『SUDDEN KISS』
シュークリームができたのとシスターが帰ってきたのはほぼ同時だった。山積みとなったシュークリームを見た瞬間に目を輝かせたシスターは獲物を見つけた飢えた獣みたいに飛びかかろうとした。
「ちょい待ち」
僕はシスターの襟首を掴んでシュークリームが泥で汚されるのを阻止した。
「ちゃんと手を洗って」
「ぷぅ」
ふくれながらもシスターは手を洗いに行った。しばらくして
「洗ったよ」
「じゃ、食べようか。いただきまーす」
久しぶりだからと母が張り切って大量に作ってくれたシュークリームの山は見る見るうちに無くなっていった。僕は3個ほど確保して一口かぶってみた。
「おいしぃ!?」
想像以上の味だった。なるほど、これならプロ顔負けだ。山ほどあったシュークリームはあっという間に無くなった。
「あらあら少しは残ると思っていましたのにすごい食欲ですね」
「えっへん」
口にクリームをつけて胸を張るシスターを母は微笑ましそうに眺めた。どうやらシスターを気に入ってくれたようだ。それにしてもうまいシュークリームだ。もしかしたら、みちるや佐藤も食べていたかもしれないな。
「姉さんもこういうの作れるの?」
母が娘に自分の料理を伝授するのは十分に考えられる。姉さんのイメージからして料理を作れそうには思えないが、そういうギャップがあったら萌え萌えポイントに十分なりうるだろう。
「私?いいえ私は食べる専門よ」
なるほど胸のサイズ以外…いやいや余計な事は考えないでおこう。勘の鋭い母さんに気づかれたら命の危険がある。食べ終わった皿を下げようとしたら玄関のチャイムが鳴った。誰だろう。佐藤だ。なんだ?
「いや、雨が止んだから傘を返そうと思って」
別に明日でもいいのに。玄関で出迎えると佐藤は傘を渡して帰ろうとした。引きとめる理由は無いからそのまま見送ろうとしたら母がひょこっと顔を出してきた。
「あら、佐藤君。お久しぶりですね」
「あ、おばさん、帰ってたんですか?」
「ええ、たったさっき」
「では、俺はこれで」
またな、と言いかけた時だった。
「もう帰るのですか?せっかく来たのですから上がってください。ささ、どうぞ遠慮なさらずに」
「ええと……」
なぜ、こっちを見る。
「僕はどっちでも構わないけど」
帰るのも家に上がるのもお前の自由だ。でも、人の親切は可能な限り受け入れた方がいいと思うぞ。
「じゃ、お言葉に甘えて」
「ふふ、ゆっくりしていってくださいね」
母はそう微笑んでリビングに引っ込んだ。僕たちは僕の部屋に行くが、そういや僕が女の子になってから佐藤がここに入るのは初めてだな。別にそんな変わってないと思うから気にすることはない。
「ん、どうした?」
佐藤が入口で立ち止まった。僕が怪訝な顔でいると、佐藤は大きく深呼吸をした。
「なにやってんだ?」
「いや、男が女の子の部屋に入ったらまず深呼吸だって木本が言ってたからな」
そういやそんな事言ってたな。木本智樹はクラスいや学校一の変態として有名である。でも、ここを女の子の部屋と呼んでいいものか。確かに住人は女の子だが。
「お茶とお菓子持ってくるから座って待ってて」
佐藤を部屋に置いてリビングにお茶とお菓子を取りに行く。シュークリームを一個ぐらい残しておくべきだったかな。紅茶とお菓子をセットして持っていこうとすると、母に呼び止められた。
「がんばって」
両拳を握りしめてガッツポーズで僕を見送る母。がんばってって何を?頭上にクエスチョンマークを飛び交わせながら部屋に戻ると、佐藤が背筋を伸ばしてビシッと正座していた。先輩とか先生の家に来たんじゃないから、そんなに緊張しなくてもいいのに。それに座っている向きが不自然すぎる。まるで良からぬ事をしていて、僕が来たから慌てて座りましたみたいなそんな感じの不自然さだ。
「一体何を……」
僕は服とかを入れてある箪笥に目が行った。あそこには下着とかも入れてある。前出の木本はこうも言った。
“女の部屋に招かれて一人になった時に箪笥に目がいったらどうする?そう、いじっちゃうよね。逆にいじらなくちゃ男じゃない!”
バカな事を熱弁していたが実際どうだろう。僕は女の子の部屋に入ったことが無いのでそんな男の心理はわからない。もっとも僕の場合、女の子の部屋に行くとしたらみちるの部屋であり、もしそんな真似をしてみちるに見つかったら即刻、地獄の断頭台にかけられて処刑されてるだろうから恐ろしくてできないという面もある。さて、佐藤はどうかな。やはり奴もケダモノの仲間なのか。しかし、証拠が無い。ちょっと引っかけてみるか。
「なあ、僕がいない間に何かしてなかったか?」
すると、佐藤は汗を大量に流して取り乱した。
「な、ななななんにっもしてないぞよ」
なんで公家になってんだよ。怪しいな。もうひと押しするか。
「そうかな。その箪笥の引き出しが少し開いているようなんだけど」
「えっ、ちゃんと閉めたはず…ハッ!」
こんな古典的な罠に引っかかるとは。佐藤はLOTO7をやっているのが部下や上司にバレた時の柳葉部長みたいな顔をしている。僕は佐藤をジッと見つめて一言、
「変態」
「待て、誤解だ。俺の言う事を聞いてくれ」
佐藤は必死に弁明に励むが、箪笥を漁ったという事実には変わりがない。僕が思いっきり軽蔑の目で見ていると、佐藤はついに土下座までしだした。
「すまん、ほんの出来心だったんだ!」
だろうと思ったよ。誰にだって魔が差すってのはあるさ。僕は心が広いからちゃんと非を認めて謝罪したら許してやる。
「本当に許してくれるのか?」
ああ、僕ら親友だろ?さあ、紅茶でも飲め。
「ああ、すまん」
佐藤はカップを手に取って口元へ持って行った。ん?佐藤のズボンのポケットから何かはみ出てるぞ。さっきまでは無かった。それとどことなく僕のパンツに似ているような……。僕はひょいっと佐藤のポケットからそれを取り出した。広げてみると間違いなく僕のパンツだった。
「……」
僕は何も言わずそっと立ち上がると、そのまま部屋を出て玄関にある電話の受話器を取ろうとした。それを追いかけてきた佐藤が僕の手を抑えて止める。
「待て、どこにかける気だ?」
決まってんだろ。警察だよ。変質者がここにいますってな通報するんだよ。
「落ち着け、とにかく落ち着け、話せばわかる」
わからん。わかりたくもない。だから、その手をどかせ。いままでありがとう。楽しかったよ。お前と別れるのはさすがに寂しいがな。
「お前は親友を売るのか?」
「その親友を先に裏切ったのはお前だ。お前だけはあんな事はしないと信じていたのに。潔く刑に服せ。それとも何か?みちるに事の一部始終を聞かせて制裁を受けるか?処罰か処刑か、好きなのを選べ」
僕だって親友と別れるのは辛い。生別だろうと死別だろうとね。佐藤は相変わらず僕の手をおさえて首をフルフルと横に振っている。いままで見たことのない真剣な顔だ。僕は少し頭を下げてから思いっきり奴の顔に頭突きを喰らわせた。
「ぐおっ!?」
モロにくらって顔をおさえて悶絶する佐藤を横目に僕は警察に電話をかけた。電話帳で最寄りの交番の番号にかける。
『はい、公園前交番』
「えー、警官を派遣してもらえません…むぐっ!?」
僕は佐藤に後ろから手で口を塞がれた。男のくせに往生際の悪い奴め。僕は体を動かして佐藤を振りほどこうとした。佐藤は僕をおさえながら電話を切った。さしものの僕もブチ切れ寸前だ。佐藤の足を思いっきり踏んづけて、奴が僕の口から手を離すとさらに腹に肘鉄をくらわせる。腹をおさえて蹲る佐藤にトドメの一撃を繰り出そうとすると佐藤が手でそれを制止した。
「待て、落ち着け!」
「バカ野郎、口を手で塞がれてどうして落ち着けるんだ!」
そこで大人しくしてろ。僕は再び警察に電話をかけるため受話器を手に取った。また背後から口を塞がれないようにちゃんと佐藤を監視しながら電話をかける。すると、佐藤はよろよろと立ちあがった。今度は正面からか?奴の行動を注視していると、両肩に手を置かれた。何のつもりだ?佐藤をジッと睨む。もう、こいつとは親友でもクラスメートでもない。なぜなら、こいつは親友を裏切り恐らく学校からも追放されるからクラスメートでもなくなる。本当に非常に残念だよ。
「すー…はー…すー…はー……」
佐藤は僕の肩に手を置いたまま肩を大きく動かして息をしている。自分を落ち着かせるために息を整えているのだろう。冷静になれば大人しくお縄になるのが最善だと奴も気付くだろう。僕は警察へかかる全話番号の最後の数字のプッシュボタンは佐藤の押させる事にした。自首をさせる事がかつての親友への僕からの手向けだ。ところが、何をとち狂ったのか佐藤はとんでもない暴挙に出た。またしても僕の口を塞ぎにかかったのだ。今度は手じゃなくて口で。
「!!」
まったくの想定外の不意打ちに僕は回避行動する間もなかった。あまりの事に僕の頭は機能を停止した。
−−−−−−
リビングのソファに僕は座っている。隣に佐藤、テーブルを挟んで向かい側のソファに母と姉も座っている。あの後、正気を取り戻した僕は悲鳴をあげて佐藤をボッコボコに殴り倒した。悲鳴を聞きつけた母や姉が止めてなかったら、僕は感情の赴くままに佐藤を殴り殺していただろう。僕は母と姉に事情聴取され、佐藤が僕の箪笥を漁って僕のパンツをポケットに入れて、それを暴いた僕が警察に通報しようとすると後ろから手で僕の口を塞ぎ、さらにそれでもダメとなると今度は口で僕の口を塞いだから、とうとう僕もブチ切れて佐藤を殴ったのだと供述すると、二人の厳しい目は佐藤に向けられた。
「この子の言っている事に相違はありませんか?」
母の問いに佐藤は無言で頷く。かなり緊張しているのが傍から見ていてわかる。
「佐藤君はそんな事をする子ではないと思っていましたが、それは私の思い違いだったのでしょうか」
「そ、それは……」
僕に助けを求めているのか佐藤がこっちに視線を向けてきた。知った事か。
「佐藤君もやはり年頃の男の子だったんですね。安心しました」
そうそう安心…はあ?
「あの、母さん?」
どこをどうしたら“安心”という単語が出てくるんだ?しかし、母はそんな僕の疑問を無視する形で話を続ける。
「やはり男の子というのはそうでなくてはいけませんね。女の子を見たら発情するケダモノこそ男の子と言うものです。違いますか?」
なに言ってんだろ、この人。佐藤も返事に窮している様だ。このままでは話が変な方向に行ってしまう。
「あのさ、ちょっと聞いていいかな?母さんは佐藤の事を怒っているんだよね?」
「ええ、怒ってますよ。男ならこそこそと下着を漁ったりせず、堂々と正面からぶつかって押し倒すぐらいの気迫が無くてどうすると」
「……」
「まあ、それでもあなたのお父さんよりは男気がありますが」
父さん?
「あの人は私を押し倒すどころか下着を漁るとかの行為もしませんでしたからね」
それが普通では無いのだろうか。
「それで、ある日母さんは父さんに尋ねました。“私に女としての魅力を感じないのか”と。父さんは言いました。“そんなことは無い。世界の誰よりも君を愛している”と。それなのになぜ夜這いの一つもかけてこなかったのでしょう」
それは命が惜しいからだろう。あ、でも、こんな事言うくらいだから夜這いをかけても母さんは父さんを受け入れていたかも。
「それで父さんはどうしたの?」
姉さんもその話に興味津々のようだ。この人もこの前“なぜ姉の下着を盗みに来ないのか”なんて平然と言っていたからな。似たもの母娘だ。
「早速、その晩に母さんの部屋に忍び込んできてくれました」
まさか、その時の行いで姉が生まれたとか?
「んで、その後は?」
「母さんは父さんを叩きのめしました」
なんでっ!?
「女が寝ているところへ男の人が忍び込んだのですよ。それくらい当然の報いです」
父さんの話を聞くたびに父さんがかわいそうに思えてくる。
「男というものはそれくらいのリスクを覚悟しなければいきません。佐藤君、あなたにそこまでの覚悟はありますか?」
「それは…無いです」
そりゃボコボコにされるのをわかっててやりたくはないだろう。
「でも、この子の唇を奪ったのでしょ?」
「いや、あれは気が動転してて…」
それもわかる。普段の佐藤なら絶対にあんなことはしない。
「あなたは好きでもないのに、この子の唇を強引に奪ったのですか?この子の母親としてそれは断じて許すわけにはいきません。ゆうかさんもそうですね?」
「ええ、かわいい妹が男に弄ばれたうえに捨てられたなんて姉として黙っているわけにはいかないわ。みっちゃんも呼んで三人で佐藤君を“人間デコレーションツリーの刑”にかけるしかないわね」
二人の佐藤を見る目がさらにきつくなる。もはや佐藤の生殺与奪の権利は二人に握られたも同然だ。佐藤は顔面が汗だくで呼吸も荒くなっている。精神的にかなり追いつめられているな。さすがにかわいそうに思った僕は佐藤の命乞いをする事にした。
「佐藤も反省しているから許してやってよ」
「いいえ、キスとか下着とかはもうどうでもいいんです。佐藤君があなたをどう思っているかを知りたいのです。どうなのです?」
「彼…いや彼女は僕の大事な友達です……」
「友達、ですか。まあいいでしょう。今日はこれくらいにしておきましょう。今日はもうお帰りなさい」
「はい…どうもすみませんでした」
佐藤は力なく立ち上がって二人に頭を下げると玄関へとぼとぼと歩いていった。玄関まで見送りに行くと、
「すまん、今日の俺はどうかしてた」
本当、どうかしてるぜ。
「頼むよ。お前までみちるに危険人物と見なされたら僕はもう男の友達なんていなくなっちゃうからな」
「ああ、気を付けるよ」
力の無い返事にいささか不安になるも僕は親友をもう一度信じてみることにした。リビングに戻ると母に話があると言われた。なんだろう。
「ちょっとそこに座りなさい」
「うん」
「あなたは佐藤君の事をどう思っています?」
「どう?一番の友達だと思っているよ」
「そうですか…」
母さんが何か考え込む。嫌な予感しかしない。
「母さんが今回日本に帰ってきたのは、あなたの異性間交遊を確認するためでもあったのです」
「はひっ?」
「いきなり男から女になったあなたが変な男に引っかかるのではないかと心配していたのですよ。男の人に対する防衛本能というものがあなたには無いでしょうからね」
まあ、それはみちるからも佐藤からも言われる。
「それで僕にどうしろと?」
「母さんとしてはあなたに間違いが起こる前に誰かいい人と一緒になってくれればと思っています。ゆうかさんの話では佐藤君なら安心できるそうなのですが」
「でも、あいつは僕の下着を漁るような奴だよ」
とても安心して娘を任せられる人間とは思えないが。
「それは言い換えれば、あなたに好意があるという事でしょ?」
好意というよりかは雄としての本能が働いただけのような気がする。
「あのさ、母さんも姉さんも少しフライングしすぎじゃないかな?僕はまだ女の子になったばっかだよ?相手が誰であろうと男と付き合うとかそんなつもりは毛頭ないからね」
ここははっきりと言っておくべきだろう。
「でも、いずれは男の人と結婚しなければならないでしょ?その時になって男性に対する免疫が無くて慌てるよりも今のうちにきちんと予防接種をしておくべきだと思いますが?あなただって、付き合うとしたら他の男の子よりも佐藤君の方がいいと思うでしょ?」
「まあ、他の奴よりかは…」
「だったら佐藤君とお付き合いしなさい」
「……」
「どうしました?」
「いや、ふと変だなと思って」
「なにがです?」
「だって、いくらなんでも娘に対してこの子と付き合いなさいって言うのは親として変じゃないのかなって。あれ、なんで二人とも顔を背けるの?」
「あ、そろそろ夕飯の時間ですね。ゆうかさん、手伝ってくれます?」
「うん、わかったわ」
慌ただしく立ち上がる二人を見て僕は悟った。そうか、からかわれただけか。