『FIRST KISS(sequel)』

 さすがに女子トイレに入るのは抵抗がある。やっぱし、男にとっては禁断の聖地なわけだし。えっ?女風呂に入った奴が言うな?それはそれ。それに、今回は中に姫前さんがいるのをわかってて中に入るかどうか迷ってんだから。親がいるのを知ってて子供を盗もうと虎の巣に入るのと一緒だからな。食い殺されかねん。でも……。

「姫前さんが泣いていた……?」
 どうにも信用できない。僕にはどうしても姫前さんが泣くという画が想像できないのだ。僕の知っている彼女は強くて明るくてそして正義感の強い女の子だ。

「女の子…」
 そう、彼女は女の子だ。泣きたくなる時もあるだろう。でも、なんで?僕が原因?だとしたら謝らなくちゃ。姫前さんはまだ出てきそうにない。僕は意を決して女子トイレに入った。それで怒った姫前さんに首と胴が離れ離れになっても構うもんか。

「えっ?ちょっと、どこ入って来てんのよ」
 姫前さんは女子トイレの洗面台の前にいた。僕が入ってきたことに怒るというよりも驚いた感じだった。

「ごめん」
「どうしたのよ。と、とにかく出ないと。こんなところ他の誰かに見られたら大変」
「それは大丈夫。僕、女の子だから」
「あ…そうか…じゃなくて」
 ノリツッコミするくらい姫前さんは混乱しているみたいだ。

「大丈夫?」
「だいじょうぶい!」
 ダメだ…大丈夫じゃない。

「それで、何しに来たの?」
「あ、そうだった。えと…どうしたの?」
「は?それはあたしの台詞よ」
「いや、急にどっか行ったりとかさ、さっき長谷堂さんたちから姫前さんが泣いているって聞いたから」
「あ…」
 姫前さんが目頭を押さえる。確かに泣いていた痕跡が見られる。

「あの…僕のせい?」
 多分、違うと思う。僕が原因なら制裁が加えられるはずだ。

「……」
 姫前さんは何も答えない。いつもなら考えるよりも先に行動に出るタイプなのに。僕が何か言おうとすると、その前に姫前さんの口が動いた。

「ねえ、もう男には戻れないの?」
「う、うん…そうみたい」
「そう…なんで言ってくれなかったの?」
「いや、こんな突拍子の無い事だから言っても信じてもらえないと思って」
「だからって…だからって、あたしにも言わないなんて。あたしのこと何だと思ってんの」
「幼馴染」
「……だけ?他には?」
「あとは…クラスメート…友達……」
 他には…思い浮かばないな。

「…他には?」
「いや……」
 何も思い浮かばない。

「…他には?」
「あーとー…」
 他に何かあるか?彼女は何が言いたいのか。顔色を窺おうにも姫前さんは俯いていてよくわからない。でも、怒っているようだとは雰囲気でわかる。同時に違和感もある。いつもなら彼女が怒ったらすぐに制裁が加えられるはずだ。もう何が何だかわからない。あ、そうだ。頭の上に豆電球が点灯する。

「姫前さんは僕の大事な友達だよ」
 多分、これが正解だ。自信もって答える。が、次の瞬間、僕は頬を姫前さんに引っ叩かれた。呆然となって彼女を見ると、姫前さんの目から涙があふれていた。それは初めて見る姫前さんだった。

「バカ……」
 そう言い残して姫前さんはトイレから出て行った。追いかけようと思ったが、追いかけたところで怒らせた原因がわからなくてはどうにもならない。かといって、こんなところにボケッと突っ立っていてもしょうがない。誰か来ないうちに僕もトイレを出た。すでに姫前さんの姿は見えなかった。もう帰ったのかな?僕も姉さんのところに戻ろうか。まだ買い物の途中だもんな。でも、やっぱ気になる。僕は姫前さんを探した。あっちこっち探して階段の踊り場に3人の図体のでかい男に取り囲まれている姫前さんを発見した。

「なあ、いいだろ?ちょっと付き合ってくれるだけでいいからさ」
「まあ、ちょっとだけで済むかどうかは保証できないけどな」
「でも、楽しませることだけは保証するぜ?」
「うっさいわね。嫌だっつってんでしょ!」
 どうやらナンパされているらしい。姫前さんも結構かわいいからな。しかし、3対1か。いくら姫前さんでも分が悪いな。

「待てい!」
 階上からふんぞり返って階下をビシッと指差す。

「なんだてめぇは!?」
「とう!」
 階下に向かってジャンプして空中で回転してから着地する。

「姫前さんを放せ!」
「あんだとぉ?」
「やんのかコラァ?」
「痛い目遭いたくなか…ったらって、てめぇ女か?」
 女?疑問形ってことは、男だと言ったらそれで通用するって事か。こういう場合は男だと言った方が格好いいな。女の子を助けるのは男の役目だ。よし。

「生憎だったな。僕は男だ」
 ふふんと鼻を鳴らす。だが、男どもは「はぁ?何言ってんの?」みたいな顔をしている。姫前さんにいたっては呆れたように顔を手で覆っている。なんだろう、皆の反応が理解できない。お笑いの舞台に立っているのに観客の歓声や笑い声が聞こえなくてエアコンの音だけが聞こえてくるというそんな感じ。とどのつまりダダスベリだ。なぜこうなった?

「あんたね、ブラジャーの紐見えちゃってるわよ」
「なんとっ!?」
 姫前さんの指摘で自分の肩を見るとブラジャーの紐が見えちゃっているではなかろうか。しもうた!試着してたのをそのままに来てしまったんだ。

「あははははっ……」
 笑って誤魔化しを図るも気まずい空気を払拭するには至らずに候。事ここに至りては男と言い張れば女装趣味の変態という汚名を被る事は必定、さりとて女と言い直せばなぜ己を男と偽ったかいらぬ詮索を受ける事と相成り甚だ不都合。されど、女装趣味の変態と吹聴されれば末代までの恥となり申そうぞ。

「ああ、そうだよ。僕は女だよ!」
 悔しさで目から涙がこぼれる。泣くまいと堪えるも涙は止まらない。

「うわああああん!」
 とうとう堪えきれなくなって僕は泣きながら逃げ出した。

「ま、待ちなさい!」
「おっと、逃がしはしないぜ」
「うっさいわね!あんたらに構っている暇なんて無いわよ!あたぁ!!」
「あべし!」
「ばわ!」
「ひ、ひでぶっ!」

 −−−−−−

「それで尻尾巻いて逃げてきたわけね」
「うん……」
 泣きながら姉のところにもどった僕は事の仔細を姉に言上して叱責を受ける羽目となった。

「呆れて物も言えないわね。格好つけて登場したくせにみったんを助けるどころか泣いて逃げるなんて、あんたそれでも男なの!」
「面目ない……」
 全く無い。

「まあまあ、ゆうかさん。誰も怪我しなかったんですから」
 姫前さんが庇ってくれる。あの後、僕の事が気になって来てくれた。

「ごめんなさいね、みったん。頼りない弟で」
「いいえ、あたしの方こそご迷惑おかけして」
「いいのよ。元はと言えばこの子が悪いんだから」
 姉さんが腕を組んで大きくため息を吐く。

「私はシスターちゃんと買い物してるから、あなたたちは二人でちゃんと話し合いなさい」
「はい」
「うん…」
 姉の配慮で二人で話をすることにした。さて、何から話すか。女の子になった事は話した。もう元には戻れないだろうという事も話した。もう他に話す事なんてないだろ。

「……」
「……」
 二人並んでベンチに座るも会話は発生しない。このまま虚しく時を過ごすのかと思った時、姫前さんが口を開いた。

「あ、あのね…さっきはありがとう。助けに来てくれて」
「うん…でも、何の役にも立たなかった」
「ううん、来てくれただけでも嬉しかった。だって、あの時は本当にあたしを助けようとしてくれたんでしょ?」
「そうだけど、結局は君を置いて逃げちゃった。臆病者の卑怯者だよ僕は」
 心底そう思う。姉さんが呆れ返るのも無理はない。あの後、姫前さんが一人でどうやって逃げてきたのかわからない。ただ、逃げ出した時に背後から男たちの断末魔みたいな叫びとブシューッという水か何かが噴き出るような音が聞こえたぐらいだ。

「まあ、ねえ…あんたが泣きながら逃げた時は『ええーっ?』と思ったわよ。正直」
「ごめん…」
「でも、それであいつらの隙を突けたんだから結果オーライよ」
 血や肉片を掃除しなきゃいけない店の人は大変だけどね、と姫前さんは付け加えた。なんかよくわからんが彼女が無事ならそれでいいか。あとの懸念はなぜ彼女が怒っているかだ。

「やっぱり、僕が女の子になったことを隠していた事、怒ってる?」
 とりあえず聞いてみる。

「それもあるけど、あんたの都合もあるんでしょうし、そのことはもういいわ」
「じゃ、もう怒ってない?」
「…ええ」
 やったぁ。

「不安だったんだ。君がトイレから出て行った時、ものすごい不安感に襲われた。このまま君が遠くに行っちゃうんじゃないかって。ずっと一緒だったから君がいることが当たり前になっていた。でも、それが当たり前じゃなくなるんじゃないかって思ったらものすごく不安になったんだ。君は僕にとって大切な友達だ。誰よりもね」
 照れくさいので姫前さんの方は見ないようにしている。

「友達、か」
 姫前さんがそう呟くのを聞いて、しまったと思った。さっき、トイレで彼女は僕が彼女の事を大事な友達だと言った時に僕の頬をぶった。彼女にとって僕は友達ですらないのだ。

「あなたの気持ちはわかったわ。小さいころの約束なんてそんなものよね」
 小さいころの約束?はて、何のことやら。

「あなたにとって私は友達でしかなかった。でも、私にとってのあなたは違うのよ」
 姫前さんにとっての僕?まさか、サンドバッグとか言うんじゃなかろうか。って思ってたら彼女の口から思いもかけない言葉が。

「やっぱり初恋って実らないものなのね」
 初鯉?鯉にも初物があんのか。やはり、女房子供を質に出さないと購入できないのかな。

「……なんかものすごく勘違いしているような顔してるわね」
 違ったか?他に“はつこい”って言葉の意味は他にはもう……。僕と姫前さんってそんな関係だったの?だって、僕らは(すべて一方的に)背骨折られたり脳天かち割られたりする関係だよ?いや、それはここ数ヶ月の事で、それより以前の僕らは相思相愛だったりするのか?

「姫前さんは僕の事が……好き……だった?」
 だった?と過去形なのは一話からの二人を見てもらえればおわかりいただけると思う。好きな奴の体を切り裂いたりするか?それが愛情表現だとしたらとんだヤンデレだな。どうなんだろうと思い姫前さんの方を向くと彼女が顔を近づけてきた。そして次の瞬間、二つの唇が触れ合った。

「!!」
 全くの不意打ちだった。衝撃が強すぎて何が起きたか認識できなかった。数秒して、ようやく自分の身に起きたことを理解した僕はやかんを沸かせるんじゃないかってぐらい顔面がカーッとなった。こ、これってキ、キス?向こうはどうか知らないが僕にとっては初めてのチュウだ。初チュウは中学生までに済ませておけというのはクラスメートの安達努の弁だが、これはチュウと中をかけているんだと思われる。姫前さんはすぐに俯いてしまってどんな顔をしているかわからない。顔を隠すという事は、僕と一緒で赤くなっているから?僕はどうしていいかわからなかった。初めて知った姫前さんの気持ち。ずっと僕を想ってくれていたのに僕はまだ彼女を友達以上の存在とは思えないでいる。僕にとって彼女は他のクラスメートと同様知り合って半年も経たないのだから。いや、違う。彼女に対してだけは他の連中と違って特別な何か親近感みたいなのを本能的に感じていた。無意識の事だからこれまで意識はしてこなかった。でも、いまは違う。段々と彼女を愛おしく思えるようになった。今日初めて見た彼女のいつもとは違った一面に僕はドキドキしてしまった。いつまでもおろおろしているわけにはいかない。彼女の問いかけに答えを出さなければならない。僕は姫前さんの顎にそっと手をやってこっちに振り向かせると間髪入れず彼女の唇を奪った。

 −−−−−−

 翌朝、僕は鏡の前でパンツ一丁で立っていた。パンツは問題無く穿けた。。実にフィットちゃんだ。問題はブラだ。着け方は教えてもらったから大丈夫だけど、これって本当に必要なの?と自分の貧しい胸を見ながら疑念を抱いてしまう。

「着けないと胸の肉がお腹とか背中に行っちゃうのよ。小さいからこそ着けないと」
 同じく胸が豊満とは言えない姉の指摘で納得する。ここで、ふと自分の胸が以前よりも膨らんでいるのに気づく。前はもっと小さかったはず。

「どうしたの?」
「いや、胸がちょっと大きくなったかなって」
「へぇ、そうなんだ。大きく…ねえ……」
 なんだ?変な地雷踏んだか?

「私なんかかなり早い段階で成長が止まったっていうのに、なんで男だったあんたの胸が成長するわけ?」
「そんなこと言われても……」
 シスターに視線で助けを乞う。

「それは胸が成長しているというよりも、女体化の途上で体が形成されていく過程だよ」
 なるほど。成長以前の話って事だな。待てよ。

「完全に女体化したら僕はいまとは全く違った姿になるのか?」
「ううん、基本的には変わらないよ。体つきがもっと女の子っぽくなるだけ。胸もいまよりは大きくなるよ」
 いや、胸はこれ以上大きくならなくて結構。なぜなら…。

「へえ、大きくなるの…それは良かったじゃない……」
 後ろから異様なオーラが……。いかん、話題を変えないと。

「えと、僕の制服は?そこに架けてあったんだけど」
 でも、無い。どこ行ったんだ?

「ああ、あれは捨てたわよ」
「なんで?」
 どうしてそんな事するかな、この姉は。制服が無いと学校に行けないよ。

「大丈夫、ちゃんと買ってあるから」
 と、姉が僕に見せたのは女子用の制服だった。

「もしかして、それを着ろと?」
「愚問ね」
 だよねぇ。女の子として行くんだもんねぇ。

「でも、皆から変な目で見られないかな?」
「大丈夫、連絡網回してもらっているから」
「で、でも…」
「うるさいわね。早く、着なさい」
 渋々、言われた通りにする。

「あら、似合うじゃない」
 嬉しくない。なんか下半身が頼りないというか。これじゃあ、迂闊に動き回れないよ。

「すぐに慣れるわよ」
 そういうものなのか。ピンポーン♪誰か来た。多分、姫前さんだ。迎えに来てくれる事になっている。

「じゃ、行ってくる」
 玄関に行くと、姫前さんが待っていた。

「お待たせ、姫…あ、いや、えと…みちる……」
 昨日、許してくれる条件に姫前さんの事を名前で呼ぶことを約束したのだ。ちょっと、照れくさい。

「それじゃ、みったん。よろしくね」
「はい」
 ちなみに、姫前さ…じゃなくて、みちるの発案で僕は女性化した事実を公表して通学することになった。僕の性格からして誤魔化しきれないというのが理由で姉もそれに同意した。

「でも、皆受け入れてくれるかな?」
 とてつもなく不安だ。





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