『BASEBALL2』
みちるが獄悪高校野球部を挑発したのは、危機的状況を作る事でうちの野球部にやる気を起こさせるためだ。生きるためには是が非でも勝たなければならない。そのためには、やる気と技量の向上は欠かせなかった。選手としてだけでなく、監督兼コーチ(しかも鬼付きの)としても出るつもりのみちるは早速次の日から猛特訓に入る事を部員に伝えた。
「まずは連中の弛んだ根性を叩き直さないとね」
僕とみちるは放課後のグラウンドに先に来ていた。野球部の連中はまだ部室から出てきていない。ユニフォームに着替えるにはちと時間がかかりすぎる。みちるの言うとおり、根性が弛んでいるのか。しばらくして、部室から部員たちが出てきた。やっと出てきたか。
「やっと出てきたわね。早くこっち来なさいよ!」
みちるに急かされて部員たちは駆け足でこっちに来るが、どうも様子がおかしい。腕が全然振れていないのだ。
「遅いわね。いつまで待たせんのよ」
みちるのご立腹ももっともだが、彼らが近づいてくるにつれだいたいの原因はわかった。全員、服の下に何かをつけているのが見える。はっきり浮かび上がっているのだ。
「ねえ、あいつら全員何か体につけているようなんだけど?」
袖からチラチラ見えるのでそれが何かはわかるのだが、問題はなぜそんなものをつけているのかだ。バッカじゃねーの。
「ああ、あれね。あたしがつけるように言ったのよ」
「はっ?」
なんで?
「だってプロは皆あれをつけて特訓してるんでしょ? イチローとかもあれのおかげで大リーガーになれたんじゃないの?違うの?」
確かに大リーグ養成なんたらって名前がつきそうだけど、それって科学的根拠が何も無いんじゃないの?
「え?だってちゃんと野球の資料に……」
それに詳しくは知らないけど、それって確かピッチャー用で野手とか捕手には関係なかったような。
「そうなの?だったらつけていても意味ないわね。皆、外しちゃっていいわよ」
みちるの指示で皆ホッとしたような顔になった。あんなのつけたまま野球させられたら怪我するだけだもんな。皆、それを外すために部室へともどっていた。他の生徒の特に女生徒の目がある中で服を脱ぐのは控えるべきだ。
「あ、忘れてた。ちょっと待ってて」
なんだ?みちるはすぐに戻ると言ってどこかに行った。その間に部員たちがもどってきた。
「あれ、姫前は?」
僕は首を横に振った。5分ほどしてみちるが何かを持ってもどってきた。
「それ何?」
「見てわかんない?ガソリンのタンクと火ばさみよ」
いや、僕が聞きたいのはそれを持ってきた理由なんだけど。
「もちろん、特訓のためよ」
みちるは火ばさみでボールをつかむと、ボールにガソリンをかけてそれに火をつけた。
「じゃ、まずは千本ノックから行くわよ!全員、配置に着きなさい!」
みちるの宣告に部員たちの表情が青ざめる。そして、一斉に僕の方に視線を集中させた。一瞬、目を背けて無関係を装うと思ったが、やはりさすがに火の球はやりすぎだろうとも思ったので助けてやることにした。
「みちる、なんでボールに火をつけるの?」
「え?これってそういうのじゃないの?だって、野球の資料に……」
まず、参考にすべき資料を間違えてる事から説明せんといかんようだ。
「それに、ボールを受け取ってまだ投げないといけないのに火なんかつけたらダメでしょ」
だいいち、学校側が絶対に許可しないだろう。
「それもそうね」
納得してくれた。
「じゃ、仕切り直して行くわよ!まずはセンター!」
手始めにセンターの方へボールが打たれる。
「次、ショート!」
その次はライト、といった具合にノックは続けられた。くさってもさすがは野球部、ちゃんとボールをさばけている。一応、練習は毎日しているからな。しかも、今回はいつもと違って絶対に勝つんだという気迫もあるから練習にも力が入る。みちるのノックは実に正確で宣言したとおりのポジションにボールを飛ばすのだ。
「コラーっ、もっと機敏に動きなさい!次、レフト!」
みちるはボールを打つ、部員たちはボールをキャッチする。僕は何もすることがない。佐藤が全治三週間の怪我をして学校を休んでいるから、未だ一人で帰る事を許されていない僕はみちるを待つしかない。邪魔になるのでグラウンドから出て座っている事にする。しばらくはノックを見ていたが、やがてそれにも飽きたので寝る事にした。両手を枕にして上半身を寝かせる。視界に映るは空と雲。聞こえるのはみちるの声とボールをかっ飛ばす音。うとうとしてきた。瞼が重たくなる。うとうと……。
「はっ、いかんいかん」
気が緩んで足が開いていた。さっき寝かせたのは上半身だけで、足は両膝を立てたままでいたんだ。それが睡魔に襲われてついつい足を左右に開いてしまったんだ。お行儀が悪いので元に戻す。ん、なにも膝を立てたままにする必要もないな。左足だけを伸ばして右膝は立てたままにする。どうして、と訊かれたら何となくと答えるしかない。
「そこ!どこ見てんのよ!真面目にやれ!」
みちるの怒号が響く。何かあったのか。その直後、ボールが連続して打たれる音がしたので、多分よそ見をしていた奴に集中打を浴びせているのだろう。
「こんな球も捕れないでドラワンが取れると思っているの!」
恐らく誰もドラフト一位指名どころかプロになろうとすら思っていないだろう。それにしても長いノック練習だな。部員たちの集中力が衰えるのも無理はない。どのくらいやってるんだろう。数えてないから正確にはわからないが、何十回はやっているだろう。いや、3ケタ越えたかも。
「……」
まさか……。僕は両足を上げて勢いつけて起き上がった。パンパンとスカートについた芝や土を手ではらう。その直後、ボゴッと音がしたのでグラウンドに目をやったらレフトを守っていた先週彼女に振られてしまった赤岸直太郎くんの顔面にボールがヒットしていた。
「真面目にやれって言ってんでしょ!」
みちるの怒声が聞こえているかどうか赤岸くんは失神してしまっている。狙った箇所にピンポイントで当てられるプロ顔負けのバッティングテクニックだな。見ると部員は皆ヘトヘトでみちるだけが元気だった。
「さっきからノックばっかしやっているようだけど、そろそろ違う練習した方がいいんじゃない?」
「なんでよ。まだ半分もやってないのに」
半分って…。みちるはさっきこう言った。“まずは千本ノックから行くわよ”と。どうやら本気で千本やるつもりのようだ。
「門限までに千本やるのは無理だよ」
「……わかっているわよ、それくらい」
ちょっと間を開けて考えているように見えたのは気のせいか。
「なんか気が萎えちゃったわね。今日は解散!」
やる気が失せたのか今日の練習はこれで終わりのようだ。部員たちがドッと地面にへたり込む。
「何よ、それくらいでバテるなんて。それで今度の試合に勝てると思ってるの?」
まあ無理だろうな。ちょっと調べたんだけど、獄悪高校って野球のレベルは相当に高いようで過去に甲子園に出た事もあったようだ。うちのチームがまともにぶつかって勝てる相手じゃない。
「言っておくけど、あたしが助っ人やる以上は絶対に勝つわよ。負けたら向こうはあんたたちを半殺しにするって言ってるけど、あたしはあんたたちを……殺すわよ」
最後は溜めを取ってドスの利いた声で。冗談ではないのは目を見ればわかる。
「「「ラ、ラジャ」」」
「よろしい、あたしはシャワーを浴びてくるから、あんたはそのノビている奴を介抱してやってて」
面倒な事を言われた。介抱ってどうしたらいいんだ?目を覚まさせたらいいのかな?僕はバケツを取りに行って、それに水を入れて赤岸くんの顔にぶっかけた。
「うわっ!?」
ほら、一発で目が覚めた。
「はい」
濡れたタオルを渡す。
「さ、さんきゅ」
赤岸くんは腫れているところにタオルをあてた。
「ああ痛ぇ、何も顔面に当てるこたぁねえよな」
確かにやりすぎだと思うけど、練習中によそ見をする方も悪いよ。
「……誰のせいだと思ってんだよ」
「?」
誰のせいだ?
「まあいいよ。目の保養にはなったからな」
「??」
何のことだ?
「なんでもない。ところで、お前ってさピンク色が好きなのか?」
「???」
なんでそんなこと聞くの?
「いや、特に意味は……」
意味が無かったら言うな。それになんで目を背けているんだ。僕が訝るように見ていると、赤岸くんはわざとらしく咳をして、
「ま、まあ、あれだ。あれだな、うん」
何を一人で納得してるんだ?
「そういうわけで俺着替えてくるわ。じゃ」
赤岸くんはそそくさと部室の方へ走って行った。さっぱりわからない。まあいいや、みちるを迎えに行こう。シャワー室の前で待っていると、中からクラスメートの女子が出てきた。
「あれ、どしたの?そっか、みちるを待ってるんだね。中で待てばいいのに」
「いや、僕は……」
「遠慮しないで入りなよ」
「あ、でも…」
「なに恥ずかしがってんの?もう女の子なんだから平気でしょ」
そういう問題ではない。僕は見た目は女の子、頭脳は男その名は……
「次の体育から女子とやることになったんでしょ。いい加減男を捨てたら?」
痛いところをグサッと突き刺してくれる。そう、体が女らしく成長してきている僕は男子と一緒に体育するのはもう限界だと先生方に判断されてしまって、次の授業からは女子とやることになってしまったのだ。
「でも、君は平気なの?元は男だった奴と一緒に授業を受けるって」
言い方を変えれば、男が女に変身して女子の着替えを堂々と覗くってのとほとんど変わらないのではないだろうか。
「んーっ、他の奴ならその心配はあるけど、あなたなら安心かな?」
どゆこと?
「紳士的ってことよ。現にこうしてシャワー室に入るのも憚るぐらいだし。他の男子なら喜び勇んで乱入してきているわよ。……特にうちの男子はね」
ひどい言われ様だ。いくらなんでもちょっとは躊躇するんじゃなかろうか。
「甘いわね。だから、みちるがあんたを一人で帰らさないのよ。唯一、信用できる男子が佐藤くんだったんだけど、彼いま入院してるでしょ?怪我したって聞いたけど交通事故?」
「んーっ」
さて、どう説明するか。本当の事を言えば、みちるを傷害下手すれば殺人未遂で警察に突き出すことになる。悩んでいると、中からみちるの声がした。
「そんなところで何してんのよ。中に入ったら?」
シャワーを浴び終えたようだ。チラッと中を見たらバスタオル姿のみちるが。慌てて外に視線をそらす。
「ぼ、僕はここで待ってる」
すると、みちるは僕の腕を掴んで有無を言わさず中に引きいれた。
「ちょっ」
僕は抵抗する間もなく引きずり込まれた。中にはみちるの他に数人の女子がいた。当然、服を脱いでいる娘もいる。僕は後ろを向いて壁を見ている事にした。
「ちょっと、あんたがそんな態度ならあたしたちも意識しちゃうじゃない」
そんなことを言われましても…。
「いつもお風呂で自分の裸を見てるんでしょ?」
自分のと他人様とでは違う。
「何言ってんの、あんた昔お姉さんがお風呂上りに素っ裸で前を横切ったことがあるって言ってたじゃない」
そんな事してたの?あの姉は。しかし、いま一緒に住んでるけどそんなことはない。少しは大人になったようだ。
「と、とにかく早く帰ろうよ」
「待ちなさい。いまパンツ穿いてるから」
早くしてね。
「あ、そう言えばあんた、あたしが買ってあげた下着ちゃんと穿いてる?」
「こないだの奴?」
「そう、ピンクの」
「それだったら、いま穿いてるよ」
「そう気に入ってくれたのね」
いや気に入ったというよりあるから穿いてるだけ…とは言わない方がいいだろう。ん、ピンク?そういや赤岸くんは僕にピンクが好きかって聞いてたけど…。どうしてそんな事を訊いたんだろう。そんな事、僕がピンクの持ち物をしていない限り訊くことはないと思うけど。まさか、彼はスカートの中を透視できる!?そんなことはないか。