをあっさり返した。
「あら、男のくせに一度やろうとしたことを諦めるの?」
 岡島は沈黙した。
 
「でも、どうやって捕まえるんだ?」
 加藤が質問した。さあ捕まえるぞと意気込んでも何の策も無しに行ったのでは奴の犠牲者を無駄に増やすだけである。その質問に
咲樹は胸を張って答えた。
 
「大丈夫よ。私達には強い味方がいるじゃない」
 それが誰のことを指しているかはすぐにわかった。春香がそれを確認する。
 
「ひょっとして、それって夢小路さんのことなの?」
「そうよ。私が思うに彼女は化け物退治とかやる人じゃないかな」
 確かに昨夜の利緒を見ればそう思える。だが疑問がある。その疑問を加藤が口にした。
 
「でもよ、それだったら何で彼女はもっと早くから化け物を退治しなかったんだ?」
 加藤の言うとおりだ。通り魔事件が起きてずいぶんとなるのに利緒は化け物を退治しようとはしなかった。妖気とかを感じるので
あればすぐに居場所を突き止められたはずだ。しかし、利緒が行動を始めたのは交番での殺人が人間によるものではないのではと疑
い始めてからだ。
 
「そ、それは……」
 さすがの咲樹も納得できる解答ができず口ごもった。
 
「その事は直接夢小路さんに聞けばいいんじゃないかな。彼女が何者かはまだ断言できないけど、このままこの事件から手を引くな
んて悔しいと思わない?」
 岡島達は反論しなかった。彼等も事件を解決してみせるという意地がある。それがリスクとどう釣り合うかだ。自分達が事件を解
決するには利緒の協力が不可欠である。
 
「決まったようね。できることなら今夜決着をつけたいけど、そしたら校内新聞の〆切に間に合うから」
 一同は「異議なし」と手を挙げた。後は利緒が協力してくれるかだ。
 利緒は校門から学校に至る道にあるベンチで昼寝をしていた。彼女は授業があるとき以外はよくボーっとしているか寝ているかし
ていた。咲樹達は寝ている利緒を見つけると近くまで寄っていた。咲樹が利緒を起こそうとその肩に触れようとした。その瞬間、
 
「えっ」
 いきなり利緒の左手が咲樹の右腕を掴み、左腕が咲樹の首を掴んでそのまま地面に押し倒した。咲樹は何が起こったかしばらくわ
からなかった。やがて、目が覚めた利緒があわてて咲樹の首から手を離した。
 
「何してたの?」
 利緒は非難するような眼差しを咲樹達に向けた。
 
「ごめんなさい。貴方に話があったからおきてもらおうと思って」
 咲樹は弁明に努めたが、心の中では何もあんなことしなくてもと思っていた。
 
「気をつけて。私は寝ているときに襲われても体が勝手に反応するように鍛えられているから」
「やっぱり貴方なにか武道みたいな事やっていたのね」
「それで話って何?」
 咲樹は利緒に通り魔事件の解決に力を貸してほしいと頼んだ。利緒はしばらく考え
 
「嫌よ」
 と、答えた。意外だという感じに咲樹が抗議した。
 
「何でよ」
「あれは貴方達がどうこうできる相手じゃないわ。探偵ごっこやりたいのなら普通の人間の時にした方が良い」
「で、でも」
 咲樹は利緒の意思をなんとか変えようとした。
 
「貴方はあの化け物をやっつけられるんでしょ? 私達もそれに協力させてほしいの」
「悪いけど、貴方達がいても役に立たないと思う。あの妖怪は私一人で倒す」
「妖怪?」
 あの化け物は妖怪というものか。確かに日本で化け物といえば妖怪だ。咲樹達はもっと詳しい話が聞きたいと思った。だが、利緒
はこれ以上話をするつもりはないとその場から立ち去った。
 
「なんだよ、あれ」
 利緒の態度に加藤が悪態をつく。利緒の協力が得られないとなると、今後の活動は考えないといけない。一同はとりあえず警察の
事情聴取を受けに行くことにした。
 
 
 
 事情聴取を終えた5人はそのまま通り魔の妖怪の探索に向かった。利緒は事情聴取には来なかった。嶋岡は怒っていたが、警部は
大目に見てくれた。警察はこの後動くらしい。いままで何の手がかりもなかったが、今度は犯人の似顔絵がある。その似顔絵は妖怪
が人間の時のもので、咲樹達の証言を参考に作成された。その男が桜池公園にいたということは、その近辺が奴の住処である可能性
が高く警察はそこを中心に捜索するつもりだった。今回の容疑者は一筋縄ではいかなさそうなので、SATの投入も検討されたが情
報が不確かなので今回は見送られた。
 さて、妖怪の探索に向かった咲樹達は昨夜に妖怪と出会った桜池公園に来ていた。昨夜の出来事は夢のようだった。咲樹達は妖怪
が座っていたベンチや利緒と妖怪が闘った場所を眺めた。
 
「本当、信じらんないわね」
 咲樹はボソッと呟いた。あの時、咲樹は恐怖で腰が抜けてしまった。普段、男子よりも気が強いことで有名な咲樹だけに、あの時
のことは思い出したくなかった。
 
「んで、これからどうするんだい?」
 咲樹は岡島の方を振り向いた。岡島はおどけている感じを装っていたが、表情は少し緊張している風にも見えた。加藤も清原も春
香も不安を隠しきれない様子だった。咲樹は少し考えてから口を開いた。
 
「私は夢小路さんが来るのを待ってから動いた方が良いと思う。彼女、妖怪を倒すつもりはあるみたいだし」
 つまり、利緒につきまとって彼女が妖怪を倒すところを撮影しようということだ。
 
「でも、夢小路さん私達がついていって何も言わないかしら」
 都合のいい咲樹の案に対して春香が疑問を口にした。彼女の言うとおり、利緒は咲樹達が自分と一緒に行動するのを拒否している
のだ。
 
「それに彼女がいまどこにいるかわからないじゃない」
「多分、妖怪を探しに町を徘徊してるんじゃないの」
 昨夜の状況から判断して利緒には妖怪の気を恒常的に感知する能力はないらしい。だとすれば利緒が妖怪を探し出すには地道に歩
き回って相手を見つけるしかないはずだ。
 
「だから私達も町をうろついてたらそのうち夢小路さんに会えるわよ」
「けどよぉ、もしかしたら夢小路より先に妖怪と出くわすかもしれねーじゃねーか」
 加藤がもっともな事を口にする。もしそうなれば彼等が生き残れる可能性は低い。それに対し咲樹は突き放すような口調で言った。
 
「だったらそうならないように神様にお祈りしておく事ね」
 咲樹の決意は固いようだ。まるで昨夜傷つけられた己のプライドを取り戻そうとしているかのように。それに好奇心もあった。こ
れ以上事件に関わるのを避けたがっていた岡島達が、真剣になって咲樹を止めようとしないのも未知の生物に対する好奇心が邪魔し
たからだった。一同は利緒を探すことから始めることにした。どこにいるかわからない人間を探すのだから気の遠くなりそうな話だ。
 
 
 
 その頃、利緒は町から少し離れた森に来ていた。彼女の目の前には大きな石が2つ重なっていた。利緒がいる場所は散策コースか
ら外れているため普段は誰も近寄らなかった。たまに通る人もいるが、重なった二つの石に気を止める者はいなかった。
 利緒は腰の帯を引き締めた。いつも制服ですごす利緒だが、この時は格闘ゲームの女性キャラが身につけるような変わった道着を
着用していた。一応、利緒の家系に代々伝わる由緒ある道着なのだが、そのコスプレっぽい衣装のためか利緒はなるべくこれを人前
で着ないようにしていた。咲樹達の同行を拒否したのもこの格好を見られたくないというのが少なからずあった。
 しばらくして、利緒は近づいてくる気配を感じた。その方向へと顔を向け、気配の持ち主に声をかける。
 
「来たわね」
 相手は利緒の存在に驚いてるようだった。
 
「貴方みたいな下等の妖怪は長期間個の世界に居ることができない。だから適当な人間を見つけそれに憑依する。けど、この世界に
居続けるには時々貴方達の世界の気にも触れてなければならない。その気に触れられる場所の一つがこの石ってわけ。そうでしょ?」
 男は利緒の知識に感心していた。しかし、そこまで知っているということはただ者ではないということだ。男はそうだとばかりに
頷いた。
 
「私はまだ妖気を感知して敵を探す事なんてできないけど、妖怪が行きそうな所なら見当がつく」
 そう言うと、利緒は直径30センチほどの金属らしき物でできた輪を取り出した。男はすでに妖怪に変身していた。体中から刃が
生えている。利緒は妖怪に向かって宣言した。
 
「私は天真流妖撃術35代目夢小路利緒。貴方を倒す者です」
 妖怪は利緒に向かって突進してきた。昨夜の戦闘で妖怪は利緒を完全になめていた。体中から刃が生えている奴には格闘技は通用
しない。だが、利緒は少しも慌てることなく持っていた輪を相手に投げた。
 
「空封輪!」
 空封輪という輪は物凄いスピードで妖怪に命中し相手を吹っ飛ばした。空封輪はブーメランのように利緒の手に戻った。
 
「勝負あったようね。一気にケリをつけてやる」
 利緒は再び空封輪を投げた。すると妖怪は自分の体から生えている刃を引き抜いてそれを投げた。刃は空封輪と激突して粉砕され
たが、空封輪をはじき返すことに成功した。
 
「チッ」
 利緒は舌打ちして戻ってきた空封輪をキャッチした。妖怪はさらに刃を抜いて利緒に投げてきた。利緒は向かってくる刃を空封輪
で弾き返した。だが、男は刃を抜いては利緒に投げてきた。刃を抜かれた箇所にはまた別の刃が生えていた。休むことなく刃を投げ
てくる妖怪に利緒は防戦一方となった。妖怪の投げる刃は普通のナイフ投げよりもはるかにスピードがあった。利緒は隙をみて反撃
を加えた。
 
「はっ!」
 利緒の掌から発せられた衝撃波は妖怪を吹っ飛ばした。しかし、妖怪はすぐに立ち上がり攻撃を再開した。衝撃波程度では妖怪に
さしたる打撃を与えることはできなかった。利緒は懸命に刃を回避するがそれにも限界があった。利緒は次第に追いつめられていく
状況に焦りを感じ始めた。
 
(気を集中する時間があれば……)
 妖怪を倒すには気を使うしかなかった。だが、いまの利緒では妖怪を倒すだけの気を集中させるのに時間がかかった。
 
(いちかばちか)
 利緒は飛んでくる刃を紙一重でかわすと、バランスを崩したふりをした。それを狙って妖怪が刃を投げてきた。刃は利緒の胸に突
き刺さった。
 
「うぐっ」
 利緒は胸を庇うようにして屈み込んだ。血がポタポタと地面に滴り落ちた。利緒は苦悶する表情で妖怪を見上げた。妖怪は勝ち誇
っているようだった。妖怪は自分の体から刃を引き抜くと、利緒にトドメを刺そうと近づいてきた。利緒は黙ってそれを見ていた。
それまでになく緊張しているのが自分でもわかる。だが、次の瞬間、妖怪は突然の強烈な光に目が眩んでしまった。思わず刃を地面
に捨ててしまった。
 悶える妖怪に利緒は光の正体を見せた。それは空封輪に込められた利緒の気だった。利緒は刃を空封輪で受け止めていたのだ。流
れ落ちた血は利緒の左腕からのものだった。つまり、妖怪は利緒にまんまと引っかかったのである。怒りを露わにする妖怪。だが、
もはやどうすることもできなかった。
 
「これでお終いよ。往生しなさい」
 利緒は冷酷に言い放つと、空封輪を妖怪に叩きつけた。眩い光が放たれ妖怪は断末魔の叫びを残して消滅した。
 
 
 
 
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