第4話【敵か味方か】
戦いが終わった後、ルーシーはこの世界での拠点としている邸宅に戻っていた。これは、ある富豪が別荘としているのをルーシーに貸し与えているものだ。な
ぜ、赤の他人のルーシーに別荘をタダで使わせているのか、それは別荘のオーナーがルーシーにそう約束したという風に記憶を書き換えられているからだ。これ
がルーシーに与えられたゼクエスの能力だ。
「お嬢様、紅茶をお持ちいたしました」
男の使用人が紅茶と菓子を持ってきた。
「ありがとう、そこにおいといて」
「かしこまりました」
使用人が紅茶と菓子をテーブルの上において一礼してから去るのを横目で見届けたルーシーは紅茶を口に運んだ。
「平和ね」
庭で紅茶飲んでくつろぐなんて、いままでには考えられないことだった。ゼクエスの力がある限り、自分はこうして何不自由ない平和な暮らしができる。
「いっそのこと、このままでもいいかもね」
ふと、そんな考えが頭をよぎる。だが、その度に仲間や第30地区の住民たちの死が思い起こされる。容赦ない政府軍の攻撃で頭が吹っ飛ばされた者、爆弾で
体が四散して腸が空中に舞った者、公園でいちゃついている時に毒ガスで死に至ったカップル、結婚式の最中で同じく毒ガスで人生最良の日を終焉の日とされて
しまった新婚さん。彼らの悲惨な死に様が頭から離れないのだ。いまでも、ルーシーの故国では内戦が続いており、大勢の人が犠牲となっている。故国の人々が
これ以上犠牲にならないためにも、ルーシーは一刻も早くゼクエスの帝王にならなければならない。だが、過日の戦いで性急に事を運ぼうとして情報収集を怠っ
た結果、さくらに思わぬ不覚をとって以来ルーシーは慎重に行動することにしていた。
「果報は寝て待て、か」
この世界で知った言葉だ。気が急いてばかりいると、思いがけないミスを起こしてしまうかもしれない。ルーシーは使い魔がさくらのことを調べ上げている間、
この森に囲まれたプール付きの別荘でくつろぐことにしたのである。借り物とはいえほとんど自分の物といっていい。その気になれば、無償で譲渡したとオーナ
ーの記憶を書き換えることもできる。
「便利な能力ね」
クッキーを割って地面にいる小鳥に与える。菓子とはいえ食べ物をこうして動物に与えることはいままでなかった。食料が常に不足していたからだ。小鳥たち
がクッキーをつついているのを微笑ましく眺めていたルーシーは紅茶を飲み干すと、椅子から立ち上がって使用人に出かけることを告げた。
「どちらへ?」
「ちょっと散歩してくる」
「かしこまりました。お気をつけていってらっしゃいませ」
いちいち慇懃にお辞儀をする使用人にちょっとうんざりしつつも、こうしたお嬢様暮らしも悪くないともルーシーは思った。彼女が借りている別荘がある森は
動物もたくさんいて、自分の世界にはいないこうした動物たちを観て回るのが好きだった。
「あ、ウサギ」
草むらからウサギが顔をのぞかせていた。この耳が長い不思議な動物がルーシーのハートを見事なまでに捕えてしまっていた。
「おいで」
しゃがんで手招きするルーシーだが、ウサギは森の方に逃げて行った。
「やっぱりわかるんだ。怖い人間だって」
寂しそうにつぶやくルーシー。ゼクエスの帝王候補がなぜ天涯孤独でなければならないのか。それは絶対なる支配者は孤独でなければならないからだ。だから、
親兄弟も頼りになる親戚縁者も心の友も持つことが許されないのである。ルーシーは親はとうの昔に死んでいるし、育ててくれた仲間も全員死んでしまった。デ
ーターでルーシーの事を知っていても、生身の彼女を知っているものは神官やさくらをのぞけば絶無である。神官はどうやら人間ではなさそうだから、人間でル
ーシーを知っているのはさくらだけということになる。別荘のオーナーや使用人、最近知り合った近くのコテージの富豪令嬢らしき女性はルーシーを知っている
と言えなくもないが、その素性までは全然知らない。ルーシーも彼らのことをそんなに知らないし、知る必要もないことだ。
ウサギに振られてしまったルーシーは気を取りなして立ち上がろうとした。その時、ルーシーは木々の向こうに何かを感じた。気になって森の中に入って行っ
た。
「この辺だと思うけど」
ルーシーは周囲を見回したが草で見にくい。草をかき分けて探していると赤紫色のクリスタルが落ちていた。
「ディアス? こんなところに?」
珍しい拾い物をまじまじと見つめるルーシー。少し前までなら貴重な価値があるものだが、いまのルーシーにはただの石ころの価値しかなかった。捨てるのも
何なのでルーシーは持っておくことにした。
「そうだ、加工してもらってアクセサリーにでもしよう」
さっそく別荘にもどって使用人に業者にでも注文してもらおうと、道に出たルーシーは二人組の若い女性と出くわした。
(この世界の人じゃない…)
他次元世界の人間が何の用で? 不審に思いながらも軽く会釈してやりすごすことにした。すると、向こうから声をかけてきたではないか。
「あ、ちょっといいかな?」
「…なんですか?」
警戒している様子のルーシーに、長い金髪の女性は少し困ったような顔になった。
「そんなに怖がらなくてもいいよ。決して怪しい者じゃないから。ちょっと聞きたいことがあるんだ」
泥棒が自分を泥棒と自己紹介しないのと同様で、怪しい者が自分を怪しいとは言わないだろう。だから、ルーシーも二人への警戒を解かなかった。二人が魔導
師であるなら尚更だ。
「この辺に、このくらいの大きさの赤紫色のクリスタルみたいなの落ちてなかったかな?」
「……」
どうやらこの二人はディアスを探していたらしい。ルーシーは無意識にディアスを持った手を後ろに隠した。そこを金髪の女性は見逃さなかった。
「ごめん、その手をちょっと見せてくれる?」
ルーシーは一瞬躊躇ったが、言われたとおりにディアスを持っている方の手を広げて見せた。二人組はお互いの顔を見合わせた。
「これ…ですかね?」
オレンジ色の長い髪の女性が自信なさげに尋ねた。本物を見たのは初めてらしい。それは金髪の女性も御同様のようだ。
「うん、多分そうだと思う」
こちらも自信がなさそうだ。
「これ、お姉さんたちにくれないかな?」
「えっ?」
唐突に何を言い出すんだというようなルーシーは二人を見た。別にいる物ではないが、見ず知らずの他人にくれてやるつもりもない。
「これはね、非常に危険なものなんだ。だから、ね?」
危険なのはルーシーも知っている。だからこそ、それを知っている者にディアスを渡すわけにはいかない。使いようによっては大金を稼ぐことも立身出世を果
たすこともできる。ルーシーは二人の記憶を書き換えることにした。まずは金髪の女性から。ところが、何度ゼクエスの能力を発動させても女性の記憶を書き換
えることができない。
(この人…かなりの魔力の持ち主だ)
まだ若いのに。二十歳ぐらいか。オレンジの髪の女性はそれよりもいくつか年少のようだ。
「駄目、かな?」
金髪の女性は自分が記憶を書き換えられそうになったことに気付いていないようだ。どうするかルーシーは迷った。ディアスを彼女らに渡す義理はない。持ち
主というのなら返すべきだが、14年前に49個に散らばったディアスには持ち主なんてものはいない。持ち主がいないというのであれば、拾った者が持ち主に
なるのではないだろうか。つまり、この場合はルーシーがこのディアスの持ち主であって、それをどうしようかはルーシーが決めることだ。
「…いいですよ」
ルーシーは迷った末にディアスを渡すことにした。ディアスは人の心を操るとされている。だが、人の記憶を自由に書き換えられるルーシーには必要ないもの
だし、ゼクエスの帝王候補である彼女には1個や2個のディアスは通用しない。もし、断って力ずくで来られたらゼクエスの力が通用しない相手だけにどんな苦
戦を強いられるかわからない。しかも、相手は二人だ。ここは余計な諍いは避けた方が賢明だろう。
「ありがとう、ごめんね」
ほっとしたような顔で金髪の女性は礼を言った。その優しそうな顔はディアスを悪用しそうには見えないが、人は見た目で判断してはいけないというのがルー
シーの経験則だ。
「君、この辺の子?」
「ああ、いえ、いまだけあそこの別荘にいるんです」
「そこのお嬢さん?」
「まあ、そうです」
まさか本当のことはいえないから嘘をついた。
「そう、もしよかったらあの向こうのコテージに遊びに来てくれないかな? お礼がしたいからね」
「えっ?」
金髪の女性が指差した方にルーシーは驚いた。そこにあるコテージとはルーシーが最近知り合った富豪令嬢のものだったからだ。
「あそこの人ですか?」
「友達なんだ。時々使わせてもらっている」
(友達?)
金髪の女性の説明にルーシーは引っかかった。あそこの令嬢は間違いなくこの世界の人間だ。外界と交流がほとんどないこの世界で、異次元世界の人間と友達
になるなんてことがありうるだろうか? 急に二人への不信感を強めたルーシーは誘いを断った。
「いえ、結構です」
その少し怒ったような感じに二人は困惑の表情を浮かべた。
「なにか気に障るようなこと言った?」
「いえ、別に。では、私はこれで失礼させてもらいます」
ルーシーは一礼すると、走って去って行った。
「なに怒ってたんでしょう、あの娘」
オレンジの髪の女性がわけがわからないといった感じで尋ねる。金髪の女性は首を横に振って、
「わからない。でもディアスは回収したから任務は完了だよ。今日はアリサのコテージに泊まって、もどるのは明日にしよう。二人とも最近働きづめだったしね」
オレンジの髪の女性に反論はなかった。
別荘にもどったルーシーは使い魔からの報告を聞いていた。
「そう、御苦労さま」
報告を聞き終えたルーシーは使い魔を下がらせると、今後の作戦について考えた。気になるのは報告の中でのさくらと戦闘中のさくらのギャップが激しいこと
だ。報告によればさくらは学校では目立たない存在で、クラスメートから声をかけられたら応じるが、自分から積極的に他人に声をかけることはないし仲良しグ
ループに入ることもしていないらしい。
「人との接触を怖がっているのね」
だが、ルーシーには何回も話をしようと持ちかけてきた。もっとも、この場合は自分の命に関わることだから積極的にならざるを得ないだろう。人間嫌いとい
うわけではなさそうだ。そんなおとなしい少女が、視線だけで相手を殺せそうな鋭くて冷たい殺気に満ちた目をするのだから世の中わからない。だが、そんな危
ない少女と戦わなければならないルーシーとしてはわからないではすまされない。まともに戦ったら負けるかもしれない。
「やっぱりあの手でいくしかないか」
いささか卑怯ではあるが。だが、命を賭けた戦いに卑怯もへったくれもない。負けたら負け犬、死んだら犬死にだ。
「明日決着をつけよう。関係ないと思うけどあの二人も気になるし……」
林道で会った二人組の魔導師。可能性は低いと思うが、いらぬ介入を受けたらややこしくなる。その前に決着をつける。でも、それまでは……
「お嬢様気分を満喫しよう」
何事も体験するのは大事なことだ。翌朝、ルーシーは別荘のオーナーを呼び出して記憶をもとにもどすと別荘を後にした。
ルーシーとの戦いの翌日からさくらは学校に通いだした。学校に行く気分でもなかったが、他にすることもないので行っているだけだ。だから、授業中でも心
ここにあらずといった感じで空を眺めてばかりいた。この日も教師の話も軽く聞き流してノートもまったくとれてないまま午前中がすぎた。あの日からいつもこ
んな調子だった。生きるか死ぬかの岐路に立たされている状況では授業をまともに受ける気が失せるのは当然だろう。ルーシーはここしばらく姿を現していない。
どうしたのだろうとぼんやり考えて給食を食べていると、クラスメートたちが窓際に集まってざわつきはじめた。
「だれだよ、あの子」
「めっちゃかわいいじゃん、転入生じゃないのか?」
「でも、変な格好しているね。向こうの学校で流行っているのかな」
何事かと思いつつ外に向けたさくらは持っていた牛乳瓶をポロっと落としてしまった。床に落ちて瓶が割れる音にクラスメートの注目が集まったが、さくらは
そんなことに構っていられなかった。窓の外のグラウンドに立っていたのはルーシーだった。次の瞬間、周囲の景色が灰色となりクラスメートたちがピタッと動
かなくなった。まるで時間が止まったかのように。
「結界? でも、こないだのとは違う」
前とは違う結界を使うということは何か事情があるからだ。それが都合によるものか作戦なのかわからないが、ルーシーが現れた以上やることはひとつだ。
「私はもう迷わない。避けられない戦い。それが私の運命なら」
さくらはブローチを手にとって窓から身を乗り出した。
「我、選ばれし者なり。風よ、水よ、火よ、土よ、黒き太陽の下に生まれし魔闘士に力を与えたまえ。敵を殲滅する強さはこの手に、困難に打ち勝つ勇気はこの
胸に。魔剣グラム、セタップ!」
「Yes, My Lord」
窓から飛び降りるさくら。落下中に変身が完了し、地面に激突する寸前にAIシールドを発生させて衝突を防いだ。
「AIシールドを使いこなしている」
さくらは確実に強くなっている。ルーシーはそう判断した。
(やっぱりあの手しかないか)
できるなら卑怯な手は使いたくない。だが、ルーシーは戦うために来たのではない。勝つために来たのだ。一方、さくらはまだ若干の躊躇いがあった。話し合
う余地がないことは前回までの戦闘でわかっていたが、それでも人の命を奪うことをそう容易に決断できるものでもなかった。
(戦うしかないとはわかっているけど……)
少なくとも向こうは話し合うつもりは毛頭ないようだ。その証拠に、さくらの方に魔槍の穂先を向けて魔法陣を発生させている。だが、ルーシーのその動きに
さくらは疑問を感じた。ルーシーは魔槍に自分の血を与えていない。血を与えられたバンパイアデバイス以外の攻撃ではAIシールドを突破できないことはわか
りきっているはずなのに。さくらがルーシーの真意を計り兼ねていると、ルーシーが魔槍の穂先に魔力弾を形成しはじめた。身構えるさくら。すると、ルーシー
は穂先を校舎の方に向けた。
「えっ?」
「ストライクボルト!」
さくらが驚きの声を上げると同時に魔槍から魔力弾が発射されて、校舎の屋上に着弾した。崩れ落ちる外壁にさくらは愕然となった。もし、教室に着弾してい
たら児童に死傷者が出ていたはずである。
「一体なにを……」
「私はあなたとちがって元はミッドチルダの魔導師だった。だから、ゼクエス以外の魔法も使える」
「そんなことを聞いているんじゃない!」
下手すれば死人が出たかもしれない行為をしたのに冷然としているルーシーにさくらは怒りを覚えた。
「どういうつもり?」
詰問するさくらにルーシーは表情を変えずに答えた。
「これは警告だ」
「警告?」
「もし、あなたが少しでも抵抗したらこの学校を無差別に攻撃する」
「なっ!」
相手の思いがけない卑劣な手段にさくらは体の震えが止まらなかった。恐怖からではない。相手に対する怒りで震えが止まらないのだ。だが、さくらには学校
の人たちを見殺しにはできなかった。友達がいないさくらだが、クラスメートが嫌いというわけではなかった。親しく交流することこそなかったものの、祖父が
死んで一人ぼっちになったさくらを気遣ってくれたクラスメートもいるのだ。自分から皆の中に入っていけないさくらを誘ってくれたクラスメートもいた。そん
な人たちを自分たちの戦いに巻き込みたくなかった。
「どうなの?」
「…わかった」
卑劣なルーシーに怒りを覚えつつもさくらにはどうすることもできなかった。さくらは魔剣をルーシーの方に放り投げた。それを確認したルーシーは魔槍に自
分の血を与えて振りかぶった。ルーシーとて、こんな卑怯な手は使いたくなかったが、確実に勝利するにはこれしかないと判断したのだ。
(勝っても後味が悪いのはわかっているけど)
それでもルーシーはやるしかなかった。さくらの頭上めがけてルーシーは魔槍を振り下ろす。これで本当に終わったとルーシーは確信した。さくらには魔剣が
ない。AIシールドは無効化されている。いまからじゃよけるのも不可能だ。ところが、さくらは魔槍の斧の部分を両手で挟んで受け止めたのだ。
「なっ?」
「剣がないからって剣術家が戦えないってことはない。素手で戦う方法だってあるんだ!」
さくらは自分から後ろに倒れて巴投げの要領でルーシーを頭越しに投げ飛ばした。真剣白刃取りを初めて見たルーシーは気が動転して、あっさりと投げ飛ばさ
れてしまった。その隙にさくらは魔剣を拾って、刃に指をあてて血を与えて一気にルーシーに斬りかかった。もう、何の躊躇もなかった。さくらのいままでにな
い積極的な攻撃にルーシーは防戦一方となった。だが、ルーシーも負けていられなかった。卑怯な手まで使ったのに負けるわけにはいかないのだ。態勢を立て直
して反撃に打って出る。もう、作戦も何もない。ただ、本能のままに打ち合うだけだ。
「あなただけは絶対に許さない! 関係のない人たちまで巻き込むことないのに!」
「言ったはずだ! これは戦争だって。戦争は勝って終わらないと意味がない!」
「そこまでして勝ちたいの!?」
「あなたにはわからないことよ。平和で平穏な生活をしてきたような人間にはね! あなた、ご両親やおじいさんが亡くなって一人になった自分を世界で一番不
幸だって思っていない? 私にしたらそんなの不幸のうちに入らないわ!」
斬り合いながら激しく罵り合う二人。もはや二人の間には憎悪と敵意しかなかった。もしかしたらそれは二人が持つ魔剣と魔槍の影響によるものかもしれない。
実戦経験豊富なルーシーと剣術の天賦の才に恵まれているさくら。二人はほぼ互角の戦いを展開したが、実戦経験で上回るルーシーが徐々に押し始めた。あせっ
たさくらが突きだした魔剣をルーシーは魔槍の石突に近い部分で払いのける。そうしてできた大きな隙をルーシーは見逃さなかった。すかさず、さくらの胸めが
けて槍を突き出す。
「!」
自分の胸に迫る魔槍にさくらは戦慄した。もう、回避することは不可能だ。だが、あと数秒で魔槍がさくらの胸を貫こうかという時、誰かが突きだした杖の先
端が魔槍の槍と斧に間にぶつかって魔槍を止めた。
「えっ?」
せっかくの好機を台無しにしてくれた人間の顔を見てルーシーは驚いた。昨日、別荘近くの林道で会った金髪の女性だったからだ。
「誰?」
さくらも予期せぬ第三者に驚いていた。そんな二人に金髪の魔導師は指示を出してきた。
「二人ともいますぐ戦闘を中止してこちらの指示に従って。私は時空管理局執務官フェイト・テスタロッサ・ハラオウンだ。ここでの戦闘は危険すぎる。二人と
も武器を収めて」
ルーシーが予感したとおり事態はややこしくなりそうだった。
いきなり現れた第3の魔導師にさくらは頭が混乱していた。
「誰? 帝王候補って二人だけじゃないの?」
さくらは自分とルーシー以外に魔法を使える人間はいないと思い込んでいた。それが、いきなり目の前に混乱するのも無理はない。しかも、かなり頭に血が上
っている状態なので、さくらはフェイトを敵と認識した。命を助けられたことに考えがいかずいきなり斬りかかるさくら。魔剣をバルディッシュで受け止めたフ
ェイトはさくらの目を見てギクッとなった。とても子供がするような目じゃなかった。相手に対する憎悪に満ちた目。
「ま、待って」
フェイトはさくらを落ち着かせようとしたが、さくらは聞く耳を持たなかった。一方、それを見ていたルーシーは時空管理局が介入してきたことに少なからず
動揺していた。
「戦場には常に不測の事態が起こるとは言うけど……」
あの金髪女性が時空管理局なら一緒にいたオレンジ色の髪の女性も管理局ということになる。もしかしたらそれ以外にもいるかもしれない。状況がつかめない
ためルーシーはこの場を撤収することにした。ルーシーが撤収したことで彼女が発生させていた結界も消えた。周囲の色が元にもどったことにさくらが気をとら
れた隙にフェイトはさくらから離れた。
「!」
さくらはすぐにフェイトを追おうとしたが、この時の彼女は肝心なことを忘れていた。結界が消えたということは動きが止まっていた人間が活動を再開すると
いうことである。
「あれ? おい、あれって木崎じゃねーか」
「えっ? だって、いままでここにいたじゃんかよ」
「なにがどうなっているんだ?」
教室にいたさくらがいきなり消えたかと思ったらグラウンドにいて、しかも服が違っていて剣を持っているのだ。クラスメートたちが驚くのも当然だ。それ以
外の人間も、さっきまでグラウンドにいた少女といまいる少女が違うことに驚きが生じていた。
「しまった……」
さくらは自分が取り返しのつかないミスを犯したことに愕然となった。その時、また周囲の色が変わって、さくらとフェイト以外の人間が消えた。魔剣が自己
の判断で結界を発生させたのだ。だが、もう手遅れだ。クラスメートの目からしたらさくらは一瞬のうちに教室からグラウンドに移動してしまったように見える。
どんな解釈をしても、さくらが普通の人間ではないと誰もが認識するだろう。もう、さくらにいままでの生活を送ることは不可能となってしまった。愕然と立ち
尽くすさくら。やがて、彼女の肩が震えだした。さくらが肩を震わせて笑っているのだ。最初は低い笑いだったが、徐々に声が高くなって最後は大声で笑うよう
になった。気が狂ったのでないかと疑いたくなるような笑いだったが、その目からは涙が流れていた。
「終わっちゃった。終わっちゃったよ……」
普通の女の子でいられる時間が終わってしまった。帝王候補になった時点でこうなることはわかっていた。だが、さくらにはまだ普通への未練が残っていた。
だから、ルーシーの襲撃があるかもと思いながらも学校に通っていたのだ。それがすべて壊されてしまった。普通の人間としての生活への退路が断たれてしまっ
た以上、さくらにとって目指すべきものは一つだけとなった。
「もうこうなったらなってやる。帝王にでもなんでも」
そして、失った家族を取り戻す。取り戻して皆と幸せになる。そのために他人を犠牲にしようとも。さくらはフェイトに視線をもどした。フェイトが帝王候補
とは関係ないということはさくらにもわかってきたが、邪魔するのなら排除するだけだ。
「あなたは誰? 関係ないなら帰って。邪魔するなら容赦はしない」
さくらは魔剣をフェイトに向けて警告した。
「私は時空管理局執務官フェイト・ハラオウン。ちょっと話を聞かせてほしいだけなんだ。君たちが何者でなぜ戦っているのか」
「関係ないなら帰れと言ったはずだ。質問には答えない」
頑ななさくらにフェイトはいささか困惑気味となった。結界が発生したから調査に来たら、二人の少女が戦っていてそのうちの一人が昨日会った少女だった。
とにかく、戦いをやめさせようと割り込んだが、一人には逃げられてもう一人には敵意を向けられている。いったい、この少女たちは何者なのか。
「ゆっくり話をしたいんだけど無理なようだね、バルディッシュ」
「It looks that way」
できるなら戦闘は避けたいが、このまま帰るわけにもいかなかった。フェイトはさくらに危険なものを感じていた。放置していたらどんな災厄になるかわから
ない。
「悪いけど一緒に来てもらうよ。抵抗しないなら君には……」
フェイトは最後まで言い切ることができなかった。さくらが自分のデバイスの刃に指をあてて血を流しているのだ。魔剣には剣身中間部に溝があって流れてき
た血が溝を通って切っ先付近まで達するようになっていた。
「一体、何を……」
フェイトにはさくらの行動がわからなかった。彼女はバンパイアデバイスを見たことがなかったのだ。動揺するフェイトにさくらは斬りかかった。フェイトは
バルディッシュでそれを受けとめる。だが、
「!」
フェイトはバルディッシュの柄の魔剣の刃を受けている部分にひび割れが生じているのを発見した。
「そんな……」
長年、愛用してきたデバイスがこうも簡単にひびが入れられていく様にフェイトは言葉を失った。バルディッシュの柄に生じた亀裂は大きくなっていき、この
ままでは真っ二つとなりフェイトを凶刃が襲うことになる。何としてでも主を守ろうと頑張るバルディッシュだが、それは無駄な努力だった。魔剣はいとも簡単
にバルディッシュを粉砕してその主に迫った。
「クッ…」
フェイトは覚悟を決めた。もうよけることもできない。だが、魔剣がフェイトの脇腹に達する寸前にさくらの体が魔力のリングで拘束された。
「なっ!?」
いきなり自分の体がリングで拘束されたことにさくらは驚きの声を上げた。両手と両足を拘束されたさくらはバランスを崩して倒れた。
「あともうちょっとのところで……!」
悔しがるさくらの前に現れたのはオレンジ色の髪の女性だった。
「遅くなりました。大丈夫ですか? フェイトさん」
「ありがとう、ティアナ。私は大丈夫だけどバルディッシュが……」
フェイトは破壊されたバルディッシュに目を落とした。彼女にとってバルディッシュはただのデバイスではない。長い間、ともにがんばってきた戦友ともいえ
る存在なのだ。それが無残にも破壊されたのだからその心中は察するに余りある。だが、フェイトはいつまでも自分のことで悲しんではいられなかった。ティア
ナの捕獲魔法で身動きがとれないでいるさくらの処置をどうするかが先だった。
「この娘は?」
ティアナの質問にフェイトは首を横に振った。
「わからない。魔導師みたいだけど、どうも違うみたい。ミッドチルダでもベルカでもない。この世界の娘みたいだけど…」
いったい、彼女は何者なのか。フェイトはさくらを管理局に連れていくことにした。罪状はある。フェイトへの攻撃行為だけで十分パクることができる。しか
し、フェイトはまだ子供であるさくらを犯罪者みたいに連行したくはなかった。できるなら、任意の事情聴取に応じてほしいと思っていた。しかし、さくらは興
奮している状態でとても素直に応じてくれそうにない。いまでも拘束が解かれたらすぐにでも飛びかかってきそうな目でフェイトを睨みつけていた。
「どうします?」
ティアナが困った顔をしてフェイトに尋ねる。フェイトにしてもどうしていいかわからなかった。下手に触ろうとしたら噛みついてきそうな感じだ。それに、
さっきからフェイトを睨みつけている目は、とても子供がするような目ではない。管理局でも敏腕と名高いフェイトですら、その目に背筋が凍るのを感じるくら
いだ。
「そんな睨まなくても大丈夫だよ。私たちは君の敵じゃないから。ちょっと、お話を聞かせてほしいだけなんだ」
フェイトはどうにかしてさくらを落ち着かせようとした。すると、さっきまでフェイトを睨みつけていたさくらが今度はティアナの方に視線を変えた。
「えっ?」
なんで? と言いたげな顔をして戸惑うティアナ。しかし、急に無表情になるとさくらを拘束しているリングを全部外してしまった。
「ティアナ?」
フェイトは驚いてティアナの方を振り返った。その隙にさくらは魔剣を拾うと、背中から赤い光の羽を生やして飛び去った。
「待ちなさい!」
フェイトは追いかけようとしたが、その前をティアナが立ちふさがった。
「どうしたの? ティアナ」
ティアナの豹変にフェイトは戸惑った。その間にさくらは遠くまで飛び去ってしまっていた。
この世界での活動の拠点としているコテージにもどったフェイトとティアナは上司であるクロノ・ハラオウン提督に今日のことを報告した。ティアナはあの後
さくらの姿が見えなくなると、元にもどったがなぜあんな行動したのか自分でもわからないらしい。魔力リングを外したのも、さくらを追いかけようとするフェ
イトを止めたのもそうしたいと思ったからだが、いまになって思うとなぜそう思ったのかわからないと言うのだ。とにかく、わからないことだらけだ。二人の少
女が発生させていた魔法陣はミッド式でもベルカ式でもない。つまり、それ以外の系統の魔導師ということになる。さらに、二人とも魔力探知に引っかからない
のである。
「ねえ、どう思う。クロノ」
部下であり妹でもあるフェイトの質問にクロノはうーんと首を捻った。
「今の段階では何も言えないな。僕の方でも調べてみるよ。君たちはその二人の魔導師の行方を追ってくれ」
「了解」
「無理はするなよ」
「わかってるよ」
通信はそれで切れたが、探索といってもバルディッシュを修理に出しているフェイトは身動きができないから、ティアナ一人でということになる。
「ごめんね、ティアナ」
「いえ、絶対にあの娘たちを探し出してきます」
ティアナはビシッと敬礼した。彼女にとっては汚名返上の機会であった。