第2話【悲しさと寂しさと】
神官がルーシーに出した神のような存在になるための絶対条件、それはもう一人の候補と戦ってどちらかが生き残らなければならないことだ。
「それは相手を殺せということ?」
「手段や方法は問わない。とにかくどちらかが生き残っている状況が成立した時点で神のような力を持つゼクエスの帝王が誕生する」
「ゼクエス?」
それはルーシーが初めて耳にした単語だった。育ての親であるアブラヒムはたくさんの書物をルーシーに読ませて学ばせたが、その中にゼクエスという単語は
どこにもなかった。そのゼクエスの帝王というのになったら神様みたいな力が出せてこの世界の戦争も終わらせることができる。だが、そのためにはもう一人の
候補が死亡するという状況を作り出さなければならない。確実かつ早期ということであれば、それは殺害するということだろう。
「お断りするわ」
ルーシーはあっさり拒否した。誰かの命と引き換えになんてできない。世界を平和にするための第一歩が人殺しなんておかしすぎる。
「悪いけどなかったことにして。私は誰かを犠牲にして望みを叶えるような人間じゃない」
だが、そう言われて引き下がる神官ではない。
「君がそう言っていても向こうは君を殺しにくるよ。その時はどうするんだい?」
「その時はその時よ。向かってくる敵は排除するだけ。それでも命を取ろうとまでは思わない」
ルーシーの意思が堅いと知った神官は作戦を変えることにした。
「ちょっとついてきて。君に見せたいものがある」
「見せたいもの?」
訝りながらもルーシーは神官が差し出した手を握った。
「これから君をある場所につれていく。そこで最終的にどうするか判断して。それで、君がどうしても嫌だと言うなら僕もあきらめる」
どこにつれていかれるかわからないがルーシーはOKすることにした。
「いいわ。行きましょ」
「じゃ、行くよ」
神官はルーシーをつれて瞬間移動した。
「ここは……」
普通なら一瞬で周囲の光景が変わると多少なりとも頭がクラクラするものだが、目の前の光景はクラクラするのも忘れるくらい異様なものだった。ルーシーが
つれてこられたのはどこかの街らしいが、異様なのは住民らしき人間が皆倒れていることだろう。内戦が全土に拡大しているこの世界では、街が戦闘に巻き込ま
れて住民が全滅するというケースは決して珍しくはなかった。だが、この街が異様なのは建物などに破壊された形跡がないことと、死亡している住民たちに外傷
が見当たらないことだ。
「ここは第30地区ね」
それはルーシーたち反政府組織の間で噂になっていた場所だった。陸軍治安特務部隊第9グループ通称G9による無差別大量殺戮が行われたとされる場所だ。
政府は伝染病の蔓延と発表したが、実際は地区全体が反政府運動に染まったことへの過剰な対処だというのが反政府組織の間での見解だ。伝染病か治安部隊によ
る虐殺か確証は得られなかったが、実際に現場を目の当たりにしてルーシーは確信した。
「政府の仕業ね」
「D3を使ったんだ」
「なんですって?」
ルーシーは信じられないといった顔で神官の方を振り向いた。
「南国条約で禁止された毒ガスを使うなんて…政府の組織なら少しぐらいの分別はあるだろうに……」
拳を握りしめ怒りに震えるルーシーに神官が冷たく指摘する。
「君たち反政府勢力もこれほどじゃないけど数多くの違法行為をしてきたんだよ。結局、人間がしてきたことはどれも同じだってことさ」
神官の指摘にルーシーは思わず睨みつけたが、反論はできなかった。ルーシーが身を寄せていたグループではそんなことはなかったが、反政府組織の中には非
道な行為に走るグループがあるのは事実だからだ。
「ちょっと見て回ってきていい?」
「いいよ。僕はここで待っているから」
ルーシーは街を見て回った。吸引した瞬間に死に至るD3ガスは被害者に苦痛を与えることはない。だが、少量でも広範囲の生物を死亡させる強力さゆえに使
用が特に禁止されている毒ガスである。初めて実戦に投入された第78管理世界での1ヶ月戦争ではわずか一週間で数千万人の人命を奪っている。
「亡霊のひとつやふたつは出てきてもおかしくないわね」
周囲の惨状にルーシーは独りごちた。ガスが散布されるその瞬間までここの人たちにはそれぞれの生活があった。会社で働くお父さん、学校で勉強する子供、
お買い物するお母さん…それらが一瞬にしてすべてを奪われたのである。老若男女の区別もなく、そう赤ん坊でさえも。誰もが無残な死骸を晒しているのだ。死
屍累々の惨状はまさにこの世に地獄が現出したようだった。
「なんで…なんでこんな……」
怒りがこみ上げてくる。戦闘で人が死ぬのは仕方ない。皆それを覚悟して戦っているのだ。だが、ここの人たちはどうだ。戦いとは無関係の人たちばっかりで
はなかったのか。公園で遊んでいた子供たちは、それを見守っている母親たちはなぜ死ななければならなかったのか。ルーシーは政府への怒りで胸がいっぱいに
なった。同時に悲しくもなった。どうして彼らはいや人類はこうも簡単に皆殺しという惨いことができてしまうのだろう。
「でも、私も当事者だ……」
ルーシーはまだ人を殺したことが無い。アブラヒムの配慮だ。アブラヒムは言った。
「お前だけはキレイなままでいてほしいんだ」
内戦もいつかは終わる。その時に社会に出ても恥ずかしくないような女になれ。アブラヒムがいつも言っていた言葉だ。自分が神のような存在になるために人
を殺したら、自分に期待してくれていたアブラヒムの言葉を裏切ることになる。そうしたら自分を逃がすために犠牲となったアブラヒムに報いることなんてでき
ない。だが……
「このままでは、こんな悲しいことがもっと起こってしまう」
仲間をすべて失った時も、この街を状況を見たときも最初は怒りがこみあげてきたが、それよりも悲しみが上回るようになった。悲しみは胸が痛くなり、その
痛みでルーシーは涙を流した。涙が流れ切った時、ルーシーはある決意をかためていた。戻ってきたルーシーを一目見るなり、神官はクスッと笑った。
「どうやら決心がついたようだね」
ルーシーはそれに答えず無言のまま神官に近寄った。
「本当にその何とかの帝王とかになったら、この戦争を終わらせることができるのね?」
「この世界だけじゃない。すべての次元世界から戦争をなくすことができるよ。ゼクエスの帝王はすべてを統べる支配者だからね」
そのゼクエスの帝王というのがよくわからない。これまでたくさんの本を読んでいるルーシーは伝説の類の話も結構知っているが、ゼクエスなんて聞いたこと
もなかった。
「私はその帝王候補になったのよね。体も作り変えられた。どこがどう変わったの?」
「これを持って」
神官はカードと読み取り機らしきものをルーシーに渡した。
「そのカードをリーダーに読み込ませるんだ。そうすれば君はゼクエスの魔導師、ゼクエスの場合は魔闘士というんだけどね。それに変身することができるんだ。
まあ、論より証拠やってみて」
「……わかった」
すでにルーシーはミッドチルダの魔導師である。しかし、リンカー・コアが壊されてリーガル・コアというのが作られた。ミッドチルダの魔導師ではなくなっ
たということか。少し不安を抱きつつもルーシーはカードをリーダーに読み込ませた。
「変身!」
リーダーに読み込まれたカードが光の粒子となってルーシーを包み、彼女の服を消してバリアジャケットを装着させた。最後に先端に斧と槍の穂先がついた長
柄の武器が出現して変身が完了した。
「これがゼクエス……」
「そうだよ。ミッドやベルカとはまったく異なる魔法体系。選ばれし者のみがなることができる最強の魔導師だ」
「すごい…力がこみ上げてくる」
「君の持っているそのデバイスは魔槍ハルバード。君の血を与えることで真価を発揮するんだ」
「血を?」
「帝王の血さ。一回やってみてごらん。大丈夫、ちょっとの血でいいからさ」
言われたとおりにルーシーは魔槍の斧の刃の部分に指をあててみた。すると、ちょっと触れただけなのに皮膚が切れて血が出てきた。その血に反応して魔槍が
話し出した。
「Nice to meet you.My master」
「こちらこそよろしく」
「それで君たちの契約は終わった。いいかい、よく聞いて。ゼクエスの魔闘士にはどんな物理的攻撃でも魔法攻撃でも突破することができないAIシールドがあ
るんだ。そのAIシールドを打ち破る唯一の攻撃法が主の血を与えられたデバイスによる攻撃なんだ。それともう一つ、君たち帝王候補にはそれぞれ相手の何か
を絶対的に支配する力が与えられている。ルーシー、君には相手の記憶を1年間の分だけ書き換える力を与えてあるんだ。これは相手と視線を合わさなきゃ駄目
だし、同じ帝王候補や一定以上の魔力がある魔導師には通用しないけど、結構役に立つと思うから有効に使って」
「ありがとう、いろいろと」
「君をここに連れてくるのは正直迷った。君が怒りだけに身を任せたらどうしようってね。怒りは憎しみとなり憎しみは復讐しか生まなくなる。でも、君は怒り
よりも悲しみを優先させた。君ならきっといい帝王になれるだろう。僕の役目はここまでだ。君の相手は第97管理外世界にいる。一刻も早くゼクエスの帝王が
現れるのを期待する」
そして、神官は姿を消した。残されたルーシーは改めて決意をかためる。
「ごめん、アブラヒム。私はあなたの期待通りの大人になれそうにない。でも、絶対にこの世界から戦争をなくしてみせる」
そのためにもう一人の帝王候補を殺めることになったとしても。
「いくよ、ハルバード」
「Yes, Your Highness」
ルーシーはライバルがいる第97管理外世界に出陣した。
さくらがゼクエスの帝王になるには相手の候補を殺さなくてはならない。とても、小学校5年生に提示するような条件ではないだろう。
「お前にその気が無くても向こうはお前を殺しに来るぞ」
魔女はそう警告したが、さくらはそれに返答することはできなかった。殺すのは嫌だけど殺されるのはもっと嫌だ。どっちも嫌だ。
「私はどうしたらいいの?」
誰もいない道場でさくらは途方に暮れた。彼女には相談できる人がいなかった。いたとしても、誰も信じてはくれないだろう。それでも話を聞いてくれるだけ
でも気分が軽くなる。だが、さくらには気軽に話しかけられる友人がいなかった。内気なさくらは他人とコミュニケーションを図るのが不得手だった。唯一、他
人に対して積極的になれるのが剣道に打ち込んでいる時だが、稽古している時は相手の顔は防具で見えにくいし、剣道をしている時のさくらは集中力しすぎてほ
とんど無言となってしまうのだ。そして、稽古が終るとそそくさと出て行ってしまうのである。だから、剣道の門下生たちともコミュニケーションが取れていな
かった。寂しいと思わないわけではなかった。だが、いままでは祖父がいてくれた。それだけでもよかった。寂しいと感じた時はいつも以上に稽古に励んだ。で
も、祖父はもういない。稽古の相手もいない。
「私はひとり……」
道場にはさくら以外誰もいない。祖父の剣道教室は本人の死により自然消滅となった。葬式は近所の人でやってくれた。喪主となったさくらも忙しく働いたた
め、まだ見ぬ相手との戦いについて考えることができなかった。ようやく、ゆっくりと考える時間ができたところだ。だが、日が暮れる寸前のうす暗い道場はさ
くらの孤独感を助長させた。道場にいて寂しいと感じたことは一度もなかった。
「そういえば独りで道場にいたことなんてなかったな」
さくらは道場での思い出を振り返った。記憶に残っている最初の思い出は稽古をしている母の姿を見ているときだった。さくらの母親は全日本剣道選手権大会
で2回出場して優勝と準優勝という成績を収めた実力者で、3回目の出場登録の直前に妊娠が発覚して表舞台から身を退いたのだ。さくらの記憶に残る母はいつ
も優しかったが、どこか寂しげでもあった。本当はもっと大会とかに出て全国の実力者と渡り合いたかったのかもしれない。子供ができてしまったために、身を
引く羽目となってしまった。無論、本人の自己管理の問題である。が、さくらは最近自分が母から生きがいを奪ってしまったのではないかと悩むようになった。
それなら、自分が母の分まで剣道で活躍しようと決意した矢先の今回の出来事である。
「お母さん……」
母のことを思い出してさくらはまた寂しくなった。寂しくなったときに慰めてくれていた祖父もいない。道場までついているこの広い敷地にただ一人でいると
いう孤独感にさくらはいたまれなくなった。
(ゼクエスの帝王になれば家族を取り戻すことも容易い)
さくらは魔女の言葉を思い出した。そう言って魔女はさくらにリンゴとヘビのブローチを渡したのだ。リンゴにヘビがからみついている趣味の悪いブローチだ。
魔女の言っていることが本当であれば、帝王になれば母も父も祖父も生き返らせて一緒に生活することができる。寂しさで身が潰れそうになるさくらは今すぐに
でも帝王になりたかった。だが、そのためにはもう一人の帝王候補を殺さなければならない。
「そんなことできない……」
そうは言っても向こうはさくらを殺しにいずれやってくる。殺し合いはおろか喧嘩もしたことがないさくらに勝ち目はない。
「なんとか、話し合うことはできないかな…」
しかし、さくらは自分から初対面の相手と積極的に会話するのが苦手な少女だった。いい考えが思い浮かばないまま時間だけが過ぎていき、腹が減ったさくら
は晩御飯を食べに家にもどることにした。道場を出て家に向かおうと歩き出したさくらは何かの気配を感じて振り返った。すると、道場の屋根の上にさくらと同
い年くらいの長い髪の少女が斧と槍が一緒になったような武器を持って立っていた。
「だ、誰?」
とっさに身構えるさくらに侵入者はこう言い放った。
「私はルーシー・デオドア・ブランケット。貴方と同じゼクエスの帝王候補だ。貴方には何の恨みは無いけど、私は貴方を倒さなくてはならない」
その瞳には迷いがなかった。