さようならは言わずに



 夜の閑静な住宅街。普段は静かな場所なのだが、ここ最近はそうでもなかった。とはいっても、騒がしくて もどこからもクレームが上がることはない。なぜなら、誰もいないからだ。ここは異空間の一つで、我々が住 む世界とは左右が逆になっている鏡面空間なのだ。その鏡面空間で激しいバトルが展開されていた。しかし、 それも決着がつこうとしていた。両腕を切断された異形な生物モンスターの前に弓を構えて立つ少女涼香は何 ら躊躇することなく矢を放った。

「グヒャァアアア!」
 モンスターは悲鳴を上げながら消滅した。今日この日だけで涼香は3体のモンスターを葬っていた。モンス ターに襲撃されて命の危機に遭遇した涼香は、精霊ヴォルフザームと契約して魔力士に変身することによって 難を逃れた。だが、彼女の負った傷は深かった。肉体的な傷もそうなのだが、友達を見殺しにしたという自責 の念が彼女の心を傷つけていた。もし、あの時無理にでも引き留めていたら、月島は死なずにすんだかもしれ ない。その直後に涼香は月島を惨殺したモンスターを倒して仇は取っているが、それで月島が生き返るわけで もなかった。涼香にできることはモンスターを倒していくことで、二度と月島のような犠牲者が出ないように することだけだ。月島の墓前に涼香は魔力士として生きていくことを誓った。そうすることでしか亡き友の死 に報いることができないと思ったからだ。それから2週間、涼香はモンスター退治を続けていた。さっきの奴 で23体のモンスターを倒したことになる。涼香自身は気付いていないが、純白の戦弓士の名はモンスターの 間に広まりつつあった。大抵のモンスターは涼香を恐れてこの町から逃げたりしたが、中には涼香を倒して名 をあげようとするモンスターもいた。

 翌朝、涼香はいつも通り家を出て学校に向かった。さすがに一晩で3体のモンスターを倒すのはかなりしん どく、疲労は隠せないようだ。いや、毎日のように戦い続けていることで疲労が蓄積されているのだ。何とい っても2週間前までは涼香は普通の女の子だったのだ。

『少しは身体を休ませたらどうだ?』
 さすがに心配になったのかヴォルフザームが休養を取るよう言ったが、涼香は小さく首を横に振った。

「私は大丈夫です。健康優良児で学校から表彰されたこともありますから」
『それは結構だが、お前は何の訓練も積んでいないんだ。あまり無茶をすると身体が壊れてしまうぞ』
「私は自分にできることをやっているだけです。私にしかできないことを。だって、この町でモンスターから 皆を守れるのは私だけなんでしょ?」
『確かに近辺には魔力士も魔導師も確認できないが』
「だから私がやらなくちゃならないんです」
 本当は涼香もモンスターと戦うというような危険なことはしたくなかった。だが、知ってしまった以上、無 関係ではいられなくなった。もうこれ以上、月島のような犠牲者は出したくない。そして、自分にはその思い を実現できる力がある。それが、涼香の戦う理由だった。とは言っても、何もモンスターは人間のみを食すわ けではない。他の動物も食うし、自分より弱いモンスターを食べる時もある。むしろ、魔力士や魔導師の目が 光っている現状では人間を食べるのはそう滅多にないことだ。でも、それは絶対ではない。涼香が一番最初に 遭遇したモンスターは明らかに涼香を食べようとしていたし、食べる以外にも涼香が初めて倒したモンスター のように単なる殺害目的で人間を襲うケースもある。だから、涼香はモンスターをすべて目の敵にする必要も ないのだが、かと言ってどのモンスターが人間に対して無害かなんて経験を積まないとわかるものではない。 よって、どうしても無差別攻撃にならざるを得ないのだ。そうした涼香の行為はこの付近におけるモンスター の密度を著しく減少させた反面、一旗挙げようとするモンスターたちの標的になってしまい彼女の存在がそう したモンスターを招き寄せる結果にもなっていた。ここ数日、モンスターとの戦いが増えているのもそれが原 因であり、涼香は授業中にも居眠りするぐらい疲れていた。それでも、涼香は学校を休もうとしないし、夜の モンスター退治を中断して一晩ぐっすり眠るといったことをしようとはしなかった。そんな涼香をヴォルフザ ームは生き急いでいると感じていた。

『とにかく無理はしないことだ。今晩ぐらいはゆっくり休め』
 一晩ぐらい休んでもいいじゃないか。だが、涼香はそれに反論する。

「その一晩に仕留めなかったモンスターが誰かを襲うかもしれないじゃないですか」
 そんな事言ってたらキリがない。ヴォルフザームはそう言い返そうと思ったが、誰かが涼香に声をかけてき たので断念した。涼香が振り向くと、同じクラスの洸が手を振りながら向かってきていた。

「おはよう涼香ちゃん」
「おはよう」
 元気いっぱいの洸の挨拶に対し、涼香の挨拶は元気がなかった。心配そうに洸が涼香の顔を覗き込む。

「どうしたの? 元気ないみたいだけど」
「ううん、大丈夫」
 涼香は笑顔で否定したが、実のところかなり疲労が蓄積されていた。朝と昼は学校で夜はモンスター退治と 家事とくれば疲れるのは当たり前で、涼香はそれを2週間も繰り返しているのだ。傍目から見ても涼香の体調 が万全でないのは明らかで、洸も密かに心配していたのだが今日はさらに体調が悪そうだったのでどこか身体 が悪いのか訊いてみたのだ。しかし、涼香はどこも悪くないと言う。それは嘘だと洸にはわかっていた。やせ 我慢しているのは一目瞭然だからだ。

「本当に大丈夫? なんか最近おかしいよ。授業中に居眠りしてたり宿題忘れたりしてさ、涼香ちゃんらしく ないよ。結衣ちゃんも理穂ちゃんも心配していたし。やっぱし、あんなことがあったからかな」
 最後の台詞は何気なしに口にしたものだったが、涼香が顔を曇らせるのを見て洸はハッとなって謝罪した。

「ごめん、嫌なこと思い出させちゃったね」
 嫌なこととは涼香が初めてモンスターを倒したあの時のことである。あの事件でクラスメートの月島は殺さ れ、涼香も重傷を負わされたのだ。涼香の様子がおかしくなったというか、前とは違うようになったのはそれ からである。洸は涼香がまた自分が襲われるのではないかと怖がっていると見た。犯人がモンスターだったな んて言えるはずもないから、未だに犯人は存在し続けていることになっているのだ。当然のことながら、あれ 以来事件は起きていないが逮捕されたとの報道が無い限り安心できるものではなかった。しかし、真実を知っ ている涼香には皆が抱いているような不安は無い。だから、

「でも、もう大丈夫だよ。きっとすぐに犯人は捕まっちゃうから、ね」
 と洸が励ますように言っても、涼香は「う、うん」と返すことしかできない。もう、その犯人は現れないと は言えないから、涼香は皆に合わせるしかないのだが、それも結構疲れることだ。いっそ本当のことを言って やりたい衝動に駆られる時もあるが、誰も信じないだろうともわかっているから結局は黙っているしかない。 そのことは涼香に生まれて初めての孤独感を感じさせていた。それまでは何か悩み事があれば洸や他の女子児 童に相談していたし、相談を持ちかけられたこともあった。しかし、今回涼香は誰にも相談できない悩み事を 抱えてしまっているのだ。誰にも打ち明けられない悩みが涼香から持ち前の明るさを失わせていた。そこに連 日の疲労が蓄積されていくからどうしてもテンションが低くなってしまうのである。正直、こうして洸に話し かけられるのもうざいと感じたりもする。でも、善意によるものとも理解しているので、そのことを口にした りはしない。

(やっぱり、少しは休まないと駄目かな……)
 これ以上、周囲の人間に心配をかけるのもまずいと感じた涼香は今晩はぐっすり寝ることにした。ヴォルフ ザームの言うとおり戦士にも休息は必要なのだ。今日は塾も休みだから学校が終わったらまっすぐに家に帰っ て、夕食は出前を取ることにしよう。あとは風呂に入ったら寝るだけだ。宿題が出る可能性があるが、それは 明日にでも洸に見せてもらうことにした。問題は授業をちゃんと受けられるかどうかだ。
 結論から言うと、涼香は一時限目からすやすや眠りについてしまった。彼女の席は後ろの方の廊下側だから しばらくは教師に見つかることはなかったが、さすがにいつまでもというわけにもいかずとうとう発見されて しまった。

「桜谷さん、桜谷さんってば」
 後ろの席の飯島が声をかけるが、涼香は起きる様子もなく、

「駄目だよ詩織ちゃん、ちゃんと吊り線を光学合成で消さなきゃ。ほら、はっきり見えちゃってるよ」
 などと寝言を言っていた。一体、どういう夢を見ているのか。その間の抜けた寝言に周囲から「ぷぷぷっ」 と笑いが漏れた。教師も笑いかけたが、さすがに見過ごすわけにはいかないので涼香の席まで行き彼女の背中 を揺さぶった。

「起きてください桜谷さん。授業中ですよ」
「ふえ?」
 やっと目が覚めた涼香は頭をあげるが、まだ呆けているようだ。

「あれ? ここは……」
 キョロキョロと周りを見回す涼香。まだ事態を把握していないようだが、すぐにいまが授業中であることに 気付いた。

「目が覚めましたか?」
「す、すみません……」
 教師の言葉に涼香は項垂れた。そんな涼香を教師は心配そうに、

「大丈夫? なんだか最近元気が無いようだけど、しんどかったら保健室にいく?」
 涼香は少し考えて、

「・・・はい」
 いつもなら大丈夫ですと言うところなのだが、涼香の疲労は限界に近くこのまま授業を受ける自信を無くし ていた。だから、ここは教師の言葉に甘えることにしたのだ。

「じゃほけん係の人、保健室までついていってあげてください」
「あ、はい」
 ほけん係の女子が立ちあがって涼香の席に駆け寄った。

「大丈夫? 桜谷さん」
「ありがとう、みくるちゃん」
 涼香はみくるに付き添われて保健室に行き、しばらくベッドで休ませてもらうことにした。よほど疲労が蓄 積されていたのか、ベッドインしてほんの数秒で涼香は寝てしまった。
 涼香が目覚めたのは昼休みだった。洸と結衣と理穂が心配そうに涼香の顔を覗き込む。

「起きた?」
「うん……」
 涼香は返事すると保健室の時計で時刻を確認した。もう昼休みの時間になっていた。洸たちは給食を食べ終 わると、保健室に行って涼香が目を覚ますのを待っていたのだ。保健室の先生によれば授業の合間の休み時間 も3人は来てくれていたらしい。

「ごめん…気がつかなかった……」
「ううん、気にしないで。寝ていたんだからしょうがないよ」
 洸はそう言ってくれるが、3人は昼休みも潰しているのだから涼香としてはやはり申し訳ない気持ちになる。

「だから、気にしないでってば。涼香ちゃんだって私たちの誰かが寝込んだら見舞いに来てくれるでしょ?」
「うん……」
「私たちは友達なんだから、そのくらい当然だよ。だから、涼香ちゃんはちゃんと休んでて。それで良くなっ たら一緒に遊ぼ」
「洸のいうとおりだよ。涼香はすぐやせ我慢しちゃうんだからきちんと休まないと駄目だからね」
 結衣も理穂も涼香を真剣に気遣っていた。それは、涼香にとってとても喜ばしいことだった。

「・・・ありがと」
 だからこそ感謝の言葉も出るのだが、友達を見殺しにした自分が果たしてこんな待遇を受けていいのかとい う気持ちも涼香にはあった。

(また誰かが襲われたら今度こそ絶対に守る。もう誰も死なせない)
 それがせめてもの罪滅ぼしだと、涼香は布団の中で拳を握りしめた。だが、その決意も空しく次なる魔の手 が彼女の周囲に迫ろうとしていた。
 結局その日は、体調が回復しないことから早退することにした。顔色が優れない涼香に保健室の先生は病院 に行くことを勧めたが、涼香は大丈夫だと言って保健室を後にした。もう昼休みも終わろうとしていた。洸た ちはずっと付き添うと言っていたが、それはさすがに悪いと涼香が断ったのだ。何も不治の病に冒されて余命 幾許もないというわけではない。いずれすぐに一緒に遊べるからと説得すると3人は納得して先に保健室を出 て行った。
 荷物を取りに涼香が教室に戻ると、すでに結衣と理穂も戻っていたが洸の姿が見えない。涼香がどうしたの かと訊くと、一緒に教室に戻る途中で別れたらしい。すぐに、戻ってくると理穂は言ったが、涼香は何となく 嫌な予感がした。

「ちょっと私捜してくる」
 体調不良で早退するはずだったが、洸の顔を見ないと安心できない涼香は洸を捜すことにした。理穂による と洸は妹に会いに行っているらしい。

「多分、何も無いと思うけど」
 それは涼香の願望だった。別に洸が妹に用事があって会いに行く事自体はよくあることだ。だが、今回だけ はどうにも嫌な予感がして仕方がないのだ。そして、その不安を後押しするような事を涼香は洸の妹から聞か された。

「お姉ちゃん? ううん、来てないよ」
 涼香は本当に来ていないのか何度も訊いたが、妹の返答は変わらなかった。言いようのない不安に駆られた 涼香は学校中をくまなく捜したが、洸はどこにもいなかった。友人や先生にも訊いたが、誰も洸を見ていない という。

「そ、そんな……」
 洸は誰にも言わずに勝手に帰るような娘じゃない。それがどこにもいないということは、何かの事件や事故 に巻き込まれた可能性があるということだ。折からの体調不良で涼香はどうしても考え方がネガティブになっ てしまう。さらに、体調が優れないのに学校中を捜し回って、その上に親友の身に何か起きたかもしれないと いう心痛が重なった結果、不意に目まいが涼香を襲った。クラクラッとなった涼香はそのまま倒れそうになる が、何も無いところに亀裂が生じているのを見てなんとか堪えた。その亀裂は空間と空間のいわば出入り口み たいなもので、普通の人間には見ることができないものだ。そして、亀裂は自然にできるというものではなく、 誰かが作らなければ亀裂は発生しない。

「もしかして、洸ちゃんはあの中に……」
 涼香は亀裂を破って異空間にとびこもうとした。それをヴォルフザームが制止した。

『待て。行ってはならん』
「どうしてです。友達があの中にいるかも知れないんですよ」
『冷静になれ。まだお前の体調は回復してないんだぞ。そんな調子でまともに戦えると思っているのか?』  亀裂の先には敵がいるはずである。いまの涼香に戦闘は無理だ。ごく最近まで普通の女の子だったのが、い きなりモンスターと命がけの戦いをするようになったのだ。しかも、魔力を使う訓練なんか一度もしたことが ない少女がいきなり精霊の中でも最上級のヴォルフザームと契約したのである。涼香が体を壊すのも無理から ぬことだ。

『いま行ったところで友を救うことはできんぞ』
「でも、いま行かなかったら洸ちゃんは殺されてしまいます。私は皆を守りたいからあなたと契約して力を手 にしました。大事な人を守れないっていうのなら私は力なんていりません」
 涼香の断固たる決意にヴォルフザームも折れるしかなかった。

『わかった。お前の好きにしろ』
「ありがとうございます」
 涼香は礼を言うと、亀裂に右手をかざした。

「はっ!」
 涼香が右手から魔力を発すると、亀裂が広がっていきポロポロと剥がれおちていった。

『急げ、誰かにみられてしまうぞ』
「はい」
 涼香は両腕をクロスさせると、それで頭を守るようにして亀裂に突進した。亀裂の先は鏡面空間だった。涼 香がさっきまでいた学校と左右が逆になっている。

「洸ちゃんは?」
 目に見える範囲には見当たらなかった。まだ洸が生きているとしたら側に敵がいるはずである。涼香はペン ダントを両手で握りしめて変身の魔法を唱えた。

「Metamorphose!」
 変身してバトルジャケットを着用した涼香は洸を捜した。だが、捜索して見つかったのは大人の女だった。 無論、ここにいるということは普通の人間ではない。涼香が初めて遭遇するヒューマンタイプのモンスターだ。 いつも見かける獣人型のモンスターと違い、見た目は普通の人間と変わらないため涼香は女に向けて弓矢を構 えるも矢を放つのは躊躇した。そんな涼香の心境を見抜いているのか、矢を向けられているにも関わらず女は 平然としていた。

「あなたは誰?」
 涼香の問いに女は答えた。

「私の名はカヤ。あなたがモンスターと呼ぶ存在よ」
「モンスター……」
「勘違いしているようだけど、あなたたちは未知の生物をモンスターという言葉でひとまとめにしているの。 だから、化け物みたいなのもいれば私みたいなのもいるわけ」
「……どうして私の前に?」
「名を上げるためよ。あなたを倒せば名が上がるからね」
「どういうこと?」
「そのままの意味よ!」
 女は右手の指を伸ばすと、それを武器にして襲いかかってきた。涼香は狙いを定めようとしたが、目がかす んでターゲットをロックできない。

「くっ」
 涼香は咄嗟に左に逃げたものの、女の鋭くとがった爪が右腕をかすめた。知能が高いかわりに戦闘力はさほ どでもないヒューマンタイプのモンスターの攻撃ではバトルジャケットに守られた箇所を傷つけることはでき ないが、そうではない箇所には傷をつけることができる。女は1本だけ直接涼香の肌を傷つけた爪に付着した 涼香の血をぺろりと舐めると、今度は涼香の頭を狙ってきた。

「Protection!」
 涼香はシールドを展開して女を弾き返した。だが、体調不良の状態での魔法は涼香の体力を著しく消耗させ る。ましてやヴォルフザームと契約して戦う魔力士は他の魔力士と比べて魔力の消耗が激しい。魔力で補えな い場合は体力でということになり、それが涼香の体調不良の原因になっていた。

(このままじゃ死んじゃう)
 再び弓矢を構えるも、目がかすんで女をロックすることができない。しかし、涼香にはこれしか武器が無い のだ。一か八か、涼香はフルパワーで矢を放つことにした。無論、そんなことしたら涼香は立つこともできな いくらい疲弊するだろう。だが、これしか手段はなかった。女は矢とシールドを警戒しているのか攻撃してこ ない。

「エネルギー全開、フルパワー!」
 叫んだ瞬間、涼香を大きな魔力のオーラが包んだ。そのすごいエネルギーで大地も大気も震えた。

「な、なんなのこのパワー……」
 想像以上の涼香のパワーに女は恐怖した。

「これが純白の戦弓士の力だというの……」
 さすがにこれはやばいと感じた女は逃げようとしたが、その前に涼香が矢を放った。

「貫け、英雄の矢!」
 放たれた矢は狙いが定められていないため女を直撃することはできなかったが、そのものすごいエネルギー 量はかすめただけで女の右腕を蒸発させ、女の右半身に深刻な損傷を負わせた。人間なら死んでいるような負 傷だ。一命は取り留めたものの、戦闘は不可能な状態だ。動きたくても右足がほとんど機能していない。

「はあ…はあ…」
 動けないのは涼香も同様だった。体力を著しく消耗した涼香は膝を地面についたが、気力を振り絞って立ち 上がると矢を弓に番えた。だいたいの狙いをつけて矢を放つ。矢は女を外れたが、バランスを崩して転倒させ た。

「この……」
 女は起き上がろうとするが、その前に涼香が近寄って至近距離から女を狙った。これなら狙いをつけなくて も的を外すことはない。女は顔を引きつらせたが、すぐに切り札があることを思い出した。

「私をころしたらお友達も死ぬことになるわよ」
「えっ?」
「あれをごらんなさい」
 女が指差した方向には洸が立っていた。

「洸ちゃん?」
 洸は涼香の呼びかけに答えず、ナイフを自分の喉元に突きつけていた。

「私が死んだら自分の喉を刺すように催眠をかけてあるわ」
「なんてことを……」
「どうするの? 私を殺せばお友達も死ぬ。お友達を助けたければ武器を捨てなさい」
 勝ち誇った女の顔を涼香は睨みつけたが、洸を人質にとられていてはどうしようもない。しばらく逡巡した 後、涼香は両腕を下ろした。

『待て、武器を置いたらお前が死ぬことになるぞ』
 ヴォルフザームが警告したが、構わず涼香は武器を地面に置いた。武器を置いた涼香は同時に気力も萎えて しまってガクンと膝と両手を地面についた。体力がすでに限界の涼香は体を両手で支えることができずうつ伏 せに倒れた。逆に起き上がった女は、涼香が地面に置いた矢を拾ってそれを涼香の首に突きつけた。

「さんざんな目に遭わせてくれたけど、これでお終いね。死になさい」
「ま、待って、洸ちゃんは助けてあげて……お願い」
 涼香の哀願に女は哄笑した。

「自分が死にかけているのに他人の心配? 本当、人間って馬鹿ね。死ぬ前に教えてあげるわ。あれはあなた のお友達じゃないわ。見てなさい。もういいわよ」
 女が合図をすると洸が小さなモンスターに変わった。

「ど、どういうこと?」
「ふふふっ、言ったでしょ。お友達じゃないって。あれは何にでも変身できるモジャスというモンスターよ」
「じゃ、じゃあ本物の洸ちゃんは?」
「喰っちゃった」
「!」
 涼香は信じられないという顔で女を見上げた。そんな涼香を女は冷笑を浮かべて見下ろす。

「ちょうど、お腹が空いちゃったのよね。だから、おいしくいただきました」
「そ、そんな……」
「そんなに悲観しないで。あなたも食べてあげるから。モンスターを恐れさせた純白の戦弓士。さぞ、おいし いでしょうね」
「……許さない」
「ん、何か言った? よく聞こえなかったけど」
「許さない」
「誰が許してほしいって言った? 何をほざこ・・・・・・」
 女は本能的に危険を感じて言葉を途中で切った。

「な、なに、この殺気は…これが人間の殺気だというの?」
 涼香の体から発せられるモンスターをも恐怖させる殺気に女は自分が虎の尾を踏んだことに気付いた。ゆっ くりと立ちあがった涼香の両目は黄色く光っていた。




「?」
 口の中に異物を感じた涼香はそれを吐きだした。そして、口の周りに付着している物を手で拭うと赤い液体 が付いていた。

「血?」
 口の周りを確かめたが、どこも怪我をしていない。一体、何が起きたのか。

『気がついたようだな』
「何があったんです? モンスターはどこに?」
 辺りを見回したが、女の姿はどこにも無かった。モジャスというモンスターが腰を抜かして怯えた目で涼香 を見ているだけだった。ヴォルフザームは少し躊躇ったが、今後のためにと何が起きたか教えることにした。

『お前は暴走していたのだ』
「暴走?」
『お前が吐きだした物を見てみろ』
「あれが何か?」
『あのモンスターの成れの果てだ』
「なっ?」
 どういうことか涼香にはさっぱりだった。

「一体、何があったんです? なんで、あれが私の口の中に入ってたんですか?」
『……』
 ヴォルフザームは何も答えない。なんか躊躇っているようだ。その様子から涼香は何か異様なことが起こっ たのだと知った。

「・・・まさか」
 口の中の異物、そして口の周りにべっとりと付着した自分のではない血。これらを意味するものとは。導き 出される結論を涼香は信じたくはなかった。自分があのモンスターを喰ったなんて。それじゃモンスターと変 わらないじゃないか。

「うそよ……そんなの嘘に決まってる」
 涼香は頭を振って否定しようとしたが、否定しようにも直前の記憶が無いのでは否定のしようがなかった。 何よりも口の中に入っていた異物、あれは確かに肉の感触がした。そう、涼香は女を喰ったのだ。あまりにも おぞましい事実に涼香は両手で顔を覆った。体がガタガタと震え、精神的に異常になりつつあった涼香はそれ を無意識に振り払おうと力の限り叫んだ。

「いやあぁぁぁぁぁっ!!」
 少女の悲痛な叫びが辺りに木霊した。

 翌朝、学校へ向かう涼香と涼太の姉弟の姿があった。昨日までの体調不良が嘘みたいに涼香は元気そうだっ た。それもそのはず、この涼香はモジャスが変身したモノだからだ。本物の涼香は遠くからそれを眺めていた。

『いいのか? あれで』
 ヴォルフザームの問いに涼香は黙って頷いた。ヴォルフザームから自分が記憶の無い時に何があったか教え られた涼香は町を出ることにしたのだ。ヴォルフザームが言うには、涼香が彼の強大な力を使いこなすにはま だまだ未熟で、相手に対して強い怒りや憎しみを抱いた時に感情が制御できなくなって暴走してしまうらしい のだ。洸を殺されたことに怒りが爆発した涼香は暴走を起こして、女の頭を掴んで180度回転させて殺した あと、その肉をむしゃぶりついて腹が満たされると女の遺骸を矢で跡形もなく吹き飛ばしたのだ。そして、モ ジャスも食おうとした時に涼香が意識を覚ましたのだ。暴走状態に陥れば敵味方の区別なく襲いかかってしま う。自分の手で身近な人を殺めてしまうことを恐れた涼香は住みなれた町を出ることに決めたのである。問題 は涼太を一人残していくことだったが、モジャスが涼香に変身して身代りになると言いだしたので解決した。 暴走した涼香を間近で見たモジャスは恐怖で腰を抜かして動けずにいた。そのモジャスの自分を見る目が化け 物を見るような感じだったので涼香はモジャスを殺すのを躊躇った。ヴォルフザームがモジャスは人間を襲う ことは無いと言ったため、涼香は無理に殺すことはないと思い見逃すことにした。すると、自分が助かったこ とを知ったモジャスは涼香についていくと言いだしたのだ。変身能力以外は何の取り柄も無いモジャスはモン スターでありながら人間よりも力が弱い。そのため、モジャスは主を探して庇護してもらうのだ。女が死んだ ことで主を失ったモジャスは新しい主に涼香を選んだわけだが当然涼香はそれを拒んだ。しかし、執拗に食い 下がるモジャスに根負けして結局は主になることを了承した。そして、涼香が弟を残して町を出ることを悩ん でいると、モジャスが涼香の身代りになることで解決したというわけ。無論、モンスターと涼太を二人きりに することに不安が無いわけではなかったが、身の安全が保証されているかぎりモジャスは主を裏切らないとい うヴォルフザームの言葉もあって最終的にはモジャスに留守を任せることにした。

『それで、これからどうする気だ?』
「行くあてはありません。日本中を旅して人に危害を加えるモンスターを退治していくつもりです」
 涼香が町を離れるにはもう一つの理由があった。どうやら涼香がモンスターをこの町に引き寄せている要因 になっているらしいのだ。あの女みたいに、純白の戦弓士を倒すことで名を上げようとするモンスターが今後 も現れる可能性は十分にある。そういう意味では洸がモンスターに捕食されたのは涼香のせいだということも できるのだ。

『だが、その歳で一人旅は問題は無いのか?』
「大丈夫ですよ。昔の人が言ってたでしょ。可愛い子には旅をさせろって。いまのうちにいろんなところを見 てまわるのもいいでしょ?」
 努めて明るい口調にしているものの、やはり顔に憂いが浮かぶのはどうしようもなかった。住みなれた家、 慣れ親しんだ人々、生まれ育った町、それらと別れをするのだ。それも、誰にも言わずに。

「行きましょうか」
 涼香は町に背を向けて歩き始めた。さようならは言わない。きっといつか帰ってくるから。




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