冥土特急


  鉄道は1825年に英国のストックトン・ダーリントン鉄道がジョージ・スチーブンソン製作の蒸気機関車ロコモーション号を使っ  て列車を走らせたのが最初の実例となり、5年後の1830年9月にリバプール・マンチェスター鉄道がスチーブンソンの蒸気機関車  5両で正式開業したことでその活躍が始まった。同じころ、米国でも東部と南部の内陸部から大西洋沿岸の主要都市を連絡する蒸気鉄  道が開通していった。その後、他の欧州諸国も相次いで鉄道を開通させ、当時はそれらの国が各地に植民地を持っていたため、鉄道は  欧米以外にも広まっていった。
  従来の陸上輸送手段を大きく上回る輸送力を誇る鉄道の出現は国の運命を左右する力を持つようになる。1861年からのアメリカ  南北戦争では、兵員や物資の輸送で北軍の勝利に大きく貢献し、1870年に勃発した普仏戦争ではプロイセン軍が鉄道で迅速に国境  付近に兵を集結させフランス軍を圧倒してフランスの君主制に引導を渡している。その後、自動車交通の発達や航空機輸送の登場によ  り陸上輸送における鉄道の優位性は揺らいだものの、その重要性は相変わらずでこれからもそれは変わらないだろう。
  人が鉄道を利用するとき、それは言うまでもなく目的地に行く時である。学校、職場、買い物、旅行と目的地はいろいろあるが、人  が人生の最後の目的地すなわち人生の終着駅に行くときも鉄道を利用することがあるのだ。


  自分を倒すためにやってくるモンスターの脅威からそして暴走した自分自身からも皆を守るため、涼香は住み慣れた町を出て魔力士  として生きることを決意した。限られた命を人のために使うことが自分が生きた証だと自分に言い聞かせて。自分で熟慮しての決断だ  から悔いは無い。ただ、心配なのは一人残してきた弟の涼太だ。変身モンスターのモジャスを自分に化けさせて面倒を見させているが、  モンスターをどこまで信用して良いのやら。ヴォルフザームは大丈夫と言っているが。しかし、涼太と一緒にいれば可愛い弟をモンス  ターとの戦いに巻き込むことになりかねないし、なによりも涼香が恐れているのは暴走した自分が弟を手にかけることだ。それよりは、  ヴォルフザームの言葉を信用した方が安全と言えた。自分が側にいる方が危険というのは姉にとってなんとも辛い話だが、可愛い弟の  ためには仕方の無いことだと言い聞かせるしかなかった。

  旅に出たといってもアテがあるわけではない。ただ何となく歩いてモンスターと遭遇したらこれを倒す、それだけだ。涼香はまだ小  学生なので平日の朝と昼はどこかに隠れて、夕方になったら行動するのだ。この日も、夕方になったので隠れていた廃屋から出て次の  町を目指した。急がない旅ではあるものの、小学生が夜遅く歩くのも問題なので愚図愚図していると次には進まない。もっとも、夜に  なったら変身して高速移動するのだが。
  涼香はなるべく人通りが少ないところを移動することにしていた。だから民家からも離れた街灯もそんなにない場所を歩く。そんな  場所だから人と遭遇する回数は少なかった。そんなだから旅に出て以来人と喋ることも滅多に無かった。話す相手といえばヴォルフザ  ームぐらいなものだ。それも傍目から見たら独り言を言っているようにしか見えない。

 「マーシャル」
 『……バタースコッチ』
 「アンゴラ」
 『セーブル』
  二人が何をしているのかと、ペットイタチの種類を言い合っているのだ。答えられなくなったら負けである。やはり、まったく声を  出さないというのも辛いので、こういう遊びもしているのだが、ヴォルフザームの声は涼香にしか聞こえないので、他人から見たら独  り言にしか聞こえない。だから、なるべく人目につくことを避けらればならないのだ。

 「えーっと」
  次は涼香の番だが、もう種類が思い浮かばなくなっていた。

 「あれ?」
  涼香は草地に駅のプラットホームらしきものを見つけて立ち止まった。駅名らしきものが記されている看板があるから駅名のだろう  が、周り草ぼうぼうで電車が走るような環境には見えんかった。

 『廃駅じゃないのか?』
 「違うと思いますよ。人がいます」
  確かにプラットフォームの上に人が立っている。しかし、その駅には改札口や券売機らしきものは見当たらなかった。見えるのはプ  ラットホームと看板だけだ。不思議に思った涼香はその駅まで行ってみることにした。幸いにして、駅にいる人間は涼香と同い年ぐら  いの少女だ。

 「すみません、ちょっといいですか?」
  涼香が声をかけると、その少女は「はい?」と振り返った。大人しそうな子だ。

 「なんですか?」
 「あ、いえ、ここで何をしているのかなって」
 「…列車を待っているの」
 「列車?」
  涼香は首をかしげた。確かに線路はある。でも、その線路でさえ草で覆われていてもう何十年も使用されていないのが涼香にもわか  った。その事を指摘しようかとも思ったが、それぐらいのこと言われなくてもわかっているだろうから、変な子だなと思いつつも放っ  ておくことにした。

 「もう日が暮れるから帰った方がいいですよ」
  それだけ言って行こうとしたら、少女が涼香に背を向けたまま訊いてきた。

 「あなた、どこの子? 見かけない顔だけど」
  涼香は返事に窮した。一人旅とは言えない。

 「ごめんなさい。余計なこと言って」
 「あ、そんな謝らなくても、私の方こそごめんなさい。ちょっと言えない理由があるの」
 「そう……」
 「じゃ」
  と今度こそ去ろうとしたら、また呼びとめられた。

 「ちょっと待って」
  涼香が振り返ると、今度はちゃんと涼香の方を向いて訊いてきた。

 「あなた、私の友達になってくれる?」
 「えっ?」
  これまた返事に窮する質問である。初対面の相手に友達になってと言われても困る。涼香は困惑したが、正直に答えることにした。

 「ごめんなさい」
  涼香にとって友達はタブーだった。すると、少女は悲しげに、

 「そう……」
  と呟いた。がっかりというよりも、やはりという諦めがあるように涼香には思えた。少し気にはなったものの、涼香は少女と別れる  ことにした。
  少女と別れた涼香は歩き続けて、次の町に入った。もう日が暮れて空が暗くなった。いつもなら人目が無いことを確認して変身して  高速移動となるのだが、どういうわけか大人たちがあっちこっち走り回っていた。何かを捜しているようだが。

 「まるで行方がわからない子を捜しているようだけど…」
  と、ここで涼香はさっき会った変な子のことを思い出した。ずっとあの寂しげな顔が気になっていた。もしかしてあの子の事か?  しかし、この町内から少女がいた廃駅とは随分と離れている。誘拐ではなく家出であそこまで遠く行くものなのか? 疑問に感じた涼  香は訊いてみることにした。面倒なことになるので普段なら自分から話しかけることはないのだが、どうしてもあの少女のことが気に  なってしまうのだ。別れた時はそんなに気にならなかったが、時が経つにつれ悪い予感がしてきたのだ。

 「すみません、何かあったんですか?」
  涼香は近くにいた30ぐらいの男を捕まえて訊いてみた。男は子供がこんな時間に外を出歩いているのを咎めるような目で見ながら  も、涼香と同い年の少女が行く方知れずになっていて近所の住民で捜し回っていると教えてくれた。その少女の特徴はさっき会った少  女とまさに一致していた。

 「私、その子知ってます」
  涼香は、詳細にその時の状況を伝えたが、男は廃駅という言葉に引っかかった。

 「廃駅? あんなところに廃駅なんかないぞ。鉄道が走っていたのは聞いたことあるけど」
 「えっ? だって」
  無いと言われても涼香は実際目にしている。駅名まで書いてあったのだ。しかし、男はそんな駅は聞いたことがないと言う。男が老  人に訊いてみても、あの町に駅ができたことは一度もないという。

 「そんな……」
  男と老人が嘘を言っているようには思えない。しかし、涼香にしても納得できるものではない。確かに駅は存在した。だが、今にし  て思えば少し変な駅だった。看板にある次の停車駅が片方しか書かれていないのだ。つまりは、あの駅が終着駅ということになるが、  線路はどっちの方向にもずっと続いていた。看板がボロボロで次の停車駅の名前はわからなかった。

 『…その娘がいじめに遭っていたとか虐待されていたとかないか訊いてみてくれ』
 「はい?」
  いきなりヴォルフザームに指示された涼香は戸惑ったが、指示通りに男に訊いてみた。すると、その娘・秋原若葉は学校でかなりひ  どいいじめを受けていたらしい。

 『やはりそうか』
  何がやはりなのか涼香にはわからなかった。

 『急いでさっきの廃駅にもどれ。手遅れになってしまうぞ』
  意味がわからない涼香は一瞬うろたえたが、手遅れという言葉にとりあえず急行することにした。男の「君も暗いから早く家に帰れ  よ」という言葉に適当に「はい」と返しながら、涼香は全速力で走った。だが、ここから廃駅までは距離がありすぎる。

 『変身して高速移動で向かえ』
 「ええっ?」
  涼香は耳を疑った。確かに高速移動ならずっと早く目的地に到着できる。しかし、それは若葉に変身した姿を見られるということだ。

 「どうして、そこまで急ぐ必要があるんです?」
 『説明は後だ。とにかく急げ』
 「…わかりました」
  涼香は、周囲に人の目が無いのを確認すると、ペンダントを握りしめた。

 「Metamorphose!」
  変身した涼香は高速移動であの廃駅に急いだ。高速移動は目にも止まらぬスピードで移動するので、人や物にぶつからないように注  意しなければならない。涼香は注意しながら移動していった。
  廃駅に着いた涼香は廃線となっている駅に列車が停まっているのを目撃した。列車に乗り込もうとしている乗客の中に若葉がいるこ  とを確認した涼香は叫んだ。

 「若葉ちゃん!」
  呼ばれて立ち止まった若葉は涼香を確認して驚いた顔になったが、すぐに列車に乗り込んだ。さすがに涼香も、あれが普通の列車で  無いことには気付いていた。一両編成の列車には運転手らしき人物がいないからだ。

 『急げ、あれは冥土特急だ』
  ヴォルフザームの冥土特急の言葉に涼香はだいたいのことを察した。列車のドアが閉まろうとしているのを見た涼香は高速移動で列  車に突っ込んだ。辛うじてドアが閉まる前に涼香は列車に飛び乗ることができた。涼香は列車の中を見回して、誰もが沈んだ暗い顔を  しているのに気付いた。その中には若葉も含まれる。

 「あなた、どうして……」
  若葉は涼香がここに来た事に驚きを隠せなかった。自分を捜しに来たのは名前を呼ばれたことでわかる。なぜ、自分を捜していたん  だろう。名前をどうして知っているんだろう。それに、一瞬で列車に飛び込んできたことや、さっき会った時とは違う服装など、只者  とは思えない。そんな若葉に涼香は優しく微笑んで手を差し伸べた。

 「さあ、若葉ちゃん。皆が心配しているよ。一緒に帰ろう」
  だが、差し出された手を見るなり若葉は顔色を変えて涼香の手を払いのけた。

 「嫌よ、いや!」
 「若葉ちゃん……」
  ヒステリーなくらい拒絶する若葉に涼香は困惑した。そりゃ、家出するぐらいだから家に戻りたくないのはわかるが、あの嫌がり様  は尋常ではない。さっき会った時は大人しそうな子だっただけに涼香は戸惑いを隠せない。

 「何があったの? いじめられていたとは聞いたけど…」
  涼香の学校にもいじめというものはあった。しかし、それでいなくなったりとか自殺したりとかはなかった。だから、涼香は若葉の  深刻な状況が理解できなかった。それが涼香の顔に露骨に出ていたことに若葉は反感を抱いた。

 「私のことなんかほっといてよ。あなたには関係の無いことじゃない」
 「それは……」
  涼香が返事に窮していると、ヴォルフザームが助け船を出した。

 『お前が思っていることを口にすればいい。我がお前をここに来させたのも、お前ならあの娘を助けたいと思うだろうからだ。この列  車はこの世での生に絶望した者が乗る冥土特急。一度発車すれば二度と引き返すことのできない片道切符だ』
 「冥土特急……」
  つまりは、この連中は自殺志願者の集まりということだ。

 「そんなものがあるなんて」
  信じがたい事実に涼香は愕然となった。それなら何がなんでも若葉をこの列車を連れ出さなくてはならない。いや、若葉だけじゃな  い。他の連中もだ。

 「皆さん、何も死ぬことなんてないじゃないですか。生きてさえいたら必ずいいことありますよ。諦めずに……」
  何とか説得を試みた涼香だったが、途中で乗客の一人の怒声に遮られた。

 「何も知らねえくせに利いた風な口を叩くな!」
  思い切り怒鳴られて涼香は縮みあがった。涼香は他人に怒鳴られたことがなかった。そんな涼香に乗客たちが集中砲火を浴びせた。

 「そうよ、赤の他人に私の気持ちがわかるもんですか」
 「何の不自由もなく暮らしているようなお子ちゃまは引っ込んでな」
 「もう、たくさんだ。お願いだから放っておいてくれ」
  まさに四面楚歌の状態となった涼香だが、たとえどんな理由があろうとみすみす目の前の人を死なせるつもりはない。ヴォルフザー  ムの助言通りに涼香が自分が思っていることをぶつけてみた。

 「確かに私は皆さんの悲しみや苦しみはわかりません。でも、だからといって死にたいと言う人をそのまま死なせることなんて私には  できません。皆さんは、生きたいのに生きられなかった人たちを知っていますか? 何も悪いことしていないのに殺されてしまった人  を知っていますか? 私はそんな人たちを助けたいと思って旅をしています。命を、安物の日常品みたいに簡単に捨ててしまう人を私  は絶対に許さない!」
  涼香の気迫に今度は乗客たちがたじろいだ。

 「死は誰にでも訪れます。生の時間は限られているんです。どうせ、最後は絶対に死を迎えるんです。だったら、限りある生の時間を  思いっきり使おうとは思いませんか。失敗したらまたやり直したらいいんです。夜が朝になるように、雨が晴れになるように、冬が春  にように、人生も辛い時があってもいつか必ず幸せな時が来ます。不幸にばかり気を取られて前に進むことを忘れないかぎりね」
  それは涼香の偽ざる気持ちから出た言葉だった。本当に相手のことを思っての言葉だ。そして、それは乗客たちにも伝わっていた。

 「私には未来がありません。ですから他の人たちの未来を守りたいんです。お願いです、私に皆さんの未来を守らせてください。お願  いします!」
  最後は涙を見せながらの哀願だった。他人のために泣ける。それまで涼香に罵声を浴びせていた乗客たちは、年端もいかぬ少女が自分  たちのために流した涙に心を動かされた。

 「そうだな。人生諦めるほどのこと何もしていなかったな、俺は」
  一人の男が自嘲気味に呟く。これで流れが変わった。あれだけ生に希望を見出せなかった連中が、生きる勇気を持つ気になってきたの  だ。乗客たちが生きる希望を抱き始めたことに涼香はホッとなった。そして、若葉と向き合う。

 「ごめんね、私あの時若葉ちゃんのこと何も知らなかったから酷いこと言っちゃった」
 「えっ?」
 「だからね、今度は私からお願いする。私と友達になってくれるかな? 私は桜谷涼香よろしくね」
 「あ……」
  若葉は涼香の差し出した手に戸惑った。自分が友達になってと言った時ははっきりと断ったじゃないか。それなのに、いま友達になっ  てとそっちの方から言ってくるなんて、まるで自分を憐れんでいるようで若葉は複雑な気持ちになった。でも、それでも友達になってと  言ってくれたことは嬉しかった。涼香の手を取ろうかどうか決めあぐねた若葉は恐る恐る訊いてみた。

 「どうして、さっき私が友達になってと言った時は断ったの?」
  若葉は涼香の本心が知りたかった。涼香が憐れみや同情なんかで自分に友達になってと言ったのではないとはわかっていた。もし、そ  れだけならこんなところにまで来るはずがない。しかし、一抹の不安もある。だから、訊いておきたいのだ。本当に本心から友達になっ  てくれるのかを。その若葉の真摯な眼差しに、涼香は目を背けずに答えた。

 「私はいつ死んじゃうかわからないから、なるべく親しい人を作らないようにしているの。仲が良いお友達が死んじゃったら誰だって嫌  でしょ? 私は二人の友達を死なせてしまった。私がしっかりしていたら死なせずにすんだのに。二人が死んだ時、私はすごく悲しかっ  た。だから、同じ気持ちを他の人に味わってほしくないの。あの時、あなたが友達になってくれるって訊いた時、正直嬉しかった。だっ  て、新しい友達ができるって素敵じゃない? でも、私にはその資格がない」
  実際のところ、いきなり見ず知らずの他人から友達になってと言われて、ハイいいですよと答えられるわけないと言うのが本音だった。  しかし、空気的にそんなことを言えないので涼香は慎重に言葉を選んだ。ただ、言っている内容に虚偽は無い。言っているうちに段々と  気持ちが昂ってきた。

 「私は友達を助けることができなかった。それどころか私自身が大事な人たちを殺してしまうかもしれなかった。だから、私は旅に出た。  誰も傷つけたくないから。でもね、やっぱり一人でいると寂しくなる時もある。家に帰りたいって思う時もある。本当は皆と一緒にいた  かった。でも、駄目なの。駄目なのよ!」
  いままでの蓄積されていた思いが噴き出た感じだった。肩を振るわせ泣いている涼香を見て、若葉は自分と同じくらいの年齢の少女が  とてつもなく重い物を背負っていることを悟った。それに比べたら自分の悩みなんて何てちっぽけなものだったのだろう。それは、他の  乗客も一緒だった。彼らにあるのは赤の他人を一生懸命に助けたいと願う少女を泣かせてしまったことへの贖罪の気持だった。

 「ごめんね、桜谷さん」
  若葉は涼香の手を両手で握りしめて謝った。

 「私がんばる。がんばるよ」
  自分の手を握りしめる強さに若葉の決意を感じた涼香はもう片方の手で握り返した。

 「うん、一緒にがんばろ」
  二人はようやく笑顔を見せあった。と、その時ちょうどタイミングを合わせたかのように列車のドアが開いた。

 「どうして?」
  涼香の疑問にヴォルフザームが答えた。

 『この列車は自らの意思で冥界に行きたいと望む者を乗せる冥土特急だ。一人でも生に未練がある者がいれば動かん。ましてや、全員が  生に希望を抱いたとなると、さっさと降りてくれということだろう』
 「ということは」
  涼香は人を助けることができたのだ。モンスターによる危害からではないが、助けることができた。それは少女に自信を与えた。涼香  たちが列車を降りると、冥土特急はドアを閉めて走り出した。列車は異空間に入り、次の停車駅に向かう。果たして、あの列車は冥土に  連れていく獲物を失ってがっかりしているだろうか、それとももしかしたらホッとしているかもしれない。そもそも列車にそういうこと  を考える心があるかどうかだが。涼香は何となく後者の気がしていた。根拠は無い。ただ、そう思うだけだ。全員が駅から出ると、誰か  が「あっ」と声を上げた。さっきまであった駅がなくなったからだ。

 「桜谷さん、なんで駅がなくなっちゃったの?」
 「えっ?」
  若葉に訊かれて涼香は驚きの声を上げた。彼女にはまだ駅が見えているのだ。周りの反応を見て、自分以外の人間の目に駅が映らない  ことに気付いた涼香は、自分なりに答えを考えてみた。

 「多分、皆さんが生きると決めたからでしょう。生きようとする人たちにあの駅は必要ありませんから」
  そして、涼香にだけ見えているのは彼女が魔力士だからだろう。涼香の解説に皆納得したようだ。一同はそこで解散し、涼香は若葉の  家までついていくことにした。頼まれたわけでもなかったが、きちんと家まで連れて帰ろうと思ったからだ。若葉宅までの帰路、涼香は  若葉の話を聞いていた。学校でのいじめのこと、誰も助けてくれないこと、両親は共働きで忙しく全然相談に乗ってくれないこと、教師  がアテにならないこと、いろんなことが重なって若葉は自分の未来に希望を持てなくなってしまった。

 「でも、桜谷さんに全部打ち明けてスッキリした。桜谷さんだけだったもん。私の話を真剣に聞いてくれたのって」
  ただ聞いて適当に相槌を打っていたのでなく、涼香はまるで自分のことのように若葉の話を聞いていた。人の痛みや悲しみがわかる。  それは人として大切なことだ。涼香にはそれがあった。それが若葉の涼香への信頼感となった。

 「ねえ桜谷さん、お願いがあるんだけど」
 「なあに?」
 「あのね…涼香ちゃんって呼んでいいかな?」
  それに対する涼香の答えは決まっていた。

 「うん、いいよ」
  いいも何も涼香はさっきから若葉ちゃんと呼んでいるのだ。自分がちゃんづけで呼ばれることに拒否反応があるはずがなかった。

 「ありがとう、涼香ちゃん」
 「ううん、こっちの方こそありがとう」
  まさか旅の途中で新規に友達ができるとは思っていなかっただけに、涼香はすごく嬉しかった。一度はすぐに別れるのだからと友達に  なるのを拒否したが、やはり友達という存在は大事だと再認識させられた。それに気付かせてくれたことに涼香は若葉に感謝していた。  あの時出会っていなければ涼香は若葉だけでなく他の乗客も助けることができなかった。初めて人を助けることができたことに涼香はす  ごく満足していた。二人はそれからしばらく歩いて若葉の町に入った。若葉にとっては二度と帰らないと思っていた場所である。それが  こうして戻ってきたことに若葉は何となく変な感じがした。

 「でも、結局はここが私の帰る場所なのね」
 「そうだよ。ほら、ああして心配して捜してくれている人たちがいる。若葉ちゃんは一人じゃないんだよ」
  暗くて遠いからはっきり見えないが、若葉の名を呼びながら捜している人たちがいた。自分のためにああして皆が捜し回ってくれてい  る。嬉しさと申し訳なさで若葉の目に涙が浮かんできた。

 「さ、行ってあげて。皆を安心させてあげようよ」
 「うん……」
  若葉は涙を拭きながら頷いた。そんな若葉に涼香は優しく囁いた。

 「忘れないで、あなたは決して一人じゃない。どんなに離れていても私たちは友達だから。ごめんね、私行かなきゃ」
 「えっ?」
  若葉が振り向いたときには涼香の姿はなかった。若葉は周りを見回したが、涼香はどこにもいなかった。

 「涼香ちゃん……」
  多分、涼香は他の人を助けに行ったのだろう。寂しくもあるが、それが涼香のしたいことならば自分はそれを応援するだけだ。きっと、  彼女ならいっぱい人を助けることができる。

 「ありがとう、涼香ちゃん」
  強く生きよう、あの子のように。そう決意して若葉は大きく手を振りながら、自分を捜してくれている人たちに向かって駆けて行った。


 『あれで良かったのか?』
  ヴォルフザームはやや気がかりそうに尋ねた。若葉とちゃんとしたお別れをしなかったことを言っているのだ。涼香は高速移動で若葉  の側から姿を消したのだ。

 「別れるの辛くなるってわかっていたからですよ」
 『そうか…』
  ヴォルフザームはそのことについてはそれ以上言わなかった。一件落着でめでたしといったところだが、涼香にはひとつ気がかりな事  があった。

 「私、皆の役に立てたんですかね」
 『何のことだ?』
 「あの人たちが死ぬのを思い止まったのって私の説得に応じてくれたのじゃなくて、私に同情してくれただけじゃないかって」
 『かも知れんな』
  結局は若葉も含め誰ひとりとして問題は解決していないのだ。

 「あれで私があの人たちを助けたことになるんですか?」
 『だが、あの時お前がいなければ、彼らは間違いなく文字通り人生最後の鉄道の旅を満喫していたことになる。たとえ、手段がどうあれ  お前がいたから彼らを助けることができたのだ』
 「…あの人たちは大丈夫でしょうか」
 『さあな。だが、一度死を覚悟したのだ。これからは何でも死ぬ気でがんばるだろう。あの娘もお前と出会ったことで勇気を持てたのだ。  心配はいらん』
 「勇気のあるところに希望あり、ですね」
  それは涼香にも言えたことだ。勇気を失いさえしなければ、これからも人を助けることができるだろう。それが限られた時間内に涼香  ができることだ。

 「行きましょうか」
  新しい友人との別れを惜しみつつも涼香は次の町へと向かった。



もどる

トップへ