12月23日。僕は独りでとある無人駅にいた。一緒にいるはずの先輩はどうしたかって? 答えはここには
いない。そう、僕は一人で先輩の田舎に向かっているのだ。先日の先輩の言葉は正しくは「私の代わりに田舎に
行ってくれない?」だったようで、ちゃんと話を聞かなかった僕も悪いが何で他人を自分の代わりにしたんだろ
う。誰もがいだくであろう疑問に先輩はこう答えた。
「だって、君はヒーローになりたいって言ってたでしょ」
言った。確かに言いはした。だが、それは小さい頃になりたいと思っていたものだ。いまは、それなりの大学
に行って、それなりの企業に就職できたらそれでいいと思っている。それに、ヒーローと先輩の田舎に僕だけが
行くのとどう関係があるんだ?
「それは行ってみたらわかるよ。君ならきっとヒーローになれるさ」
どういう意味だ? 訝る僕に先輩は「とにかく行けばわかる」と半ば無理矢理に僕を送り出したのだ。意味が
わからないまま僕は電車を乗り継ぎこの無人駅に到着したわけだが、そこから先輩の実家に行くには1日に数本
しかないバスに乗って、さらに最寄りのバス停から20キロの距離を移動しなければならない。幸い、迎えの車
が来てくれたので、楽して移動することができた(でなければ絶対に行かない)のだが、てっきり軽トラックみ
たいなので来ると思っていたら、何とロールス・ロイスが来たではないか。まさか、それが迎えとは思わなかっ
たので、近くに停車しても何もリアクションを起こさなかったが、運転手の兄ちゃんに名前を呼ばれてびっくり
した次第である。
おそらく僕が生涯購入することは無いだろう高級車を運転する青年は先輩の従兄だそうだ。先輩のことをいろ
いろと教えてくれた。とにかく元気いっぱいで、お淑やかとはちと無縁の少女だったそうだ。基本的に良い子な
のだが、嫌なことは他人に押し付ける困った面もあったようで、僕はそれに引っかかりを覚えた。嫌なことは他
人に押し付ける? もしかして、僕は先輩に嫌なことを押しつけられたのではなかろうか。だって、先輩の代わ
りで来たんだもんな。でも、先輩が嫌なことってなんだろう。不安になっているうちに、車は長いトンネルを抜
けて先輩の実家がある村に入った。
先輩の田舎はやっぱりというか何というか田舎だった。トンネルに入る前もたいがい田舎だが、それに輪をか
けて田舎だった。電車も通らないし、バスもタクシー走っていない。民家もまばらで、先輩の従兄いわく人口は
50世帯だいたい350人だそうだ。住民のほとんどが農業や林業、畜産業に携わっている。消防署も駐在所も
無い。ただ、気になるのはボウリング場や映画館、バッティングセンターにテニスコートといったスポーツ・遊
戯・娯楽施設にヘリポートやセスナが離着陸できる程度の小さな飛行場があることだ。映画館とか確実に赤字経
営だと思うが。それと、温泉もあるそうなのだが、外部から湯治客が来たことは一度も無いらしい。
「見てのとおりの田舎だが、遊ぶ場所も結構あるから退屈はしないぞ」
初めて訪れる僕のために先輩の従兄は村中を回ってくれたが、確かに村の規模の割にはいろいろある。僕は客
が少ないのに採算が取れるのかと訊いてみた。
「まあ、普通なら大赤字だな。ここは普通じゃないからやっていけるのさ」
どういう意味だろう?
「そのうちわかるさ」
そのうち、ね。別に知りたくもないが。一通り、村を見て回った後、車は先輩の実家に向かった。先輩の実家
は他の民家よりも一回り大きかったが、古い日本建築であることに違いはなかった。ロールス・ロイスが腰を落
ち着けるようなところではない。が、それでも僕の家よりかは十分に立派だ。ガレージに車を置きに行って戻っ
てきた先輩の従兄に連れられて玄関に入った僕は先輩の家族と親戚一同の出迎えを受けた。なんか厳しそうな先
輩の祖母を筆頭に、先輩の両親・先輩の兄弟姉妹・先輩の叔父・先輩の伯母・先輩の甥・先輩の姪・先輩の従妹
・先輩の再従姉・先輩の三従弟・先輩の四従姉の出迎えは数が多いだけに圧倒される。先輩の従兄によると、夜
になれば僕の歓待パーティーのためにさらに集まるという。何のために来たのかわからない僕としたら、歓待の
規模が大きいほど不安になる。一応、ここはお招きいただきましてと挨拶しておこう。
「孫より話は聞いています。遠いところからよく来てくれました」
そう言いながら、先輩の祖母は僕を品定めするようにしげしげと見た。
「ふむ」
何がふむ、なんだろう。なんか、頼りないけど仕方ないかって感じ。言っておくが、僕は来たくて来たわけで
はない。多分、年末の大掃除とかなんかの人員として来させられたんだろうと思う。まあ、見た感じ金は持って
そうだし、先輩の紹介ならアルバイト料も弾んでくれるだろう。日給15000円で手を打とう。文句あるか?
15000円では割に合わない仕事をさせられるとわかるのはまだ先のことだ。
その夜、先輩の実家では盛大な宴が催された。先輩の親戚筋だけでなく、村人たちも大勢やってきていた。僕
の歓待パーティーだというが、たかが高校生一人をもてなすのに村人総出はちとやりすぎだと思う。気になるの
は、やってくる来訪者が僕にがんばれだの、この村のいや日本の未来は君にかかっているだの、わけのわからな
いことを言ってくることで、僕には一体何のことかさっぱりだ。誰かに訊いても、そのうちにわかるという返答
しか返ってこない。まあ、御馳走が鱈腹喰えたから文句は無いけどさ。ただ、未成年に酒を勧めるのは勘弁して
もらいたかった。断ろうとすると、
「俺の酒が飲めないってのか!」
って怒ったりするから、しぶしぶ飲んじゃったりするんだけど、それが一人や二人ぐらいならまだしも何十人
も飲酒を強引に勧めてくるから、飲酒経験の無い僕が前後不覚になるのは至極当然のことだろう。僕は次々と襲
いかかるアルコールに敗北を喫して酔いつぶれてしまった。
気がつくと、僕は自分がのっぴきならない状況にあることを知った。体は大の字に拘束され、シーツが上から
かけられていたが、その下の僕の体には下着すら着いてなかった。まったく、状況が理解できない。混乱する僕
に数人の男が顔をのぞかせた。お医者さんが手術の時に着る服を着用している男たちは皆顔に不気味なペイント
をしていた。
「お目覚めかね?」
生まれて以来、こんな最悪な目覚めは初めてだ。僕は男たちに説明を求めた。
「君の体は我々が改造した。もう、その体は以前までの君の体ではない。君は改造人間となったのだ」
男の一人はそう説明したが、それで理解できるかと問われれば100人中100人が否と答えるだろう。改造
人間だって? 頭に虫が湧いているんじゃないか?
「ふふふふふっ、そんなの信じるられるかって顔をしているな。いいだろう、証拠を見せてやる。いまの自分の
体を見ればいやでも信じるだろう」
男が僕の全身を覆い隠しているシーツに手をかけるのを見て、僕は先輩が言っていた言葉を思い出した。
(君ならきっとヒーローになれるさ)
あれって、こういうことだったのか? 謎の組織に捕まって改造手術を施され、何らかの方法で脱走してただ
一人悪と戦うことを誓う。シーツで隠されて見ることのできない自分の体が変わり果てた姿になっているのを想
像して僕は顔面蒼白となった。腰にベルトをしていたらどうしよう。男がシーツを一気に剥がして露わになった
自分の体に、僕は想像していたのとまったく違う変わりように唖然となった。
僕はいまタクシーの中にいる。あれから隙を見て脱出に成功した僕は通行人から服と財布を奪って村から逃げ
てきたのだ。もう、何がなんだかわからない。わかったのはいまが大晦日であること(つまり僕は一週間ぐらい
寝ていたということになる)と、村全体が謎の組織であることだけだ。ってことは先輩も組織の一員となる?
改造人間となる人材を物色するために派遣されて、運悪く僕がその目に止まってしまったということか。でも、
先輩は僕がヒーローになれるって言っていた。悪の手先はそんな事は言わない。もしかしたら、先輩は良心に目
覚めて組織を脱退する決意をしていたのかもしれない。そして、人類の平和を守るために組織と戦う道を選んだ。
うーむ、もしそうだとしても僕を巻き込むのはやめてもらいたかった。何度も言うが、ヒーローとかに憧れてい
たのは遠い昔のことだ。いまならヒーローになっちまったらものすごく苦労するだろうなと思うからなりたいと
は思わない。先輩に会ったら問い詰めてやろう。それにはまずタクシーでできるだけ遠くの駅に行って、そこか
ら電車で僕の家がある市まで帰らなければならない。なぜ、最寄りの無人駅からにしないかと言うと、こんな夜
遅くではたとえ電車が走ってたとしても無人駅には停車しないだろうし、何より謎の組織がすでに手をまわして
いるかもしんないからだ。だから可能な限り遠くの駅まで行った方がいいと判断したのだが、謎の組織はそんな
に甘くはなかった。
タクシーで移動を始めてから90分ぐらいが経過した時だった。にわかに車が混み始めて渋滞となったのだ。
タクシーの運転手によると、この道は車もそれなりに通行するがこんなに渋滞になることは無いという。なんか
事故か工事でもあったのかなと思っていたら、警察が検問していたのだ。飲酒とかの検問かな? それとも凶悪
犯が逃亡しているとか? いずれにしても僕には関係ない。あの村での追い剥ぎぐらいではこんな検問はしない
だろうし、何より早すぎる。だから、何も心配せずに安心しきっていた。やがて、警官の一人が僕が乗っている
タクシーに来て僕が座っている側のサイドガラスをコンコンと叩いた。なぜ、運転手を無視をするのかと不思議
に思いつつ顔を見せると、警官は写真らしき物と僕の顔を見比べて僕に車から出るように指示した。 どうして?
と訊くと、警官は持っている写真を僕に見せた。それに写っている人物に僕は息を呑んだ。写真の人物は改造後
の僕だったのだ。
警官に車から降りるように指示された僕は大人しく指示に従った。そのためか手錠をかけられることはなかっ
た。未成年に対する配慮だろうか。しかし、そんなことはどうでもよく、問題はこいつらが本当に警察官かどう
かだ。あの村に行く前の僕の写真ならともかく、改造人間となってしまった僕の写真なんて警察はどこから入手
したんだ? それは、こいつらが偽警官だとしたらおのずと答えは出てくる。謎の組織が警察に成り済まして検
問を設置して僕が網にかかるのを待っていたのだ。あの村から先回りして待ち伏せしたとは考えられないから、
多分支部みたいのが幾つかあるのだろう。
どうする? 自問自答してみる。このまま謎の組織のアジトに連れ戻されたら僕は脱走者として処刑されるか、
脳改造を受けて完全な悪の改造人間にされてしまうかどちらかの運命をたどることになる。といって、ここで抵
抗しようにもいまの僕には何の力も無いように思える。むしろ、前よりも弱くなっているのではないか? ここ
は大人しく様子を窺って隙を見て逃げることにしよう。と、機会を窺っていると見覚えのある黒塗りの車が警官
に誘導されてこっちに来た。僕のすぐ近くで停まった車から降りてきたのは、見覚えのない30代ぐらいの背広
の男性だった。警官らがビシッと敬礼していることからして、それなりに高い地位にある人物と推測できるが、
男が僕の名前を口にした瞬間、僕は脱兎のごとく逃げ出した。隙を窺ってと思っていたが、そうも言ってられな
くなった。だが、向こう側も完全に虚を突かれたらしく、ワンテンポ対応が遅れてしまっていた。
「追え!」
男の命令で警官たちが追いかけてくるのが見えた。僕は必死になって逃げた。夜陰に紛れてしまえば逃げ切れ
るチャンスはある。そう自分に言い聞かせてひたすらに走った。だが、空腹と疲労ですぐにペースがダウンした
僕は追いかけてきた警官に捕捉されてしまった。激しく抵抗するも、数人がかりで抑えつけられているためどう
しようもなく、僕はさっきの男の元に引っ立てられた。さっき激しく抵抗したためか、両腕が背中で斜めになる
ように手錠をかけられているので、せめてもの抵抗として男を睨みつけてやると男は僕からを顔を背けて部下た
ちに命じた。
「連れて行け」
僕はパトカーに押しこめられ連行された。まさか、人生のかなり早い段階でお上の御用となるとは思いもよら
ない事態であり、普通なら親不孝極まりないことなのだが、それはこの警官たちが本物ならの話だ。こいつらは
謎の組織が変装しているんだ。僕は走行中のパトカーの中でどうにかして逃げられないか思案した。このままで
は奴らのアジトに連行されて脳改造を施されてしまう。そうなれば世界は奴らの手に落ちる。人類の未来を守れ
るのは僕しかいないんだ。でも、いまのぼくには何の力もない。奴らと戦うには変身する必要があると思うのだ
が、変身の仕方がわからない。一体、どうすれば……。先輩の事も気がかりだ。組織を裏切ったとあれば先輩は
命を狙われてしまう。一刻も早く、ここから逃げて先輩のところにいかないと。改造されて人間としても180
度変えられてしまった僕にはもう先輩しかいない。これから奴らと戦っていくのに先輩のサポートは欠かせない。
後にして思えば、この時の僕は妄想が激しすぎたと思う。もうすっかり悪の組織に立ち向かう正義のヒーローの
気分でいたのだ。やっぱりヒーローはいいね。まあ、この姿に改造された意味は少し理解しかねるが、まだ人間
態であるだけ良しとしよう。
パトカーはあの長いトンネルを経て先輩の実家がある村に入った。やはり、この警官たちは謎の組織の一味だ
ったのだ。このまま僕が改造された部屋があるアジトに連れて行かれるのかと思ったが、パトカーは先輩の実家
の門の前で停まった。なんで? と思っていると隣に座っていた警官が僕の手錠を外して車から降りるように促
した。わけがわからず言われたようにすると、パトカーは僕を置いて走り去って行った。てっきり、アジトに連
れて行かれるとばかり思っていたのに。こんなところで降ろされて僕はどうしたらいいんだ? とりあえず家に
入るか? でも、この家の連中も謎の組織の一味だろうから迂闊には入れない。それに、身内に裏切り者を出し
てしまったのだ。汚名を注ぐためにも僕を目の敵にしていることだろう。それか、裏切り者を出した責任を問わ
れて、この家の人たちは見せしめのために皆殺しになっているのかもしれない。それなら、ここでパトカーが僕
を降ろした理由もわかる。皆殺しにあった人たちを見せることで組織に立ち向かうことの無謀さを知らせる魂胆
だ。だが、お生憎様だ。すっかり正義のヒーローの気分でいる僕には残虐非道な組織への義憤の気持ちでいっぱ
いだ。人類の平和を脅かす悪の組織との戦いを改めて誓う僕に、背後から水を差すように誰かが呼びかけてきた。
驚いて振り返ると、先輩が心配そうな顔で立っていたのだ。
「どこ行ってたのよ。いなくなったって言うから心配したじゃない」
僕は唖然としていた。なんで、先輩がここにいるんだ? 駄目じゃないですか。こんなところにいたら奴らに
捕まってしまいますよ。
「奴ら? 奴らって誰の事言っているの? それよりかさ家の中に入りましょ。風邪をひくわよ」
そう言って家の中に入ろうとする先輩を僕はただ茫然を見ていた。
「どうしたの? 早く来なさい。皆、楽しみにしているわよ。貴方の新しい姿をね。思っていたより可愛くして
もらったじゃないの」
もう、何が何だかわからない。なんで、先輩はこんなに落ち着いていられるんだ。いつ、組織からの刺客が現
れるかわからないのに。それと、先輩は改造されてから一度も会っていないのになんで僕だとわかったのだろう。
あまりにも予想外のことが起こりすぎて僕の頭の中でハツカネズミが滑車を回しているような感じだ。頭の中の
混乱が許容限度を超えてしまった僕は頭を抱えてその場でしゃがみこんでしまった。
「ど、どうしたの?」
先輩があわてて駆けよるが、僕は頭をブンブンと振って先輩を拒絶した。もう誰が敵か味方かわからなくなっ
ていた。世界征服をたくらむ悪の組織とこれから戦っていかなければならない僕にとって、信用できる仲間がい
るかいないかは死活問題なのだ。いままで味方だと思っていた先輩が悪の組織から抜けていなかったとしたら僕
は完全に孤立してしまう。独りで巨悪と戦う勇気なんて僕にはない。自分にどんな力があるかさえまだわかって
いないのだ。混乱して頭の中の回路がショートしてしまうのではないかと思った時、不意に先輩が僕を優しく包
むように抱きしめた。
「ごめんね。まだ何も言ってなかったわね。本当にごめんなさい。でも、大丈夫だから、ね?」
僕は顔をあげて先輩の顔を見上げた。
「明日、ちゃんと話してあげるから家の中に入りましょ。このままでは風邪をひくわ。ね? お願い、私を信じて」
そう優しく語りかける先輩に、僕は情けなくも涙があふれてきた。それまで泣きたいのを堪えていた僕は堰を
切ったように先輩の袖を掴んで号泣した。
文字通り涙が涸れるまで泣き続けた僕は気分が落ち着くと、先輩に促されて家の中に入った。とっくに日付は
変わっていて新年を迎えていた。先輩の家族や親せきはほとんどがすでに床についていたが、先輩の御両親だけ
は起きていて僕のために握り飯を作ってくれていた。それを見た途端、僕の腹がグーッと鳴ってしまった。そう
いや、目を覚まして以来何も食べていなかった。僕は顔を赤くしながらも握り飯を頬張った。腹が減っていたか
らだろうか。握り飯がおいしいと思ったのは初めてだ。
満腹になって緊張状態も解れたことで僕は急に眠たくなった。僕の寝床はちゃんとしてくれているらしいので
もう寝ることにした。先輩にはいろいろ訊きたいことがあるが、それはみんな明日にしよう。そう思い、ダイニ
ングを出ようとすると先輩が僕を呼びとめた。
「ちょい待ち」
何だろうと思い振り返ると、何か企んでそうな先輩の笑顔があった。
「寝る前にお風呂に入らないと駄目だよ」
それはそうだと僕はお風呂に入ることにした。別にここまではいい。問題は先輩がとんでもないことを言った
ことだ。
「私も一緒に入るから」
僕は一瞬、体がフリーズしてしまった。先輩の両親に目をやると、娘のとんでもない発言に何の反応を見せな
かった。
「照れることないよ。こないだまでの君となら大問題だけど、いまの君ならノープロブレムだよ」
僕に顔を近づけた先輩が視線を下に移していくのにつられて僕も下に目をやる。そうか、僕は改造されたんだ
っけ。でも、まだ僕はいままでの僕でいたかった。だが、先輩は強引に僕の腕をつかんで風呂場に連行した。
「恥ずかしがることないさ。私がちゃんと体の洗い方を教えたげる」
先輩は嫌がる僕の服を全部剥ぐように脱がせると風呂場に放り込んだ。改めて自分の体を見て、もう前の自分
ではないことを嫌でも認識させられた。やがて、同じように服を全部脱いだ先輩が入ってきたが、以後のことは
こっ恥ずかしいので割愛させていただく。
ようやく、先輩から解放された僕は自分の寝床に潜り込むと同時に寝てしまった。多分、0.93秒を下回っ
たことだろう。名字と名前の二文字目が同じの永遠の小学4年生のメガネ少年を抜いて世界記録を更新したのは
確実だ。残念なのはギネスに布団に入ってから完全に寝入るまでの時間が短いという記録が無いことだ。
先輩の実家で夜食をごちそうになったのが午前2時を過ぎたあたりだったから、寝たのは3時ぐらいだったと
思う。だから、早起きなどとても不可能なのは御理解いただけると思う。しかし、僕はわずか3時間で叩き起こ
されることになる。
最初は地震かと思った。大きく家が揺れたからだ。しかし、すぐに疑問が頭をよぎる。こんなところでだと?
地域的にありえない規模の地震の大きさに疑問を感じていると、ドタドタと先輩が慌ただしく駆けつけてきた。
「起きている?」
僕はうんと頷いた。
「寝不足のところ悪いけど、すぐに来て!」
いつになく真剣な先輩に僕は言われるがままについて行った。家の外に出た僕は、自分の目を疑う光景を目の
当たりにした。外はまだ暗かったが、それでも視認できた。怪獣だ。四足歩行の怪獣みたいな大型の生物が暴れ
ているのだ。なんなんだ、あれは?
「あれが、あなたが改造された理由よ」
と先輩が教えてくれたが、意味がわからない。
「あれと戦うには力がいるの。あれの皮膚を破って肉体にダメージを与えるには銃やロケット弾程度では駄目。
そのために私たちはずっと以前からあれと戦うための研究をしてきたの」
それが、僕が受けた改造手術か。でも、なんで僕なんだろう。僕は知能指数600でもなければスポーツ万能
でも無い。免許が無いからオートバイにも乗れない。それに、僕をこんな体に作り変える理由もわからない。
「ちょっとまだわからない事だらけだと思うけど、いまあれを倒せるのはあなたしかいないの。本当はこれから
特訓して力をつけていってもらいたかったんだけど、予測よりもかなり早く出てきちゃったから大変だけどがん
ばって」
がんばれってどうがんばればいいんだろう。疑問符が頭上を飛び交っていると、先輩がパチンと指を鳴らした。
すると、家の中から先輩のいとこ姪が紙袋を持って出てきた。僕に差し出したので受け取って中を取り出してみ
た。衣装とベルトだ。ベルトのバックルには風車がついている。
「それが、あなたの戦闘服よ。早く、着替えて」
着替えてって、変身して戦うのじゃないの? あんな大きいのが敵なら、銀色巨人に変身するとばかり思って
いた。
「そんなことできるわけないでしょ。変身なんて特撮物の見過ぎよ。それに、もう改造されてるのに変身する必
要なんてないじゃない。いまは、訓練してないから何の力もないけどね。まさか、こんなに早く出てくるなんて
予想外だったから。でも、そういうこともあるだろうと思って用意したのがこれ」
こんな服とベルトが何の役に立つんだ?
「論より証拠。とりあえず着てみて。時間が無いからここでね。大丈夫、私とこの子しかいないから」
この先輩の発言に対して当然僕は耳を疑う。嫌ですよ。こんな道の真ん中で。躊躇する僕に先輩は実力行使に
出た。無理矢理、僕を脱がしにかかったのだ。
「ほら、早く脱いで」
僕はあっという間に下着姿にされてしまった。先輩がこんな痴女だったなんて知らなかった。いや、それ以前
に寒い。このままでは凍え死にしそうなので、急いで先ほどの衣装に着替えてベルトもつけた。これで、少しは
マシ・・・にはならなかった。生地が薄いうえに肌を晒している部分が多いからだ。ガクガク震えながら僕は先輩を
うらめしそうに見た。そのコート貸してくださいよ。
「いやよ。私が寒いじゃない」
一蹴されてしまった。文句を言おうにも寒さでうまく言葉が発せられない。
「ベルトのバックルの上に小さいボタンがあるでしょ。一番右のを押してみて」
ベルトに目をやると、確かにボタンが幾つか並んでいる。先輩が指定したボタンを押してみると、急に体が温
かくなった。次にその隣のボタンも押すように指示されたので押すと、先輩の実家の車庫がある方から誰も乗っ
ていないバイクが来た。
「これが貴方のバイクよ」
あなたのって、僕は免許なんて持ってませんよ。それに、このバイクはどう見ても高校生が乗れるレベルのも
のではない。こんなのいきなり出されても乗りこなせない。
「大丈夫よ。そのバイクには人工知能が搭載されているから。指紋と声紋を登録すれば、貴方の忠実な専用バイ
クになるわ」
日本の技術はそこまで進歩していたのか。僕はとりあえずシートに跨ろうとして、ヘルメットが無いことに気
付いた。先輩に尋ねると、
「さきに指紋と声紋を登録してみて」
と言うので登録してみると、いきなりバイクが喋り出した。
「しもんトせいもんヲかくにんシマシタ。つぎニわたくしノなまえヲせっていシテクダサイ」
名前? 思わず先輩の方を見る。好きな名前をつけてと言うので、ちょっと考えて名前をつけると、バイクの
シートが開いてヘルメットが出てきた。
「ヘルメットにはインカムがついているから離れた場所からでも私と通信できるようになっているわ。それから・・・」
先輩は僕に折りたたまれたガトリングガンを渡した。半分に折りたたまれているだけなので、簡単に組みなお
すことができた。
「そこに1,2,3のボタンがあるでしょ。1,3,2の順番で押すとセーフティが解除されるから」
言われたようにした。何の反応も無いけど。試しに怪獣に向けてトリガーを引いてみる。何も起こらない。
「まだ充電してないからよ。そのコードをあなたのベルトのバックルのその穴、そうそこね、そこに差しこんで」
差し込んだ。
「早く、バイクに乗って。まずバイクを走らせてベルトの風車に風を送り込むの。風車が回ることでエネルギー
が発生して充電ができるようになるから。大丈夫、自動運転だからあなたは乗っているだけでいい」
乗っているだけって簡単に言ってくれる。そんな不満が顔に出てしまったのだろう。先輩が顔を近づけてきた。
「無理を強いているのはわかっている。こんなことに巻き込んで悪いと思っている。でも、あなたしかいないの。
あなたしか人類を守れる人がいないのよ」
そんな哀願する顔をされたら何も言えない。僕は覚悟を決めることにした。先輩と先輩のいとこ姪に避難する
ように言うとバイクに発進を指示した。
「りょうかいシマシタ」
バイクが走り出して、向かい風を受けてベルトの風車が回り始めた。僕はガトリングの銃口を怪獣に向けてト
リガーを引いた。赤い光の弾が連続して発射された。標的がでかいだけに当たりやすいのだが、致命傷には程遠
い感じだ。他に武器は無いのか? パネルに武器を表示させた。後ろに垂直発射のミサイルがあるらしい。全弾
発射。10発のミサイルが一斉に発射されて怪獣に襲いかかるが、1発がそれて民家を直撃しまった。しまった。
人がいたら大惨事だぞ。と、ここでようやくあることに気付いた。人が見当たらないのだ。気が動転していて先
輩の家族・親戚一同が全然見えないことに気付かなかった。通信で先輩に訊いてみた。
『皆、地下に避難しているから心配しないで』
地下? 先輩によると、この村には怪獣が現れた時にすぐに逃げられるように各家に地下への避難通路がある
らしい。地下か。防空壕みたいなものかな? この時は地下施設について深く考えている暇はなかった。怪獣が
こっちに向かってきたからだ。僕はガトリングの銃口を怪獣に向けて猛射した。だが、怪獣はそれをものともせ
ずに突進してきた。僕はあわててバイクに逃げるように指示した。逃げながらも攻撃は怠らない。バイクの後部
ロケット弾を発射する。2発発射して全部命中したが、全然堪えてはいないようだ。当然だ。標的がでかすぎる。
怪獣を倒すには火力が低すぎる。怪獣が熱線を吐かないのはありがたい。逃げ回りながら攻撃を続けて徐々にダ
メージを与えるしかない。幸いなことにガトリングの弾数は無限だ。時間をかければ倒すのは不可能ではない。
だが、それは甘かった。怪獣には尻尾があるのだが、太いものの短いためそれを振り回して攻撃するには不向き
だ。だから、僕も尻尾には特に注意していなかった。それが、突然幾本もの長い触手に変わった時には正直びっ
くらこいた。僕はあわててバイクに回避を命じたが遅かった。あっという間に触手に絡めとられてしまった。身
動きがとれない僕にさらに別の触手が首に絡みついて締め付けた。最初は窒息させるつもりかと思ったが、もの
すごい力で締め付けるので首の骨を折るつもりらしい。何とか逃れようともがくが、完全に体の動きを封じられ
ている。インカムから先輩の必死に呼びかける声が聴こえるが、返答することもできない。触手はさらに首を締
め付ける。僕は死を覚悟した。やはり僕にヒーローなんて無理だったんだ。僕は怪獣の背中から100mぐらい
上空で仰向けに大の字の状態で拘束されている。すべてを諦めた僕の脳裏に走馬灯が浮かび上がる。
父さん……「なんだ?」
母さん……「なあに?」
弟……「兄ちゃーん」
ついでに犬のポチ……「俺はついでかーっ」
もう、僕は死ぬんだなと、やけに落ち着いた気分になる。
『諦めないで。きっと何とかなるから』
先輩はそう言うが、僕が助かる方法を具体的には示せていない。こんなの僕にやらせるより、自衛隊を出動さ
せた方が良かったんじゃないのか。今更言ってもしょうがない。僕の首は触手がもうちょっと力を込めると、ボ
キッと折れてしまうぐらいになっていた。もう本当に駄目だと思った時、東の空が明るくなったことに気付いた。
初日の出だ。初日の出なんて初めて見た。人生最後の瞬間に初日の出を拝みながら逝けるなんて、なかなかオツ
なもんじゃないか。と、急に体が熱くなりだした。同時に体の底から力が湧きあがる感じがする。気のせいか?
いや、ちがう。なんなんだ? この力は。次の瞬間、僕に絡みついていた触手が全部吹き飛ばされ、間髪いれず
僕は右腕を前に垂直に曲げて、左腕を前に水平に曲げて、左腕の指先が右腕の肘にあたるようにした。すると、
垂直にした右の前腕部から光線が発射されて怪獣の頭に命中した。怪獣の頭に大爆発が生じて、怪獣は悲鳴をあ
げながら倒れた。やった、と喜ぶ余裕は無い。僕は真っ逆さまに落下中だ。このままでは地面に激突してしまう。
結局はこうなるのかよ。僕は運命を呪った。が、人生そんなに捨てたもんじゃない。助走つけて大ジャンプした
バイクが見事に僕を捉えてくれたのだ。この時、股間がシートに強くぶつけられたが、改造されているので問題
はない。この時初めて改造されて良かったと思った。僕はバイクのおかげで無事に着地することができた。
「オけがハアリマセンカ」
ありがとう、助かったよ。僕はバイクを撫でてやると、倒れ伏したままピクリとも動かない怪獣に視線を向け
た。死んだ……のか? 僕は試しに落ちている石を拾って怪獣に投げてみた。石が当たっても怪獣は反応しなか
った。どうやら、本当に死んだようだ。いやはや、勝ったというよりも、生きているという安堵感が先にくる。
でも、さっきの力はなんだったんだろう。怪獣を一撃で倒せるものすごい力。服も金色に輝いている。先輩に訊
いてみた。
『ちょっとわかんないわね。あなたの着ている服は太陽光をエネルギーにしてくれる機能があるけど、あれほど
の力が出せるなんてちょっと考えられない。初日の出だったからかな? 普通の日の出じゃない、1年に1度の
日の出だから通常では考えられない力が出た。そんなところかな』
なんにせよ、勝ったから問題なしだ。
『まだ、終わってないわよ。ほら、ちゃんと見て』
怪獣を見るのか? 死体なんか見て・・・・・・なに? 怪獣の皮膚の一部が盛り上がったぞ。怪獣の体内から何か
が出ようとしている感じだ。やがて、怪獣の皮膚を突き破って等身大の怪人がでてきた。もう全身の力が抜け切
るって感じだ。一難去ってまた一難。さっきまであった力も無くなっているし、服の輝きも失っている。ガトリ
ングガンがあれば良かったのだが、さっきの触手に壊されてしまっている。体力的にも精神的にも消耗しきって
いる。まずいな、こりゃ殺されるぞ。今度こそ駄目かなと諦めていると、先輩から通信が入った。
『ベルトの左から2番目のボタンを押して』
言われたとおりにすると、ベルトの風車の回転がすごく早くなった。
『そのボタンはね、あなたのパワーを最大にしてくれるの。身体的能力が数倍にもなるわ』
確かに力があふれてくる感じがする。これなら、あの大きさの敵なら倒せるかもしれない。やってみるか。と、
その前に怪人がジャンプした。こっちに襲いかかろうとしているのだろう。僕もジャンプする。驚くべきことに
僕は十数メートルもジャンプしたのだ。そして、怪人と同じ高度になったところで一回転して相手の腹にキック
をヒットさせた。怪人は真っ逆さまに落下して地面に激突したが、息の根を止めるまでには至らなかった。僕は
着地すると、すぐにバイクに飛び乗った。そして、よろよろと足下がおぼつかない怪人にバイクの前方に取りつ
けられている2丁の対物ライフルを発射しながらバイクを全速で走らせた。時速400キロの体当たりに弾かれ
た怪人はなおも立ち上がるが、僕は容赦なくそれにバイク後部の連装機関砲を撃ちこんだ。それでも、死なない
ので再びバイクを走らせて今度は前輪を浮かせて、怪人の頭部にバイクの前輪をぶつけた。たまらず倒れる怪人
の上を僕は何回もバイクを走らせた。最後に僕は虫の息になっている怪人にバイクから抜いたガソリンをかけて
火をつけた。これで怪人は完全に死んだ。
『お疲れ様。あなたを選んだ私の目にやはり狂いはなかった。ありがとう、あなたは立派なヒーローよ』
先輩が労いの言葉をかけてくれた。その労いの半分はバイクに向けられるべきだろう。バイクがなかったら僕
は勝てなかった。ありがとうよ。
「イイエ、アナタノめいれいニしたがッタダケデス」
謙遜しなくていいよ。君は世界一のバイクさ。
「アリガトウゴザイマス。アナタモさいこうノらいだーデス」
世辞はいいよ。僕は無免許だ。完全にルール違反さ。無免許運転がバレないかと少し心配していると、いつの
間にか来ていた先輩が声をかけてきた。
「それは心配しなくていいよ。国から特例として認められているから」
国って、国が関係していたのか? それは意外だ。
「当たり前でしょ。こんなこと田舎の村だけでできると思う? この村の人たちは皆、秘密公務員なのよ」
秘密公務員? そんなのがあったのか。
「この村にはね、昔からああいう巨大な未知の生物が時々出没するのよ。私たちは先祖代々それと戦ってきたの。
本当はね、私が戦わなきゃならなかったんだけどさ……」
と先輩はにっこり微笑んで、
「死ぬの嫌じゃない? だから、君に代役を頼んだんだよ。君を選んだ私の目に狂いはなかったわけだね。だっ
て、あんなに強かったし、それに……」
と今度はやらしい笑みを浮かべて、
「こんなに可愛いんだから」
僕に抱きついてきた。ちょっとやめてくださいよ。
「いいじゃない。私、可愛いのに目がないのよ。ああ、本当に可愛いわね」
美人の先輩と体を密着できているのは僕としても決して嬉しくないわけではないが、やはり人の目が気になる
じゃないか。僕たちの周りには地下から出てきた村人たちが集まっていた。ほら先輩、皆が見てますよ。
「もうちょっと遊びたかったのに」
僕は先輩の玩具じゃないですよ。そう言うと、先輩は僕から離れて、
「そうね。君はヒーローだもんね。さあ皆、私たちの、いえこの国のヒーローを胴あげしましょ!」
「おおう!」
先輩の号令で村人たちが僕に向かってきた。僕は否応なく体を持ち上げられ、何回も宙を舞った。胴上げなん
て初めてだから照れくさくてしょうがない。でも、悪い気はしないね。ただ……
「ヒーロー万歳、ヒーロー万歳」
と皆が連呼するのは間違っていると思う。だって、僕はヒーローじゃない。正しくはヒロインだ。先輩はヒー
ローになれたねと言っているが、ヒロインなんだよね。もう、苦笑いするしかないな。結局、僕はヒーローには
なれなかったのだ。
後日談。僕は改造されて以前の僕とは完全に違ってしまっていたから、何かと面倒なことがあったりする。ま
ず、家族になんて言えば良いんだ? 迷いながら帰宅すると、両親も弟もすんなりと僕を迎え入れてくれた。前
もって連絡をもらっていたそうだ。だからといって、こうもあっさり「はいそうですか」と受け入れられるもの
かと訝っていたら、政府からたんまりと報酬をもらっていたのだ。ようするにだ、子供を売ったということにな
るわけだな。自分の身代りにした先輩といい、どうして僕の周りには自分勝手な人たちが多いんだろう。そして、
それを許容してしまう僕は何てお人好しなのだろう。家族にも自分に対しても呆れながら自分の部屋に入ると、
いつもハンガーにかけてある学生服が有名な名門女子高のブレザーになっていた。
〈おしまい〉