第6話【大草原、血に染めて】
一方、さくらは各地を転々としていた。親類縁者がいないさくらには行くところがないのだ。ルーシーを探そうにもどこにいるのかがわからなければ探しよう
がなかった。だから、さくらは各地を転々としながら向こうから連絡してくるのを待つしかなかった。現在、さくらがいる場所は彼女が一度も行ったことが無い
ところである。まあ、いままで移動してきた場所も一度も行ったことがないのだが。さくらはたい焼き屋でたい焼きを2個注文した。
「はいよ、240円ね」
さくらはたい焼きを受け取ったが、代金を出そうとはせず相手の目をジーッと見つめているだけだ。すると、
「ああ、代金はいらねえや。それは俺のおごりだ」
随分と気前のいい親父だ。だが、さくらは礼も言わずに噴水の前のベンチに座った。
(一体、いつになったら現れるの?)
さくらはたい焼きを頬張りながら、いつまでも現れないルーシーに苛立っていた。もしかしたら、あの二人を警戒しているのか? 前みたいに水を差されるか
もしれないから。
(あの時、殺しておけば……)
もう少しで、金髪の方の女を殺すことができたのに思わぬ邪魔が入ってしまった。一体、あの二人は何者なのか。確か、時空管理局とか言っていたが。
(どこの誰か知らないけど、また邪魔したら今度こそ絶対に殺す)
あの時、学校の連中に変身しているのを見られた瞬間に、さくらは普通の人間ではいられなくなった。いや、もはや人間ですらない。さくらの体には人間ので
はなく、帝王の血が流れている。ミッド式やベルカ式の魔導師がリンカー・コアによって大気中の魔力を体内に蓄積して魔法を発動するのに対し、ゼクエスの魔
闘士はリーガル・コアによって体内の血液が変換させられその血液をバンパイアデバイスに与えることで戦闘を行う。よって、ゼクエスには外部に対する攻撃お
よび回復・治療系の魔法は存在しない。あるのは、移動系・転送系・身体能力強化系・索敵系のみである。前の戦いでルーシーが攻撃魔法を使っているが、それ
は彼女が元々ミッドチルダの魔導師だったからでゼクエスとミッドの混合ハイブリッド魔導師だからである。
それはさておき、精神的に壊れつつあるさくらは人を殺すことに何の抵抗も感じなくなっていた。幸い、まだ理性が働いているので人を殺したり死を強要した
りといったことはないが。しかし、時々いつになったら決着を付けられるかという苛立ちに、つい目に見える物すべてを破壊したい衝動に駆られることもある。
(そうだ、大騒ぎを起こせばひょっとしたら)
このまま向こうから連絡を来るのを待つのではなく、何か騒ぎを起こして向こうを誘い出す。
(名付けて高千穂作戦)
我ながら良い作戦だと自画自賛していると、それに水を差すかのように横から誰かが話しかけてきた。
「君、こんなところで何しているの?」
町内のボランティアでやっている地域見回り隊みたいなことをしている中年の男性だ。平日の昼間に子供が一人で公園にいてたら不審に思うだろう。
「学校はどうした? 駄目じゃないかサボったりしたら」
と、腕をつかんだ男をさくらは睨みつけた。すると、男はさくらの腕を放して、
「ごめんごめん、おじさんが悪かったよ。本当、こんなおじさんは社会から抹殺されるべきだね」
何を言い出すのかと思ったら、いきなり服を脱いでパンツ一丁になるとそのまま踊りながら走りだして、近くの小学校に乱入して女子児童の顔を舐めまわして
いったのである。最後は全裸になって校門で仁王立ちになっていたところを通報を受けて駆け付けた警察官に取り押さえられた。白昼に起きた事件にあたりは騒
然となった。
「村田さん、どうしちゃったのかしら」
「あんなことする人じゃないと思っていたのにねぇ」
「なんか日頃たまっていたものがあったんじゃないの」
「娘さん、来月結婚だっていうのに。大丈夫かしら?」
普段は真面目と評判だった人物の不祥事に近所の主婦たちの間にも衝撃が走ったようだ。だが、さくらはそんな程度の騒ぎでは満足していなかった。
(こんなじゃ駄目だ。もっと大きい騒ぎを起こさないと)
さくらはガソリンスタンドに目をつけた。あれを爆破したらもっと大きな騒ぎになる。そんなことになったら被害も甚大になるのは目に見えているが、いまの
さくらにはもう理性すらほとんど残されていないようだ。
「クスッ」
さくらの顔に残忍な笑みが浮かんだ。ちょうど都合よくタンクローリーが信号待ちで停まっていた。あれをガソリンスタンドに突っ込ませればドカーンだ。さ
くらは車に向かって走り出した。ぐずぐずしていたら、信号が青になってしまう。が、さくらは走り出してすぐに立ち止まってしまった。
「やっと来たわね」
さくらは赤色のバリアジャケットを身に纏い斧付きの槍を持った少女を憎々しげに睨んだ。さくらにとっては、すべての元凶がこのルーシーなのだ。元凶は魔
女の方だが、どこにいるかわからない。一方、ルーシーはそんなさくらを気の毒に思えた。最初会った時は戦いを知らない普通の少女だった。必死に戦いを止め
ようと自分に訴えかけてきた面影は微塵もなかった。
(私たちは本当は戦わなくても良かったかもしれない存在)
それがこうして殺し合いをしようとしている。ルーシーはさくらの放つ冷たい殺気に背筋が冷たくなった。自分がこの少女をこうまで変貌させてしまったのか。
(いや、もしかしたらこれが本性なのかも)
本当に普通の少女がゼクエスの帝王候補に選ばれるとは思えない。それに、あんな殺気を出せる娘が普通であるはずもない。残忍で知られたルーシーの世界の
治安部隊の隊員でさえあんな目をした者はいなかった。
「どちらにせよ、私もあなたももう逃げることはできない。いい場所が見つかったんだ。あそこなら誰にも邪魔されないよ」
ルーシーはさくらに手を差し出した。
「行こう、すべての決着をつけるために」
さくらは黙って頷くとルーシーの手を握った。
「次元転送、目標レフェントイシェル」
ルーシーの足元に魔法陣が発生して二人は別の世界に転送された。
転送された先は広大な大草原だった。「ここは?」と尋ねるさくらにルーシーは説明をしてやった。
「ここはステルファリ草原。この世界で一番広い草原だよ。この世界にはね、人間はほとんどいないんだ。だから、思いっきり戦うことができるんだよ」
それは、ここで死んだら埋葬もされずただ動物のように朽ち果てていくだけという意味でもある。
「もう、この世界に来た以上逃げ場はないよ。どちらかが死ぬまで終わらない文字通りの死闘だ」
「望むところよ」
さくらはブローチを手に取った。
「セタップ!」
「Yes, My Lord」
変身したさくらはルーシーに刃を向けた。
「木崎さくら。目標を殲滅する!」
「ルーシー・ブランケット、これより戦闘行動に入る」
二人の少女はそれぞれのデバイスに自分の血を与え、互いの命と想いをかけてぶつかった。ルーシーは魔槍を振り回してさくらに迫った。
「くっ」
さくらは魔槍をかわしながらも反撃の機会を伺った。長柄物は懐に入り込まれるとその長さが邪魔になって対処がしづらい。だが、その弱点は当の本人が一番
よく知っていることで、さくらに付け入る隙を与えなかった。
(このままじゃ……)
相手との武器の差にさくらは焦りを感じた。槍というものは突くだけのものではない。足軽が持つ長柄槍はむしろ叩く方に重点がおかれていた。また、槍を振
り回せば遠心力で相手の首を兜ごとふっ飛ばすこともできるのだ。ましてや主の血を与えられた魔槍の一撃はアフリカゾウをも一刀両断にできる。ルーシーより
も体格で劣るさくらにいたっては魔剣で受け止めても衝撃でぶっ飛ばされてしまう。
「一か八かやってみるか」
このままでは埒が明かないと、さくらはルーシーから距離をとった。
「飛ぶ斬撃ってやつを見せてやる」
さくらは魔剣に血を与えると、腰を低くして魔剣を横に構えた。
「烈風斬!」
さくらの右薙に放った斬撃はまっすぐにルーシーに飛んで行った。
「!」
ルーシーは魔槍を振りかぶってタイミングを見計らって振り下ろした。さくらの放った斬撃とルーシーの振り下ろした魔槍が交差する。
「ぐっ」
激しい衝撃でルーシーは魔槍を落とした。防御には成功したが、両手が痺れてしまった。
「いつの間にあんな技を……」
ゼクエスの魔闘士は攻撃手段のすべてをデバイスによる打撃に頼る。だが、工夫と鍛錬で離れた敵も攻撃することができるようだ。
(確実に強くなっている……)
下手に実戦経験を積ませすぎたとルーシーは早期に決着をつけられなかったことを悔いた。ただの思いつきと鍛錬であんな技なんでできない。実戦の洗礼を浴
びたことが大きかったのだろう。だが、ルーシーにはまだミッド式魔法も使えるというアドバンテージがあった。ルーシーは魔槍を拾うと、右に少し移動して止
まった。
「えっ?」
ルーシーの動きにさくらは目を疑った。ルーシーは右に少し移動して止まり、また右に少し移動して止まるのを繰り返したが、立ち止まった箇所にルーシーが
残されているのだ。言うまでもなく、これは幻術魔法の一種でヴァルタンシャドウというものである。
「分身の術?」
魔法について無知のさくらには忍者漫画の忍術に見えるのだろう。呆気に取られているさくらに、6人になったルーシーが襲いかかった。
「チッ」
さくらは何とか本物を見分けようとするが、目で見ただけでは本物と偽物の区別はつかない。振り下ろされる魔槍を魔剣で受け止めようとしたら、そのまます
り抜けてしまった。これで、そのルーシーは偽物と判明したが、頻繁に動き回るものだからすぐに分からなくなってしまう。それに、複数で同時に来られると、
どうしても全部対処することはできないから、対処できない方のルーシーが本物だったらさくらは無防備な時を攻撃されてしまう。なんとか、かわして致命傷は
避けているが体のあっちこっちを斬りつけられてしまった。
「何とかしないと……」
このままでは追いつめられる一方だ。さくらは必死に打開策を探った。
(あれをやってみるか……)
生前、祖父が言っていたことだが、さくらの曽祖父は戦場で国府軍の放った砲弾の破片で一時的に目が見えなくなった時に、相手の気配だけを頼りに襲いかか
る敵兵を銃剣で倒したことがあるという。
「相手の気を読むか……」
さっそくやってみることにした。目を閉じてルーシーの気配を探る。ところが、
「……わかんない」
目を閉じても暗くなるだけで何にもわからない。それも当り前の話で曽祖父はその時すでにかなりの達人だったからできたことで、いきなりやってすぐにでき
るものではないのだ。ましてや心を静かにして神経を研ぎ澄まさればいけないのに、いまのさくらにはとても心静かなんて無理だ。しかも、余計なことをしてし
まったためにルーシーに背中を斬りつけられた。
「!」
幸い深くはなかったが、さくらは背中に斜めの傷ができてしまった。ガクッと膝を落としたさくらは魔剣を地面に突き立てることで、辛うじて倒れるのを堪え
た。だが、自分でも背中から血が流れ出ているのが感触でわかる。それで、さくらはひらめいた。
「そうだ」
さくらは魔剣に何事か話した。
「どう、できるかな?」
「Yes, I can do it」
「よし、やってみる」
さくらは左手で魔剣の刀身部分を握った。
「痛っ」
左手の痛みにさくらは顔をゆがめた。一方、ルーシーはさくらの行動を訝しんだ。
「何をしようとしているんだろう」
さくらの真意を探りかねたルーシーはここで一気に決着をつけることにした。横一列に並ぶルーシー。ブリッツアリガーの態勢で構えて一斉に突進した。迫る
ルーシーにさくらは血がべっとりついた魔剣を縦に構えた。
「紅沫閃!」
さくらが魔剣を横に振るうと、刀身についたさくらの血がスプレーみたいに噴霧された。
「なっ!」
ルーシーはようやくさくらの意図がわかった。噴霧された血は幻影には通り抜けてしまうが、本物のルーシーには付着してしまう。さくらは自分の血で本物の
ルーシーを見分けたのだ。
「そこか!」
本物のルーシーを発見したさくらは間髪入れず魔剣を横に構えた。
「烈風斬!」
飛ぶ斬撃がルーシーに放たれた。
「プロテクトディフェンサー!」
ルーシーはミッド式の防御魔法で斬撃を受けた。もちろん、こんなチャチなバリアで完全に食い止められるとは思っていないが威力を削ぐことはできる。さっ
きみたいに魔槍でかき消そうとしたら、魔槍を落とした隙を今度こそ突かれてしまう。そう判断したからだが、さくらは斬撃を放った後すぐにルーシーに突進し
ていた。さくらの狙いはルーシーを動けなくして渾身の一撃を放つことだった。
「でぇぇぇぇぇいっ!」
斬撃の威力がまだ残っている時にさくらの一撃がプラスされたことで、ルーシーのバリアは脆くも破壊された。
「うわぁぁぁぁぁっ!」
衝撃でルーシーは後方にふっ飛ばされた。しかも、その途中で魔槍を落としてしまったのだ。
「しまった!」
すぐに魔槍を取りに行こうとするが、地面に背中を強打して思うように動けない。
「いまだ」
千載一遇のチャンスにさくらはルーシーに斬りかかった。サッカーでいえばゴールキーパーと1対1になっている状況だ。さくらは初めて自分の勝利を確信し
た。だが、ルーシーは冷静だった。さくらを十分に引き付けたところで、ルーシーはさっと右手を上にあげて掌を空に向けた。
「サークルスラッシュ!」
ルーシーは掌の上に円盤状の魔力弾を形成すると、それをさくらに向けて放った。激しく回転しながら迫る魔力弾にさくらは完全に不意を突かれた。もう防御
は間に合わない。
「ちっ!」
さくらは咄嗟に体をそらしてかわそうとしたが遅かった。魔力弾はさくらの左腕を切断した。
「うっ!? うあぁぁぁぁぁっ!!!」
激痛にさくらはのたうち回った。敵にトドメを刺す前に油断してしまったのが間違いだった。遠足は家に帰るまでが遠足、戦いは相手を完全に叩き伏せるまで
が戦いなのだ。ルーシーはその隙に魔槍を拾って、さくらの体を突き刺した。
「ゴフッ」
口から血を吐くさくら。魔槍は今度こそさくらの体を貫いた。
ルーシーは今度こそ勝利を確信した。魔槍は確実にさくらの腹を貫いている。本当は胸を狙いたかったが、深手であることは間違いない。それに対して、さく
らはまだ諦めていないのか右手で魔槍の柄をつかんだ。抜こうとしているのだろうか。
「無駄なことを」
ルーシーは魔槍をさらに深く突きいれた。
「ガハッ」
口からさらに血を吐いたさくらは、両膝を地面についてガクッと項垂れた。魔槍をつかんでいた手にも力が入らなくなりダラーンとなった。
「あなたはよくがんばった。でも、もうここまでだ」
ルーシーが魔槍を抜くと、さくらの腹が大量に出血した。このままでも、出血大量でさくらは放っておいても死にいたる。だが、ルーシーは槍でさくらの胸に
狙いを定めた。せめて、苦しませずに眠らせてやりたかったのだ。
「さようなら」
心臓を一突きさえすればすべては終わる。そして、ルーシーがさくらに止めを刺そうとした時、さくらが落ちていた魔剣を拾ってルーシーの顔面に斬りつけた。
「きゃあああああっ!?」
左目を斬りつけられルーシーは悲鳴をあげた。さくらの最後の力を振り絞っての反撃だった。目を傷つけられたルーシーが怯んでいる隙に、さくらは背中に羽
を発生させて全力でその場から離脱を図った。
「逃がすかっ!」
ルーシーは左目を抑えながらも、空を飛んでいるさくらを射撃魔法で撃墜しようとした。ただ、左目を負傷している状態では狙撃は不可能なので、多数の魔力
弾で撃ち落とすことにした。いまのさくらには回避は無理だし、よしんばAIシールドで防いだとしても重傷を負っている状態ではバランスを崩して地面に落下
してしまうはずだ。
「ファブリックショット!」
周囲に発生した魔力弾をルーシーは一斉に発射した。無数に迫る魔法弾に気付いたさくらはAIシールドを展開して防いだが、ルーシーが予想した通りバラン
スを崩して真っ逆さまに落ちて行った。いくら、ゼクエスの魔闘士でも200mの高さから落ちたらひとたまりもない。ところが、どこからか大きい飛竜が飛来
してきて、落下しているさくらを助けたのである。
「アルザスの飛竜? なぜ、ここに?」
アルザス地方に生息しているというあの飛竜が、この世界にもいるなんて事は聞いてない。よく見ると、飛竜に二人の人間が乗っていることからどちらかが召
喚したものだろう。恐らく、後ろで手綱を握っているのが召喚士で、前にいるのが槍タイプのデバイスを持っていることから多分ドラゴン・ナイトだろう。しか
し、ドラゴン・ナイトだろうとドラグーンだろうとルーシーには関係なかった。邪魔する者は排除するだけだ。
「おちろ、ストライクイーグル!」
ルーシーは大きめの魔法弾を飛竜に向けて放った。単発の射撃魔法ではこれがルーシーの最強魔法だ。あの図体なら精密に狙わなくても命中するはずだ。しか
し、飛竜はルーシーの放った魔法弾をかわすと全速力で離脱した。
「飛竜にあんな動きをさせるなんて…あの召喚士、ドラゴン・ライダーとしても優秀のようね」
飛竜が飛び去った方向をルーシーは空しく見つめるしかなかった。
その、さくらを救った飛竜に乗っていた二人組だが、二人は辺境自然保護隊のエリオ・モンディアルとキャロ・ル・ルシエで、たまたま偶然パトロールの帰り
に通りがかったところをさくらがルーシーに撃墜されるのを目撃して急行したのである。希少動物の保護のためこの地域は許可無き人間の出入りを禁止しており、
本来なら地上にいたルーシーに事情を訊かなければならないところだが、ルーシーが攻撃してきたこととさくらが一刻も争う重傷だったこともあって、とりあえ
ずさくらを病院に連れていくことを優先した。すでにさくらの意識はない。当然だ。出血がひどすぎる。
「大変、このままじゃ死んじゃう」
治癒魔法でさくらの治療を試みたキャロだが、傷口をふさぐことすらできなかった。バンパイアデバイスによる負傷は治癒魔法では治療することが難しいのだ。
「とにかく急ごう、キャロ」
エリオが声をかけると、キャロは心得ているとばかりに頷いた。
「うん、フリードお願い」
キャロは飛竜のフリードリヒに機動力を上げるブーストアップの魔法をかけた。スピードアップしたフリードリヒは、猛スピードで自然保護隊の支部に急行し
た。支部にはエリオが事前に連絡していたため、フリードリヒが到着した時には医師と看護師が待機していた。
「先生、お願いします」
「患者は?」
女性の医師はキャロに抱きかかえられているさくらの容体を診て急いで医務室に運ぶように指示した。
さくらが目覚めたのはベッドの中だった。
「…ここは?」
頭がボーっとして状況がよくつかめない。
「知らない天井だ……」
さくらはしばらく天井を眺めていたが、やがて左腕の感触がないことに気付いた。
「?」
気になって左腕に目をやったさくらは、自分の左腕が無くなっているのを見た。
「!」
ようやくさくらは自分の身に何が起きたか思い出した。ルーシーとの戦いでさくらは左腕を切断された上に腹を刺し貫かれたのだ。それでも、最後の力を振り
絞ってルーシーの左目を斬りつけて空を飛んで逃げようとしたが、ルーシーに撃墜されたのだ。
「でも、なんでここに? そんなことよりここどこ?」
見た感じ病院の個室みたいな感じだが、どうして自分がこんなところにいるのかさくらは理解できなかった。ここはミッドチルダにある病院で、さくらは応急
処置を受けたあとこの病院に搬送されたのだ。だが、そんなことはまったく知らないさくらは状況が把握できないだけに不安にかられた。それ以上に、ある事実
がさくらの心を痛めつけた。
「私は死ぬところだった」
槍で腹を貫かれた感触がよみがえる。危うく死にかけたことで恐怖にかられたさくらはガタガタと体が震えだした。
「そうだ、グラムは?」
さくらは自分のデバイスを探したが、部屋をどこを探してもブローチは見つからなかった。
「そんな……」
あれがないと、さくらは変身ができない。変身ができないさくらは、ただの小娘にすぎない。自分の身を守る唯一の手段さえも失ったさくらは、病室の中で一
人愕然とするしかなかった。
そのさくらがいる病室だが、普通の病室ではない。一般病棟から隔離された特別病室なのだ。なぜ、そんな病室に入れられたかというと、検査でさくらの血液
や細胞が人間とは異なっていることがわかったからだ。念のためにさくらの世界で以前の彼女の身体データを調べたが、おかしな点は一切なかった。
「ってことは、どういうことだ?」
特別病棟の待合室でヴィータがフェイトに尋ねた。
「つまり、そのさくらって娘といま病室で寝ている娘は違うということになるかな」
フェイトは自信無さ気に答えた。いままで、彼女は病室で寝ている魔導師の名前を木崎さくらと思っていた。ティアナが入手したさくらの写真と瓜二つだから
だ。
「でも、違うんだろ?」
ヴィータの言うとおり、検査でさくらは人間でないことが判明した。ゼクエスの帝王候補に推挙された者は人間の上位種に体を作り変えられる。しかし、その
ことを知らないフェイト達からしたら別人と認識せざるを得なかった。
「とにかくあの娘が目を覚ますのを待つしかないね」
目を覚ましたところで素直に事情聴取に応じるかフェイトには確信が持てなかった。エリオから知らせを受けて駆け付けたものの、想定外の事実が判明したこ
とでどうしていいかわからなくなってしまった。ちなみにヴィータはたまたま時間があったので様子を見にきただけだ。彼女もフェイトから二人の魔導師のこと
を聞かされていたのだ。フェイトがやけにその二人にこだわっているのも気になるが、同時にはやてから聞いたカリムの預言のことも気になっていた。預言にあ
る帝王とさくらが口にした帝王は同一なのか。そうだとしたら、帝王とはいかなる存在なのか。さくらが目を覚ましたらそのことも訊かなければならない。
「あ、そうだ。なあフェイト、その娘が持っていたデバイスの解析はどうだったんだ?」
「シャーリーにやってもらってる。もうそろそろ結果が出ると思うけど、ちょっと呼んでみる」
フェイトはシャリオを呼び出した。空間モニターにシャリオの顔が映し出される。
「はい、こちらシャーリー。あ、フェイトさん?」
「ごめん、シャーリー、頼んでおいたデバイスの解析どうだった?」
「ああ、それがですね…」
「駄目だったの?」
「すみません。時間がかかりますね、あれは」
「そう…ありがとう。ごめんね面倒なことさせて」
「いいんですよ。好きですからこういうの。そうだ、いまからそっちに持って行きましょうか?」
「えっ?」
「もうそろそろ、このデバイスの主という娘も目覚めるんでしょ? 本人に訊いてみたらどうかなって」
「どうする?」
フェイトはヴィータに意見を求めた。
「いいんじゃねえか。あたしもそのデバイスに興味があるかんな」
「じゃあ、お願いできる?」
「はい、すぐに行きますからね」
30分後、シャリオが到着した。ちょうどタイミングよくさくらが目を覚ましたと看護師から知らせがあった。早速、話を訊くことになったが、フェイトはさ
くらが素直に応じるか不安だった。さくらが自分たちを敵視していることを知っているからだ。特に戦闘で負けて重傷を負った直後だけに、精神的に不安定にな
っているだろう。
一方、さくらはベッドの上で膝を抱えてガタガタ震えていた。気がついたら、見知らぬ天井があってどこかわからないところに監禁されている。窓は無いしド
アは外側からカギがかけられていて開かない。完全な密室だ。変身すれば簡単に壁を破壊して脱出できるが、ブローチがどこにもない。
「一体なんなの?」
さくらは状況がまったくわからなかった。自分はなぜこんなところにいるんだろう。ルーシーはどうしたんだろう。ルーシーが自分をここに閉じ込めたとは考
えられない。そうする理由が無いからだ。それとも、ここがあの世とやらだろうか。試しにさくらは自分の頬をつねってみた。
「痛い」
痛覚があるなら肉体は生きている。まだ、死んではいない。なら、ここはどこなんだ。
「とにかくグラムを探さないと」
いまの状態でルーシーに襲われたら、今度こそ間違いなく殺されてしまう。いや、変身したとしても左腕が無い状態ではルーシーとまともに戦うことはできな
い。その事実に気付いたさくらは愕然とするしかなかった。そこへ、ドアの外から足音が聞こえていた。
「!」
さくらは隠れる場所を探したが、生憎とそんな場所はなかった。やがて、足音が消えてドアをノックする音が聞こえて鍵をあける音がした。さくらは警戒しな
がら、ドアを開けて入ってくる人間を見た。入ってきたのは4人。フェイトとヴィータとシャリオと担当の医師だ。
「あの人…確か……」
さくらはフェイトのことを思い出した。学校でルーシーと戦ったときに邪魔した魔導師だ。あとの自分と同い年ぐらいの赤毛の目のするどい少女とメガネをか
けた女性と医者らしき女性は初めて見る顔だ。と、その時、さくらはメガネをかけた女性シャリオがブローチを手にしているのを見た。
「返して!」
シャリオに飛びかかろうとするさくらだったが、ヴィータに阻まれてしまった。
「おっと、返してほしかったらこっちの質問に答えるんだな」
さくらはヴィータを睨みつけるが、ヴィータはまったく動じない。
(通じない?)
自分と年齢的にそんなに変わらないくせにと思いながら、さくらは今度はシャリオに視線を合わせた。シャリオもさくらの視線に合わせた。すると、シャリオ
が前に出てきた。
「シャーリー?」
横にいたフェイトが不審に思って声をかけるが、シャリオはそれを無視してブローチをさくらの方に投げた。
「なっ?」
ヴィータが驚きの声をあげた。さくらを変身させてしまったら取り押さえるのも苦労する。それがわかっているから、さくらからブローチを取り上げたのだ。
「何のつもりだ!?」
ヴィータはシャリオを怒鳴るも、もう遅い。さくらはブローチをキャッチすると変身した。
「セタップ!」
「Yes, My Lord」
変身を終えたさくらは、魔剣に血を与えていとも簡単に壁を破壊して外に脱出した。
「逃がすかっ!」
ヴィータも変身してさくらを追いかけて外に飛び出した。だが、フェイトは錯乱しているシャリオが気がかりで一緒に行けなかった。
「なんで私あんなこと……」
シャリオは自分でもなぜあんな行動したのかわからないようだった。フェイトが問い詰めるも、シャリオ自身がわからないのではどうしようもなかった。
(これってティアナの時と同じだ)
初めて、さくらと遭遇した時にせっかく捕縛したさくらをティアナが勝手に拘束を解除した上に、逃げるさくらをフェイトが追いかけるのを妨害したのだ。あ
の時も、ティアナはなぜあんなことをしたのかわからないと言っている。ティアナは催眠術のようなものをかけられたのではと言っていたが、シャリオも同じよ
うに催眠術をかけられたのだろうか。
「落ち着いてシャーリー、あなたのせいじゃないから」
そうシャリオを慰めるフェイトだが、さくらを追いかけて行ったヴィータも心配だった。
「先生、シャーリーを頼みます」
まだ気持ちが落ち着いていないシャリオを医師に任せて、フェイトもさくらを追いかけることにした。
「いくよ、バルディッシュ」
「set up」
変身して外に飛び出したフェイトは、さくらとヴィータのところに向かった。二人は病棟からそんなに離れていないところで対峙していた。
「遅れてごめん」
謝罪するフェイトにヴィータはさくらから目をそらさずに言った。
「ああ、シャーリーの様子はどうだ?」
「先生に任せてきた。本人は自分でもよくわからないようだったけど」
「そうか、ってことはあいつが何かしたということになるか」
「多分、でも証拠がない」
「だったら、とっとこ捕まえて吐かせようぜ」
「うん……」
威勢の良いヴィータに対し、フェイトはさくらと交戦経験があるのでどうしても自信無さ気になってしまう。いとも簡単にバルディッシュを破壊されたのだか
ら無理もない。そんなフェイトの気持ちを察してヴィータが励ました。
「大丈夫だ。あたしもついている。前みたいなことにはならねーよ」
「うん、そうだね」
フェイトは力強く頷いた。いまは、目の前の少女の身柄を確保することに集中しなきゃならない。聞きたいことは山ほどある。だが、さっきまで俯いていたさ
くらが顔を上げた時、フェイトとヴィータは息を呑んだ。冷たい殺気に満ちた目。ヴィータですら背筋が凍るのを感じるくらいの鋭い目。それだけではない。さ
くらの両方の瞳孔が赤く光っていたのである。