夢とモンスターと時の流れと
『悪い子はお化けにどこかへ連れて行かれる』
この地域には昔からそんな話が受け継がれてきた。この地域に生まれた子供たちは皆その話を聞かされている。勿論、そんなのは迷信と一笑に付す者もいたが、実際に縁者に
行方不明の子供がいたという高齢の人もいる。そんなのはただの失踪事件と区別がつかないと思われるだろうが、家の中で寝ていたはずの子供がいなくなっているのだ。外部か
ら侵入した形跡も子供が外に出たという形跡も見当たらない。子供の履物はそのままであった。それも一件ではなく何件も。無論、村人総出で探索したがついに子供たちは
見つからなかった。そしていつしかお化けが子供たちを連れ去ったという噂が流れはじめてそれが昔話として定着するようになった。
モンスター退治の旅を続ける涼香もそんな昔話を偶然耳にしていた。たまたま通りがかった家で男の子が母親に「勉強しないで遊んでばっかいると夜中にお化けに連れて行か
れるわよ」と叱責されていたのだ。その手の話は他にいくらでもあるので、その時は涼香も特には気にもしなかった。
「この町も特に危険は無さそうですね」
涼香が話しかけているのは彼女が首にかけているペンダントに宿る精霊のヴォルフザームである。たった一人で旅をする涼香にとっては貴重な話し相手だ。しかし、傍から見
れば独り言を言っているただの危ない少女である。
「今日はこのままここを通り抜けて次の町で野宿しましょう」
魔力士というバトルに特化した魔導師である涼香は、近くにモンスターが存在すると気配で察知することができる。涼香の提案にヴォルフザームは沈黙したままだった。
「どうかしましたか?」
『空間が淀んでいるいるな』
「えっ?」
何のことか涼香にはさっぱり。
『空間が淀んでいるということは、この付近で異空間への扉が開かれていたということだ』
「異空間って鏡面空間ですか?」
『それはまだわからん。だが、異空間に通じるゲートは自然発生はほとんどしないものだ』
「ということは……」
何者かの作為によってゲートが開かれたということだ。
「…もう少しこの町に留まった方が良さそうですね」
涼香は空間に亀裂が生じていないか探索した。亀裂は普通の人間には見えない。だから、目撃証言は得られない。よって一人で隅から隅まで地道に調査するしかない。
「今日は久しぶりに徹夜ですかね」
あまり夜更かしするのは魔力士である涼香にとって好ましくないのだが、モンスターが関連しているかもしれないとあってはそうも言ってられなかった。ヴォルフザーム
が言うには空間が淀んでいるということは、まだゲートが完全に閉められていないということでまた開くかもしれないということだ。ただ、厄介なのは。
『ゲートが一ヶ所とは限らないということだ』
つまり、前にゲートが開いた場所と次に開く場所は必ずしも同一ではないってことだ。ゲートには極々稀に自然発生的に開くものと、何者かが開いたものとの二種類がある。
ゲートを開くにはそれなりに魔力や技術が必要で、開くことができるだけでもすごい事なのだ。ただし、ゲートを開く=強いというわけではないので留意していただきたい。
だから、ゲートを自分の思いのままのポイントに出せるとしたら、それはかなり手ごわい存在といえるだろう。
『どこにゲートが開くかわからぬ以上無暗に探し回るよりも、どこかで待機してゲートが開いたら急行してはどうだ?』
「そうですね。そうしましょう」
ヴォルフザームの提案を受け入れた涼香は人目のつかない場所でゲートが開くのを待った。そして、夜となり涼香が可愛い寝息を立ててすっかり寝入ってしまった時だった。
「!」
モンスターの気配を感じた涼香は、飛び起きると気配のする方へ走り出した。だが、涼香が着いた時にはもうモンスターも空間のゲートも消えていた。
「この家って…」
モンスターの気配がしていた場所は、昼に涼香が通りすがった男の子が母親に叱られていた家だった。
「悪い子はお化けにどこかへ連れて行かれる…まさか」
ただの言い伝えだと思っていた昔話が本当にあった物だったかもしれない。異空間に連れ去られる子供。それは涼香に思い出したくない悪夢のような出来事を彷彿とさせる
フレーズだった。心拍数が上昇する。
『大丈夫か?』
「あ、はい大丈夫です」
気持ちを落ち着かせる。まだ、この家の子供が連れ去られたと決まったわけではない。中に入って確認したいが真夜中に他人の家に無断で入るのは涼香にはできない。
『ここは朝になるまで待つしかあるまい』
「……わかりました」
悔しいがヴォルフザームの言う通りにするしかなかった。亀裂でも発生していたらそこからゲートを広げて侵入も可能だが、それらしきものは見えなかった。涼香は
今晩はとりあえずもう寝る事にした。翌朝、涼香が昨夜の家に行ってみると住人と思われる数人が慌ただしく駆け回っているのに出くわした。
「あの、どうかされたんですか?」
家の主人と思しき男性に話しを伺う。
「息子がいなくなったんだ。君ぐらいの歳の子なんだが見かけなかったかい?」
「いいえ…」
「そうか…ありがとう」
やはり、あの時連れ去られていたのか。未然に阻止できなかった悔しさに涼香は両拳を強く握りしめた。今度こそは絶対に連れ去り犯を確保して連れ去られた子供を
取り返す。涼香は寝ずに警戒にあたる事にした。しかし、まだ子供の涼香に一晩中起きている事は到底不可能だ。日付が変わるころにはウトウトし始めていた。その度に
首を横に振ったり頬をパンパンしたりして眠気を取り除こうとするのだが、取り払っても取り払っても押し寄せてくる眠気の波状攻撃についに防衛ラインが突破されて
涼香は眠気に体を支配されて深い眠りに落ちた。
涼香は夢を見ていた。もっとも本人にその自覚は無い。夢だと気づくのは夢から覚めた時だ。どんな夢かというと、レンガの塀でできた迷路を歩くというものだった。
なぜ、そんなことするのかはわからない。夢とはそういうものだ。涼香はその迷路から抜け出そうとひたすら駆けるが闇雲に走り回ってもゴールにはたどり着けない。
すると、突然レンガ塀が一定の大きさに分割されて何かに吸い寄せられたかのように宙にあがった。
「な、なに? なんなの?」
わけがわからないまま唖然と空を見上げる涼香に、今度は分割されたレンガ塀が涼香めがけて落下してきた。迷路脱出が一転して落下する物体を避けるというスリル
あるものになった。必死に落ちてくる塀をかわしながら逃げ回る涼香に何者かが囁きかける。
“おいでぇ〜、おいでぇ〜、こっちへおいでよぉ〜”
考える余裕は無かった。涼香は声が導く方に懸命になって走った。その間、空からは容赦なく塀が涼香めがけて落ちてくる。
“おいでぇ〜、はやくおいでよぉ〜”
声が徐々に大きくなってきた。涼香は無我夢中に走った。だが、ついに涼香は落下塀に捉えられてしまう。直撃は免れたが衝撃で涼香はふっ飛ばされてしまった。
「きゃあああああっ!」
地面に落ちて転がって仰向けに倒れた涼香は天から二つの手が伸びているのを見た。
“さあ、おいで。いいところに連れてってあげるよ”
涼香が差し出された手に自分の手を伸ばそうとした時だった。遠くから違う声が聞こえてきた。「起きろ」と。
ハッと涼香が目が覚めたのはモンスターらしき人外に体を捕まれようとしていた時だった。あわてて体を回転させて逃れる。
『起きたか。危ういところだったぞ』
さっきの声はヴォルフザームだった。
「すみません。助かりました」
ついうっかり寝てしまっていた。しかし、それで手がかりが向こうからやってきたとすれば結果オーライか。涼香に気づかれたモンスターは異空間へ逃げようとしていた。
逃がすわけにはいかない。涼香もモンスターに続いて異空間へのゲートに飛び込んだ。と、その瞬間、涼香は強烈な眩暈に襲われた。頭がグラングランと回転しているかの
ような感覚。視界がグルグル回って涼香は意識を失った。そして…、
「ここは…」
目を覚ました涼香が見たのは霧がかかった草原だった。霧が深いのでモンスターがいるかどうかは視認はできない。しかし、気配はしないので近くにはいないのだろう。
あるのはゲートだけだ。
「閉じませんね」
通常、ゲートは出入りが終わると閉じる。
『どうやらこっち側は開けっ放しのようだな』
「その方がいいですよ。ここから脱出するには」
『そうだな。とりあえず連れてこられた子供を探す事だ』
「はい」
子供がどこにいるかはわからないが、涼香はとりあえず歩いてみることにした。しばらくすると草原が終わって森が見えてきた。涼香はちょっと間、躊躇したが入って
みることにした。
『気をつけろ。待ち伏せするには格好の場所だ』
ヴォルフザームが注意を促す。涼香は全周囲に神経を尖らせ少しの気配も見逃さない様に注意しながら森を進んだ。
「どこまで続いているんでしょうか、この森」
かれこれ1時間は歩いただろうか。幸い一本道を進んできたので迷う事は無い。しかし、目的地がわからないのでは迷ったのとそう大差は無い。
「空を飛べたらなぁ」
涼香は空を見上げ嘆息した。魔力士は魔女のように箒で空を飛ぶようなことはできない。身体強化で高くジャンプするのが関の山だ。
「そうだ、ジャンプして辺りに何があるか見ればいいんだ」
早速、変身しようとする涼香をヴォルフザームが制止する。
『待て、迂闊に跳べば敵に察知される恐れがある』
「え? もうこっちに気づいてるんじゃないんですか?」
『わからん。だからこそ慎重に行動する必要がある』
ヴォルフザームの言う事ももっともである。涼香は納得してまた森の中の歩き出した。そして、ようやく森から抜け出すことに成功した。すると、一軒の民家が見えてきた。
「あそこに家がありますよ。行ってみますか?」
『うむ、慎重にな』
涼香は足音を立てないようにそーっと民家に近づいた。さっきのモンスターの棲家とも思うたがその気配はない。近づくと中から話し声が聞こえてくる。子供の声だ。
「もしかして、さらわれた子? でも声が一つだけじゃない…」
他にもさらわれた子がいるのだろうか。あの町で子供の失踪がいくつもあるなんて聞いていない。どうやらかなり広範囲で犯行を重ねているようだ。涼香はそっと窓を開けて
中の様子を窺った。中には子供が5人ほど。どれも時代劇の子役のような服装と髪型をしている。
「コスプレ?」
『いや、どうやら伝説は本当だったようだな』
「伝説って、あの子供を連れ去るっていう妖怪の事ですか。じゃあ、この子たちはかなり昔に連れ去られた子供って事?」
『そうだ、それ以外に説明がつかん』
「そうは言いますが皆、歳をとっていませんよ」
『この空間では時の流れというものが無いようだ』
「時の流れが無い……」
ということはこの空間にいるかぎりあのモンスターは永遠に生き続けるという事だ。見つけ次第退治しないと永久に犯行を繰り返すことになる。けど、その前に子供たちを
無事にここから脱出させるのが先決だ。涼香は玄関に回って戸を開けた。近くにモンスターはいない。逃がすならいまのうちだ。涼香が入ってくると子供たちはとくに驚いた
様子もなく落ち着いていた。
「なんだお前ぇ新入りか?」
「だどもアイツが一緒じゃねえべ。いつもなら新入りが来たら儂らに紹介すっべ」
どうやら涼香をさらわれた子供と勘違いしているようだ。
「あなたたちを助けに来た。一緒にここから逃げよ」
しかし、子供たちは顔を見合わせ首を横に振った。
「駄目だ。アイツからは絶対に逃げられね」
「そんなことないよ。森を抜けた先にここからの出口があるから」
「そんなの皆知ってる。オラたちも何回もそこから逃げようとした。だどもすぐにアイツが飛んできてオラ達を捕まえるんだ」
「アイツってあなたたちをさらった化物の事?」
「んだ。アイツは時々ここさ来て誰かいなくなったら飛んで行って逃げた奴を捕まえるんだ。今日だって昨日さ連れてきた奴が逃げたからそれを捕まえに行った」
「それで捕まった子はどうなるの? 拷問にあうとか?」
「んにゃ、説教されるだけだ」
「へっ? 説教?」
まったくの想定外の答えに涼香は少し頭が混乱した。モンスターが説教? そして根本的な疑問にたどり着く。
「ところで、あなたたちはどうして連れてこられたの?」
最初は食べる為だと思っていた。しかし、この子供たちの様子を見るにそれはなさそうだ。だとしたらあのモンスターは何のために子供たちをここへ連れ去ったのか。
そして、ここで何をさせられているのか。子供たちに聞いてみても自分がなぜここに連れてこられたのかわからないという。ただ時々モンスターが来ては一緒に遊んだり
食事したりするだけだという。
「モンスターと一緒に遊ぶ???」
涼香はますます頭が混乱してきた。人間の子供と遊ぶなんて珍しいモンスターがいたものである。涼香は子供たちを連れて帰るべきか迷った。いま、この子たちを連れて帰った
ところで家族や見知った人たちはすでに仏様だ。身寄りもいない全然知らない時代で暮らすよりもここにいた方が幸せなのではないのか。見たところひどい虐待を受けている
ようでもないようだ。少なくとも昨日連れてこられた子供には家族も友達もいるので連れて帰るが。涼香は本人たちの意思を確認する事にした。
「ねえ、ここから出られるとしたら出たい?」
「そ、そりゃあ、なあ?」
「んだ、帰りてぇ」
「おっ母とおっ父に会いてぇ」
もう随分と年月が経っているのに子供たちの心は子供のままだ。どうやらここでは体だけでなく精神的な成長もストップするようだ。彼らには自分たちがどれだけの年月を
ここで暮らしたかの実感も無いのかもしれない。少し迷ったが涼香は事実を伝えることにした。もう、この子たちの知っている人たちは誰一人いないと。それを知って子供たちが
ここに残ることを選択してもそれはそれでいいのではないかと。
「あ、あの……」
口を開くも後が続かない。あなたたちの両親はもう死んだなんてどの顔して言えるか。それと、あのモンスターはどうするか。当然、このままにはしておけない。子供をさら
われた親の悲劇を繰り返さないためにも、ここできっちりとカタにはめておかなければならない。しかし、そうなるとやはり子供たちは全員連れて帰ることになる。モンスター
の意図がどうあれ親から子を引き離す事は許されない。
「どうしただ?」
「ううん、何でもない。皆で帰ろう。えーと昨日来た子はどこ?」
「そいつならお説教受けているだ。もう帰ってくる頃だ。おめぇさ、隠れた方がいいぞ。あの化物も一緒だかんな」
「そうね、どこか隠れるところ無い?」
「ここさ、隠れろ」
「押入れね。わかったわ」
涼香は押し家の中に身を潜めた。しばらくして、玄関の戸が開く音がした。誰かが来たようだ。
「み、皆、ちゃんとお留守番してかな?」
子供のものではない声。おそらくモンスターの声だろう。それに対する子供たちの返答が聞こえてこない。無言で頷いただけか。押入れの中の涼香には外の様子を窺い知る事は
できない。昨日連れてこられた子供は一緒だろうか。音声だけでは状況を知るのに限界がある。涼香は押入れの襖をそっと開けてみることにした。気づかれない様に慎重に襖に手
をかける。
「ん? お、押入れに誰かいるのかな?」
「!」
慎重にと思っていたつもりだったがモンスターを甘く見たようだ。打って出るか?しかし、ここでの戦闘は子供たちを巻き込む恐れがある。
「で、でも、ここに皆い、いるね? ひい、ふう、みい……ちゃんといるんだな。ぼ、僕の気のせいかな。ごめん、ごめん、ご飯にしよう。皆、手伝ってほしんだな」
またもや子供たちの返事は聞こえてこないが、動き出したであろう物音は聞こえてきた。その後もモンスターのものと思しき声は聞こえるものの子供たちの声は聞こえてこない。
しかし、それにモンスターが怒っているようでもないようだ。
「一体どういう事でしょう?」
『ふむ、子供たちはまだあのモンスターに心を開いているわけではないようだが、さりとて怖がっているようにも思えんな』
「どんな顔をしているんでしょうね」
『少なくとも子供が見てひきつけを起こすような顔ではなさそうだな』
それはどうだろうと涼香は思う。いままで涼香が見てきたモンスターは、ただ一つの例外も無くお世辞にも子供に好かれる顔をしているとは言えなかった。多分、何百年も見続
けてきたせいで慣れてしまったのだろう。しばらくして、美味しそうな匂いがしてきた。食事の用意ができたようだ。
「み、皆、座っていただきますをするんだな。…いただきます」
「「「いただきます」」」
ようやく子供たちの声がした。それでも元気にとは言えない声だった。そうか…と涼香は気づく。どれだけ年月が経って子供たちがいまの境遇に慣れてきたとしても子供たちと
モンスターは決して相容れるものではないことを。やはり、子供たちをここから脱出させるしかない。そう決意した矢先、涼香の腹がぐーっと鳴った。
「!」
外に聞かれたかもしれない。そんなに大きな音ではなかったと思うが、涼香は襖に耳をあてて外の様子を窺った。幸い、外には音は洩れなかったようだ。安堵すると同時に恥ず
かしさがこみ上げてくる。
『気にするな。我らとは違って人間は喰わねば生きていけぬのだからな。お前の体が空腹に警告音を鳴らしても致し方あるまい』
「……」
ヴォルフザームは涼香を慰めているのだろうが、腹が鳴ったのを生真面目に解説して慰められても余計に恥ずかしいだけだ。涼香はまた腹が鳴らないように祈りながらモンスタ
ーが外に出るのを待った。だが、そんな涼香の思いを知ってか知らずか食事が終わって後片付けが済んでも、モンスターが家の外に出る気配は無い。
「み、皆寝る時間までまだ間があるから、は、花札でもしょうかな。き、君は花札を知っているのかな?」
「ううん……」
「いまの時代の子供は知らないようだね。じゃ、教えてあげるんだな」
花札は涼香も知らない。モンスターは一人の子供に花札の遊び方を教えているようだ。その子供はおそらく昨日連れ去られた男の子だろう。さすがに遊びとなると子供たちも
楽しいからか時折笑い声が聞こえてくる。完全にではないが徐々にはモンスターに心を開いているようだ。昨日連れてこられた子供を除いては。
「早く終わらないかな……」
いまここで出て行って矢を一本放てば終わる話だが、子供たちを巻き添えにしてしまう危険を考えると迂闊な事はできない。まず子供たちを安全な場所に避難させるのが先決
だ。それにはいまは待つしかない。しかし、暗い押入れに一人でいるとついついウトウトしてしまう。とうとう涼香は待ちくたびれて眠ってしまった。
「…おい、おいって」
寝ている涼香を揺さぶって起こそうとしているのは子供達だ。モンスターがいなくなったのに涼香がいつまでも出てこないので押入れを開けてみたのだ。揺さぶられて涼香は
ゆっくりと目を開ける。
「ん……もう朝?」
「……」
涼香の緊張感がまるで無い天然ボケに子供たちは固まってしまった。涼香も意識がしっかりするにつれ恥ずかしさがこみ上げてきた。コホンとワザとらしく咳をして誤魔化そ
うとするも周りの冷たい視線は変わらない。
「あのモンスターは?」
「あいつなら出て行った。朝になるまでここには来ねえ」
「あれ以外には?」
「オラ達はあいつしか見た事がねえ」
だったら、機先を制してあのモンスターを倒しておいた方がいいか。そう涼香は考えた。
「どこにいるか知ってる?」
子供たちは皆首を横に振った。
「誰も知らないの?じゃ、いますぐここから逃げましょう」
「でも、逃げてもすぐにあいつが追いかけてくるべ」
「大丈夫、私が食い止めるから」
「んだども、一人じゃ……」
「大丈夫、私に任せて」
涼香の説得に子供達も決心を固めた。
「ここから出たら全速力で走って。後ろを振り返ったら駄目。何も考えずにゲートまで行くことを考えて」
「わかっただ」
子供たちの返事に涼香は満足そうに頷いて玄関の戸を開いた。
「走って!」
涼香の号令に子供たちは一斉に走った。涼香もその後を追いかける。子供たちが言うにはあのモンスターはいつも後ろから追いかけてくるようだ。涼香はそれを迎撃するため
最後尾についたのだ。あの家からゲートまで一本道だから迷う事は無い。しかし、距離があるためあのモンスターに悟られずに脱出するのは不可能に近いだろう。戦闘は避けら
れまい。だが、涼香はいまひとつモンスターと戦う気持ちにはなれなかった。他のモンスターと違ってあのモンスターは人間を喰うのはおろか危害を加えることすらしていない。
むしろ、子供たちを愛でている。無論、親から子供を奪う事は許されない。できることなら話し合いで解決したいと涼香は思っていた。
「なんとか戦わずに済ませる事はできませんか?」
『それは難しい事だな。モンスターというものは自己の欲望に忠実だからな。それを奪う者にはたとえ大人しい性質のモンスターであっても危害を加えるだろうな』
「そうですか……」
やはり戦闘は避けられないようだ。所詮、モンスターはモンスターでしかない。だが、例外もある。ヴォルフザームも難しいと言っているだけで決して不可能とは言っていない。
とはいえ、ここであのモンスターが子供たちの解放に同意したとしても次また違う子供をさらってくるに違いない。やはり、ここで息の根を止めておくに越した事はない。もし、
相手がモンスターではなく普通の人間だったら、涼香ももう少し話し合いの余地を残していただろう。所詮はモンスターという思いが涼香にモンスターの排除を簡単に決断させて
しまった。そのことが後に涼香を大きく後悔させることになるのだが、そんなことになるとは思いもしない涼香にはいまの状況が大事だった。それまで、前を向いて走っていた
子供たちがチラチラと後ろを振り返るようになったのだ。
「どうしたの?」
「いや、そろそろあいつが追いかけてくる頃だなって」
「えっ?」
涼香が後ろを振り返った時だ。空から何かが飛んできた。
「あいつだぁ!」
誰かが叫んだ。
「急いで!」
子供たちに先を急がせると涼香はペンダントを握りしめた。
「metamorphose!」
魔力士に変身して弓に矢を番える。標的はほぼ一直線に向かってきているので照準を定めるのは容易だった。
「貫け、英雄の矢!」
放たれた矢はモンスターを捉えてその身を貫いた。モンスターは真っ逆さまに地面に落ちた。
「やったの?」
モンスターの生死を確認するため涼香は落下地点に行ってみた。モンスターは俯せに倒れていて炎に包まれていた。もう動くことは無いだろうと思われたが、モンスターは最後の
力を振り絞って頭を起こすと涼香の方に手を伸ばした。
「!」
死んだと思っていたモンスターが動いたので涼香は弓矢を構えた。
「だ…駄目だ…あの子たちをこっ…から……もう…あの子た…ちは……」
それは哀願しているように見えた。子供たちがいなくなったらモンスターはこの世界でひとりぼっちになってしまう。寂しさからくる訴えだろうと涼香は思っていた。そして、力
尽きたモンスターは腕を下ろすとそのまま動かなくなって燃え尽きた。
「あなたの気持ちはわかる。でも、あなたがした事は許される事じゃないよ」
涼香はこのモンスターが哀れに思えた。決して悪いモンスターではない。人間とモンスターの種族の壁がこのモンスターに人さらいをさせてきたのだろう。涼香は燃え残ったモン
スターの着物の一部を手に取った。
「行きましょうか」
涼香はゲートに急いだ。ゲートにはすでの子供たちが集まっていた。
「あ、来た来た。おーい」
子供たちは大きく手を振って涼香を迎えた。
「あいつは?」
「…死んだ」
モンスターの死を聞かされた子供たちは複雑な表情を見せた。自分達を親元から引き離した許せない相手でもあったが、決して憎らしい相手でもなかった。
「さ、早くここから出よう」
「ところで、お前ぇ、その格好はなんだ?この新入りの服も変わってるが、お前ぇのはそれより変わってるべ」
「いいから、早く!」
説明するのも面倒なので涼香は子供たちを急かした。
「目が回るから気を付けて!」
「え?どうやって…」
涼香は問答無用に子供たちをゲートに押し込んだ。最後に自分も飛び込んだ。来た時と同様の激しい眩暈が涼香を襲った。今度は意識を失わない様に気をしっかり持って耐えた。
すると、出口が現れて涼香はそこに吸い込まれた。強烈な光、それが収まると涼香たちの世界に戻っていた。
「……さっきの場所では無いですね」
『制御無しだからな。多少の位置のズレは仕方あるまい』
涼香たちがいるのはどこかの谷の上だった。
「さらわれた子たちは?」
足元には昨日さらわれた子供が倒れていた。他の子たちは…と探していた涼香は思わず「ひゃっ!?」と悲鳴を出してしまった。服を着た骸骨が何体も横たわっていたのである。
着ている服からしてあの子供たちであるのは間違いない。
「ど、どうして……」
『どうやら遅すぎたようだ』
「どういう事です?」
『おそらくいままで止められていた時間の流れが現世にもどったことで一気に流れたのだ。人間の寿命を越せば死すも当然。そうでなかったとしても急激な体の成長と衰えに人間が
耐えられるはずはあるまい』
「そ、そんな……」
涼香はガクッと両膝と両手を地面に着いた。脳裏にモンスターの最後の言葉がよぎった。あの子たちを絶対に出しては駄目だ。あのモンスターはわかっていたのだ。昨日さらった
子供はともかくかなり昔にさらった子供たちはもうあの世界でしか生きられない事を。
「私が…私がもうちょっとあのモンスターの話を聞いていたら……」
悔やんでも悔やみきれない。涼香の目から涙があふれる。
「ごめんなさい…本当にごめんなさい」
涼香は何度も詫びた。助けに来たのにかえって死なせる結果となってしまった。
『これでよかったのだ』
「えっ?」
『ようやく親や兄弟のところに帰れたのだ。いまごろは冥土とやらで感動の再会を果たしているであろう。それに少なくとも一人は親元に返せるのだ。それだけでもお前はよくやっ
た』
その言葉を聞いて涼香は泣くのを止めた。
「……はい」
泣いている場合ではなかった。まだ自分にはまだ気を失っている子供を家に送り届ける仕事が残っているのだ。涼香は誰にも気づかれない様に子供を彼の部屋のベッドに寝かせた。
そして、再びあの谷に戻って子供たちの屍を埋葬した。警察に届けるわけにも寺に埋葬してもらうわけにもいかないので涼香が穴を掘って埋めるしかなかった。
「ごめんなさい。こんな簡単な埋葬で」
最後に涼香はモンスターの着物の切れ端を細かく分割して個々の墓の中に埋めた。子供たちの墓の前で涼香は手を合わせて子供たちと子供好きで寂しがり屋のモンスターの冥福を
祈った。