吸血鬼達の宴〜バンパイアズ・パーティー〜
行くあてもない旅を続ける涼香はとある海辺の町に来ていた。
「ここもモンスターの気配は無さそうですね」
町をひととおり見て回った涼香はヴォルフザームに呟いた。
『そのようだな』
モンスターの脅威から人々を守るために旅をしている涼香だが、ここ1ヶ月ぐらいモンスターとは遭遇していない。
「じゃ、次の町に行きましょうか」
町が平和であれば涼香たちが長居する必要はなかった。次に向かう町はどこにしようか。いままで気の向くまま適当に決めていたが、こうもモンスターに遭遇
しない状況が続いたのでは事前にどこに行くか決める必要があるのではと思ってしまう。無論、モンスターが出現しないという事は本来なら好ましいのではある
が、モンスター退治が唯一の行動目的となっている涼香にとっては複雑な気持ちだった。
「なにか目標みたいなものがあったらいいんだけど」
しかし、いまの涼香にはそれを見つけることはできなかった。
『それはおいおい見つけていけばいいことだ。それより、今日はじきに日が暮れる。次の町に行くのは明日にしてはどうだ?』
「そうですね。では、寝る場所を探しましょう」
寝袋は用意してあるものの寝る場所の確保というのは重要なことだった。女の子一人が野宿するのだ。なるべく危険が無い場所が好ましい。といっても、魔力
士である涼香は寝ている間も周囲への警戒を怠ってはいない。そのために眠りがどうしても浅くなってしまうため10時間ぐらいは睡眠を取らないと体力や魔力
の完全回復は難しかった。ここ最近は戦闘がまったく無かったので7、8時間程度でも十分に疲れはとれた。
「たまにはお家の中で寝たいですね」
いつもは野外か廃屋だからたまには温かい室内で寝たいと思うのは当然だ。しかし、それは無理な相談で涼香もそれを心得ているので希望を口にするだけで満
足するしかない。と涼香が諦めていると、
『あの洋館はどうだ?』
「洋館? さっき見たあれですか?」
涼香はこの町に入る前に洋館を見ていた。海を臨む位置に建っていたその洋館は誰も住んでいないようで何十年も手入れされていないのが一目でわかった。
「そうですね。あそこなら誰も来ないだろうから」
古びた洋館は大抵不気味なイメージがあるから特に夜に近付く人間はいないだろう。涼香はこれまで散々怖い目に遭ってきたから今更古びた洋館などに臆する
ことはなかった。今晩は洋館で寝ることにした涼香は夕食を買いにスーパーに入った。そこで適当に買い物を済ませた涼香は洋館に向かったがその途中で大人た
ちが慌ただしくしているのに出くわした。
「まだ見つからないんだ」
涼香もさっきその大人たちに涼香と同い年くらいの子供たちを見なかったかと訊かれている。昨日から行方不明だそうだ。洋館探検に行くと他の子供たちに言
っていたそうだが、洋館には誰もいなかったらしい。事件か事故か。
「ちょっと調べた方がいいですね」
ただの事故や誘拐なら涼香に出番は無いが、モンスターがらみなら話は別だ。モンスターの気配が無いからと思っていたが何か気になる。町を離れて洋館に向
かう涼香はモンスターの気配が無いか念入りに探ったがやはり感じられない。ただの思いすごしだろうか。洋館が見えてきた。塀はボロボロで周りは草ぼうぼう
と何十年も放置されていたのがわかる。そして、その塀の上に一人の少女が立っていた。少女は洋館を眺めていたが、涼香に気付くと塀から飛び降りた。長い金
髪の少女で外国人らしい。同性の涼香でもつい見惚れてしまいそうになる美少女だった。
「え、えと……」
涼香は話しかけようか迷った。あの洋館に何か関係ありそうな感じだったが、如何せん涼香は英語を話せない。そんな涼香を少女はジーッと見ていたが、その
視線が胸のペンダントに向けられていることに涼香は気付いた。
「これが何か?」
「……」
少女は何も答えず涼香の方に歩いてきた。やはり日本語では駄目なのだろうか。だが、すれ違いざまに少女は、
「気をつけて」
と日本語で言い残した。驚いた涼香が振り返ると少女の姿はどこにも無かった。
「えっ?」
涼香はキョロキョロと辺りを見回したが少女はどこにもいなかった。
「ど、どこに行ったの? まさか幽霊さん?」
いくら魔力士でも幽霊は管轄外だ。
『落ち着け、あれはお前と同じ魔力士だ』
「魔力士?」
『そうだ。なぜここにいるかはわからんが、少なくともお前に危害を加えるつもりはないようだ』
魔力士は魔導師と違って精霊との契約で異能の力を得ている。魔導師は魔法学校に入校するか師匠資格のある魔導師に弟子入りして修行することで魔導師とな
り、そこまでの経緯から魔導師の間で仲間という関係が自然と発生する。だが、精霊との個々の契約で存在する魔力士には他の魔力士と仲間になる土壌が無いの
だ。精霊と契約を結ぶ動機や理由がそれぞれ違うからだ。そのためお互いの目的が一致したら協力しあうこともあるし、逆に互いの目的が反目したら戦闘になり
最悪どっちかが死ぬということもある。
「そうですか……」
ヴォルフザームの言葉に涼香はホッとした。正直、別の魔力士と戦って勝てる自信は涼香にはなかった。モンスターに対しては『純白の戦弓士』は容赦はしな
いが、相手が自分と同じ人間ではそうはいかない。魔力士同士でも殺し合いが発生することもあることを心から理解するには涼香はまだ経験不足だ。
「また会いますかね」
『さあな』
彼女とはまたどこかで会うかもしれない。涼香は何となくそんな予感がした。
「それにしても変なこと言ってましたね、気をつけてって」
何を気をつけるのか。とにかく涼香は洋館の中に入ってみた。古いという以外は特にこれといっておかしなところは見られない。子供たちの痕跡も見当たらな
かった。
「いまのところ何もありませんね」
残るは地下室だけだ。階段を降りて通路を進むと突当たりの左側にドアがあった。ドアには外側から鍵がかけられている。
「鍵がかかってるみたい」
他の部屋には鍵などかかっていなかった。どうしてここだけ…。
「何か外部に知られたくない秘密があるとか」
矢で吹き飛ばしてみるか。一瞬そう考えたが、余所様の所有物にそんなことはできない。涼香はドアを開けることを諦めて上に戻った。一通り見て回って特に
怪しい点もなかったので涼香はここで一晩を明かすことにした。
その夜、洋館の個室らしき部屋で寝ていた涼香は目を覚ますと寝袋のチャックを開けて起きた。
「……トイレ」
半分寝ぼけながらも涼香は玄関に向かう。誰もいないからと屋内でしてしまうほど涼香はお行儀の悪い娘ではない。だが、寝ぼけているためまっすぐ玄関に行
くことができず彷徨うようにして外に出た。しばらくして用を済ませた涼香が寝袋のある部屋に戻ろうとすると何やら物音がする。実はさっきから物音はしてい
たのだが、寝ぼけていたために気付くのが遅れてしまった。だが、それでよかった。もし、用を済ませる前に気付いていたら涼香は大変なことになっていただろ
う。
(なんだろう?)
何気なしに物音のする方に行ってみると話し声も聞こえてきた。
「あそこは確か……」
パーティーでもできそうなくらい大きな部屋だった。
「一体誰が……」
行方不明の子供たち? いや、あれは大人の声だ。涼香はドアをそっと開けて中を覗いた。
「パーティー?」
昼間に涼香が見た時にはなかったテーブルが何台か置かれており、その周囲を礼装に身を包んだ数人の男女がグラス片手に談笑にふけっていた。パッと見、パ
ーティーだが何か変だ。テーブルの上に食べ物が無い。灯りがロウソクだけなのでよくわからないが、食べ物らしきものはやはり見当たらない。
「お酒だけのパーティーなのかな?」
涼香はグラスの中身をワインか何かと勘違いしていた。そんな彼女の肩に誰かが手を置いた。
「ひっ」
驚いた涼香が後ろを振り返ると中の人と同じように礼装の紳士がいた。
「どうしたのかなお嬢さん。こんな夜更けに一人で」
「す、すみません。あの、えと…」
怒られると思った涼香は必死に弁明しようとしたがうまくできない。
「そんなに怖がらなくていいよ。怒ったりしないから。それどころか大歓迎さ。どうだい、君も参加しないか?」
「でも、私お酒飲めませんよ」
「あれは酒じゃないよ。もっといいものさ。さ、入って」
男に促されるまま部屋に入る涼香だが、当然自分を見る男のニヤッとした不気味な笑みには気付かなかった。緊張した面持ちで入る涼香を紳士淑女は歓迎した。
「あら、可愛いお客さまね」
「どうだろう、彼女も入れてやってくれないかな」
「ええ、いいわよ。ねぇ? みんな」
「ああ、いいともさ」
「そんな可愛い子なら大歓迎だ」
優しく涼香を歓迎する男女。しかし、涼香は彼らに薄気味悪さを感じていた。
「あ、あの、一つ訊いていいですか?」
「なんだい?」
「どうして食べ物が無いんですか?」
訊いてから涼香は後悔した。これでは食いしん坊と思われてしまう。すると、男は愉快そうに笑い声をあげた。
「はははははっこのパーティーはこのドリンクだけなんだ」
男はテーブルからグラスを取って涼香に見せた。
「ドリンク? ワインじゃないんですか?」
「ああ、アルコールは含まれてないんでね。でも、ワインなんかよりもずっとずっとおいしい飲み物さ」
そう言うと男はグラスのドリンクをグイッと一気に飲み干した。
「うーん、いつ飲んでも格別だね。やはり搾りたてに限るな」
そんなにおいしいのなら涼香も飲みたくなってくる。酒でないのなら涼香も飲めるはずだ。テーブルに置いてあるグラスを手にとって口につけた。直後、涼香
はドリンクを吐きだした。
「な、なにこれ血じゃない!?」
『なんだと? それは本当か?』
ヴォルフザームが問うが、涼香は何も答えない。息を異様に切らしていて様子がおかしい。その様子からヴォルフザームは間違いではないことを確信した。
『……まさか、こいつら』
何やら考え込む様子のヴォルフザーム。彼らの正体に心当たりがありそうな感じだが、涼香にはそれについて思考する余裕はなかった。家族や友達にすら別れ
を告げぬまま、住み慣れた町を離れる決心をする原因となった、あの忌々しい出来事から涼香は肉が食べられなくなってしまった。口に入れた途端に体が拒否し
てしまうのだ。それは血でも同様だった。しかし、あのグラスの血には匂いがしなかった。実は男が言っていたドリンクというのはあながち嘘ではない。匂いが
しないようにいろんな飲み物とブレンドしてあるのだ。なぜそうするか。それはさておき、拒否反応で口に含んだ血を吐きだした涼香は今度は体がわなわなと震
えだした。
「……これは一体何なんですか? なんで貴方達は血をグラスで飲んでるんですか?」
そして、誰の血か。連中のリーダー格と思われる女が答えた。
「何なんですかって見ての通りパーティーよ。血を飲むのは私たちはそれしか口にしないからよ。そして、誰の血かだけど。ちょっと、あんたたちそこどきなさ
い」
女に指示されて男たちがそこから移動した。さっきまでは部屋が薄暗かったのと男たちの背後でわからなかったが、そのテーブルにはあるものが置かれてある
のだ。
「よく見てなさい。最後の質問の答えがこれよ」
女がロウソクの灯りをそれにむけると、それに照らされたそれがはっきり見えるようになって涼香はぎょっとなった。テーブルに置かれていたのは子供たちの
首だった。恐らく行方不明の子供たちだろう。どれも最後まで怖い思いをしたまま息絶えたような顔をしている。
「ふふふっ、皆いい顔してるわね。恐怖に顔を引きつらせた本当にいつ見てもたまんないわ」
「な、なんてこと……」
「あなたもこの子たちと同じようにここに晒してあげるわ。あなたみたいな可愛らしい娘の血もさぞかし美味なんでしょうね」
女が舌舐めずりすると女の仲間たちが涼香を取り囲んだ。涼香が逃げられないようにするためだろう。だが、涼香にはそんなことはどうでもよかった。彼女の
頭には女たちに対する怒りしかなかった。
『いかん、落ち着け。冷静になれ』
ヴォルフザームが自制を促すが涼香はもう臨界点に達していた。消し去りたい忌々しい記憶を呼び起されたうえに子供の首まで見せ付けられたのだ。冷静にい
られるはずもなかった。モンスターの気配が無いから油断していた。ここ最近何事もなかったから気を許していた。もう少し警戒していたらこの子供たちを助け
ることができたかもしれない。涼香はペンダントを手に持った。
『待て!』
「metamorphose!」
ヴォルフザームの制止も聞かず涼香は変身した。魔力士に変身した涼香に女は少し驚いた顔になった。
「あなた魔力士だったの。しかも、そのバトルジャケットの色と手にしている武器からしてあなたが噂の“純白の戦弓士”ね。フフフフフッ、これはいいわ。一
回魔力士の血を飲んでみたいと思っていたところよ」
「……そんなことできると思っているの?」
涼香は女に矢を向けた。しかし、女は平然としている。
「射つつもり? やってごらんなさい」
挑発するように女は両手を広げた。
「さあ、遠慮はいらないわ」
余裕の笑みを浮かべて女はさらに涼香を挑発した。明らかに何かを企んでいそうなのがわかるがいまの涼香に冷静にそれを考えることはできない。
「貫け、英雄の矢!」
弓から放たれた矢が女の額に刺さる。普通ならそれで頭が吹っ飛ぶはずだ。しかし、
「? なんで……」
矢は女の額に刺さった。いや、刺さっただけと言うべきか。いつもならそれでモンスターを倒せていた。普段と違う状況に涼香は絶句した。
「なにを超意外って顔をしているのかしら、純白の戦弓士さん?」
額に矢が刺さっているというのに女は何事も無いかのように平然としている。
『やはりそうか』
「どういうことです? なんであのモンスターは私の矢を受けても平気なんですか?」
『あれはモンスターではない。吸血鬼だ』
「吸血鬼?」
『そうだ。奴らに魔力士の力は通用しない』
「通用しない? それって……」
魔力士の力が無ければ涼香はただの女の子にすぎない。
『ここはいったん退くのだ。いまの状況では勝ち目が無いことはお前にもわかるだろ』
「でも!」
テーブルに無残に晒された罪の無い子供たちの首を前にして逃げることなど涼香にはできない。助けることはできなかったが、せめてこれ以上同じような犠牲
者を出さないようにしなければならない。涼香は再び矢を弓に番えた。
「貫け、英雄の矢!」
今度は女の左胸に矢が刺さったが、やはり女には何のダメージも無いようだ。矢が深く刺さっているはずなのに血も出ていない。
『奴らはすでに一度は死したる身。いわば不死身の存在なのだ』
「不死身って、それじゃあ……」
『ともかくここは逃げるのだ』
「……わかりました」
涼香は唇を噛みしめた。悔しいがここはヴォルフザームの言うとおり一時撤退するしかない。だが、周りは吸血鬼に囲まれている。涼香は体をしゃがませると、
思いっきりジャンプした。高速移動を応用したハイジャンプだ。これで囲みを突破した涼香はそのまま玄関に走った。
「追いなさい!」
女の命令で吸血鬼達が後を追いかける。一人残った女は呪文を詠唱し始めた。
「逃げられないわよ。“我が城よ、我に仇なす者を閉じ込める檻となれ…”」
女の足下に魔法陣が発生した。
「絶仙陣!」
次の瞬間、洋館全体が女の発した結界に覆われた。それは涼香が玄関のドアに手をかけたのとほぼ同時だった。
「えっ?」
『バカな、結界だとっ? ありえん、吸血鬼が魔法を使うなど』
「でも、現に鍵がかかっていないのにドアが開きません。これってこの結界の仕業なんでしょ?」
『魔法とは人の知の結晶、魔法を発動するに必要な魔力の源は生命だ。すでに死したる身で生命を持たぬ吸血鬼に魔力があるはずなかろう』
「だったらこれは一体」
『わからん……少なくともあの女がただの吸血鬼ではないとのだけは確かだが』
「何か手はないんですか?」
『奴らを倒す手段はある。奴らとて弱点はあるからな。だが、今は無理だ。とにかくここから脱出することだ』
「……わかりました」
涼香はドアに向けて矢を放った。だが、ドアに当たった瞬間、矢は粉々に砕けて消えてしまった。
「なっ……」
唖然とする涼香に後ろから女が声をかける。
「無駄よ。この結界陣は魔力を吸収してしまうのよ。貴方がどんなに矢を放っても無駄ってこと。大人しく諦めて私たちに新鮮な血を差し出しなさい」
「誰があなたたちなんかに!」
強がりを言うものの涼香に現状を打破する手段は無かった。玄関は吸血鬼に包囲されている。涼香の脳裏にあの子供たちの顔がよぎる。死ぬまでにどんだけ残
酷な目に遭ったかを物語るかのような顔。自分も同じ目に遭おうとしているのだ。それが嫌ならあとは矢を自分の胸に突き刺すぐらいしかできることはない。潔
く覚悟を決めようとした時だった。
「斬り裂け、豪傑の刃!」
ドアの向こうから声がしたと思ったら、ドアに×の字に亀裂が走って次の瞬間ドアが壊された。その先に立っていたのは昼に涼香が洋館の前で会った少女だっ
た。彼女がその手に持つ赤い剣でドアを壊したようだ。
「早くこっちへ」
少女は唖然としている涼香の腕を掴んで自分の方に引っ張った。同じく唖然としていた女もそれを見て仲間の吸血鬼に指示を飛ばした。
「何をしているの。二人とも捕まえるのよ」
二人を捕まえようと吸血鬼たちが走ってきた。
「急いで、高速移動なら逃げられるから」
「は、はい」
まだ頭が混乱している涼香だったが、少女の言うとおりに高速移動でその場から脱出した。吸血鬼たちはそれに追いつくことができず見逃すしかなかった。
「まさか、仲間がいたなんてね。あれは恐らく“漆黒の魔剣士”。なるほどアレを奪いに来たわけか。それなら魔力士が手を組むのも頷ける」
女は溜息を吐くと仲間に洋館に戻るように指示した。思わぬ邪魔が入ったが、女は二人が次もやってくると確信していた。その時こそ二人とも捕まえてその血
を残らず搾り取ってやる。女は次に会う時を楽しみに待っていることにした。
辛くも逃げることができた涼香は助けてくれた少女に礼を言うことにした。
「助けてくれてありがとうございます。私は……」
「知ってる。“純白の戦弓士”でしょ?」
「えっ? 私のこと知ってるんですか?」
「あなたはあなたが思っている以上に有名人なのよ。少しは自覚したら?」
「は、はあ……」
そんなこと言われても涼香には自覚の持ちようがなかった。モンスターの間で自分の名が知れ渡っているのは何となく知っていたが、それで有名人どうのこう
の言われてもピンと来ない。
「ところで、あなたはなぜあそこに行ったの? 吸血鬼退治に行ったにしては何の準備をしてなかったようだし」
「いや、私はただ今晩はあそこで泊ろうと思っただけで。まさかあんなのがいるなんて」
「そう、アレを狙っていたわけではないのね」
「アレ?」
「それで、あなたはどうするの? このまま尻尾巻いて逃げる?」
「?」
何か“アレ”から話をそらそうとしている気もしたが、涼香は少女の質問に答えた。
「私は逃げない。だってあの吸血鬼たちはこれからも人を殺していくんでしょ? そんなの許せない」
「いい答えね。なら私を手伝って。一人じゃちょっと大変だから」
「? 何を手伝うの?」
「決まってるでしょ。吸血鬼を退治するのに使う物を作る手伝いよ」
翌朝、涼香は眠たい目をこすりながら少女とあの洋館に来ていた。あれから徹夜で少女の手伝いをしていたためにほとんど寝ていない状態だ。
「本当にあんなので吸血鬼を倒せるんですか?」
涼香は徹夜で仕上げた物に半信半疑だった。確かに昔から吸血鬼が苦手とする物として有名だが。その物は涼香と少女の二人がかりで玄関まで運んである。布
に巻かれてはいるが、明らかに十字架と一目でわかる。涼香はなんで吸血鬼が十字架を弱点とするかよくわからないし、どうして弱点であるはずの十字架が描か
れてる棺桶で寝るのか疑問だった。もっとも、涼香たちが作ったのはただの十字架ではない。ちょっとした工夫が施されている特別製だ。
「信じないならあなただけでやればいい。今度は助けない」
そう言われては涼香は黙るしかない。疑問はあってもいまの涼香には少女に頼るしか術はないのだ。
「……ごめんなさい」
「いいわ。それより吸血鬼たちが昼間どこで寝ているかだけど」
「昨日、調べた時はどこにもいなかったよ」
「私も調べた。でも、一箇所だけ調べていないところがあるでしょ」
「あの地下室ですか?」
確かにそこだけ調べていない。
「でも、あそこは外から鍵がかけられているんですよ。どうして中から外に出るんですか?」
「それをいまから調べるのよ」
言われてみれば涼香はちゃんとよく調べていない。そこでもう一度調べ直すことになった。しかし、
「やはり何もおかしなところはないですね。ちゃんと鍵もかかってます」
これでは中から外に出ることはできない。
「あの吸血鬼たちはやっぱりここにはいないんじゃないんですか?」
「いえ、絶対にここにいるわ。吸血鬼は理由はわからないけど野宿はしないのよ。この近辺には他に彼らが隠れそうなところなんて無いし」
「でも、ここにはもう隠れる場所なんて」
「そうね。どこかに隠し部屋でもあるのかしら……あら?」
周囲を見回していた少女が何かに気づいたようだ。
「どうしたんですか?」
涼香の問いかけに答えず少女は行き止まりの壁を凝視した。涼香も壁に目をやるが暗いので何があるかわからない。と、少女が壁に手を伸ばした。そして、壁
をちょいっと押した。すると、壁が呆気なく崩れた。
「えっ?」
一瞬、涼香は自分の目を疑った。壁がちょっと押されたぐらいで脆くも崩れるなんて思ってもいなかったからだ。しかし、崩れた壁の向こうにまだ通路が続い
ていた。
「どういうこと?」
「私たちはフェイクの壁に騙されていたのよ。単純な手だけどこうも暗いと意外とわからないものね。灯りがあったとしてもちょっと見ただけではわからないし、
皆このドアに意識が行くからこんな一見ただの壁にしか見えない物に注意なんてしないでしょうからね」
「じゃあ、この先に吸血鬼たちが?」
「恐らくね」
それを聞いて涼香は身震いした。本当に十字架で倒せるのだろうか。もし効果が無かったら今度こそ殺されるかもしれないのだ。しかし、ここは少女を信じる
しかない。二人は玄関に置いてある十字架を取りに行った。果たして、通路の奥のスペースに吸血鬼たちはいた。十字架の描かれた棺桶に静かに眠っている。そ
れを見て涼香は暗然たる気持ちになった。
「そんなに心配しなくてもいいよ」
「でも……」
「確かに十字架には吸血鬼を退治する効果はないわ。でも、まったく効かないわけじゃないの。吸血鬼も本当は見たくも触りたくもないはず。ならどうしてこん
な十字架が描かれている棺桶で寝ているか。それは彼らが元々はただの死体だったからよ。だから棺桶が一番安心できる寝床なんじゃない? たとえ見るのも嫌
な物が描いてあったとしても。もしかしたら彼らは本当はずっと永久に棺桶の中で眠りたいのかもしれないわね。さあ、始めるよ。ちょっとここ暗いからこのラ
ンプを天井にぶら下げて」
「はい」
これで少しは明るくなった。次に少女は袋からにんにくを取り出してそれを吸血鬼たちの鼻に近付けて行った。
「「「っ?」」」
吸血鬼がにんにくを嫌うの事実らしい。皆、顔をしかめて目を覚ました。
「な、なんなのよ、もう! って、あなたたち…」
「目が覚めた?」
「一体何しに来たの? まさか私たちを倒そうって言うんじゃないでしょうね」
「そのまさかよ」
自信たっぷりに言い放つ少女に吸血鬼達は一斉に笑いだした。
「まだ懲りてないようね。いくらあなたたちが魔力士でも強い方だからって私たちに敵うわけないでしょ。今度こそ逃がさないわよ」
「これを見てもまだ余裕かませる?」
少女は布に包まれた十字架を見せた。
「ふっ、ただの十字架じゃない」
そんなのどうってことないって感じの女だが、その顔には汗が流れているのが見える。他の吸血鬼達は十字架から目を背けている。
「そう、これは十字架。でもただの十字架じゃない」
少女は十字架の布を取っ払った。同時に強烈な臭いが周囲に漂う。それは特に吸血鬼達に対して強烈だった。
「気にいった? にんにくを針金でつなぎ合わせて作った特製十字架だよ。これであなたたちの視覚と嗅覚は封じた。そして次は聴覚」
少女は手をお祈りのポーズに組んで歌いだした。それは鎮魂歌だった。その途端、吸血鬼達が悲鳴をあげた。
「やめろーっ!」
「た、頼む、やめてくれーっ!」
「ぎゃーっ、鼻と耳が痛ーよぉ」
悶え苦しむ吸血鬼たち。そんな吸血鬼たちの口に涼香は事前に指示されたとおりににんにくのスライスを放り込んでいった。これで味覚も封じた。そして、最
後の触覚。涼香は天井に向けて矢を構えた。それを見て吸血鬼たちが一斉に青ざめる。
「ま、待って!」
上に矢を向けている涼香の意図を察した女が必死に制止しようとするが、涼香は当然のごとくそれに構うことはしない。
「貫け、英雄の矢!」
無情に放たれた矢が天井をぶち抜き、薄暗かった部屋に日光が差した。生命ある生き物にとっては恵みをもたらす光だが、吸血鬼たちにとってはそうではない
らしい。体に日の光を浴びた途端に吸血鬼達の体が干からびていく。吸血鬼を退治する数少ない方法の一つが五感をすべて潰すことなのだ。吸血鬼たちはあっと
いう間に灰になってしまった。あまりに呆気ないので涼香はきょとんとなった。
「もう終わりなの?」
十字架、大蒜、そして日の光。吸血鬼が苦手とするものをフルに使っての戦法だが、まさかここまで効果があるなんて。涼香は目の前の灰の山がさっきまで人
の形をしていたなんて思えなかった。自分の目で見ていた事実だが、あまりにも呆気なさすぎるので少し戸惑っているのだ。ボーっとしている間に天井から入っ
てきた風によって灰が飛び散っていく。やがて灰がほとんど飛び散った跡に小さな黒い石らしき物があった。欠けている箇所があるので何かの欠片だろうが、つ
いさっきまで、その石の欠片は無かったはずだ。ボーっとしていた涼香はそれに気付かず、少女がパッと拾って自分の懐に入れてしまった。
「どうしたの?」
涼香が尋ねるが少女は何も答えない。少し不審に思うも気にしないことにした。吸血鬼は退治したが、まだ厄介な事が残っている。犠牲となった子供たちの遺
体をどうするか。遺体はいまのところ見つかっていない。恐らくあの鍵がかかっている部屋にあるのだろう。鍵は女が寝ていた棺桶に置かれていた。
「放っておくわけにはいかないよね」
やはり親御さんに知らせてやるべきだろう。その前に遺体がそこにあるかちゃんと確認する必要がある。
「じゃ、あとはお願い」
と、少女はさっさと洋館を後にした。涼香も別に義務とかは無いのだからそうしてもよいのだが、性格的にそうできないのが悲しいところだ。鍵を手にした涼
香は例のドアに向かった。
数時間後、洋館の周囲は騒然となっていた。この洋館の中に行方不明の子供たちの遺体があるとの通報で警察が駆けつけたのだ。警察からの連絡で子供たちの
親族も現場に駆け付けている。我が子の変わり果てた姿に号泣する母親もいた。それを遠くから見ていた涼香は拳を強く握りしめていた。警察に通報したのは涼
香だ。最初は無残な遺体を遺族に見せるのはどうかとこっそり埋葬してしまおうかとも思ったが、やはり家族に埋葬してもらった方が子供たちも少しは浮かばれ
るだろうと通報することにした。
(もう少し早くこの町に来ていたら……)
そう後悔せずにはいられない。しかし、早く来たところで彼女一人では吸血鬼を倒すのは無理だ。あの少女がいなければ涼香も今頃あの地下室で頭と胴が離れ
離れになって転がっていたことだろう。それでも、あの子供たちを一人でも多く逃がすことぐらいはできたはずだ。もう言っても詮無きことなのだが。
『あまり気にするな。すべてを救うことなぞ神でもできぬことだ。犠牲者がこれ以上増えないようにしただけでもお前はよくやった』
「いえ、私じゃありません。全部、彼女がしたことです。私は手伝っただけ」
結局、名前も聞かずに別れてしまった。もう少しちゃんとした礼も言いたかったのに。
「せめて名前だけでも教えてほしかった」
『あの娘の名か? あれは“漆黒の魔剣士”だ』
「? 彼女を知っているんですか?」
『直接会ったのは今回が初めてだ』
「そうですか。また、会えますかね?」
『さあな、結局あれがなぜここにいたか最期までわからんままだったからな。それにまた会ったとしてもその時は敵になっているかもしれん。魔力士というのは
そういうものだ』
「それでも構いません。彼女ともう一度会えるなら」
でも、やはり敵ではなく気軽に話し合える仲として会いたいと涼香は思う。少女が去って行った方に手を差し出して問いかける。
「私は桜谷涼香……、あなたは?」
それに答えるのは風の音だけだった。