『FIRST KISS(prequel)』
思いもよらぬ形で姉に女性化が露見してしまった。でも、正直驚いたのは姉が僕をよそのお嬢さんじゃなく、自分の弟が妹に変化したと認識してくれたことだ。
「自分の弟だもの。わかるわよ」
さすがは我が姉君だ。血のつながった実の姉弟だから成せる業だな。見たところ姉さんは朝ごはんはまだのようだ。作ろうとする気配も無い。じゃ、作ってやるか。トースターにパンをセットする。パンはもちろんあのスーパー19だ。その間にお湯を沸かす。お湯が湧いたらカップにティーパックを入れて湯を注ぐ。トーストにバターを塗って出来上がり。その時、ちょうどシスターが起きてきたので炊いてあったご飯と納豆と生卵と梅干しと醤油を渡してやる。なぜ、シスターだけ和食かというとパンでは彼女の食欲を満たすのは困難だからだ。シスター一人分のご飯で炊飯器は空となる。一人暮らしだったから、そんなに大きくない炊飯器なんだけども。僕も前は朝はご飯派だったけど、シスターが来てからはパンに切り替えた。
「ねえ、あんたってさ、女の子になったの学校には言ってないの?」
姉が話しかけてきた。家で食事している時に誰かと会話するのは初めてだ。一人の時は会話なんて無理だし、シスターが来てからも彼女が食事に集中してたから会話なんて発生しなかった。
「言ってないよ」
「なんで?」
なんでって、言っても誰も信じないよ。
「よくバレなかったわね」
「複雑な気分なんだけど誰も気づかないんだ」
「確かに見た目ほとんど変わんないわよね」
ジロジロと僕を見始める姉。
「それで、どうする気?」
「どうするって?」
「皆を騙したまま学校に行って良心が咎めないかって聞いてんのよ」
その台詞に僕はムッとなった。騙そうと思って隠していたわけではない。言ったところで誰も信じないだろうから言わなかっただけだ。
「で、どうすんの?」
「どうすんのって、いままでどうり……」
「駄目よ」
「駄目って、何が?」
「シルバーランドのお姫様じゃあるまいし、女の子が男のフリして学校に行くなんて母さんだってゆるさないわ」
「だって、しょうがないじゃん」
「しょうがないってことは必要悪だって言ってるのと一緒よ。特命係の警部殿だって言ってるでしょ。必要な悪なんてないって」
「じゃ、どうすりゃいいのさ」
「女の子として学校に通うのよ」
「学校にはなんて言うの?女の子になったからこれからは女の子として通いますなんてバカ丸出しだよ」
「それが事実ならそうするしかないでしょ。それが嫌なら他に手段が無いわけじゃないけど」
「なに?」
「スネ夫に弟がいたことは知ってるわよね?」
確か、スネツグだっけ? おかわりを要求してきたシスターの茶碗にご飯を盛ってやりながら答える。
「幼いころにアメリカだったかしら?に養子に出された」
「うん、知ってる。それがどうかしたの?」
「だから、あんたにも外国に養子に行った弟じゃなくて妹がいたことにすんのよ」
「……」
「それで、向こうの養父母の死んで一人になったから実家に帰ってきた。どうよ?これ」
そんなドヤ顔されても。
「でもさ、姫前さんはどうすんのさ?彼女、幼稚園の頃からずっと一緒だったんでしょ?」
「それは、あんたと妹が双子という設定にすれば解決だわ。生まれてすぐに養子に出されたって事にすればいいのよ」
「そう、うまく行くかな…」
「大丈夫よ。あんたの学校にはさっき連絡入れといたから」
「連絡って?」
「うちの弟が転校して、トリニダード・トバゴから妹が帰ってきたからそちらに転入するって」
はっ?トリニ…?どこだよ、それ。
「頭ん中に思い浮かんだ国名を言ってみただけよ」
「それで学校は?」
「それは急ですねって言ってたわよ。あまり理解してなかったようだけど、頭が弱いのかしら?」
こら、なんてことを。
「まあ、とにかく、明日から学校に行くって言ってあるから今日は休みなさい。いろいろと買わないといけないものがあるからね」
「何を買うの?」
「決まってるでしょ。あんたの下着とかよ!」
姉は僕にビシッと指を突き付けてきた。
「下着って買わなくてもあるけど」
「それは男物でしょ!これから買いに行くのは女物の下着よ」
「えーっ、やだよ」
「おだまり。女の子なのに男の下着なんてはしたないって思わないの?」
「いや、僕は元々男だし…」
「でも、いまは女でしょ」
「そうだけど…」
「それに、いままでのトランクスだとサイズに合わないでしょ」
確かに体が縮んだ分、サイズが大きくなったし引っかかる部分がなくなったためにパンツがずれやすくなったのは事実である。
「それに、女の子の日とか大変だったんじゃなかった?」
「女の子の日?」
そんなのがあったのか。でも、聞いたことないな。いつ、そんな記念日みたいなのができたんだ?
「…なんか意味わかってないようね」
「まだ体が女の子になりきってないから経験してないんだよ」
食事を終えたシスターが口をはさむ。意味がわからん。
「でも、もうそろそろ女体化が完成するから備えておいた方がいいかも」
備えるって何を?
「いいから、買い物にいくわよ」
まだ店開いてないよ。
「おだまり!」
怒られた。そうだ、僕がいなくなった理由はどう説明したんだろう。
「それもちゃんと言ってある」
「なんて?」
「世界中の美女とお宝が俺様を待ってる。あばよ、とっつぁぁんって書置きして出て行ったって。そしたら、アホですか?って、失礼しちゃうわよね」
……。
−−−−−−
10時になったので僕らは買い物に出かけた。着いた先はスーパーの下着売り場。
「これ、かわいいわね。あ、これも」
姉がいろいろと下着を見ている。一方、僕は落ち着かない気分になっていた。女の子になってからも下着とかはいままでのだったから、下着売り場に寄りつくこともなかった。ウニクロでシスターのパンツを買ったぐらいだ。
「あんたも自分で見て気に入ったのないか探しなさいよ。自分のなんだから」
そんなこと言われてもね。何がいいのかわからない。ここは姉さんに任せよう。シスターは自分の下着を選んでいるが、あの格好だから目立ってしょうがない。
「とりあえず、これだけ着けてみて」
「へっ?僕が?」
「当然。何の為にここに来たかわかってる?」
僕の下着を買いに…。
「だったら、あんたが試着しないでどうすんのよ。ほら、試着室あっちだから」
無理矢理、試着室に押し込められる。とほほ。
「ねえ、どうしても着けないとダメ?」
「ダメ」
「どうしても?」
「くどい! どうしても嫌なら私の地獄の九所封じを受けるという条件で許してあげてもいいけど」
僕は観念した。カーテンを閉めて服を脱ぐ。さすがに自分の裸には慣れた。乳首に貼った絆創膏を外す。姉が選んだパンツを手に取る。これを穿くのか。僕、本当は男なのに…。
「ねえ、あんた男に戻れる可能性あるの?」
カーテン越しに姉が話しかけてくる。
「シスターが言うには、それは無いようだけど」
「だったら、女になりきってしまいなさい。今すぐには無理だろうけど、いつまでも男を引きずっていたらあんたが辛いだけよ」
「う、うん……」
確かに姉の言うとおりだ。意を決してパンツに足を通す。なるほど、女の子用に作られただけあってトランクスよりもしっくり来る。男物とは生地も違うようだ。優しさで包まれてる感じ。男物のトランクスでは味わえない感触だ。
「やっぱり、女の子は男よりも体がデリケートだから下着の生地も優しい素材なのかな」
だから、男女で扱いに差が出るのか。例えば、同じ漫画家でも女性なら男の編集者は事前に連絡して都合がいいかどうか確認して行くけど、男の漫画家の場合は事前連絡無しでいきなり玄関のドアを開けて「なに寝てんだ?起きろコラァ!」だもんな。
「って、僕は漫画家でも編集者でも無い」
ただの通りすがりの仮面小説家だ。それはさておき、鏡で自分の姿を確認する。やはり、女の子にはトランクスよりもショーツの方が似合う。これが男だったら100%変態だな。男のままで女物の下着を強制されたら迷わず死を選んでいたと思う。命はプライドより大事だけど、時としてプライドが命より大事な場合もある。パンツは穿けた。次はブラジャーだ。はて、どうすんのかな?
「ねえ、姉さん」
カーテンから顔だけを出す。
「なに?」
「これ、どうすんの?」
ブラジャーを見せる。
「ああ、それね。いいわ、教えてあげる」
姉にブラジャーの着け方を教えてもらう。
「よし、これでOK。なかなか似合うじゃない」
「そ、そうかな?」
鏡で見る自分の下着姿は確かにかわいい。こんなにかわいいならもっと早く身に着けるべきだった。なんて、思っていると聞きなれた声がしてきた。
「あれ?ゆうかさんじゃないですか。いつ、日本に戻ってこられたんですか?」
姫前さんだ。どうして、彼女は僕の行く先々に現れるのだろうか。って、彼女どうしてここにいるんだ?学校は?
「ねえ、学校はどうしたの?」
姉さんも同じ疑問を抱いたようだ。
「はい、なんか急に休みになったんです。たまにあるんですよ。うちの学校。理由は訊いても教えてくれないんです」
「変な学校ね」
「本当だね」
うんうん頷いていると、僕に気づいた姫前さんが咎める目つきで僕を見た。
「…あんた、こんなところで何やってんのよ」
しまった。モロに下着姿だ。これじゃ変態だ。
「ああ、この娘はあの子の双子の妹よ。名前は…」
姉がアイコンタクトしてきたのでその意を察する。
「え、えっと初めまして。名前は…ゆうこです」
「ばか、それ母さんの名前じゃない」
そうなの? じゃあ……。
「ゆうりです。よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ…」
いきなり双子の妹を紹介されて姫前さんも戸惑いを隠せないようだ。
「驚かせてごめんね。生まれてすぐに養子に出されたから私も会うのは17年ぶりってとこかしら」
「は、はあ」
突然、僕に双子の妹がいたって聞いたからかなんか歯切れが悪い。
「じゃ、あたしはこれで」
僕らに一礼して姫前さんは立ち去ろうとした。バレずにすんだと安堵した瞬間、不意に姫前さんが僕の名を口にした。
「なに?」
無意識に僕は反応してしまった。
「やっぱり」
しまった、謀られた!こんな古典的な方法でバレるなんて。直助さんじゃあるまいに。姫前さんは腕を組んでこちらを咎めるように見ている。
「どういう事か説明してくれる?」
僕は姉と顔を見合わせて姉が無言で頷いたので、これは正直に言えというサインと受け取った。
「実は……」
シスターのこと、女体化したことを正直に打ち明けた。信じないだろうなと思いつつも嘘だけはつかないと決めてすべてを明かした。すると、意外と姫前さんは僕の話をすんなりと信じてくれた。
「な、なんで?」
思わずそんな疑問を口にする。こんな与太話普通は信じないぞ。
「あんただからよ。あんただから嘘はついてないってわかるから」
「そ、そう?」
「あんたと何年付き合ってると思ってるのよ。幼稚園からの腐れ縁でしょ。あんたが嘘をついてないかどうかわかるわよ」
さすが、幼馴染ってとこか。すると、姉さんが口をはさむ。
「ただの幼馴染じゃこうはならないわね」
どゆ事?さっぱり、わからん。姫前さんとの間に過去なにかあったのか。でも、よかった、よかった。と、思ったらなんだか姫前さんの様子がおかしい。さびしそうなかなしそうな。笑ってはいるけど無理に笑っている感じ。こんなことは初めてだ。すると、姫前さんは肩をわなわな震わせて走り去ってしまった。
「へっ?」
突然の事にポカンとしていると姉に叱責された。
「なに、ボケッとしてんのよ。早く、追いかけなさい!」
「で、でも、まだ下着…」
「早く!」
「は、はい!」
僕は大急ぎで服を着て姫前さんを追いかけた。何が何だかさっぱりわからない。追跡して捕捉したところで何をすりゃいいんだ。わけがわからぬまま姫前さんを追いかける。すると、彼女は女子トイレに入ってしまった。
「なんだ、トイレに行きたかっただけか」
だったら、ここで待とう。待ってると、女子トイレからクラスの女子たちが出てきた。僕を見るなり詰め寄ってきた。
「ねえ、なんかあったの?」
「えっ?」
いきなり、数人の女子に取り囲まれて怯える。
「トイレで泣いてたわよ」
「姫前さんが?」
泣いてた?あの姫前さんが?
「あんた、なんかしたんでしょ?」
僕は必死に首を横に振った。僕が彼女を泣かせるなんて絶対にありえない。その逆はあったとしても。
「とにかく、何があったか知らないけどあの娘が泣くなんてよっぽどの事よ。本当に心当たりないの?」
無い。断じて無い。あるとしたら……。
「その顔は心当たりがあるのね」
「いや…でも……」
僕が女の子になってしまったのがそんなにショックなのか?僕でさえ割とすんなり受け止めたのに。彼女だってあっさりと受け止めたじゃないか。
「あの娘、普段は気が強そうに見えても女の子なんだよ。あんたがそのつもりが無かったとしても傷つけている場合もあるんだからね」
「うん……」
確かに彼女が泣くのはよほどの事だ。
「私たちもね、訳を聞いたんだけど何も言ってくれないのよ。何かあったか知らないけど、このまま放っておくってことだけはしないでね」
「わかった」
「じゃ、私ら行くから」
彼女らは去って行った。一人残された僕は突然降ってわいた難題に取り組まなければならない。姫前さんがなぜ泣いているのか、その事情を聞くには女子トイレに入るしかない。それは男としての何かを捨てきれない僕にはかなりの難問だった。