『SISTER』
男からの告白に幼馴染からの大技と散々な目に遭った。腰を思い切り打ちつけられた僕はやっとの思いで自宅に帰った。
「ただいまーっ」
昨日までは帰宅の言葉を発してもそれに対する返りが来ることはなかった。そう昨日までは。
「おっかえりーっ」
だが、今日は違う。こうして言葉を返してくれる人がいる。と言っても彼女は家族じゃない。
「ご飯にします? それともお風呂にします?」
君は料理なんかできないだろ。
「むぅ、ちゃんとできるもん。見てて」
そう言うと彼女は買い置きのカップラーメンにお湯をかけた。
「はい」
はい、ってお湯をかけただけじゃねーか。そんなの料理とは言わないの。
「まったくしょうがないな」
今宵の晩飯はカップ麺か。今日はいつもより疲れたからこれでいいか。そう思い居間に行ってみると、そこにはカップ麺の残骸がいくつも散乱していた。
「おい、これは何だ?」
隣のコスプレシスターに訊く。訊くまでもない。この家には僕が学校に行っている間、このシスターしかいないはずだ。
「ごめんね、いま片づけるから」
いやいや散らかしていたから怒ってるんじゃなくて、どうしてこんなにカップ麺を食べたのかを問題視してるんだよ。
「だって、お腹が減ったんだもん」
そのちっこい体でよく喰うな。
「えっへん」
ほめてねーよ。非常用に買い置きしておいたのに。でも、僕の分を残していたのは少しは配慮の心もあるんだな。よし、頂こう。と、食べていたらシスターがジーッと見ているではないか。
「欲しいの?」
「ううん、私に構わないでいいよ。それより、早く食べて晩御飯してよ」
待て、まだ喰うのか。
「あれはお昼ご飯だよ。まだ晩御飯は食べてない」
ちょっと待て、あんだけを一食分にしてしまうのか君は。
「えっへん」
だから、ほめてねーって。こりゃとんだ食いしん坊シスターを拾ったもんだな。そう、この少女は僕の姉妹(シスター)ではない。それどころかつい昨日知り合った全くの赤の他人である。それがなぜここにいて当然のように食料を喰いあさるのか、それは昨夜にさかのぼる。
それは僕がコンビニに晩飯を買いに行った時だった。駐車場の車止めの上に彼女は座っていた。違和感、そう初めて彼女を見た時の感想は違和感だった。全くその場の空気に馴染んでいない。だって、こんな街中のコンビニにシスターさんて違和感ありまくりだろ。シスターさんなんて生まれてこの方見たのは初めてだったし、この近くに教会なんてない。ここはスルーするのが一番だと本能がささやく。しかし、好奇心には勝てなかった。よせばいいのに、声をかけてしまった。
「君、シスターさん?」
「えっ?」
シスターの格好をした少女は少し驚いた顔になった。見ず知らずの男に声をかけられるとは思っていなかったのだろう。だが、警戒した様子はない。
「私はシスターじゃないよ。それからウィッチでもメディウムでもないからね」
ニコッと少女は答えた。シスターじゃない。ただのコスプレか。でも、よく似合っている。ハーフのようだが。
「こんなところで何やってるの?」
「待ってるの」
誰を? お家の人かな。
「王子様」
可愛らしい答えだ。なんだか微笑ましくなる。
「そう、じゃね」
それでその少女とはこれっきりとなるはずだった。そうはならなかったのは周知のとおりである。なぜ、そうなったか。
「今日は何にしようかな」
弁当かパスタかうどんか、うーんどれにしましょう。と、選んでいたら背後に人の気配を感じる。コンビニだから人が背後を通るのは不思議じゃない。だが、背後にずっといられるのはさすがに気になるだろ。それが、僕が横に移動しても同じように移動して背後につこうとしているなら尚更だ。正直うざい。最初は無視していたが、それにも限界がある。いい加減うっとうしくなった僕は振り返って一言文句言うことにした。誰なんだ一体。振り返ると後ろにいたのはあの似非シスターだった。
「なに? 僕に何か用?」
さっきまでの苛々はどこかへ消えていた。可愛いはある意味最強だ。可愛い万歳。
「うん、あのね私いまとてもお腹が減ってるんだ」
ふーん。
「だからね」
少女は僕の前方に回り込むととんでもないことを言い出した。
「何か食べさせてくれると嬉しいな」
「はっ?」
いきなり何を言うんだ、この娘は。腹が減ってるなら家で食べればいいのに。
「君、どこの娘?」
ひょっとしたら迷子かもと思い尋ねる。
「君の家まで送ってあげるよ」
すると、シスター(の格好をした少女)は首を横に振った。
「私に家なんて無いよ。生まれてからずっとね」
ホームレス? しかし、にしては服がキレイすぎる。
「それとね、私人間じゃないんだ」
……そう来たか。面倒くさい娘に捕まったな。
「ごめん、お兄さんいま忙しいから他の人にあたって」
これ以上関わると厄介なことにしかならないだろう。
「待って、何もタダで食べさせてもらおうとは思ってないよ」
「お金があるならそれで買えばいいじゃないか」
「お金なんてないよ」
ん? でもタダで貰おうとは思わないって。
「お金は無いけど、その代わりあなたの願いを何でも叶えてあげる」
「なんでも?」
それは何でも言うこと聞くということだろうか。僕は少女をじっくりと観察した。割と美形だな。これで生まれてくるのがあと5年いやせめて3年早かったらよかったんだが。
「そう、何でも。私と契約を結べばね」
契約?
「あなたの願いを何でもひとつだけ叶えてあげる代わりに私を絶対に飢えさせないこと。それが契約だよ。どう?」
どうって言われても。僕は少女の話をまったく信じていない。ただ、面白い娘だとは思った。もしかしたら家出しているのかもしれない。交番に連れて行こうとも思ったが、ここで会ったのも何かの縁ということで一晩だけ泊めることにしたのだ。何か事情があるかもしれないし。僕らは弁当を買うとコンビニを出て家に向かった。翌朝つまり今朝に交番に連れて行くつもりだったのだが、寝坊してしまってそれどころではなくなって今に至る。
「なあ、君の家はどこなんだ? いい加減教えてくれよ」
「ここが私の家だよ」
平然と何の躊躇も無く言い放った。まさか、ここに居着くつもりじゃなかろうな。
「だって昨日契約したでしょ。私を絶対に飢えさせないって」
ちょっと待て、僕は契約したつもりはないぞ。それにまだこっちの願いを聞いてもらっていない。確か、何でも聞いてもらえるって話だよな。
「うん、何でも言って」
なんでもねえ。不老不死とかでもいいのかな? まあ、あんまり無理難題言って少女を困らせるのもなんだし、おとなしく家に帰れでいいよな。
「私の家はここだって言っているでしょ」
うーん困った。
「ねえ、願い事が思い浮かばないなら悩み事とかどう? それを解決してあげるよ」
悩み事? 悩み事ならいくつかあるけど、やはり男なのに女と間違われることだな。男だと言っても信じてもらえないほどにこの問題の根は深い。もういい加減うんざりしておる。男なのに女に見えてしまうこの外見が問題なのだから、この中途半端さを是正すればズバッと解決と相成り候。要するにムキムキマッチョマンとまではいかなくても硬派な男らしい男すなわち漢になる。これを願い事にしよう。無論、信じたわけではないがたまにはこういう遊びもよかろう。
「ふーん、要するに男か女かわからない中途半端な外見をどうにかしたいわけね。簡単なことだよ。任しといて」
えらい自信たっぷりだな。どうするんだ。すると少女は両手を合わせて祈りの姿勢を取った。
「preghiera」
そう少女が口にした直後だった。急に部屋が暗くなったと思ったら、少女の下に魔法陣みたいな模様が浮かんできた。おいおい、人んちの床に落書きするんじゃないよ。って、違うか。少女は一度もペンを持たなかったし床にも手を触れなかった。それに何より魔法陣は光を放っているし、模様が回転している。もしかして、この娘本物?
「おいおいマジかよ」
マジで男らしい男に生まれ変われる? これは嬉しい誤算だ。ドキドキワクワクしていると、僕の体に異変が起きた。体中を頭のてっぺんから手や足の指先まで何かが動きまわっているかのような感覚に襲われたのだ。これはいよいよもって本物か? やがて、それまで閉じていた少女の目がゆっくりと開いた。それを見て僕は息を呑んだ。さっきまで青かった少女の虹彩が金色になっていたのだ。そして、その目を見た途端に僕は意識を失った。
目が覚めると僕は仰向けに寝かされていて、見慣れた天井と少女の顔が見えた。
「起きた?」
「ん? ああ」
体を起こした僕はまだこの時点では自分の体の異変に気づいていない。気付いたのは無意識に手を頭の方にやった時だった。
「っ?」
どうしたことかサイズピッタリのはずの制服が少し袖が余っているではないか。気のせいかとも思ったが、何度確認してもやはり袖があまる。どういうことかと少女に目を向けると、人間でないのはひょっとしたら本当かもしれないこのシスター様は仕事をやり遂げたような笑みでこう言った。
「可愛くなっているよ」
可愛く? 僕は急いで洗面所に走って鏡で自分の姿を確認した。
「なんだこれは……」
男らしくなっているはずの自分は依然とほとんど変わらないように見えるが、背が少し小さくなっているように見えるし、シスターが言っていたように可愛くなったようにも見える。そう、女の子のように。まさかと思い服を脱いで自分の胸を確認する。従来通り平べったいように見えるが微かに盛り上がっているように見えるし手で触ると柔らかい。
「ウソだろ、おい」
一縷の望みをかけてズボンを下ろしてパンツの中を確認する。そこにはもう否定しがたい事実があった。直後、僕は少女のところまで駆け戻って詰め寄った。
「どういうことだよ、これは!?」
「なにが?」
「なにがって、どうして女の子になってんだよ」
そう僕はあろうことか女の子になっていたのだ。
「えーっ、だって女の子に間違われるくらいならいっそのこと本当に女の子になってしまいたいってのがあなたの願いでしょ?」
違う、違うよシスターさん。その逆だよ。
「もう一回やりなおしてよ」
「んーっ駄目。契約は一人一回しかできないから。私以外の人と契約するという手もあるけど、二重契約なんかしちゃったらあなたの体は破裂しちゃうよ」
「じゃ、どうしたらいい?」
「女の子として生きていくことだね」
まるで他人事みたいに言ってくれる。確かにはっきりと男らしい男にしてくれって言わなかった僕も悪いけど、まさか本当に彼女が人の体をいとも簡単に変えるとは思わなかった。
「君は魔法使いなのか?」
「まあ、それでもいいけどね。私たちは自分たちが何者とか人間が私たちをどう呼ぶとかって興味ないから。だからあなたも私の事好きなように呼んでいいよ。魔法使いでも魔女でも
魔導師でもね。あ、もちろんシスターでもいいよ」
シスターじゃないって言っていた気もするが。そんなことよりも、あまりにも予想外の出来事に頭がパニックになっている。とにかく気分を落ち着かせよう。……駄目だ。落ち着いていられるか。どうすんだよ。明日になったら学校に行かなくちゃならんし。こんなんでどう学校に行けばいいんだ。いや、待てよ。もう一回鏡を見る。元が女っぽい顔をしているだけに以前とそんなに差異は無い。まあ、ジーッと見られたら一目瞭然で背も明らかに低くなっているからすぐにバレてしまうだろう。
「でも、うちの学校はバカばっかしだからな」
例外は赤の連中ぐらいだ。よし、僕は何も変わっていないで押し通そう。疑惑の目を向けてくる輩もいるだろうが、断固として潔白を主張しよう。うん、それでいい。そうと決まったら今日はもう寝よう。その前に晩飯だ。カップ麺だけじゃ足りない。今晩は出前でも頼むか。ピザがいいな。シスターもそれでいいらしい。ピザを注文して宅配されてくるまでに時間があるから、その間に風呂に入っておこう。
脱衣場で裸になった僕は改めて変わり果てた自分の姿を確認した。胸がほとんど無いのは幸いか。あったらいくらなんでも誤魔化せないからな。しかし、下の方は誤魔化せないな。ついさっきまであった物がきれいさっぱりなくなっている。
「これからどうんるんだろう、僕」
いつまでも誤魔化しきれるものではないし。知人友人に女の子だってバレたら、僕は僕とは別人として認識されてしまう。そうなれば僕は社会的に抹殺されたのも同然だ。
「どうしてこんなことに……」
風呂に入りながら考えた。発端はあのシスターと出会ったことだ。しかし、彼女を責めるわけにもいかない。悪気は無いようだし。ただ早とちりしただけだ。それに、
「冷静に考えたらムキムキマンになっても、それはそれで僕だってことを皆にわかってもらうのに苦労しそうだな」
たった一晩で筋肉隆々になった原因を追及されたらどう答えるかも問題だ。それならまだいまの状態の方が誤魔化しやすい。しかし、こうも簡単に人生を180度変えられてしまうとは。人間あまりにも驚くことが大きすぎるとかえって動揺しなくなるものだな。
「さて、そろそろピザも来るころかな」
体も洗い終えたから浴室から出てバスタオルで頭を拭いていると、ふと鏡に目がいった。
「……ブラは必要ないな」
女の子になりきるのなら、もう少し大きい方がいいのでは? なんか中途半端だな。まあ、僕としてはこっちの方がいいけどね。夏場になると女子の制服が透けて、中のブラが見えたりするからな。つけなくていいのならそれでいい。だが、服の上からではほとんどわからないだろうが、さすがに服を脱ぐと乳首と乳輪が明らかに大きくなってるし、乳房もわずかに膨らんでいるので皆の前では裸になれない。
トランクスを穿いたところでピンポンが鳴ったので、シスターにあらかじめ置いていた金を持っていかせた。特大ジャンボサイズのピザにジュースが二本、それに少女にはサイドメニューのチキンがついている。ピザも恐らく2/3は彼女の口に入るだろうから恐るべき食欲である。美味しそうにピザを頬張るシスターに、僕は一抹の不安を抱かずにはいられなかった。そして、その不安は後に的中することになる。
「喰い終わったら君も風呂に入りなよ」
言った後でふと気付く。そういや彼女は替えの下着を持っているのかと。答えはノーだ。初めて会った時、彼女は手ぶらだった。さて、どうするか。
「……」
答えは一つ、いまから買いに行くことだ。僕は家を出ると自転車に乗ってウニクロに向かった。とりあえず2、3枚買ってあとは休みの日にでもシスターの好きな下着でも買ってやればいい。警察に連れて行くのは止めだ。連れて行ったところで警察も対処に困るだけだろうし、こんな体になってしまった以上あのシスターには一緒にいてもらわなければ困る。
ウニクロに着いた僕は女性用の下着売り場に向かったが、ここからが問題だ。女性用のパンツを手に取るのはさすがに抵抗がある。しかも、それをレジにまで持っていかなくてはならないのだ。大丈夫、いまの僕は女の子だから何ら問題は無い。そう自分に言い聞かせるも心臓がドキドキするのは止められない。意を決して商品を手に取りレジに向かう。レジのお姉さんに変な目で見られないかなと心配したが、どうやら僕を女の子と見てくれたようだ。ホッとしたような、しないような複雑な気分。とりあえず無事に買うことができたので帰るとしよう。
「ふうっ」
無事に任務を達成した安堵感からかつい溜息が出た。完全に気が緩んだ状態で周囲にも無警戒だったから、急に背後から声をかけられた時は心臓が飛び出すかと思うくらい驚いた。振り返ると姫前さんがいた。咄嗟にパンツが入った袋を後ろに隠す。
「どうしたのよ、そんなにビックリしなくてもいいでしょ」
「ご、ごめん、つい」
「ついってなによ。まあいいわ。それより後ろに隠したの何?」
「いや、なんでもない。なんでもないよ」
「なんでもないなら見せなさいよ」
「だから見るまでも無い品物だよ」
懸命に誤魔化す。もし、中身を見られたら……
1.シスターの物だと言う=見ず知らずの少女と一緒に暮らしていることが公となり非常に厄介なことになる。
2.自分の物だと言う=自分から変態ですと告白しているも同然で自殺行為である。
3.黙秘する=それが通用する相手ではない。
以上の点からしてどっちかを選択しても制裁は免れない。
結論、絶対に中身を見られてはいけない。
「なんか怪しいわね。そこまで隠すなんて…ひょっとして下着?」
ぎくぅ。バレた? いや、ちがう。姫前さんは男物の下着と思っているはずだ。
「そ、そうなんだ。だから女の子が見るものじゃないよ」
「だったら、始めからそう言やいいのに」
ふう、どうにか納得してくれたようだ。さすがに姫前さんも袋を開けてまで男物の下着を見たいとは思わないようだ。顔を赤くしてそっぽを向く姫前さんは何か可愛く見える。
「なによ」
いえなんでもありません。まあ、これにて一安心。どうやら僕が女の子になっていることに気付いてないようだし、これなら学校に行っても大丈夫かな。だが、安心するにはまだ早い。
「じゃ僕はこれで」
ぼろが出ないうちに退散しよう。そそくさと店を出る。姫前さんはまだ買い物の途中だったようで追いかけてこない。僕は自転車に乗ると一目散に家に戻った。
「ただいま」
「おかえり〜」
出迎えたシスターに紙袋を渡す。今日はとりあえず下着だけにして、その他の服は後日改めて買うことにしよう。シスター服ではいくらなんでも目立ちすぎる。
「前途多難だな……」
一人ソファーで膝を抱える。風呂場からはシスターの鼻歌が聞こえてくる。楽しそうで何よりだ。こっちは以前からの懸案が解決してないってのに。こっちの方が根は深刻だ。
「なんでこうも難題が次から次へと降ってくるんだ?」
己が不幸に嘆息してしまう。僕はただ平穏無事に普通の男として生きていたいだけなのに。だが、僕は知らなかった。シスターと出会う以前からもう既に自分が平穏や普通といった概念とは無縁の存在になっていたことを。