『Q』

 ある日の昼下がり、僕は読書をしていた。

「ねえねえ、何見てんの?」
 シスターが横から顔を割り込ませてくる。何か面白いものでもあると思ったのだろう。

「えーと、商品の陳列、レジ打ち…なにこれ?」
 掲載されている内容にシスターは頭をかしげる。彼女には意味が理解できないようだ。そう、僕が読んでいるのはコンビニでもらってきた求人誌だ。なんで、こんなのを読んでいるのかと言うと、理由はこの似非シスターにあった。僕の生活費はいつも月末に振り込まれる。以前はそれで十分にやっていけたのだが、食いしん坊シスターが来てからは食費が高騰してしまって、とうとう金が底をついてしまったのだ。なんとか月末まで持たせようといろいろ節約して僕なんかこの一週間水しか口にしていない。それなのにこの有様だ。バイトなんかしたことないけど稼がないことには食っていけない。

「何か無いかな……」
 いろいろと探すが空いている時間帯に条件の一致する求人は無かった。次の休みには絶対に金を稼がないと。求人はいっぱいあるのだが、その日に限って日払いの仕事が無いのだ。月払いではいまの危機的状況は打破できない。たとえ1万にも満たない金額だろうと稼がなければならない。でも、仕事が無い。

「他に手っ取り早く稼げる方法は無いかな」
 宝くじは?その場で削って当ったかわかるの。ダメだ。確実に稼げる方法でないと。いっそのこと、借金でも頼むか?あとは…賞金ぐらいしか思い浮かばない。逃亡中の犯人を捕まえて懸賞金をもらう。問題はその犯人がどこにいるかだ。

「他に賞金がもらえそうなもの……」
 たとえあったとしても、ここにいるのは何の取り得もないただの高校生と、大食いだけが取り柄のシスターもどきだけだ。とても賞金がもらえそうなイベントには挑戦できない。待てよ、大食いか……。僕はパソコンで近くに賞金がもらえる大食いのイベントが無いか検索した。

「あった」
 僕も行ったことのあるカレー店が毎年この時期に開店記念日のイベントとしてライスカレーの大食い大会を開催しているらしい。しかも、例年なら優勝してもせいぜいしょぼい記念品と店に写真を飾られるくらいしか特典がなかったのだが、今年は10周年ということで賞金10万円がもらえるとの事だ。

「よし、これに参加しよう」
 念のためシスターに参加の意思を問う。腹いっぱい食べられると聞いてシスターはもろ手を挙げて参加の意思を表明した。

「わーい」

 シスターの腹も満たせて生活費も稼げる。まさに一石二鳥だ。

 −−−−−−

 そして当日、僕らは大食い大会の会場にやって来た。例年なら店内でやるそうだが、今年は賞金が出るためかいつもより参加希望者が多かったので急遽イベントとかで使われるここを会場としてレンタルしたそうだ。ったく、賞金目当てとはこの金の亡者どもめ。
 さて、ここで軽くルールを説明しよう。大食い大会とあるが同時に早食い大会でもあるため、一番先に完食した者が優勝となる。他に水のおかわりは自由、食事の手を休めるのは許されるが途中退席は失格、優勝者以外の挑戦者はその超大盛りカレーの代金を支払う等のルールがある。ここまでは例年と同じだが、今回は用意された席が10なのに対し参加希望者が30を越えたのでまず最初に抽選が行われる。その抽選で10人の挑戦者が決まるのだ。抽選の結果、シスターは本戦に勝ち進むことができた。

「じゃ行ってくるね」
 大きく手を振りながら舞台に向かうシスターをこっちも軽く手を振りながら見送る。彼女の勇姿は観客用のスペースから見させてもらう。関係者なので最前列で観られる。開始まで10分。……トイレに行きたくなった。トイレはすぐ近くにある。問題はどちらに行くかだ。いまの僕は女の子だから女子トイレに行くのが当たり前だ。でも、やはり抵抗がある。悩んだ末に男子トイレの個室に入った。トイレから出てくると、知らない女の子に声をかけられた。

「あれ?君…」
 なんでしょう?と振り向く。僕と同じショートカットのボーイッシュな娘だ。

「君、生きてたんだ」
「は?」
 何を意味不明な事を。

「ボクのこと覚えてない?ひどいなぁ」
「ご、ごめんなさい」
 一応、謝罪するもまったく会ったという記憶が無い。そこそこの美形なので会ったら覚えていると思うが。それにしても生きていたんだとはどういう意味だ?あれかな、こないだ姫前さんに手刀で体を切り裂かれた時に見ていたのかも知れない。僕の体から噴き出る血飛沫がまるで雨のように辺り一面に飛び散ったんだ。

「まあ、お互い名乗りもしなかったんだけどね。ボクは忙しかったし、君もそれどころじゃなかったみたいだしね」
 そうだったのか。話を聞いたかぎりでは別に知り合いだったわけじゃないようだ。たまたま偶然出くわしただけの関係で、向こうは覚えていたけどこっちは忘れていただけだった。

「別に気にしなくていいよ。って、あれ?」
 どうしたんだ?彼女が僕の顔をマジマジと見始めた。そんなに見られると照れちゃう。ポッ。

「君、もしかして女の子?」
「へっ?あ、ああ、まあ、一応……」
「なーんだ。ごめんごめん人違いだったよ」
 道理で見覚えが無いわけだ。人騒がせな。

「でも、どうして男子トイレから出てきたのかな?」
「そ、それは……」
 理由は訊かないでほしい。

「まあいいや。じゃ、またね」
 細かい事を追求しない娘でよかった。おっと、大食い大会が始まる頃だ。会場にもどると同時に司会進行役の男性の開始の合図で一斉に挑戦者たちが食べ始めた。シスターはどこかな?いた。一番左端だ。参加者の中では一番小柄だ。

「あんなちっこいのによく参加したよな」
「ああ、すぐにギブアップするぜ。きっと」
 隣の会話が耳に入る。こいつらは知らない。あのシスターがどんだけの食いしん坊かを。とはいえ、あまりペースが良くないな。やはり、激辛なのが原因か。そう、大皿に山盛りに盛られたカレーは激辛なのだ。だから、水のおかわり自由なのだ。しかし、水を飲みすぎるとその分腹が満たされるので加減が必要となる。だから、他の参加者はなるべく水に口をつけないようにしているが、シスターだけはお構いなしに水を飲み干している。空になったコップは下げられ、新しいコップが置かれる。

「大丈夫かな……」
 さすがに心配になってくる。他の参加者が己の限界に挑戦するかの如く全力で食べているのに、シスターだけはマイペースだった。シスターには何としてでも勝ってもらわないといけないのに。だが、カレーが食べられていくにつれ参加者たちのペースが落ちてきた。中には手を休める者も出始めた。次々とギブアップして脱落していく挑戦者たち。残った人たちも汗が滝のように流れてかなり辛そうだった。一方で、シスターは辛いのに苦戦しながらもその顔は平静そのものだった。この時点で残っているのはシスターを含めて3人。他の二人のペースが落ちているためずっとマイペースだったシスターが追い付いてきて状況はほぼ互角といったところ。と、思いきや

「お、おい、アレ見てみろよ」
 会場がざわつきだした。皆が注目しているのは右側の挑戦者の男性。すごい勢いでスプーンを持つ手を動かしている。

「僕はまだ行ける、まだまだ行ける!」
 と、自分を叱咤しながら彼は手と口を動かす。しかし、いっこうに皿のカレーは減らない。それもそうだろう。なぜなら……

「あいつ…何もないところをスプーンですくってやがる」
 そうなのだ。さっきから彼は手と口だけを動かしていたのだ。もう体が限界なのだろう。それでも気力で体を動かしているのだ。なんという不屈の闘志だろう。だが、全然カレーをすくえていないことに気付いていない事から察するに恐らく目も見えていないのだろう。いや、多分彼はもう気を失っているのかもしれない。それでも体を動かすとはすごい気迫だ。何が彼をここまで突き動かすのか。しかし、肝心のカレーが食べられていないのではその気迫も空回りだ。それだけで彼がずいぶん損な役回りをさせられていたのかがわかる。とうとう、力尽きて彼はカレーの上に顔をうずめた。戦場で倒れたのだ。悔いは無いだろう。

「あーっと、これで残るは二人だっ!はたして優勝するのはどっちだ!」
 司会のアナウンスがヒートアップする。勝負はやや相手の男が優勢か。シスターはここにきてペースが落ちている。水の飲みすぎだ。いくらシスターでも何十杯も水を飲めば腹がふくれる。

「このままじゃまずいな……」
 そっと人ごみから抜け出し会場の裏に回る。裏では素早く水が提供できるようにあらかじめコップに注がれている。しかも、ありがたいことに挑戦者ごとに分けられているのだ。僕は水汲み役の女性がいなくなるのを待った。そして、女性がシスター用に置いてあったコップを持っていなくなったのを見計らって相手の男用に用意されていたコップに無色透明の液体を数滴垂らした。これで用は済んだ。これ以上、無関係な人間がここにいるのはダメだ。僕は元の場所にもどってシスターと男の一騎討ちを観戦した。戦況は明らかに男の方が優勢だった。

「こりゃ、あの男の優勝で決まりだな」
「ああ、あんなに差ついちゃったらな」
「でも、あの女の子もあんなちっこい体でよくがんばったよ」
「それは俺も思ったんだが、それよりなんでシスターさんがこんなイベントに参加してるんだ?」
「さあ?」
 周りの会話を聞いてると話題は優勝は男で決まりだろうという事と、なんでシスターさんがこんなところにいるのかだった。僕は言いたい。勝負は9回裏ツーアウトになってもどうなるかわからない事と、あのシスターはただのコスプレであるという事を。それと、勝負とはただ単純にがむしゃらにがんばる奴が勝つんじゃなく、勝つために最大限の努力をした者が勝者となるのだ。人事は尽くした。あとは天命を待つのみ。男の方はあと2、3口といったところか。シスターはあの調子じゃ食べきるのに3分はかかるだろう。万事休すか?もう水だけの生活に耐えられない……。と、ここで、男が手を止めた。シスターの様子を見てまだ余裕があると判断したのだろう。1/3ほど残っていたコップの水を飲み干すと、水汲み役の女性がコップを取り換える間まで小休止している。男もかなり限界に近いはずだ。誰もが彼の優勝だと確信しているだろう。僕以外は……。そして、新しいコップが置かれて男がそれに口をつけた。その瞬間、ボクは心の中でガッツポーズをした。男は何事もなかったかのようにスプーンを手に取った。

「さあ、挑戦者番号3番、残りあとわずかだ。ここで決めてしまうかぁ!?……ん、どうしたことだ?3番の動きが止まったぞ」
 男がスプーンを持ったまま動かなくなった。そして、ガクガクと震えだした。チャリーンとスプーンが皿の上に落とされる。それを合図にしたかのようにガクガクがおさまり、今度はパチパチと瞬きをしたかと思ったらゆっくりと目を閉じて口から黄色い液を流してガクッと項垂れてしまった。

「こ、これはどうしたことだ?挑戦者番号3番、勝利を目前にしてまさかのリタイヤかーっ!?」
 会場がどよめきだした。そりゃそうだろう。あともうちょいのところで勝利ってところなのだから。これで邪魔者はいなくなった。あとはシスターが完食するのを待つだけだ。そして……

「挑戦者番号1番、超大盛り激辛カレーをいま完食したぁ!これで優勝は1番のかわいいシスターさんに決定だっ!!」
 おっしゃぁ!これで賞金ゲットだぜ。僕らは賞金の10万円をもらうと長居せずにさっさと会場を後にした。

「ふうっお腹いっぱい」
 帰りの道中、シスターが自分のお腹をさする。さすがのシスターも今回は食いすぎたって感じだ。もっとも水の飲みすぎと言った方が的確かもしれない。

「だって、辛かったんだもん」
 それはしょうがない。カレーは辛いもんだ。でも広告にちゃんと激辛って書いておいてもらいたかった。いまとなってはそれも言うまい。その代わりシスターをほめてやろう。

「えっへん」
 胸を張るシスター。今日はすべて彼女の活躍だったから気兼ねなく誇ってくれたらいい。

「ところで、あの男の人どうしてあともうちょいだったのにやめちゃったのかな」
 さあね、多分電子頭脳からの指令電波が遮断されちゃったからじゃないかな。

「ふーん」
 理解したかのように返答しているが、おそらくシスターの頭の上にはクエスチョン・マークが飛び交っているだろう。それでいい。世の中で生き残る秘訣は自分が知る必要のない事までも無理して知ろうとしないことだ。例のコップはどさくさに紛れて密かに回収して処分したから問題はない。

「ねえねえ今日の晩御飯なに?」
 さっきあれだけ喰ったのにもう晩飯が気になるのか?

「えっへん」
 褒めてないよって言いたいところだが、今日は特別に頭をなでてやる。

「そうだな。今日はシスターが頑張ってくれたから、ちょっと奮発して豪勢にいくか」
「わーい」
 おいおいあんまし燥ぐと転ぶぞ。シスターはすっかり上機嫌だ。実は僕も機嫌がよかったりする。賞金をゲットした事もそうだが、今回は回想をのぞいて一度も姫前さんに殺されかけていないからだ。毎回、こうだといいのに。






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