某都道府県境谷市。1ヶ月ほど前から市内をあるワゴンが出没するようになった。まあ、パンを販売する移動パン屋
さんなのだが、その人気は尋常ではなかった。何しろ、この移動パン屋さんがやってきた途端に主婦やら学生やら子供
やらが群がってくるのだ。そして、ワゴンが停車してパンが売り出されてわずか数分で完売してしまうのだ。パンはア
ンパン、カレーパン、メロンパン、ロールパンの4種でどれもすごく人気があった。それを売る販売員の男性もその温
和そうな見た目から「パンおじさん」と呼ばれて親しまれていた。だが、このパンおじさんには恐るべき素顔が隠され
ていたのである。

 この日も営業を無事終えた移動パン屋さんは、今日の売り上げを見てやらしい笑みを浮かべた。それはまさしく金の
亡者といった感じで、パンを売っているときの優しい笑顔しか知らない子供が見たら卒倒してしまうかもしれない笑顔
のギャップだった。

「ギヒヒヒッ、今日も儲かったわい」
 笑いが止まらないのも無理はない。なぜなら、パンおじさんは何も苦労してないからだ。パンはパン作りロボットが
全部作ってくれるので、パンおじさんは何もしなくていいのだ。彼がしたことと言えば、このロボットを作ったことぐ
らいだろう。このロボットはただパンを作れるだけじゃない。その味は超一流のパン職人が作ったのと同じレベルなの
だ。ただ、難点なのは動力源となる電力が人力発電によるもので、何台もの自転車を全力で漕がなくてはならないのだ
が、別にパンおじさんがするわけじゃない。彼は自動で出てくるパンを売りさばくだけでいいのだ。おいしくてしかも
低価格とくれば売れるのは当然で、しかも経費は自分持ちでないうえに売り上げは全部自分の物になるのだ。だが、何
事もいいことづくめではない。経費が自分持ちでないのは必要な出費は全部所属している組織が出してくれるからだ。
当然、タダで金を出してくれるわけではない。すべてはある計画の遂行のためだ。そして、そのある計画が動き出す時
が来た。パンおじさんが売上金を数えて一人悦に入っていると突然部屋が真っ暗になった。直後、机の上に伝助人形が
現れて喋りだした。

「モスキートサイキンマンよ。私はGOOD総司令だ」
 パンおじさんは椅子から下りて跪いた。

「ハハッ、総司令」
「計画の方はどうなっている?」
「はっ、予定通りです。人間どもは何の疑いもなくパンを買い続けています」
「よし、では明朝8時をもって作戦行動を開始せよ。かつて、様々なメカを開発して人々に多大な迷惑をかけたサイキ
ンマンの化身モスキートサイキンマンよ、お前は栄えあるGOOD機関悪党軍団の尖兵だ。失敗は死だぞ」
「はっ、肝に銘じております」
 言い終えると、伝助人形は跡形も無く爆発した。すると、部屋は元の明るさに戻り、パンおじさんは立ち上がると同
時に奇怪な生物になっていた。GOOD機関の強化改造兵士モスキートサイキンマンである。

「さ、し、す、せ、そーっ」
 自身の輝かしい成功を確信してかモスキートサイキンマンは奇妙な笑い声を上げたが、それを息を潜めて眺めている
子供には気づいていなかった。







ドンノルマの使者 第1話
「怪奇モスキートサイキンマン」

作:大原野山城守武里




 関西弁を話す妙なシマリスと出会ってしまった僕は向こう側の都合によって魔法少女にされてしまった。元に戻るには
ジュエルモンスターという怪物を12体全部倒して魔宝皇珠という石の欠片を集めて復元しなければならないという。そ
れ以来、僕は仲間と共にジュエルモンスター退治を始めることとなったのだが、それは決して平坦な道のりではなかった。
ゲームとかスポーツとかじゃない真剣な命の奪い合いだ。僕らがジュエルモンスターを倒していったのと同時に、僕の周
辺の人たちもジュエルモンスターの犠牲となり僕自身も左腕を失った(いまある左腕は義手)。こうした犠牲の末にジュ
エルモンスターを全滅させた僕は魔宝皇珠を復元して無事に元通りになれた・・・・・・と言いたいところだが、ちょっとした
不注意ですべてが台無しになってしまった。結局、僕は女の子のまま前回を終えることとなったのだ。
 だが、もう危険なことをしなくてもいいってのはありがたい。居候していた魔法少女二人も自分の国に帰ったし、僕は
ようやく平和で落ち着いた生活を取り戻した・・・・・・はずなんだけど・・・・・・。



   登場人物
 桜谷涼香     主人公。以前は普通の高校1年生の男子だったが、魔法少女になる予定の少女が事故死したため急遽
         代役として目をつけられてしまった。以後、女の子にされてモンスターと戦う日々を送ることになった。
         前回、変身用ステッキが粉々になってしまったため魔法少女に変身することができなくなった。なお、
         モンスターとの戦いで左腕を失ったため、いろんなタイプに変換できる万能デバイスアームを装着して
         いる。

 ルイ       涼香の家に居候している少女。実は200年前に死んだ本物の魔導師で、モンスターとして復活して
         涼香たちと戦ったが、涼香によって人間に戻った。

 エリシア     ルイを例外とすれば、この世界で最後に生き残った本物の魔導師。ものすごく貧しい家庭に育ったた
         め他人を犠牲にしてでも幸せになろうとしていた。ルイよりは戦闘力は落ちるが、それでもかなりの戦
         闘センスの持ち主。涼香の家に居候している。

 総司令      この世界の侵略を企むGOOD機関の指揮を執る謎の存在。幹部ですらその姿を見ることができず、
         人形を通して命令を伝える。

 ポイボス・スピリット
          GOOD機関の幹部で任務に失敗した者や反乱分子を独断で処刑する権限を有する大佐の位を持つ。
         主な任務は監視で、必要に応じて作戦に関して助言も行う。その性格は冷酷で、ささいな失敗も見逃さ
         ない。正体は強化改造兵士ゾルウルフ。

 強化改造兵士   魔導師たちの予想以上の力を危惧したGOODが既存の改造兵士をさらに強化した戦士。歴史上の悪
         人たちをモチーフとしているため悪党軍団と呼ばれる。

 永遠の少女    前回、涼香を覚醒させ過去にエリシアを魔導師に目覚めさせた謎の少女。その正体や目的は一切不明。




 4月に無事に怪我も無く僕は2年生に進級することができた。まあ、よほどの馬鹿でない限り、留年という事態にはな
らないのでほぼ自動的に進級できることになる。旧1年生が新2年生に昇進したのなら1年生の枠が空くことになり、当
然それは入学した新1年生が埋めることになる。クラスの方は新入生を均等に振り分けられるので心配ないが、部活動の
方はサッカーや野球といった放っておいても向こうから来てくれるような部を除いて勧誘しないと入部してくれない。最
悪、新入部員ゼロという事態も想定される。その、最悪の事態に局面しているのが僕の所属している超常現象研究部だ。
まあ、あんまし勧誘とかしなかったからな。それに大した活動もしてないし。僕が途中入部してからというもの一度もそ
うした活動をしたことがないのだ。前にそのことについて先輩に訊いてみたことがある。すると先輩は、

「こんな普通の街にそんな超自然現象がそうそう起こるわけないっしょ」
 とあっけらかんに答えてくれた。それなら世界各地で報告されている超常現象を検証するとかすればいいのに。だから、
予算が5000円にされちゃったりするんだ。それでも、廃部とか活動停止とかを宣告されないだけまだ生徒会に温情が
あると感謝すべきだろう。何しろ、放課後にここに来てすることと言えば、雑談とか読書(漫画が主に)とかゲームとか
である。健全なる高校生の部活動とは到底思えない有様だ。
 それから数ヶ月が経過したこの日も、僕が部室に来た時には先輩たちは雑談をしていて唯一の僕の同級生は小説を読ん
でいた。僕は部室の中央に置かれている二つの長テーブルに割り当てられた自分のスペースに鞄を置くと、電気ケトルに
水を入れて電源を入れた。最近のはすぐに沸く。沸騰した水をポットと人数分のカップに入れて温めておく。そんでまた
電気ケトルに水を入れて沸騰させる。ここの自治体の水道水は浄水器なしでも飲める(と自治体は主張)。水が沸騰する
と、ポットとカップのお湯を捨ててポットにスリランカから取り寄せた良質な紅茶の葉を入れてそこにお湯を注ぐ。時計
で時間を計って、ちょうどいいぐらいになったらカップに紅茶を注いでいった。そして、カップをソーサーの上に乗せて
スプーンと砂糖を添えて皆に配った。なんで、こんなお茶汲みをしているかというと僕が一番最後に入部したからだ。そ
れ以前は、僕の同級生で白い犬と鷹が大好きな秋山幸恵さんの担当だったらしい。上記のようなちと手の込んだ淹れ方を
するので、僕の淹れた紅茶は評判が良い。なので、

「いつものことながら涼ちゃんの淹れてくれる紅茶は格別だねえ」
 というような感想を述べたりする先輩もいる。この先輩はこの部の部長で、僕をこの部に引きずり込んだ張本人である。
まあ、良い茶葉を使っているので味が良いのは当然のことで、そんなに褒められることでもないのだが。ちょっと、淹れ
方も工夫しているけどね。僕だって入部した頃は、ただ単にポットに茶葉(スーパーなどで販売しているごくありふれた
もの)をいれてその上からお湯を注いだ淹れ方だった。それが、こんなに手の込んだ淹れ方になったのは家庭での躾の成
果だ。
 ジュエルモンスター退治していた頃にM機関という組織から派遣されてきたアスナという少女に僕は毎日紅茶を淹れさ
せられていた。だが、まだアスナはそんなに紅茶に拘りがない方でカップにお湯を注いでティーバッグをゆらゆらさせる
だけで事足りた。ところが、アスナと同じくM機関の魔法少女サラが帰って、入れ替わりにルイとエリシアという魔法少
女が僕の家に居候した時に状況は変わった。
 アスナは遠慮なんてしない娘だったが、この二人は遠慮という概念そのものがなかった。居候のはずなのに家の主みた
いに振舞うのだ。紅茶にもうるさくて、市販のティーバッグでは満足しないのだ。そのため外国から取り寄せることにな
ったのだが、その費用は全部僕が払うことになる。二人には収入源がないからだ。追い出せばいいんだろうけど、ルイに
は住んでもいいよと言ったし、二人とも帰る場所が無いとあっちゃ性善説の熱烈な信奉者である僕としては放置してはお
けない。この温情を少しは理解してもらいたいものだ。こんなに尽くしているのに感謝もされないし、得られたものとい
えば紅茶の淹れ方が上達したことだけだ。
 僕は世の理不尽さを嘆きつつ自分の分の紅茶に口をつけた。この時が僕にとって唯一のゆったりと寛げる時間だ。ここ
に入部してから何カ月にもなるが、いまだに僕は皆と打ち解けられずにいた。話しかけられたらそれに応じるぐらいのこ
とはするが、こちらから話しかけたりはしない。ここですることといえば、紅茶を飲んだりお菓子を食べたりゲームした
り試験があれば勉強したりとかで、紅茶を飲みながら喋りまくる先輩たちの輪に加わりたいとは思わない。そんな僕と気
が合いそうなのが秋山さんだ。彼女はいつも本を読んでいる。物静かな美人で、あんまりおしゃべりな方ではない。どう
して、彼女みたいな真面目そうな娘がこんな部にいるのかなと不思議に思って前に訊いたことがある。

「秋山さんはどうして入部したの?」
 すると彼女はこう答えた。

「間違って入ったら無理やり入部させられちゃって」
 彼女によると、本当は隣の文芸部に行きたかったそうなのだ。ところが、間違ってここに入ってしまって先輩の執拗な
勧誘に根負けして入部したという。ちなみに彼女は超常現象研究部なる部がこの学校に存在していたことはその時に知っ
たという。新入生に対するクラブ説明会にも勧誘活動にも参加していなかった部だからな。そのくせ、この部屋に入った
生徒は決して逃がさないアリジゴクみたいな部である。しかも、時々巣から出て獲物を捕食するのだから普通のアリジゴ
クよりも性質が悪い。前者が秋山さんで後者が僕と、入部したきっかけが似ていることから僕は彼女に親近感を抱くよう
になった。あまり僕に話しかけないところも好印象の理由の一つだ。かといって先輩たちが嫌いってことでもない。基本
的に良い人たちだからな。時々、多大な迷惑を被ることもあったが。昨年の文化祭もそうだったし、クリスマスもそうだ
った。直近ではバレンタインかな。あれは大変だった。

 そう、あれは2月13日つまりバレンタインの前日のことだった。昼休みに紙パックのコーヒー牛乳を買って教室に戻
る途中だった僕は掲示板にバレンタインデーの文字が大きく躍っているポスターが貼られているのに気づいて目を止めた。

(なんかイベントでもあるのか?)
 にしては遅すぎる。こういうのって何日も前から告知するものじゃないのか? 昨日の段階ではこんなポスターはなか
った。今日になって貼られたということになる。何する気なのか知らんが僕には関係ない。勝手にやってくれ。と、無関
係な立場にあると思っていた僕はポスターに書かれている内容を読んで持っていたコーヒー牛乳を握りつぶしていた。飛
び散ったコーヒー牛乳が袖やスカートにかかったが、そんなことには構っていられなかった。ポスターにはこう書かれて
いた。

『バレンタインデー特別企画! わが校に天使が舞い降りた。きたる2月14日わが超常現象研究部はバレンタイン特別
企画を実施します。我が部が誇る1年生美少女部員があなたのためにチョコを作っちゃいます。欲しいという人は明日の
の放課後、中庭に集合してください。参加費はお一人様500円。女子の参加も大歓迎です。なお、数に限りがあるので
全員に行き渡らない時は抽選となります』
 1年生美少女部員が誰なのか考えるまでもない。僕はポスターを引き剥がすと、一目散に部室に駆けこんだ。

「これは何なんですか!」
 まだ弁当を食べている先輩にポスターを突きつけて詰問すると、先輩は全然悪びれた様子もなく、

「ごめんね。前もって涼ちゃんに相談しようかとも思ったんだけどさ。そしたら涼ちゃん嫌って言うでしょ?」
 当たり前です。なんで、僕がこんなことやらなきゃならないんですか。

「いやね、やっぱり年間5000円の予算だときついんだよ。だからさ、自分たちで稼ぐしかないってわけよ。政治家だ
ってパーティーとかで金集めてんだからね」
 予算が少ないのはまともな部活動してないからでしょ。5000円でも多いぐらいですよ。それに、チョコは誰が買う
んです? 僕が買いに出かけるんですか?

「ちがうよ。それに書いてあるじゃない。作っちゃいますって。買ったら手作りにならないでしょ」
「手作りって僕チョコなんて作ったことないですよ」
 どっちかというと、食べる専門だ。

「大丈夫だって。涼ちゃんが作ったものなら男子は土団子だって喜んで食べちゃうよ。ね、お願い。お金が無いんだよ」
 先輩に手を合わせて拝まれては断りにくいが……。

「私たちも手伝うからさ。学校が終わったら涼ちゃんの家でね。一緒に作ればすぐに終わるよ」
 僕としてもそれはありがたい。でも、

「いや、僕一人でやりますよ。一応、部員ですからね。どんくらい作ればいいんですか?」
 せっかくの申し出を断ったのには理由がある。それは、ちょっと置いといて、

「そだねぇ。100個じゃ足りないかもしれないから200個にしようか。それと、チョコの材料費とかは控えめにしと
いてね。そうだ、一つだけ気合いの入ったのも作ってよ。多分、抽選になるだろうから一等賞用をね」
 200個……。しかも、手の込んだチョコも作らなきゃならないらしい。やっぱし、断ろうかな。そりゃ、皆でやれば
何とかなるだろうけど。ああ、でもやるって言っちゃったし。クリスマスの時もそうだった。結局は、やる羽目になるん
だな。
 そんなわけで、僕は放課後になるとすぐに学校を出た。重大任務のためその日は部活を免除されたのだ。帰宅途中に必
要な物を購入して家に帰ると、まずは着替えをしなければいけない。僕は、材料や道具を台所に置くと、自分の部屋にも
どって制服を脱いだ。その次は普段着を着用することになるのだが、ここが僕が他人を家に上げたくない理由なのだ。ま
ず、濃紺のワンピースを着て、フリルの付いたエプロンをつける。最後にこれまたフリルの付いたカチュ−シャを頭に乗
せて出来上がり。俗に言うメイド服だ。言っておくが、僕の趣味じゃないよ。なんで、こんな恰好をしっているかと言う
と、ルイがこんなことを言い出したからだ。

「家来には家来の恰好をさせなきゃいけないわ。だから、貴方はこれから家にいる時はメイド服を着なさい」
 僕は一瞬、ドリルでルイの頭に穴を開けて中を覗いてやろうと思ったがドリルが家に無いので断念した。勘違いしない
でほしいのは、この家の主は僕でルイとエリシアは居候の身分だ。だから、メイド服を着るべきは僕じゃなくてこの二人
だろう。そう言うと、二人にジッと睨まれた。

「貴方はまだ自分の立場をわかってないようね」
 ルイはやれやれといった感じで言うが、それはこっちのセリフだ。今からでもドリルを買ってきて頭に穴を開けてやろ
うか。何度も言うが、メイド服を着なければならないとしたら、それはこの家の主である僕じゃなく、居候のルイとエリ
シアである。

「なに? 私たちのメイド服姿を見たいの?」
 と、軽蔑するかのような眼差しを向けるルイ。僕は二人のメイド服姿を妄想してみた。確かに見てみたい気が……。嫌
々、そうじゃなくて。

「そんなに私たちにメイドをさせたいのなら別に構わないけど」
 僕がツンデレメイドを妄想していたのを読み取ったのかルイから思いがけない提案が。えっ? いいの?

「でも、それなら銀の食器を用意しといた方がいいわよ」
 どゆ意味だ? 意味がわからないでいると、エリシアがクスッと笑って教えてくれた。

「昔の王族とか高貴な人達って、銀製の食器で食事をしていたの。なんでだかわかる? 毒が銀に反応して毒殺を未然に
防げるとされていたからよ」
 その昔、稀代の名軍師・如水軒円清は息子が合戦で手柄を立てて戻ってきて誇らしげに「(総大将の)内府様がそれが
しの手を握られて褒めてくれました」と言うと、「内府殿が握られたのはどっちの手だ?」と尋ねた。息子が「右手でご
ざいます」と答えると「ならば、その時そなたの左手は何をしていた?」と言った。その鋭い眼光に父の真意(なぜ、空
いている左手で内府を刺し殺さなかったのか。内府が死ねば世が混乱状態となり天下を狙える好機が訪れたのに)を悟っ
た息子は顔が真っ青になったという。無論、その場でそんなことをすれば息子の命も無いだろう。だが、如水は主君でも
ない他人のために奔走して、それを誇らしげに語る息子のお人好しさを暗に叱責したのだ。息子からしたら自分が金吾の
若造を寝返させたことで戦を大勝利に導いて、その功績で18万石から52万石の大大名となったことを父にも褒められ
ると思っていたのだろう。調略でも合戦でも活躍した彼だったが、何のために誰のためにその才を振るうかまでは気が回
らなかったようだ。父にも褒められるとばかり思っていたのに逆に叱責(なんで内府に急いで天下を取らせるのか。内府
と治部少の戦が長引けばその間に九州を制圧して天下を狙えるだけの地盤を築けたものを)を受けて父の野心を知って面
食らった。多分、その時の僕はその息子と同じ顔をしていたと思う。僕は何も言わず自分の部屋に戻ると、文化祭の時に
着ていたメイド服(いらないって言ったのに先輩が無理矢理持って帰させたのだ。以来、捨てるのを怠っていた)を着た。
こうして、家の主なのに居候にメイド奉仕をする理不尽にも程があると叫びたい生活がスタートしたのである。
 メイド服に着替えた僕は一階に下りると、紅茶と菓子を用意してルイの部屋に向かった。コンコンとドアをノックして
部屋に入る。

「お茶を淹れてきたよ」
「御苦労さま。今日は早かったのね」
「ちょっとね、やることができたんだ」
 ふーんと、興味無さ気にルイはテーブルに置かれた紅茶を飲んだ。僕はルイの部屋を出てまた1階に下りた。キッチン
でチョコを作るのだ。買ってきた本を参考にまずはちっこいのを作るか。200個も作るからな。面倒だが、さっさと作
っちまおう。と、そこへエリシアがやってきた。

「なにしてるの?」
「チョコを作ってんの」
 僕は簡潔に答えながらできたチョコをバットに並べていった。エリシアはずっと僕を作業を眺めていたが、忙しかった
ので気にはしてなかった。異変に気づいたのはそれからちょっとしてからだった。次々とチョコを作ってバットに並べて
いっているはずなのだが、どうも数が増えていない気がするのだ。ってか、減っているぞ。原因はすぐわかった。エリシ
アの口の周りにチョコがついていたのだ。

「なにやってんだ?」
「なに?」
 なに? じゃないよ。何、勝手に食ってんだよ。

「別にいいじゃない。いっぱいあるんだし」
 いっぱい必要だからいっぱい作ってんだよ。君のお菓子はそこの戸棚に置いてあるから勝手に食っといてくれ。

「わかった」
 エリシアは戸棚からお菓子を出すと、それを食べながら出て行った。育ちが影響しているのか、あまり行儀のよくない
娘だ。まあ、邪魔者もいなくなったことで、作業も捗ることとなった。200個を作り終えて、次に抽選の一等賞用のチ
ョコを制作する。さて、どういうの作るか。やっぱり、こういうのってハート型かな。ハートね。何か文字でも入れとい
た方がいいかな。否、やめとこう。先輩からは気合いの入ったのと言われたが、そんなの入りようもない。誰が受け取る
かもわからないのに。最終的にただハートの形をしたチョコができただけだった。これで500円か。翌日の放課後に何
人くらい集まるかわからないが、201個全部行き渡ったと仮定して参加費500円×201で100500円の売り上
げとなる。どう見ても1個500円の価値も無いのに。何か詐欺っぽい気がする。それはともかくとして、材料が少し余
ったけどどうしようか。チョコケーキにしてみた。ちっこいのが一つできた。自分で食べるか。否、ルイとかに見つかっ
たらどんな制裁を受けるか。ルイとエリシアのどっちかに食ってもらう。多分、喧嘩になるだろう。とりあえず別の箱に
に入れて明日学校に持っていくか。
 次の日、大量のチョコを引っさげて学校に行った。他にもチョコを持参してきている女子生徒はいるようだが、こんな
に大量のチョコを持ってきているのは僕ぐらいのものだ。当然、教室には持って行けないので部室に置いておく。しっか
し、本当に群がってくるんだろうか。僕の場合、向こうからチョコが来るので自分から取りに行ったりはしなかった。今
はあげる側になってしまったわけだが、大量の在庫を抱えるような事態は避けたいな。まあ、その時は自分たちで食べて
しまえばすむ話だ。ああ、そうだチョコケーキはどうしよう。これも賞品にしてしまうか。2等ぐらいでさ。とか考えて
いると、誰かがドアを開けて部室に入ってきた。てっきり、部員かと思って振り返ってみると見知らぬ女子生徒が立って
いた。

「なんでしょう?」
 顔を知らないので先輩と判断して敬語を使う。

「あ、あの……」
 女子生徒は何やらモジモジしている。手元を見てみるとリボンで結ばれた小さな箱を持っていた。チョコが入っている
のだろうか。しかし、この部には男はいない。じゃ、あの箱は何が入っているんだ? 僕がジーッと視線を箱に集中させ
ているのに気づいた女子生徒は意を決したかのように箱を僕に突き出した。

「こ、これ、もらってください!」
「それはどうも」
 僕が箱を受け取ると、女子生徒は「失礼しました!」と言い残して走り去った。なんだ、僕に渡す物だったのか。でも、
彼女に何かを貰うようなことはないと思うのだが、とりあえず開けてみよう。リボンを解いて箱を開けてみると中にチョ
コが入っていた。それも市販じゃない手作りのチョコだ。

「?????」
 はて、いつの間に僕は男に戻ったんだろう。念のため鏡で己の姿を確認する。間違いない。僕は女の子のままだ。おかし
な娘だな。同性にチョコを渡すなんて。せっかくなのでもらっておこう。この時は、ただ特殊な事例として気にもしなかっ
た。ところが、この後も女の子から次々とチョコをもらうという事態が発生してしまった。僕は元は男だったので女子から
チョコをもらうという事自体に違和感は無いのだが、さすがに怖くなって昼休みに部室に行った。部室にはいつも先輩が弁
当を食べているので、事の仔細を話した。

「と、こういうわけなんですよ」
「ああ、それは友チョコって奴だよ」
 友チョコ? そういや噂には聞いたことがある。

「涼ちゃんは女の子にも人気があるんだね。人から好かれるってことは立派な特技だよ」
 そうですかね。男には人気があるのは知っていたが、まさか同性にも人気があるとは。でも、本来バレンタインって女が
男にチョコを贈るもんだろ? それが最近では逆チョコなるものもあるらしい。裏に業界の策略があると勘ぐるのは考えす
ぎか? それにしても、贈られたチョコは市販の物もあったが、手作りのチョコもあった。それも、僕が作ったようなチン
ケなものじゃなくて手の込んだ仕上がりとなっているのがほとんどだ。店頭で販売したら何十円ぐらいしか価値の無いチョ
コを(参加料という名目で)500円で売りつけるようなあくどいことをしようとしている僕は胸が痛む思いだ。というわ
けで、いただいたチョコはありがたく頂戴しよう。一人では食べきれないのでルイとエリシアにも御裾分けだ。

「先輩もどうですか?」
 年上を前に自分だけチョコを食べるようなことはしない。しかし、先輩は手を振って、

「いいよ、それは涼ちゃんがもらったものだからね。それよりかさ」
 なんでしょう?

「本命チョコとかってないの?」
 僕はチョコを口に運ぶ手を止めて先輩に目を向けた。

「本命?」
「そ、本命」
 ありませんよ、そんなの。

「え、なんで? イトックスにあげないのかい?」
 不思議そうに僕を見つめる先輩。イトックスとは僕の同級の男子生徒の伊東に先輩が勝手につけた仇名だ。人の彼氏に、
と言うところだが奴は別に彼氏じゃない。勘違いしてもらっては困る。まあ、他の男子生徒よりかは近い存在ではあるが。

「てっきり、そのチョコケーキはイトックスに渡すって思ってたのに?」
 これは、ついでに作った物です。どうしようと迷っていたところですよ。

「だったら、それをあげたら? あ、でも他の男子に見つからないようにね頼むよ」
 そんなこそこそしてまであげたいとは思いませんよ。

「別に照れなくてもいいさ。じゃ、弁当も食い終わったことだし、私は下でコーヒーでも飲んでくるよ。放課後、期待して
いるからね。がんばってちょうだいよ。ん?」
 先輩はいたずらっぽくウインクすると、弁当を素早く片づけて部室を出て行った。僕も一人で部室にいてもしょうがない
のでチョコケーキを持って出た。先輩に言われたからではないが、自分で食べるのもアレなので伊東にくれてやる。でも、
面と向かっては嫌なので玄関の下駄箱に入れておこう。誰もいないのを確かめて伊東の下駄箱を開ける。上履きが置いてあ
るので奴は外にいるようだ。外にいようが中にいようが関係はない。誰かに見つかる前に用をすませよう。しかし、いくら
包装してあるからって、綺麗とは言えない靴や上履きが収められている空間に食べ物を入れるのは如何なものだろう。それ
なら、教室の机の中に入れた方がまだ清潔だ。しかし、教室では誰かに見られる危険がある。この、ほんの一瞬の躊躇で僕
は誰かに見られることなく物を下駄箱に入れるという隠密行動を全うできなくなった。

「なにやってんだ?」
 不意にかけられた声に僕はビクッとなってしまった。猫ならものすごく高くジャンプしていただろう。声をかけてきたの
は、よりにもよって僕がこれからチョコケーキを入れようとしている下駄箱の主だ。僕はあわててチョコケーキを後ろに隠
した。

「な、なんでもない」
 なかったら他人の下駄箱を開ける必要もないので苦しい言い訳だ。このまま走り去りたかったが、チョコケーキを渡すと
いうミッションをクリアしていない。今なら他に人はいない。チャンスだ。

「あ、あのさ……」
 僕はチョコケーキを伊東に差し出した。

「ちょっと材料が余っちゃって、それで作ってみたんだけど良かったらどうかな? と思って」
「俺に?」
 おめえ以外にこの場に誰がいるんだよ。それに、なに照れてるんだ? 余りもので作ったからそんなに照れるもんじゃな
いぞ。

「開けてもいいか?」
 別にいいよ。中身はただのチョコケーキだ。中身を確認して伊東が訊いてきた。

「これ、桜谷が作ったのか?」
 そだよ。あんだよ、その顔は。

「いや、桜谷がケーキをっていうか台所で料理する画が想像できなくてさ」
 悪かったな。言っておくが、朝昼晩の食事は全部僕が調理をしているんだぞ。あの居候二人は後かたずけもしないんだ。

「でも、うれしいよ。家帰ったら味わって食べさせてもらうよ」
 くれぐれも神棚に供えたりするなよ。

「んなことしねーよ。ああ、でも妹に食われないように注意しないとな」
 それはそっちで対処してくれ。じゃ、僕はこれにて。

「ちょっと待って」
「なに?」
「サンキュな」
 だから感謝されることじゃないって。それに味は保証しないぞ。なにしろ素人が本を見ながら作ったんだからな。まあ、
イベント用に大量生産されたチョコボールよりかは手間がかかっているから、もしかしたら心がこもっているかもしれない。
 そして、放課後。予想以上の人だかりに僕は完全に怖気づいていた。逃げ出したい衝動に駆られているが、先輩に服を掴
まれているので逃げられない。

「いやー、すっごい人だね。確実に200人は超えているよ」
 先輩は校舎の陰から中庭に集合している群衆を観察してすっかり気を良くしていた。対照的に僕はテンションが下がる一
方だ。その理由が僕の着ている衣装だ。ホームルームが終わって部室に行くやいなや、いきなり「これ着て」と先輩から渡
されたのは、まるで童話の天使みたいな衣裳だった。ご丁寧に羽までついている。無論、僕は抵抗した。

「嫌ですよ。いくらなんでも恥ずかしすぎます」
 だが、それで「はい、そうですか」と聞き入れてくれるような先輩ではなかった。

「尻ごみするから恥ずかしいんだよ。堂々としていれば恥ずかしくなんてないんだから」
 それは、ただ単に恥知らずなだけです。だいたい、なんで天使の格好をする必要があるんです?

「だって、ポスターに天使が舞い降りたって書いてあったでしょ? 皆、天使の登場を期待しているんだよ」
 どうやら、天使のコスプレは決定事項だったらしい。じゃ、なんで事前に教えてくれなかったんですか。

「だって、言ったら涼ちゃん逃げ出すでしょ?」
 だからって。駄目だ、先輩は着せる気満々だ。僕がどんなにお慈悲を乞うても聞き入れてもらえないだろう。結局、押し
切られる形で僕は天使役を引き受けることとなった。
 だが、いまになって僕は早計な判断だったと後悔していた。中庭に犇めく群衆の前にこの姿晒すは末代までの恥となりか
ねん。

「あの…やっぱり、この格好は……」
 無駄と知りつつも先輩に制服への着替えを嘆願してみたが、先輩の返答は否だった。

「だーめだよ。ほら、皆が待っているから」
 有無を言わさず先輩は僕の手を引っ張って群衆の前に連行した。先輩はメガホンを片手に、

「さあ、お待たせしました。只今より、我が超常現象研究部が主催するバレンタイン特別企画『天使のチョコ争奪大抽選会』
を開始します。ルールは簡単。部員より配られたくじを開いて×が書いてあったらチョコがもらえます。残念ながら○が書
かれていたらハズレです。そして、何も書いてなかったら大当たり、天使より手渡しで特製チョコがもらえちゃいます。で
は、準備はいいかな? それでは一斉に開いてちょうだい」
 先輩の合図とともに男子生徒の群れ(女子生徒も混じっている)はくじを開いていった。当たりが出て喜んでいる者と逆
にハズレを引いて落胆する者とに分かれるが、その中で一人だけが皆と違う抽選結果の奴がいる。そいつにはチョコを手渡
しするそうだが、誰でもいいから早くしてくれ。一刻も早くこんな恥ずかしい格好から解放されたい。恥ずかしいだけでな
く、とにかく寒い。当たり前だ。まだ2月なのに手足を外気に晒しているのだ。自分を抱きしめながら寒さに震えていると、

「私、当たりました!」
 との声が上がった。なんと、一等を当てたのは女子生徒だった。群衆をかきわけて姿を見せたのは朝に部室まで僕にチョ
コを渡しに来た女子生徒だった。先輩に名前と学年を聞かれた彼女は自己紹介してくれたが、てっきり上級生だと思ってい
たのに彼女は1年生だった。朝貰ったチョコの返礼という形になるが、こんな手抜きでは割にあわないだろう。もう少し、
手の込んだのを作れば良かったかと反省していると、先輩が耳元でとんでもないことを囁いた。

「え?」
 僕は耳を疑ったが、先輩のニッとした笑顔を見ると聞き間違いではないようだ。僕は小声で反論した。

「それはちょっとおかしいと思いますが……」
「私もそう思うんだけどね。まさか、女の子に当たるなんて思っていなかったからさ。仕方ないさ」
 だったら、普通に手渡せばいいじゃないですか。

「そうもいかんよ。これもサービスだよ。言うことは間違ってないんだし」
 確かに、先輩から言うように言われたセリフは間違ってはいない。だが、言わなければならないセリフかと言えば、答え
は否だ。

「どうしても言わなくてはいけないですか?」
「そうだよ。その方が盛り上がるっしょ」
「ですが……」
 僕はなおも渋ったが、このままこの格好でここに留まれば風邪をひきかねん。覚悟を決めた僕は拒否反応を示している口
を無理矢理開かせた。

「べ、別に、あ、あんたのために、つ、作ったんじゃ…ないからね!」
 叫ぶと同時にチョコを女子生徒に突き出した。きょとんとしていた女子生徒だったが、すぐに笑顔になってチョコを受け
取った。その直後、群衆から拍手が巻き起こった。先輩は場を盛り上げる手段として、ツンデレな女子が好きな男子にチョ
コを手渡すというシチュエーションを用意していたのだが、相手が女子となってしまったことでいささかシュールな言動と
なった。そのことが却って場を盛り上げることとなり、先輩も大いに満足しているようだが、それに反比例するように僕の
テンションは底をぶち抜けて急降下していった。手に拳銃を持っていたらいますぐにでも自分の頭に銃口を突き付けて引き
金を引きたい気分だ。そりゃ、確かに特定の誰かのために作ったんじゃないけどさ。かくして、イベントは盛況のうちに終
了して一名が醜態を晒したのを除けば全員が満足したという結果となった。醜態を晒した一名とは誰か言うまでもない。し
かも、ひっきりなしに携帯で撮られていたから後々までそれが語り継がれることになると思うと今夜にでも夜逃げしたいく
らいだ。これで、文化祭、クリスマスに続いて僕は大きなトラウマを背負うことになってしまったのであった。


 イベントで稼いだ金銭は半分を学校側に寄付して残りは部費にあてることになったのだが、それで購入したのはノートパ
ソコンとその周辺機器のみだ。それも先輩たちが暇つぶしにインターネットを見るのに使うだけで世界各地の超常現象を調
べるといったことに使われることはなかった。いっそのことヒマ人クラブにでも改名したらどうだろう。
 ヒマ、か。そういえば去年はヒマだなんて感じる間もなかったな。ここにいる人たちは僕が命がけの戦いをしていたなん
て知らない。ヒマと感じるということは平和だってことか。僕は平和を満喫できているのだ。だが、心のどこかでいまの状
況を退屈と感じてもいた。去年の死と隣り合わせの戦いの日々を思えば現在の平和な日々は退屈にも思える。勝手なものだ。
あの時は、戦いにうんざりしていたというのに。

「贅沢なんだよな……」
「えっ?」
 ボソッと呟いたのが秋山さんに聞こえたらしい。僕が「何でもない」と答えると、「そう」と言って視線を本に戻した。
その姿は当たり前だが極々普通の女子高生だ。昨日見ていたというバラエティ番組の話題で盛り上がっている先輩たちの姿
もやはりありふれている女子高生だ。見た目では退屈していないように思えるが、先輩たちももしかしたらいまの自分の状
況を退屈と感じているかもしれない。

−命の危険が無い程度で退屈じゃない日々−

 そういうのを求めるのって贅沢か? 自問自答してみる。目の前の極々普通の光景か、去年の目の前のモンスターと(時
には死をも覚悟した)戦った光景か、どっちがいいのか。いや、考えるまでもない。僕にとって普通の生活が何よりの贅沢
だ。時々、困らせられるけど先輩もルイとエリシアも僕は嫌いじゃない。いまはまだ完全に打ち解けられていないけど、い
つかは屈託なく笑って会話しあえるようになるだろう。いったんは手にした普通の生活。しかし、シマリスに目をつけられ
たがために脆くも失われ、モンスターと戦うという普通じゃない生活を送る羽目となった。それも終わって、今度こそ僕は
普通に暮らせるようになった。もう、非日常的な生活をすることはないだろう。そう願いたい。だが、とハンガーラックに
目をやる。そこに掛けられている衣装の数々は僕専用として先輩が部費で通販から購入したものである。そこにはクリスマ
スの時に着たサンタの衣装やバレンタインでの天使の衣装もある。非日常的な生活でなくても心が休まらない日は度々訪れ
ることであろう。実を言うと、新入部員を勧誘するため何らかのコスプレをさせられるのではないかと戦々恐々していたの
だが、どうやらそれは杞憂だったようで僕は胸を撫で下ろしている。バニーガールの格好をして『新入部員募集中』なんて
書かれたプラカードを掲げて歩かされたりしたら僕は二度と学校に来なくなっていただろう。いくら自由な気風がモットー
の学校でもさすがにバニーは許されないだろうから、先輩も自重するとは思うが油断はできない。なぜなら、

「どしたの? 涼ちゃん、コスプレの衣装なんか見たりしてさ」
 雑談をしていた筈の先輩が僕がハンガーラックに目を向けているのに気づいたからだ。雑談に夢中になっていると思って
たら油断も隙もない。まったくこの先輩に油断は禁物で、隙を見せたらバニーにされかねないから注意が必要である。

「気のせいですよ」
 僕はそう言って誤魔化そうとしたが、先輩の目はすでに獲物をとらえて離さない。

「うんにゃ、そろそろコスプレしたいって顔に出てるよ。だって、涼ちゃんはそういうの好きだもんね」
 好きじゃない。去年、エリシアと戦ったときに僕は変身を解かずに魔法少女の恰好のままで先輩たちの前に姿を現してし
まったのだ。それ以来、先輩は僕にコスプレ趣味があるとしてそれを口実にいろいろとコスプレを強要するのだ。僕にはそ
んな趣味は無いと訴えても、あの恰好を見られては説得力が無い。かといって、僕は本当に魔法が使えるんですよとは言え
ない。仮に言ったとしても、それを証明することはできない。なぜなら、エリシアとの戦いで変身ステッキが粉々に砕け散
って変身できなくなったからだ。よって、僕は粛々と先輩が指定する衣装を着るしかないのである。僕が毅然とした態度で
拒否することができる人間だったら、家で居候にメイド奉仕を強制されるという理不尽極まりない事態にもならなかったの
に。

「別に好きなのを着てもいいんだよ? 皆涼ちゃんのために買ったんだから。本当、涼ちゃんは遠慮しすぎなんだから。堂
々と看護師の制服を着ても誰も気にしないよ」
 いえ、僕が気にします。おかしいでしょ、こんなところに看護師がいたら。それに、なんで看護師なんです?

「いや、別に意味は無いよ。ただの思いつきさ」
 そう、この部の活動のほとんどが先輩の思いつきで始まるのだ。そもそも、部が発足したのも先輩の思いつきによるもの
だ。思いつきゆえに先輩が次になにをやるか読めない。そして、それがわかった時はすでに手遅れなのだ。だから、先輩が
何かを思いつかないように注意しなければならない。が、どうやら今回も手遅れだったようだ。先輩はズイッと身を乗り出
して、

「ねえ、私さ前から涼ちゃんに次はどんな衣装を着せてあげるか考えてたんだけどね」
 他に考えることあるでしょと進言したい気分だ。

「なかなか、これといったものが思い浮かばないんだよねえ」
 それは何よりだ。願わくば、未来永劫思い浮かばないでもらいたい。

「皆はどんなのがいい?」
 意見を求められた僕以外の3人は一様に首を横に振った。意見なしという意思表明だ。先輩はうんうんと頷いて、

「そうそうアイデアなんてないわよね。でも、心配しないで。いま、思いついたから」
 できれば聞きたくないが。手元に麻酔銃でもあったら躊躇なく先輩を撃っているのだが、生憎と持ち合わせがない。この
まま、先輩がその思いついた事やらを口にしてしまったら最後、僕がそれを拒絶できる確率はいままでの経験上限りなくゼ
ロに近い。てか、ゼロだ。僕にできるのはせめてバニーだけは勘弁してと祈ることぐらいだ。

「でね、次に涼ちゃんに着てもらう衣装ってのは……」
 もう駄目だ。お願い、本当にバニーだけは嫌だ。できれば、コスプレ自体勘弁してほしいのだが、それは天地が引っくり
返るような奇跡が起きないと望み薄だろう。ところが、奇跡は起きてしまった。絶妙なタイミングでチャイムが鳴り響いた
のだ。ウェストミンスターの鐘のメロディでホッとした気持ちになったのは初めてだ。先輩がチャイムに気を取られた一瞬
の隙をついて、僕は急いで帰ることにした。チャイムが鳴ったら各自の判断で帰っていいということになっているからだ。
先輩は少しつまんなさそうな顔をしていたが、あっと何かを思い出したかのような顔に変わった。br
「そうだ、涼ちゃんに教えてあげようって思っていたの忘れてた」
「なんです?」
「最近、車で移動販売しているパン屋があるんだけど、そこのパンがめっちゃ美味しいんだよ。涼ちゃんも一回行ってみた
ら? きっと病みつきになるよ」
 そんなに旨いのか。じゃ、ルイたちの分も買って帰るか。

「でさ、悪いんだけど私の分も買っておいてくれないかな? ちょっと都合が悪くて今日は買いに行けないんだよ」
 いいですよ。何個買えばいいんです?

「アンパン2個とメロンパン1個でいいよ。7時にエムドナルドの前に持ってきて。代金はその時に払うから。じゃね」
 と、先輩は手を振りながら部室から出て行った。結局、自分が買いに行けないから僕に買いに行かせたかっただけか。ま
あ、旨いらしいので食べてみる価値はあるか。

 実は最近人気の移動パン屋というのは僕も噂に聞いてはいた。ただ、登下校中にそれと出くわすことはなかった。僕は移
動パン屋が出没しているという場所に行ってみた。

「あれかな?」
 それらしきワゴンを発見した。結構、人が並んでいるぞ。僕は並ぶという行為が大嫌いなので、本来なら諦めて帰るとこ
ろだが、先輩から頼まれてもいたので仕方なく列に並ぶことにした。そして、ようやく僕の順番が来て注文したのだけど、
先輩の分を注文したらあとはアンパンが2個しか残っていなかった。

「そのアンパンもください」
 僕は残りのアンパンも買うことにした。ルイとエリシアの分しかないが僕は諦めよう。僕は財布からお金を出して、おっ
さんに渡したのだがその時おっさんと目が合った。

「?」
 なんだろう、この妙な感覚は。僕はおっさんに何か違和感みたいなのを感じた。見た目人の良さそうな感じなのに、なん
ていうか何か裏がありそうなそんな感じ。

「どうしたんだい? おじさんの顔に何かついているかい?」
「あ、いや別に……」
 僕はパンを受け取ると、そそくさと立ち去った。それにしてもなんだったんだろう。妙に気になる。気になるといえば、
やけにパトカーや救急車のサイレンが鳴り響いているな。
 家に帰ると僕は出迎えたシマリスにルイを呼んでくるよう言った。いつもは自分の部屋でお茶を飲むルイだが、今日はパ
ンを買ってきたので皆で食べるために出てきてもらう。

「ほな、呼んできまっさ」
 シマリスはふわふわ浮かびながらルイを呼びにいった。このシマリスは見た目はシマリスなのだが、言葉を喋ることから
わかるように普通のシマリスではない。僕を女性化させてなおかつモンスターと戦うことを強制させた張本人である。言葉
を喋る以外何の取り柄もないが、しぶとさだけはゴキブリ以上だ。宙に浮かんでいるシマリスに足が無いように見えるのは
目の錯覚ではない。エリシアと戦った時にシマリスは壮絶な名誉の戦死を遂げた。と、思っていたら、何を思ったのか化け
て出て来たのだ。一度は然るべき寺に頼んで強制的にも成仏させてやろうとしたのだが、本人がどうしてもと駄々をこねる
のでしばらくは猶予してやることにした。ふわふわ浮いてられるのも幽霊になったからだ。そう、この家は悪霊に取り憑か
れているのだ。そのうち隙を見てお祓いしてもらおう。
 シマリスがルイを呼びに行っている間に僕は自分の部屋で制服を脱いでメイド服に着替えた。習慣とは恐ろしいもので、
すっかりそれが当り前のようになっていた。前にルイから聞いた話では彼女の家はメイドを雇うような名家だったらしい。
使用人を雇うのはその家のステータスみたいなもので、まあ見栄みたいなものだな。ルイは自分の家系に誇りを抱いている
ので、自分もそれに相応しい生活をしなければと思っているのだ。だが、繰り返し言うが現在のルイは居候でメイドを雇う
ような身分ではない。その証拠に僕はルイから一銭も給料を支払われたことはないぞ。本来、この家の主である僕がメイド
になる必要性はない。だが、いつの間にか僕はルイの家来的扱いに身を落としていたらしい。いつ、そうなったんだろう?
多分、ルイとエリシアと一緒に暮らすようになった時点であろう。庇を貸して母屋を取られるってか。
 着替え終わった僕はパンを持って居間にむかった。居間ではいつもエリシアがテレビを見ている。僕が「ただいま」と声
をかけると、エリシアは僕の方を振り返らずに「おかえり」とだけ返した。外国人でしかもテレビなんかまったく見られな
い極貧生活だったエリシアは日本のテレビに夢中なのだ。

「パンを買ってきたんだけど食べないか?」
「パン?」
 ようやくエリシアが顔をこっちに向けた。彼女は幼少のころから食べ物に恵まれない境遇だったので、食に対する思いは
僕やルイよりもあるのだ。

「最近人気のパン屋らしいんだけど。食べるなら手を洗ってきて」
「わかった」
 エリシアは洗面所に行った。それと入れ替わりにルイが入ってきた。君も食べるなら手を洗ってきなよ。

「失礼ね。言われなくてももう洗ってきたわよ」
 そうかい、それは悪かったな。じゃ、早く椅子に座ってパンを食べなよ。

「貴方は?」
 僕はいいよ。二つしか買えなかったからね。

「これは?」
 それは先輩に頼まれたものさ。僕は次の機会にするよ。気にしないで食べて。って、言うまでもなく気にはしないんだろ
うな。エリシアも戻ってきてパンを頬張り始める。それを見て、ルイもパンを口に近付けた。が、

「……」
 ルイは口の手前で手を止めるとジーッとパンを注視した。どうした? と僕が訊く前にルイはパンを二つに裂いて餡の中
から何かを取り出した。テーブルの上に置かれたそれは小さな赤い結晶体だった。

「これ、どこで買って来たの?」
「どこでって」
 詰問するような目で見られても困る。車で移動しながらパンを売っている人から買ったんだよ。

「これって何なんだ?」
 僕は赤い結晶体を指差した。どう見てもアンパンの具ではない。

「毒よ」
「毒?」
 いきなり何を言い出すんだ。
「それはメトロンキシンという物質で、人間が摂取したら周りの人間が敵に見えてくるのよ。そして、摂取した人間は自分
が殺されるという強迫観念に捉われて周囲の人間を殺そうとする。ただし、凶暴化するのはほんの数分で、時間が経過すれ
ばその人間は正気に戻るわ。凶暴化していた時の記憶はないけど」
 そんな怖い物なのか。よかった、僕食わないで。と、胸を撫で下ろした僕はハッとなってエリシアの方を振り返った。彼
女は確実にパンを食べていた。

「なに?」
 さっきの話を聞いてなかったのかエリシアは何事もなかったかのようにパンを食べていた。

「なにって、聞いてなかったのか? それには毒が入っているんだぞ」
 にしてはエリシアに異常は見られない。その原因をルイが教えてくれた。

「私たちは魔法の力で守られているからこの程度の毒はどうってことないわ」
 そう言うと、ルイは自分もパンを食べ始めた。パンを食べる二人は普通の女の子に見える。とても、命のやり取りをした
間柄とは思えない。かつて、僕たちは互いを敵として戦ったことがあり、僕は二人から殺されそうにもなったのだ。それが
一つ屋根の下で暮らしているんだから奇妙な光景だよな。でも、いまの僕たちには戦う理由がない。それはパンを食べる二
人を見ていたらわかる。特にエリシアは初めて会った時の冷酷さがまるで感じられない無害な少女になっていた。それが本
当の彼女で育った環境が最悪だったから人を平気で殺す残忍な性格になってしまったのだろうと、思いたいのだがそうでも
なさそうだ。あれは春休みにピクニックに出かけた時だった。


 春休みになって僕たちは裏山にピクニックに出かけた。いつも家の中にいる二人にたまには自然の中で食事をさせてあげ
たいという僕の親切心によるものだ。僕を先頭にルイ、エリシアと続く一行は、まあ目立ってしょうがない。なにしろ、僕
の後ろを歩く二人はお人形さんみたいに整った顔立ちの美少女だからな。声をかけられるのは当然といえる。

(これじゃあゆっくり弁当も食えないか)
 そう思った僕は誰もいないところで弁当を食べることにして、立ち入り禁止の区域に入ることにした。危険という表示が
見えたが、何が危険かは確認しなかった。本物の魔導師が二人もいるんだ。ちょっとやそっとの危険なんて恐れるに足りん。
そう意気込んで堂々と立ち入り禁止区域に入った僕たちは川原で弁当を食べることにした。レジャーシートを敷いてバスケ
ットを開いてサンドイッチを頬張る。無論、サンドイッチは僕が作った。

「どう?」
 と、感想を訊いてみる。

「まあまあね、不味くはないわ」
 と、ルイ。素直な性格ではないのでこれは賛辞と受け取っておこう。もう一人は、

「うん、おいし」
 と、パクパク食っている。一応、パンは一枚一枚焼いてあるし、ハムやレタスにも下味はつけてある。他にもいろいろ手
をかけているのだ。妥当な評価だと胸を張りたい。えっへん。
 と、ここまでは普通のピクニックだった。何を考えているのか、藤岡弘、探検隊みたいな服装をルイとエリシアがしてい
るのを除けばだが。探検でもしてみたいのだろうか。そんなに目ぼしいものがある山ではないけどな。ツチノコ探しでもす
るか? それもいいが、その前にやるべきことができてしまった。

「ちょっとごめん。すぐ戻るから」
 どうも家までもちそうにない。僕はポケットティッシュを持って森に入った。周囲に誰もいないのを確認して茂みの中に
腰を下ろす。注意しとかないと盗撮魔がいるって先輩が言っていたからな。あの時の濡れ衣で僕は先輩の部に入ることを余
儀なくされたんだ。それもあの猫野郎のせいだ。本当、今度会ったら髭をちょん切ってやるからな。

「!」
 用が済んだので森から出ようとした僕は何かの気配を感じた。人の気配じゃない。ガサガサと音がする方に目をやると、
銀牙に出てきそうな如何にも凶暴そうな馬鹿でっかい熊が僕に視線を向けていた。用が済んだ後でよかった。でなければ、
かなり恥ずかしい事態になっていたところだ。熊は明らかに僕を照準に定めている。ってか、なんでこんな住宅街に囲まれ
た山に熊がいるんだ? そうか、ここらが立ち入り禁止なのは熊が出るからか。納得した僕は左腕のデバイスアームをスモ
ークハンドに切り換えて熊に向けて煙幕を噴射した。熊の視界が遮られている間に全速力で逃げ出す。ガスハンドで熊を殺
す方法もあったが、さすがにそこまではしたくなかった。とにかく逃げられればそれでいいのだ。
 息も絶え絶えになって二人のところに戻った僕は急いで荷物をまとめるように言った。

「なにかあったの? そんなにあわてて」
 と訊くルイに僕は後ろの方を指差して、

「熊、熊が出たんだ」
「熊って、あれのこと?」
「えっ?」
 後ろを振り向くと、あの熊がこっちに迫ってきているではないか。なんてこった。早く逃げないと。駄目だ、腰が抜けち
ゃった。どうしよう、ガスハンドでホスゲンを散布しようにも風向きはこっちだし、マシンガンハンドで射殺しようにも銃
声が響いちゃうし、こんなときに魔法が使えないなんて。いや待てよ、ルイとエリシアは本物の魔導師なんだから魔法でど
うにかしてくれるんじゃないか。その二人は目の前に熊が迫ってきているというのに平然としていた。 

「後ろに下がってなさい」
 僕はルイに指示されたとおりに彼女の後ろに隠れた。熊はすぐそこまで迫っている。どれから食おうかなと品定めしてい
るようだ。言っておくけど、僕は左腕が機械だから食ってもおいしくないよ。もっとも、僕はルイの背後に隠れているから
熊の視界には入っていない。そして、熊はどうやらルイを最初の獲物に選んだようだ。熊とルイの睨み合いが続く。すると、
それまで「ガルル」とうるさかった熊が急に黙りこくったではないか。ルイが熊の頭にそっと手をやると、熊は身を引いて
今度はエリシアを標的に定めた。やばい、いまののほほんとしたエリシアでは熊の相手は無理ではないか。ところが、エリ
シアと対峙した熊はガタガタと震えたかと思うと、いきなり立ち上がって襲いかかろうとした。

「逃げるんだ!」
 咄嗟に叫ぶもいまからでは間に合わない。惨劇を覚悟した僕だったが、熊は立ち上がったまま身動きができずにいた。エ
リシアの発する魔法力のオーラが熊の身動きを完全に封じていたのだ。エリシアはゆっくりと立ち上がると、熊の首に両手
を突き刺した。

「げぴ!?」
 熊が奇妙な悲鳴をあげた直後、エリシアは熊の首を引きちぎった。熊の首を掴んだエリシアはルイの方を向いて勝ち誇っ
た顔で、

「どうやら熊は貴方を敵として見なかったようね」
 いや、恐るべきはルイ。彼女の前では熊でさえ死を覚悟した。だが、エリシアの前では熊は死を恐怖した。それにしても
その時のエリシアの顔は僕と戦った時の顔だった。氷のように冷酷だった時の顔だ。危険を前にして防衛本能が悪いエリシ
アを呼び起したのだろうか。それとも、普段は猫を被っていたのだろうか。どちらにしても、熊にさえ死を感じさせる二人
と同居している僕はものすごく危険なのではないだろうか。

 それから考えたんだけど、もしかしたらエリシアは二重人格なのではないだろうか。戦う時だけ悪いエリシアが出てきて
しまうのだ。真偽は不明だが、いまになって二人を引き取ることを決めた時のアスナの言葉が蘇る。
『ばっかじゃないの?』
 確かに文字通りの死闘を演じた相手と一緒に暮らすなんて正気の沙汰ではなかったかもしれない。まあ、今更どうこうと
いう事でも無いし、いまはこの毒物をどうするかだ。やっぱし、警察に届けるか?

「無駄よ」
 ルイがはっきりと否定した。なんで?

「メトロンキシンはこの世界には存在しない物質なんだから、いくら調べてもどんな成分かなんてわからないわよ」
 えっ? この世界にはって、どうゆう事?

「私たちがいるこの世界以外にも違う世界があるって知っているでしょ?」
 それは知っているけど、でもそれって……。あんまし、想像したくないんだが、そんな僕のささやかな希望など考慮に値
しないルイ嬢はさらりと言い放った。
「そう、異世界からの侵略」
 僕は普段の日常が脆くも崩れ去るのを感じた。

 翌朝、僕は果物が入った籠を持って病院にやってきた。なんで、こんなところにいるのかと言うと、昨夜に先輩から電話
がかかってきたのだ。衝撃の事実を聞かされて呆然となっていた僕は、先輩の声を聞いてもう7時を回っていることに気づ
いた。やべ、すっかり忘れてた。必死に言い訳を考えていると、

「涼ちゃん、ニュース見てくれる?」
「えっ? なんでです?」
「いいから早く。大変なことになってるんだよ」
 何をそんなにあわててるんだろう。言われたとおりにテレビのチャンネルをニュース番組に合わせる。すると、僕と先輩
が待ち合わせてしていたエムドナルドの近くで通り魔事件が発生したというニュースが流れていた。30代の男がナイフを
振り回して次々と通行人を襲って男子高校生一人が重傷を負ったらしい。その男子高校生というのが、

「イトックスなんだよ」
 先輩が言うには、エムドナルドの前で偶然伊東と遭遇したそうだ。そして、挨拶だけ交わして別れてすぐに騒動が起きて、
何と伊東は通り魔に襲われそうになった女の子をかばってナイフで刺されたという。

「そんなわけだからさイトックス病院に搬送されたんだよ。明日でいいからさ行ってやりなよ。じゃね」
「えっ? ちょっと先輩」
 電話は一方的に切られた。事件ですっかり待ち合わせの事を忘れてくれているようだ。それにしても、伊東が他人をかば
って凶刃にねぇ。よくやるよ本当に。
 以上の経緯で、僕は病院に来ているのだ。別に行く義理はないけど、先輩に「何で行かなかったの?」と詰問されるのも
嫌だから見舞いの果物を置いたらすぐに帰ろう。受付で伊東の病室を訪ねる。その際の、受付係の「あら、かわいい彼女ね」
的な顔が気がかりだ。誤解を解いておくべきだろうか。しかし、必死に否定するとかえって怪しいってことになるからな。

「ここか」
 病室のネームプレートを確認する。もしかしたら奴の家族がいるかもしれないので挨拶ぐらいはすべきだろう。コンコン
とノックする。

「どうぞ」
 伊東の返事が返ってきたのでドアを開けて中に入る。個室なので他に患者はいない。いるのは伊東と他にもう一人。

「あっ」
 振り向いたのはちょっと背の低い目のクリッとした可愛らしい女の子だった。最初は伊東の妹かと思ったが、奴の妹はま
だ小学生だ。目の前にいる娘は僕たちと同じ高校の制服を着ている。でも、一面識もない。一年生か。しかし、なんだって
一年生が伊東の見舞いに来るんだ? ああ、そうか彼女が伊東が助けたっていう女の子か。でなきゃ下級生が上級生の見舞
いになんて来ないもんな。彼女は椅子から立ち上がると僕にお辞儀して、

「おはようございます。桜谷先輩」
「あ、おはようございます」
 僕もお辞儀して挨拶を返した。先輩か、そういやそう言われる階級に昇進したんだったな。桜谷先輩、うんなかなか良き
響きではないか。って、

「僕の名前知っているの?」
 彼女とは初対面のはずだ。伊東の顔を見る。おまえが教えたのか? 伊東はいやと否定する。じゃ、何で見ず知らずの娘
が僕の名前をしっているんだ?

「去年の文化祭でお見かけしましたから」
 その言葉に僕はフリーズしてしまった。去年の文化祭で、猫と同化してしまった僕は意識を取り戻すまでの間にかなり恥
ずかしい行動をしていたらしいのだ。記憶が無いので何をしたかはわからないが、猫が取る行動を考えたらそりゃかなりひ
どい痴態を演じていたのだろう。実際に携帯で撮られた画像を見ると、そのことが裏付けられている。これが通常の授業が
ある日だったらまだ良かったのだが、文化祭という不特定多数の人間にもウェルカムなイベントがあったことで学校外にも
僕の醜態が知れ渡ってしまったのだ。

「とっても綺麗なのに大変愉快な人だったので覚えていたんです」
 本人にとったら不愉快極まりないんだけどね。それと、あのときの僕は心神喪失状態だったから、その時のことは全然覚
えていないんだ。それから、大変愉快ってもしかして遠まわしに僕のこと罵倒してないか?

「いえ、別にそんなつもりでは。す、すみません」
 あ、いや、そんなに謝らなくても。どうやら、生真面目な性格の娘のようだ。なるほど、危険を顧みずに凶刃からかばい
たくなるわけだ。まあ、初対面の挨拶はこれぐらいにして。お見舞いしますか。伊東に容体を尋ねる。

「どうだ? 体の具合は」
「ああ、命に別条はないそうだ」
 それは見ればわかる。元気ということで理解しよう。

「これ定番の果物」
 ベッドテーブルに置く。誰もいなかったらリンゴの皮ぐらい剥いてやってもいいと思っていたが、その必要は無さそうだ。
そして、何気なしにベッドサイドキャビネットに目をやると例のパン屋の袋が置いてあった。

「これは君が?」
 後輩らしき女の子に訊くと、彼女は「はい」と答えた。昨日、買って家で食べようと思っていたのを持ってきたらしい。

「誰かこれを食べた人いる?」
 彼女は「いいえ」と答えた。さて、どうするか。考えた末に出した結論は、

「悪いけど、このパン全部くれない? 僕、朝から何も食ってなくてさ」
「えっ?」
 突拍子もない要求に彼女はどう返答していいかわからないってな顔をして、目で伊東に助けを求めた。僕も伊東に視線を
移して、

「なあ、いいだろ?」
 と駄目押し。伊東もとまどった様子で、

「ああ、まあいいけど」
「悪いな。本当に腹減ってたんだ。じゃ」
 僕は逃げるように病室を出た。かなり非常識な行動だと自分でも思うが、このパンを食べさせるわけにもいかないし、食
べるなって言って「なんで?」と訊かれたら返す言葉がない。かなり強引だったが、それしか方法は思い浮かばなかった。
今頃、「なに? あの人」的な会話がなされていることだろう。いずれ弁解……はしなくていいか。

 病院を出た僕は近くの公園でパンを割ってみた。磨り潰されてから混入されたからか赤い結晶体は無かった。昨日のは多
分、潰されきれてなかったのが混じってしまったのだろう。昨夜のニュースでは通り魔事件は他に15件発生していたらし
い。それ以外にも大声で喚きながら暴れまくるといったケースが50件以上あったようだ。これらに共通しているのは皆突
然発狂してある程度時間が経過すると急に落ち着いて暴れていた時の記憶をなくしているということだ。それはルイが言っ
ていたメトロン何とかを摂取した時の症状だ。

「困ったな……」
 警察に通報しようにもこの世界に存在しない物質の事なんか信じてもらえない。ルイとエリシアは自分たちに害がないも
のだから、まともに調査しようとか思わないようで結局は僕が動くしかない。アスナかサラでもいてくれたら心強いのに。

「まずはパン屋のオヤジを捜すか……」
 捜して見つけてそれからどうする? 自問していると、子供が大声で喚き散らしているのが聞こえた。

「どうして皆信じてくれないんだよ!」
 何事かと思って見てみると、その子供は思ってもいなかったことを口にした。

「あのパン屋のおじさんは人間じゃないんだ!」
 昨日の家に帰るまでの僕だったら周りの子供たちと同じ反応をしていただろう。つまり、「何言ってんだ? こいつは」
と。しかし、今は違う。昨日感じた妙な感覚はあの子供の言っていることが事実であれば気のせいではなかったのだ。あの
パン屋のオヤジは何かを知っているに違いない。とりあえず話でも聞いてみようと、その子のところに行こうとしたら先に警
官が彼に接触した。

「ごめん坊や、さっきの話お巡りさんに聞かせてくれないかな?」
 子供は最初は警戒しているようだったが、相手が警官であること多分初めて自分の言う事をまともに聞いてくれそうな人
間だからだろうすぐに「うん」と答えた。警官と子供はそのままパトカーでどっかに移動したがどうも変だ。気になった僕
は追いかけようとしたが、車で行かれてはどうしようもない。と、そこへタクシーが通りかかった。ちょうどいいタイミン
グで来てくれた。僕はタクシーを止めると運転手にパトカーを追うように言った。
 追跡しているのを悟られないためやや離れてパトカーを追ってみたが、それが災いしてパトカーを見失ってしまった。だ
が、相手がパトカーという目立つ車だったのが幸いしてすぐ見つけることができた。すでにパトカーは停車していて子供と
警官の姿は無かった。僕は料金を支払ってタクシーを降りると、周りを捜索してみた。すると、子供の叫び声が聞こえた。

「誰か助けてー!」
 声がする方に行ってみると、さっきの子供が何かに追われているかのように走っていた。一緒にいた警官はどうしたんだ?
子供はこっちに気づくと、真っすぐ向かってきた。そのすぐ後に僕の視界に飛び込んで来たのは奇怪な化け物だった。

「なんだ、あれは?」
 モンスターか? もう二度と遭遇することはないだろうと思っていた異形の生命体。それが、何の前触れもなしにいきな
りこんなところで再会するなんて。だが、どうやらモンスターとは違うようだ。なぜなら、

「待て小僧、逃がさんぞ」
 口を聞いたからだ。モンスターはしゃべらない。少なくとも僕は奴らと会話したことはない。じゃ、あれはなんなんだ?
子供は必死に逃げたが、とうとう捕まってしまった。

「助けてーっ!」
 必死に助けを呼ぶ子供。だが、僕はどうすることもできなかった。化け物はじたばたと暴れる子供を押さえつけると、口吻
を子供の首に突き刺した。見た目は蚊の化け物なので血を吸うつもりか。

「ぐあっ!」
 子供は助けを求めようとしているのか僕に向かって左腕を伸ばすが、僕は完全に怖気づいていた。やがて、子供は力尽きて
だらーんとなってしまった。

「あーっ、さすがに子供の血は美味いわ」
 口吻を抜かれた子供はそのまま地面に倒れた。そして、刺された箇所から泡が出てきて、それが子供の体を覆うまでに大き
くなっていき、子供の体を溶かしてしまった。その模様を喜々として見下ろしながら化け物は吐き捨てた。

「余計なこと言いふらすから生涯を短く終えることになるのだ。馬鹿め」
 そして、化け物は僕に目を向けた。凄惨な光景に愕然となっていた僕はビクッとなった。

「女、俺の姿を見たからには貴様にも死んでもらうぞ」
 僕はその場から逃げようとしたが、時すでに遅く化け物に捕捉されてしまった。

「は、離せ!」
 必死に抵抗するも、女の力ではどうしようもない。

「若い女の血も格別だが、さっきの小僧の血で満腹だからな。貴様にはとっておきの体験をさせてやる」
 化け物は僕を抱えたまま空を飛び始めた。僕はさっき以上に暴れて抵抗をしたが、

「暴れたら地上に落下してしまうぞ」
 その言葉で僕は抵抗を諦めるしかなかった。それにしても、この化け物野郎蚊のくせに飛行能力が高いぞ。それに言わせて
もらうと、血を吸うのはメスだけだぞ。

「細かい事は気にするな」
 僕をどうする気だ?

「なあに、ノーロープでバンジージャンプをさせてやるだけだ」
 なんだよ、結局僕を落とすんじゃないか。
「死ぬ前に空中散歩をさせてやっているんじゃないか。感謝するんだな」
 ふん、お生憎様。空中散歩なら何回もしたことあるさ。

「嘘はよすんだな。人間の貴様が自力で空を飛べるものか」
 畜生、変身さえできたらこんな奴の1匹や2匹敵じゃないのに。

「何をゴチャゴチャ言っている。楽しい空中散歩はもう飽きたか? ならば、今度はスリル満点のノーロープバンジージャン
プだ。ほらよ」
 化け物が手を放すと、僕は真っ逆さまに落下していった。このままでは僕は地面に叩きつけられて即死だ。でも、大丈夫。
僕にはデバイスアームという便利な機械があるのだ。左手をロープハンドに切り換えた僕はロープを化け物に向けて射出した。

「な、なんだ?」
 ロープは化け物の首に絡みついた。ぶら下がっている僕の体重でロープは化け物の首を絞めつける。

「く、苦しい……」
 首を絞めつけられた化け物は高度を下げていった。そして、適度な高さにまで高度が下がると、僕はロープを切り離して地
面に落下してゴロゴロと転がった。さすがに痛かったが特に怪我とかはなかった。起き上がって場所を確認するとそこは港だ
った。コンテナがいっぱい並んでいる。そのコンテナの上に化け物が立っていた。そろそろ、奴の正体を訊かせてもらうべき
だろう。僕は化け物をゆびさして、

「お前は何者だ」
 すると化け物は誇らしげに、

「俺は栄えあるGOODの強化改造兵士モスキートサイキンマンだ」
 GOOD? 悪の秘密結社って奴か? どういう組織だろう。それと強化改造兵士って改造人間のことかな。

「GOODは我らドンノルマが故郷を奪還するために結成された組織なのだ」
 ドンノルマだと? ドンノルマって言ったら宇宙人が使っていた地球人の古い呼び方じゃないか。

「そうだ。かつて地球人とは我らドンノルマの事だったのだ。だが、貴様ら人間の先祖に侵略されてこの世界を追われたのだ!」
 この世界? そうか、お前たちは異世界人だな。昨夜のルイの言葉を思い出す。本当に異世界からの侵略が始まったのか。
いや待て、異世界間の往来は禁止されているはずだぞ。たしか、ゲートキーパーが見張りをしているって聞いたが。誰に聞い
たか? ルイが教えてくれた。

「貴様、よく知っているな。そうか、貴様は魔導師だな。でなければそんな風に落ち着いていられんからな。こりゃ、運が良
い。魔導師を倒したとあれば幹部への昇進は間違いないからな。だが、さすがに俺一人ではキツイからな」
 モスキートサイキンマンと名乗った改造人間が右手をサッと挙げると、いつの間に潜んでいたのか黒の全身タイツに黒の覆
面を被ってさらにその上に黒のベレー帽を乗っけて黒のサングラスをかけた連中がコンテナの陰から現れた。その数は10人
ぐらいか。全員が長い棒を持っている。

「どうだ、グッドな皆さんたちだ。多勢に無勢ではさしもの魔導師も成す術はあるまい。かかれ!」
 改造人間の号令を合図に工作戦闘員たちが一斉に襲いかかってきた。僕はパワーハンドで迎え撃つことにした。逃げるって
いう手段もあったが、女の足で訓練された連中から逃げ切れるとは思えない。ならば、戦うまでだ。モンスターとも戦ったこ
とがある僕は決して戦闘の素人ではない。戦闘員相手に後れをとることはない。僕は真っ先に襲ってきた奴が振り下ろした棒
をパワーハンドで受け止めて、そいつの腹に蹴りをくらわせた。よろめいたところをパワーハンドで掴んで海に放り投げた。
続けて2、3人を海に放り投げてスーパーハンドに切り替える。これで放つパンチはバズーカ砲並の威力がある。残りの連中
をパンチでぶっ飛ばしてやった。これで、残るはあの改造人間だけだが、さすがにまともに戦ったら勝ち目がない。何か弱点
を突かないと。奴は蚊の改造人間だから、やはり殺虫剤か。

「ええい、不甲斐ない奴らだ」
 部下のだらしなさ(小娘一人に男が束になっても敵わないんだからな)にご立腹の様子の改造人間はトウッといった感じで
コンテナから飛び降りた。

「今度は俺が相手だ。いくぞ!」
 改造人間は左手からトゲを発射した。僕はそれをさっとかわした。だが、トゲがあった場所にまたトゲが生えて改造人間は
それも発射した。それが勢いよく発射されるので、僕はただかわすしかなかった。何発か回避して、そのうちの1本が僕に放
り投げられてノビている工作戦闘員に刺さった。

「ぐぇ!」
 刺さったのは腹だが、致命傷ではないだろう。と、思っていたら刺さった奴の身体が見る見るうちに萎んでいくではないか。
10秒も経たないうちに服だけを残してそいつは消えてしまった。毒いや細菌でも仕込んでいたのか。掠っただけでも致命傷
ってことか。このまま逃げ回ってても事態を打開できない。ならば、打って出るのみ。僕は左手をフ○キラーハンドに交換し
てノズルを改造人間に向けて噴射した。強力ジェット噴射だ。僕がこんな隠し玉を持っていたなんて想像していなかったのだ
ろう、改造人間はまともに浴びてしまった。さすがにそれで致命傷とはならないと思うが、かなりのダメージにはなっている
はずだ。よろめく改造人間の口にスーパーハンドでパンチをお見舞いする。

「さしーっ」
 改造人間は派手にぶっ飛んでコンテナに衝突して地面に落ちると、口を両手で押さえながら転げ回った。よっぽど痛いと見
える。そりゃ、人間に例えたらプロボクサーのパンチを口で受ける以上のダメージだもんな。だが、同情はしてられない。僕
はのたうち回っている改造人間に殺虫スプレーで追い打ちをかけた。

「ゲホッゲホッゴホッ」
 激しくせき込む改造人間。かなり大量に吸い込んでいるからな。これで死なないのはさすが改造人間といったところか。し
かし、かなり衰弱はしているようで立ち上がりはしたもののまるで泥酔しているかのように足下が覚束ないようだ。今ならト
ドメが刺せる。僕は博士が新たに用意してくれたロケットハンドを試してみることにした。これに換装するのは初めてだけど、
どんな形をしているのだろう。まあ、ロケット弾だろうけど。だが、換装してみるとボクシングのグローブだった。これがロ
ケットハンド? まさか、ロケットパンチ? いつの時代だよ。どうしよう。これ使うのかなり勇気がいるぞ。僕が大時代的
な武器を使うのを躊躇していると、改造人間がよろよろと飛び始めた。逃げる気か? いや、港に設置してあるガントリーク
レーンの上に着地したぞ。

「よ、よくもやってくれたな。だが、そこまでだ。貴様のガスもここまでは届くまい」
 その台詞で僕は改造人間があのトゲで攻撃してくると見た。そうはいくか。待ってろ、そこから叩き落としてやる。僕は電
気ハンドに換装すると、クレーンにタッチして電流を流した。電流は瞬時にクレーン全体に走り、改造人間は逃げる間もなく
感電した。
「うぎゃぁぁぁぁぁっ!」
「!」
 僕は改造人間がバランスを崩しかけているのを見て、ロケットハンドを構えた。

「いけるか?」
 海に落下中の改造人間に狙いを定め独りごちる。狙撃は上から下に落下するターゲットを狙うのが一番難しいこととされる。
だから当たれば奇跡だな。だが、これしか攻撃手段がない。

「当たれよ」
 そう念じながら僕はロケットハンドを作動させた。次の瞬間、僕は反動に耐えきれず後方に転倒した。

「痛てっ!」
 腰を打っちまったぞ。だが、それに対する見返りは十分にあった。ロケットパンチは見事に標的を捉えていた。

「さいならきーん」
 ロケットパンチをまともに受けた改造人間は水平線の彼方へ消えていった。僕は上半身だけ起こしてそれを眺めていたが、
奴が見えなくなると立ち上がって左手を見た。ロケットパンチ発射の反動でデバイスアームが破損して内部の機械が露出して
いた。それは、嫌でも僕に普通の暮らしが完全に終わりを告げたことを思い知らせていた。こうも簡単に日常って激変するん
だな。

「どうやら僕は普通には暮らせないみたいだ」
 これも母の温もりって奴を感じたことがないからかね。ついでに言うと、父の背中を見て育った経験もない。普通の環境で
育ちたくても、到底叶わない望みでしかないのだから他人と同じ暮らしがしたくてもこれまた叶わぬ夢なのも仕方ないってこ
とか。そんなに贅沢な望みではないと思うが。僕は軽く溜息を吐くと、右の掌に視線を落とした。

「この手に人類の運命がかかっている、か」
 自嘲気味に呟く。この小さな手に人類の命運は大きすぎるな。誰かに押しつけることができたら迷わず押しつけるだろう。
でも、該当者がいない。いいよ。ちょうど退屈していたところだ。ヒーローを演じるってのも面白いかもしれないし。それに、
もしかしたら僕はそのために作られたのかもしれない。根拠はないけど。ともかく、こうして悪の組織から人類の自由と平和
を守る戦いが幕を開けたのだった。

                                                                    つづく






  次回予告  我らの魔法少女を狙うGOOD機関の送った次なる使者は怪人ガキ大将テントウムシジャイアン。自称、天才歌手の
テントウムシジャイアンの歌声に魔法が使えない涼香は苦戦を強いられる。怪人を倒すには魔法の力を取り戻すしかない。果たして
涼香は魔法の力を再び手にして怪人を倒すことができるのか。次回、「恐怖テントウムシジャイアンの殺人音波作戦(仮題)」にご期
待ください。




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