『MOTHER』

 皆に女体化が発覚して早一ヶ月、僕も周囲もそろそろ慣れてきてもいい頃だが、いまだに僕はクラスで浮いているような気がする。友達ができないのだ。男だったときは男友達ぐらいはいたし、女子とも普通に会話ぐらいはしたものだ。しかし、いまは佐藤以外に男との接触は皆無だし、女子とも前より距離が遠くなったような気がする。前まで男だったクラスメートが何の前触れもなく女の子になったのでどう接すればいいのかわからないのだろう。それと、原因はもう一つ考えられる。それは……。

「今日も佐藤と帰るのよ」
 そう、僕はみちるから相変わらず佐藤以外の男との接触を禁じられているのだ。他の男とだと襲われてしまうからと彼女は言うが、男だった奴を襲ったりするだろうか。悲しい事に断言できないが、それでも僕はかつての同性たちの理性を信じたかった。そう言うとみちるは、

「“どうせい”を一文字変えると“どうてい”になるでしょ。童貞どもの大人への挑戦に籠める執念を甘く見ないことね」
 と無理矢理こじつけたような理屈を返してきた。本当、無理矢理すぎる。しかし、彼女の言う事にも一理ある。自分で言うのも恐縮だが、鏡で自分を見ると確かにかわいい。男だったときとほとんど変わらないはずなのに、何と言うか全身から可憐さがあふれでるようなそんな感じだ。まだまだ心が男だから客観的に女になった自分を見る事が出来る。そうでなかった自惚れもいいところだ。まあ、そういう事情で今日も佐藤と一緒に帰る。確かにこいつだけは変な気を起こして僕を襲ったりしないから安心できる。玄関で靴を履きかえて外へ。と行きたいところだが生憎の雨模様だ。

「しまったな、俺傘持ってきてないよ」
 朝は晴れていたからな。バカめ、僕はちゃんと持ってきているぞ。家を出る時にシスターが「はい」っと渡してくれたのだ。可愛い奴め。

「ほれ」
 と佐藤に傘を差しだす。

「なに?」
 お前の方が背が高いんだからお前が傘を差すんだよ。

「ああ、そうか」
 佐藤が傘を持ち、僕がそれに寄り添う。

「あんまし引っ付くなよ。歩きにくいだろ」
 バカ、くっつかないと僕が濡れるだろ。とは言うも確かに歩きにくい。そうだ。僕は腕を佐藤の腕に絡めた。

「お、おい」
 佐藤が腕を引っ込めようとするので、そうはさせじと腕を強く絡める。

「こうした方が歩きやすいだろ」
「だって誤解されるだろ」
 それもそうか。前と後ろに誰もいないか確認する。

「誰もいないから大丈夫だよ」
「誰も見てなくてもだ。お前ってこういうのに抵抗がないんだな」
「そう言われてみれば。男だったら絶対にこんな事しないもんな。ってかそれ以前にお前を見捨てて一人で帰っている」
 それが今では抵抗感なくこうしている。なんだかんだ言って女の子に馴染んでしまっているという事か。

「少しぐらい我慢しろ。僕が濡れるよりはマシだろ」
「わ、わかった」
 ずいぶんと聞き分けがいいな。まあいいや。家に着くまでだから。そのまま家まで歩く。傍から見たら恋人同士が歩いているように見えるだろう。でも、僕にはそんなつもりは毛頭ないし、佐藤だってそうだ。と思っていたら……。マンションの前まで来たので僕らはここで別れる。傘は貸してやるから差して行け。

「ああ、ありがとう。明日にでも返すよ」
「じゃあな」
「ああ…」
 なんだ?佐藤は何か言いたげそうにしている。

「なんだよ。言いたいことがあったら言えよ」
 そんな遠慮する間柄じゃないだろ。

「あのさ、お前って胸が大きくなったよな」
「はひっ?」
「いや、さっき一緒に歩いている時にさ…。ずっと柔らかい感触が腕に……」
「なっ!?」
 思わず両手で胸を隠す。確かに胸は一ヶ月前よりも大きくなっている。大きくなるたびにブラも買い替えなきゃいけないし、その度に姉の嫉妬と殺意のこもった視線にさらされるので参る。

「待て、変な気が起こったとかそんな事はないからな」
 そうか、そうなのか。佐藤にかぎって僕に変な気を起こすのは有りえないだろうし。

「じゃ、俺行くわ」
 なんだか慌てている様子。さっきの慌てふためいた弁明といい本当に下心が無かったらもっと堂々としていてもいいのに。

「あんな反応だと誤解を招きやすいのにな」
 明日にでも忠告しておいてやるかな。エレベーターが来たので上まで移動する。エレベーターを降りて通路に出ると家の前に誰かいるぞ。姉さん?なんで家の中に入らないんだろう。いや、姉さんそっくりだけど姉さんよりもおっとりとしているような……。

「あら?」
 姉さん(?)と目が合う。相手の素性がわからないのでどう話しかけたらいいのかわからない。と迷っていたらいきなり両肩を掴まれてまじまじと顔を見られた。

「あ、あの…」
「女の子になったとは聞いていましたけど、ここまでかわいくなっているとは思いませんでしたよ」
 僕も姉さんが二人いるとは知らなかったよ。それと見た目そんなに変わっていないと思うけど。まあ、ここではなんだし、家に上がってもらおう。って、あれ?ここを訪ねたって事は呼び鈴は鳴らしたはず。シスターはいないのか?ドアノブに手をかけて回してみると施錠されていないのが判明した。あのバカ、施錠もしないでどこ行ってるんだ?

「えと、大したおもてなしはできませんがどうぞ」
「あらあら家族なんだからそんな他人行儀でなくていいんですよ」
 そっか、そうだよね。じゃ取りあえず上がってよ。そこへ、もう一人の姉さんが帰ってきた。

「あ、母さん、来てたんだ」
 そう、母さんも来て…母さん?

「えええええええええええええええっ!?」
 僕の母さんってこんなに若くて美人なの!?

「まっこの子ったら親をからかうんじゃありません」
 とか言いながら満更でもないご様子。よく見ると確かに姉さんよりも大人びた感じ。それでも母娘とは思えない。誰が見ても姉妹だ。

「こんな美人の奥さんがいるなんて父さんは果報者だね」
 本当、たとえ父親でも刺し殺してやりたいぐらい妬ましい。美人で優しそうで非の打ちどころの無い。ただ胸が控えめな点を除けばだが。姉さんが受け継いだのは美貌だけじゃないって事だな。

「あら?気のせいかしら。いま、母さんの胸がどうとかって思いませんでしたか?」
 一見、微笑んでいるように見える母の目から強烈な殺気が発せられた。その冷たく突き刺すような殺気はみちるや姉の比ではない。

「ううん、全然そんな事思っていないよ。本当に」
 必死に否定する。いま僕には母が無数の拳を繰り出しているように見える。実際は母はそんなことはしていないが、多分これは拳を極めた者のみが会得できるという闘気というものだろう。さすがは母上だ。姉やみちるはまだ闘気を会得するまでには至っていない。

「それより何で母さんがここに?」
 話をそらす。

「あなたが女の子になったって聞いて気になって見に来たのですよ」
 父さんも一緒?

「お父さんはあなたが女の子になったって知って、現実と非現実の区別がつかなくなってしまったから捨て置きました。お父さんが外出している隙に財布も通帳もカードも家のカギも全部持ってきているので今頃は路上生活しているかもしれませんね」
 ひどっ!せめて家のカギは置いてあげてよ。それと父さんが外出している“隙”にってなに?まるで父さんには黙って日本に来たみたいじゃない。

「まあまあ、父さんの事なんかほっといて、家に上がりましょ。母さんも長旅で疲れているだろうから」
 実の父親をしれっと“なんか”扱いして姉は母を家に招きあげた。まだ会った事ないけど、僕の父さんはどうやらとてもかわいそうな人みたいだ。

「思っていたより綺麗にしているようですね。やはり女の子だからでしょうか」
 女の子になったのは最近だよ。

「そうでしたね。ふふ」
 こうして見ると普通の優しそうなお母さんなんだけどな。

「母さんはいつまで日本に?」
 紅茶を差し出す。母に会えたのは嬉しいけど父が家なき親になっていると思うと、早く帰ってあげてほしい。

「そうですね。お父さんの事も気になりますから明日の朝にでも帰ります」
 もっとゆっくりしていけばと言いたいがしょうがない。なんだかんだと言っても父さんが心配なんだな。

「ええ、保健所に連れて行かれては困りますからね」
 野良犬かよっ!?あんた、自分の旦那をなんだと思っているの!?

「なんですかいきなり大声を出して。女の子がはしたないですよ」
 叱られた。はしたないって言われても女の子になって間が無いんだからそこは大目にみてほしい。

「だいたいの事情はゆうかから聞きました。ちょっとそこに座りなさい」
「うん」
 テーブルを挟んで母の向かいのソファに座る。姉は食卓の椅子だ。

「最初にあなたが女の子になったと聞いた時は本当にびっくりしました。あなたは小さいころからよく女の子に間違われていましたからね。それが本当に女の子になってしまうなんて思いもしませんでしたよ」
 僕だってそうだ。好きで男を捨てたわけじゃない。できれば男にもどりたいと思っている。クラスでの浮いている感はどうにも堪らん。

「しかし、なってしまったものは仕方ありません。女子化願望が高じて女装や性転換手術に走られるよりはマシですから」
「待って、母さんは僕が自分から望んでこうなったと思っているの!?」
「違うんですか?」
 ひどい誤解だ。

「まあ、それはいいでしょう。問題はこれからです。女の子になった以上、母さんはあなたを娘として躾けていかなければなりません。お仕事で母さんは日本にほとんどいられませんから十分な教育はできませんが、できうるかぎりあなたをお嫁に出しても恥ずかしくない娘にするつもりですのであなたもそのつもりでいてください。いいですね?」
「別に僕はお嫁になんか……」
「いいですね?」
「はい」
「よろしい。ちょっとお腹がすきましたね。久しぶりにシュークリームを作ってあげましょうか」
 えっ、母さんってシュークリーム作れるの?

「何言ってんの、母さんのシュークリ−ムはプロ顔負けだってあんたが太鼓判押してたじゃない」
 そうなの?ふーん、だったら少なくとも僕の舌には合いそうだ。うむ楽しみである。そうだ、そんなにおいしいシュークリームならシスターもきっと喜ぶはずだ。って、シスターはどこ行ったんだ!?

「あの娘ならさっき公園で小さい子たちと一緒に泥んこになって遊んでたわよ」
 いくつだよっ!?泥んこになって遊ぶ年齢じゃないだろ。呼びに行こうかと思ったが、もう薄暗くなってきたからそろそろ帰ってくるだろう。この時点では僕はまだ母が女の子になった僕を確認しに来た以外の理由でも帰宅した事を知らなかった。





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