『BOY』
「頼む、この通りだ」
両手を合わせて懇願するクラスメートの飯崎哲夫に僕は正直うんざりしていた。飯崎はサッカー部の部員で何を僕に頼んでいるのかと言うと。
「是非ともサッカー部に入ってくれ」
これが飯崎だけじゃなくて部長や他の部員もそろっての懇願だから僕がどれだけ必要とされているかがわかる。しかし、
「ごめん、何度も言うけど僕は入る気無いから」
何度も断っているのにしつこく食い下がってくるのだ。別に僕はサッカーが嫌いでも運動が苦手でも無い。体を動かすのは嫌いじゃないし、サッカーにしろ野球にしろどちらかと
いうと好きな方だ。ではなぜ、せっかくの誘いを断るのか。これが、選手としての誘いなら問題なかった。残念ながら選手の数は足りていて補充は必要ないそうだ。
「頼む、お前で無いと駄目なんだ、お前しかいないんだ」
だから、何度も嫌だって言っているじゃないか。なんで僕なんだよ。
「他にもあたってみたんだが、駄目だった。もうお前しかいないんだ、頼む!」
とうとう一同全員土下座までしだした。
「「「頼む、我がサッカー部のマネージャーになってくれ!」」」
帰れ、バカ野郎。こいつら僕をなんだと思っているんだ。何でも前のマネージャーが彼氏ができたとかの理由で突然辞めて以来、男子部員が輪番制でマネージ ャーをやること
になったそうだが、そろそろ全員が我慢の限界に達しているという。そりゃ、同じドリンクやタオルを渡されるのなら男よりも女の方がいいに決まっている。その理屈は僕にもわかる。
問題はそのマネージャーをなんで男の僕がやらんといかんのだということだ。
「ったく、皆して人を何だと思っているんだ」
執拗に食い下がる連中を振りほどいた僕はぶつくさ言いながら校舎を歩いた。なんでこんな扱いを受けるか自分でもわかる。その原因もだ。ちょうどその原因の前を通りがかったと
ころだ。掲示板に貼ってある一枚の写真。それに映っているのは紛れもない自分自身の姿。
「何考えてこんな格好してんだろうね。このアホは」
我ながら情けなくなる。写真に写っている僕は何をトチ狂っているのかバニーガールの格好をしていた。多分、学園祭か何かの催しの時ではないかと思うが、僕は罰ゲームかなんか
でこんな格好をさせられていたのだろう。しかし、男がバニーガールをやっているのにあまり違和感が無いのは凄いな。もう高校生なのに髭もほとんど生えないし、体毛も薄すぎる。
顔も女っぽく宝塚の男役みたいと言われたこともある。こないだ駅前のスーパーに行った時なんか男子用トイレに入ろうとしたら慌てて係員が止めに来たこともある。僕は男だと何度
説明しても全然信じてくれない。それは学校内でも同様だ。さっきみたいにマネージャーを頼んでくる運動部はサッカーだけじゃない。ドラッカーの本を持ってきた連中もいる。
「この学校の男はバカばっかしだ」
溜息まじりに呟きながら僕はトイレに入った。小用だが、個室に入る。なぜ大でもないのに個室に入るのかと言うと、別に座ってする派だからじゃない。これ には学校側の配慮が
あった。女性の方は恐らくご存知ないと思うが男子が学校で大するのは大変な勇気を必要とする。かくいう筆者も大をしているクラスメートを仲間と一緒に水攻めにした前科がある。
小さい方の西田くん、あの時はごめんなさい。
……なんか余計な雑音が混じってしまったが、男子も学校で気軽に大できるようにという学校のありがたいご配慮で男子トイレも全部個室になっていて、外からでは中の様子がわか
らないようになっているのだ。おかげで僕は小便器にむかって用を足すという自分が男であるという証明を周囲に見せることができない。この学校の男子トイレが全部個室なのも女な
のに理由あって男として通っている僕への特別の配慮だという噂もある。本当にこの学校の男はバカばっかしだ。
「よっ、どうしたんだ。元気ないな」
用が済んで手を洗っている僕に後ろから声をかけてきたのはクラスメートの佐藤だ。僕を男として見てくれる数少ない親友だ。僕はさっきのことを話した。
「それは災難だったな」
「まったくだ。女の子は他にもいるのにどうして男の僕に頼むんだ」
「まあまあ、そのうちチアガールをやってくれって言われるかもよ」
「ふっ、冗談はよせ」
「いや、実はなうちのクラスで今度の球技大会でお前にチアガ…って、どこに行くんだ!?」
「放せ! いますぐ退学届を出しに行くんだ!」
僕の男としての尊厳を守るにはそれしかない。
「落ち着け、まだ決まったわけじゃない。決まっても断ればいいだけだ」
そうか、それもそうだな。
「まあ、お前の性格からしてクラスの総意だと迫られたら断りきれないだろうな。なんせバニーガールまでやった…だから落ち着けって!」
もう嫌だ、こんな学校。
「なに言ってるんだ。まだ共学のここだからこの程度ですんでるけど、男子校に行ってたらお前はあっという間にハチの巣にされてたぞ。そんで多分今頃は全男
子生徒の慰み者になっていただろうな。精神も壊れてしまっているだろうなとは容易に想像できる。あの時、男子校に行こうとしたお前を止めてよかったよ」
要するに僕の安住の地はどこにもないわけだ。男なのにバニーさせられるのは屈辱だったに違いない。イジメか?
「愛されてるんだよ」
そんな愛され方は嫌だ。
「そうか? お前だって股間のもっこりを見えないように自分でしてたじゃないか。馬鹿だなぁ、あれでお前を本当は女だって誤解する連中が増えたんじゃないか」
確かに写真で見る僕のバニー姿は股間がほとんどもっこりしていない。変なところでこだわったらしい。決して僕のカリが小さいからではあるまい。
「それにしても、うちの学校は結構可愛い娘がいるってのにどうして僕の方に来るんだろう」
僕だったら絶対に女の子の方に行くのに。同性愛とやらに微塵の理解も無い僕としては不思議でしょうがない。
「美人ぞろいだからじゃないのか」
どゆこと?
「尻込みしてしまうんだよ。だから、お前の方に行く。男同士だからまだ行きやすい。あとはお前を女と思い込めばそれでいい。妄想がすぎてマジでお前を女と思い込んでしまう
わけだ」
本当にアホばっかしだ。そのうち男から告白されてしまうかもしれない。まあ、さすがにそれはないか。いくらバカでも男としてのプライドはあるだろうからな。僕は信じてる。
前言撤回。信じた僕がバカだった。放課後、帰ろうと下駄箱を開けると中に封筒が入っていた。中を開けてみるとラブレターらしき手紙が。差出人の名前は書かれていない。そうか、
とうとう僕もラブレターをもらえる身分になったか。先述したようにこの学校の女子生徒の平均値は高い。誰であれがっかりすることはないだろう。逸る気持ちを抑えながら指定された
場所に行ってみるとそこにいたのは一人の男子生徒。襟を見ると星が一つ下級生か。あるぇ? まだ来てないのかな。しょうがない、待つことにしよう。先客がいるようだが、彼も誰か
と待ち合わせをしているのだろうか。って、なんでこっちに来るの? 嫌な予感が……。
「あ、あの来てくれたんですね」
「えっ?」
どうしたことか汗が滝のように流れるような感覚に襲われる。おいおい、まさかこいつがあの手紙の主と言うんじゃなかろうな。手紙には何て書いてあったかな。確か伝えたいこ
とがあるから来てほしいってな内容だった。てっきり、女子からの告白だと思っていたが勘違いだったようだ。まさか、男子からの果たし合いの申し込みとは思わなかった。あまり
喧嘩とかは好まないけど、申し込まれたからには受けて立たないとな。さて、男らしく返答するにはどんな台詞がいいかな。相手もモジモジしているところから男らしく果たし合い
を申し込む台詞を考えているのだろう。それぐらい事前に考えておいてほしい。
「お願いがあります。僕と」
おっ、やっと台詞を思いついたか。多分、「僕と」の後に戦ってくださいってなるんだろうな。何か迫力に欠けるがそれはいいとしよう。
「僕と付き合ってください!」
……これは予想外だな。テンパりすぎて台詞を間違えたか? それといくら立場上お願いする立場だからってこれから喧嘩する相手に頭を下げるってどうよ。最近の若い者は喧嘩の
作法も知らんらしい。僕も知らないけど。相手は台詞を間違えたのに気づいていないのか、頭を下げたまま動かない。いや、間違いに気づいて恥ずかしさで顔を上げられないのかもし
れない。
……わかってるよ。現実から目を逸らすのもそろそろ限界だって。とうとう恐れていたことが起きたか。
「ごめん…君の気持は嬉しいんだけど……」
本当は嬉しくない。それどころかこいつの首を180度回転させて視界に映っている焼却炉にぶちこんでやりたい衝動に駆られている。いくら女っぽい顔しているからって制服見た
ら男だってわかるだろ。
「どうしてですか? どうして駄目なんですか?」
どうしてって、あんた。
「僕が年下だからですか?」
いや、それは関係ない。
「他に好きな男がいるんですか?」
待て、怖いこと言うな。
「あんね、君は根本的に大きな誤解をしているようだけど、僕は見ての通り男だよ?」
「でも、それは家庭的な事情があって女なのに男のフリしてしてなくちゃいけないからでしょ?」
ちょっと待て、女が男装して通学しなくちゃならん家庭の事情ってどんな事情だ? 口で言ってもわからんようなら、こうなりゃ論より証拠でいくしかないな。
「ちょっ、ちょっと何しているんですか!?」
なにって、服を脱いで僕が女でない証拠を見せるんだよ。
「お、女の子が駄目ですよ!」
だから女じゃないって言ってるだろ。もう嫌だ。
−−−−−−−−
「へぇっ、そりゃ災難だったね」
笑いごとじゃないよ。
「ごめんごめん、悪かったよ」
この人はクラスメートで幼馴染の姫前(きのまえ)さんで、さっきのことを話すと愉快そうに笑った。所詮は他人事か。
「でもさ、あんたこれで告白されんの二桁ぐらい回数いってるでしょ」
そうなの?
「そうなのってあんた覚えてないの? まあ、それぐらい告白されすぎてるってことだよね。もしかして、いったい何人の男から告白されたのですかって訊かれて、100人からさ
きは覚えていないとかって言っちゃうわけ?」
100人どころか一人目から記憶に残していない。ってか、女子からの告白は無いの? えっ、ひょっとして僕は学校中から同性愛者とか思われてる?
「あ、あの」
「なに?」
「君は僕のことをどう思ってる?」
「はっ?」
「だから僕の事どう思ってるのかなって」
「どうって、いきなり言われても」
なぜか姫前さんは顔を赤くしている。
「あたしたちってただの幼馴染であって…別にあんたのこと意識したことない…くはない…けど」
ん? 彼女はなにを言ってるんだ?
「あの、僕がホモに見えるかって訊いたんだけど」
「はっ?」
どうやら勘違いしていたようだ。なにと勘違いしていたんだろう。
「あ、あんたがホモかどうかって、あたしに関係ないでしょ!」
そ、そんなに怒ること僕言ったかな? それと、どうして僕を前屈みにさせてリバース・フルネルソンを極めているのかな?
「くたばれぇっ!!」
えーっ、まさかのダブルアーム・スープレックス!?
「この程度で済ませてもらって感謝しなさい。あたしを本気で怒らせたらスピン・ダブルアームソルトをお見舞いしてたところよ」
そ、それは将軍様の……。それよりも…腰が痛い……。