『ATHLETIC MEET』
「あんたはどの競技に出るんだっけ?」
朝食時に姉がそんなことを訊いてきた。
「借り物競争と騎馬戦だよ」
そう今日はうちの高校でスポーツ大会があるのだ。なぜ、体育祭と言ってしまわないのか?だって、体育祭は先月やってしまったんだからしょうがないだろ。当初は運動会と仮称されていたのだが、運動会はガキっぽいということでスポーツ大会に変更されたのだ。どうして、二ヶ月続けてスポーツの祭典をやることになったのかと言うと、今秋の我が校の運動系クラブの戦績が過去に例を見ないほどの悲惨なものだったからだ。サッカーもアメフトも相撲も柔道もそれぞれの大会や試合で一勝もできない体たらく。それに激怒した校長が全校生徒の運動能力を向上させるためと開催を強行したのだ。
「スポーツ大会か。前の体育祭の時は日本にはいませんでしたから今日は楽しみですね。何年ぶりですかね。母さんがあなたの勇姿を見に行くのは」
勇姿って、そんな大仰な……。
「あら、楽しみにしているのは母さんだけじゃないわよ。私だって可愛い妹の晴れ姿を楽しみにしてるんだから」
「今日はお弁当をいっぱい作って応援に行きますからね」
「お弁当いっぱい!?」
「ふふふ、ちゃんとシスターさんの分も作っておきますよ」
「わーい」
シスターもすっかり家族と打ち解けて何よりだ。シスターだけは僕の勇姿とか晴れ姿とかには興味ないようだ。いつだってこのシスター様は食い気しかない。シスターだからたまには人を救うとか世界平和を祈念するとかしろと言いたいが本職ではなくコスプレだからな。シスターでもないのをシスターと呼ぶのはどうかと思うが、もう定着しちゃったからな。今更、本名で呼ぶのも……そういやシスターの本名ってなんて言うんだっけ?あ、名前聞いたことなかった。ずっと、シスターって呼んでたし紹介する時もシスターとしか言ってなかったからな。今更、本名聞くのも気が引ける。ひょっとしたら名前なんか無いのかもしれない。自分が何者かにすら興味が無いような感じだったし。僕もシスターが何者かなんて今更気にしたりしない。それよりも気になるのは今日のお弁当だ。料理が抜群にうまい母さんの事だからお弁当も期待できる。そういや母さんのお弁当って初めてだな。
「は?何言ってんのよ。小学校の遠足とか運動会とか母さんに弁当作ってもらってたじゃない」
え?ああ、そうか、うん、そりゃそうだ。まあ、その母さんのお弁当を毎日食べられる父さんは果報者だな。
「父さんは母さんの料理は口にしませんよ」
え?夫婦なのに?
「母さんも昔はいまほど料理が得意ではありませんでした。その時に父さんに食べてもらったのですが……」
ああ、その当時は不味かったということか。
「で、父さんは“不味い”って言ったの?」
「いいえ、父さんはそんな事は言いませんでしたよ」
言ったら命に関わると判断したのだろう。
「食べてすぐ倒れて病院に搬送されましたから」
何を食べさしたの!?食べてすぐ倒れるって。フグとかでも倒れる前に苦しむでしょ?
「ご家族の方を呼んでくださいと言われたときはさすがに慌てましたね」
ひょっとして食べさせたのは毒ではなかろうか。まあ、それがきっかけで料理の腕を磨いたということか。
「ええ、毎日、父さんに味見をしてもらいました」
毒見の間違いでは?でも、よく父さんがしてくれたね。
「逃げないように縄で拘束していましたから」
ひどっ!ひょっとして朝も昼も夜も?
「ええ。そして、とうとう父さんは壊れてしまいました」
そりゃそうだろう。
「一週間ぐらい生死の境をさまよっていたと思います。それ以来、父さんは母さんの料理を食べてくれなくなりました」
なるほど、トラウマってこういう風にできるのか。父さんの尊い犠牲のおかげで僕らは美味しい料理を食べられるんだから父さんに感謝しないと。で、その父さんは今回も日本に来ていない。なんでも、いまだに僕が女の子になった事を受け入れられないそうだ。
「そうだ、今回は家から閉め出したりしてないよね?」
今頃になってこんな事聞くのもどうかと思うが、それは僕の中でも父さんの位置づけがかなり下がっているという事だろう。
「ええ、ちゃんと家の中に入れてあげてますよ」
それを聞いて安心した。
「ちゃんと家の地下室に閉じ込めておきました」
なんで!ねぇ、なんで!?
「庭先で首輪につないでおいた方が良かったですか?」
一体、どうなってんだ?この夫婦は。こんな仕打ちをされてもなお一緒にいるって事は、僕の父さんはいわゆるドMという人種ではないか。そして、母さんは天然のドSだ。SとM、磁石の違う極同士が引き寄せあうのと一緒で性癖が異なるから二人も引き合うのだろうか。本人同士がそれで幸せなら構わないと思う。僕の父さんか…どんな人だろう。一回、見てみたいな。でも、その前に母さんと姉さん、そしてシスターに僕の勇姿を見せてやらないとな。
−−−−−−
正規の学校行事である体育祭は全生徒が参加しなければならないが校長の思いつきである臨時のスポーツ大会には赤の参加は免除されている。だから、赤の連中は今日は休みだ。他のクラスが学校なのに自分達だけ休みなんてさぞかしいい気分だろう。所謂、エリート族だが将来は政官財で活躍するであろう逸材だから仲良くしてたら大人になって路頭に迷った時に雇ってくれるかもしれない。
「シスターたちはどこかな?」
観客席を見回す。いた、あそこだ。シスターのコスプレと山のように積まれたバスケットですぐにわかった。向こうもこっちに気づいて手を振っている。母も姉もシスターも美人美少女の域に達しているから周囲の注目を集めている。
「お、おい、あの美人さんたち、誰の家族だよ?」
前の体育祭には来てなかったからな。ざわめくクラスメートたちに僕の肉親だと言ってもいいとは思うが、何か面倒くさい事になりそうなので黙っておくことにした。すると、シスターが思いっきり両手を振り始めて大声で僕を呼ぶもんだから一発でバレてしまった。本当にシスターには空気を読む事をいい加減に教えないといかんな。
「え、あれってお前の姉妹!?」
こうなっては致し方あるまい。
「うん、そうだよ」
正確には母と姉と居候だ。
「おかん!?どれ?」
あの一見お淑やかそうな人だよ。
「マジかよ!?」
「え?なになに?」
「あの美人さん、こいつのおかんだってよ」
「えーっ!?あんなに若いのに?いくつだよ!?」
そういや、いくつだっけ?
「とびっきりの美少女の母親は絶世の美女か。そんなに驚く事も無いだろうけどそれでも綺麗だよな」
「ってことは、お前のおとんは美人の奥さんと娘さんに囲まれて生活しているってことか。畜生、刺したくなってきたぜ」
「ああ、俺もだ。美人に囲まれて生活なんて、それだけで死刑に値する重罪だ。俺なんかゲームの中でしか女と付き合った事が無いのに!」
このバカどもに父さんが実際に受けた仕打ちを聞かせてやるとどんな反応を示すだろう。言ってみた。
「あんな美人の奥さんに責められるならそれもいい……」
「俺も喜んで首輪に繋がれる……」
「あのお淑やかそうな奥さんから言葉責めされるとそれだけでイッてしまいそう……」
やはりバカからはバカな反応しか返ってこなかった。
「そうだ、あの家の子になったら俺だってハーレム気分になれるんじゃないか?」
女に囲まれただけでハーレムかよ。ハーレムってのはその主に権力が無かったら意味無いんだよ。それどころか悲惨な状況になりうる。たとえば、女子高に男一匹で放り込まれてみろ。ハーレムどころか下僕にされるのがオチだ。
「よっしゃ、ここで一等を取っていいところ見せたらお母さんもお前との仲を認めてくれるんじゃね?」
待て、いつからお前と隠れて交際している事になったんだ?
「いいじゃんかよ。俺と付き合おうぜ?」
やめろ、僕の肩に腕を回すな。馴れ馴れしい。
「おい、やめろよ」
助け舟が入った。バカでもやはり男、女子が困っていると助けたくなるんだな。
「こいつは俺のもんだ。誰にもやらねえ」
前言撤回。
「ふん、誰がてめえなんぞにやるか。俺は自分のものは何がなんでも譲らねえ!」
「上等だ!」
言っとくが僕は誰の物でもないぞ。
「今日のスポーツ大会でどっちが活躍するか勝負だ」
「ああ、いいぜ」
ダメだ、聞いてない。
「勝った方がこいつと付き合うでどうだ?」
「わかった。OKだ」
僕は全然OKじゃない。何を勝手に話を進めてんだ。
「心配するな。お前の為にも俺は絶対に負けねえ」
だから人の話を聞けよ。それに、お前ら何か忘れてないか?そう、お前らの後ろにいつの間にか立っておられるお方を忘れてはいけないよな。
「さっきから何を熱くなってんのかしら?」
いつの間にか現れたみちるに肩を叩かれて二人の顔が蒼白となった。
「この娘にちょっかい出したら地獄への片道切符を贈呈するって言ってたの忘れてしまったみたいね?」
待って、いまこいつらを殺ったら人数的にきつくやるから手荒な事は控えて。
「わかってるわよ。でもペナルティは必要よね?じゃ、こうしましょ。あんたたち、最低一個は一等賞取りなさい。できなければ、明日から学校を永久に休むことになるから、ね?」
さっきまでの威勢はどこへ行ったのか、二人はガクガクに震えてぎこちなく頷いた。
「さあ、こんなところにいつまでもいないで開会式が始まるから集まりましょ」
僕たちはみちるに促されて集合場所に向かった。
−−−−−−
いくつか競技が終わって僕の出番が来た。一つ目は借り物競争だ。だいたいの事はわかるが、一応ルールブックに目を通す。ボックスに手を入れて中にある紙に指定された物を借りてゴールに向かう。ごく一般的な借り物競争だ。だが、気になるのは注意書きの一番下に記されている一文だ。
“道具を用いてはならない”
「なんだこりゃ?」
体育祭の時は不参加だったのでルールブックの借り物競争の項目には目を通していない。基本、自分が出る種目のルールがわかればそれでいい。だから、借り物競争のルールがそんなのになっているとはいままで気が付かなかった。道具を使うなってわざわざ明記する事か?隣にいた奴に聞いてみる。
「なあ、これってどういう意味だ?」
「うん?ああ、これか。お前、今更何言ってんだ?忘れたのかよ?」
???
「ほら、去年の体育祭で姫前が借り物競争で『10円ハゲのある人』を引き当てて、見物に来ていた床屋のおっさんからバリカンを借りてきて斎藤の頭に無理矢理ハゲをつくってゴールした事件があったろ」
そんなことがあったのか。
「えらい騒ぎになってさ、さすがにやりすぎだって運営委員会が姫前を注意したんだよ。そしたら、“いまのご時世に10円ハゲのある人間がいるわけないじゃない”って逆ギレしておまけに“そんなありえない指示を書いた紙をボックスに入れたあんたたちが一番悪いんじゃない。ガタガタぬかすとあんたら全員丸坊主にするわよ”って脅すもんだから運営委員会もすごすご引き下がったってわけだ。かわいそうに斎藤の奴ショックで登校拒否になってさ、あいつの母親が抗議に行ったんだけどそれにも“そんな程度で引きこもるような奴にいちいち謝っていられない”って追い返したんだってよ。結構、大騒ぎになっただろ。忘れるような事ではないと思うがな」
無茶苦茶だな。なんで、斎藤って奴が餌食になったんだ?何か因縁があったとか?
「ただ、近くにいただけだってさ」
それは災難だな。しかし、なんでそこまでするんだろうね。
「負けず嫌いだからだろ」
それでそこまでするか?いや、するな。あの女はそういう女だ。負けず嫌いで勝つためには手段を選ばない。まあ、負けるのは誰だって嫌さ。だから、僕も勝ちに行く。競技が始まって僕はボックスの中から一片の紙を取り出した。こういうのって何を引き当てるかが重要なんだよね。誰でも持っているものであればすぐに借りれてゴールできる。さて、何が書いてあるかな。折り曲げられていた紙を広げて指示の内容を確認する。
『ブラジャー』
紙にはそう書かれていた。なんじゃこりゃ。ハンカチとかだったら簡単だったのに。とんでもない事を書いてくれたな。ブラジャー…当然、借りるのは女性からだな。しかも、こんなところに鞄に入れてくるとは思えないから身に着けているものを外してもらうことになる。借りるのは見物客とは限定されてないけど、教師だろうと生徒だろうとブラを外してと言って外してくれる人はいないだろう。みちるに言ったらその場で体の骨という骨が砕かれてフニャフニャにされてしまう。くっ、どうする?グズグズしてたら一等を取られてしまう。いっそのこと、女の子同士ということで思い切って頼んでみるか?…女の子?
「そうか」
僕も女の子だった。だったら、自分の持っていけば良いんだ。背中に手を入れてブラのホックを外してゴソゴソ…と。よし、取れた。これで一等賞だ。審査員の元にブラを持っていく。
「はい」
審査員は運営委員の男子生徒だが、なぜか目が泳いでいる。ブラを渡す。
「うわっ、生暖けぇ」
審査員は僕のブラをジーッと見ている。
「脱ぎたて……」
何をブツブツ言っているのか。早く、審査してくれよ。
「あ?ああ、合格!」
よし、一等賞だ。そこへ、みちるがやってきた。褒めてくれるのかな。
「あんた、何やってんのよ!」
褒めて…はくれないようだ。怒っている?
「なにって、一等賞を取ったんだけど」
「あんたね、自分が女だと認識をしっかり持ちなさい」
持っているよ。持っているから勝てたんじゃないか。あれ?なんで溜息吐いてんの?
「普通の女の子は人前でブラジャーを外したりしないわよ」
それもそうか。以後は気をつけよう。
「まったく…まあ、いいわ。よくやったわね。ご苦労様。戻りましょ。こんなくだらない事を考えた奴への罰は後にして…」
みちるが睨みつけると審査員は必死になって“俺じゃない、俺じゃない”と首を横に振って関与を否定していた。